第九章 【二】

 自然光が全く差し込まない部屋。
 暗闇に支配されていたそこに、世間一般の発光体である水晶が浮かんだ。
 命をとつぜん吹き込まれたようだ。
 天井付近に浮かぶ水晶は、煌々とした光で部屋の隅々まで照らし出す。そんな中に、男の姿を浮かばせた。
 男は囚人だった。部屋から出られないように、腕と足に鎖が取り付けられている。鎖は部屋の天井に続き、壁の中に埋まっていた。幾ら男が引っ張ろうとも抜けることはない。
 水晶の光に照らされ、それまで身じろぎすらせず眠っていた男の眉が微かに動いた。風すら動かない閉じた空間の中。一度見たら忘れられない赤い髪がひときわ明るく輝いた。暗い炎を内包した深紅。眩しそうにゆっくりと持ち上げられた瞼の下からは、髪色と同じ深紅が覗く。
「起きた?」
「ここは……」
 横たえられていた男は起き上がり、誰の声も耳に入っていないように呟く。思考に霧が懸かっているかのように朦朧としていた。今まで自分が何をしていたのかも分からない。激しい混乱は、却って動きを緩慢にさせる。体を起こして視線を落とし、力の入らない手の平を意味なく見つめる。自分の両手足が鎖で繋がれていることに気付いたが、何を意味するのかも分からない。
「まだはっきりしてないようだね」
 その声が先ほどの声と同じだとようやく気付き、顔を上げる。そして驚きに眼を瞠った。
「久しぶりだね――サウス」
 寝台で体を起こした青年と、声をかけた青年。
 二人の間には鉄格子が嵌められていた。
 サウスはただ呆然としたまま、鉄格子の向こうに立つ青年に近寄ろうとした。足を踏み出したがその足には力が入らず、疑問に思う間もなく無様に倒れ込んだ。
「な、に……?」
 石畳に叩き付けられた鎖が凄まじく音を重ね合わせる。自身の手足を縛る鎖の意味にようやく気付き、サウスは息を呑んだ。
「一ヶ月くらい意識がなかったんだ。そうなるのも当然だよね。そうさせていたのは僕だけど」
「一ヶ月……?」
 与えられた知識に訝るよりも先に、サウスの脳裏にはランルの顔が浮かんでいた。直ぐに帰ると誓ったはずなのに、自分の知らないところで一ヶ月もの時間が過ぎている。きっとランルは怒り心頭だろう。
 ずれたことを思って苦笑する。
 その笑みは、目の前に立つ青年を苛立たせた。
「なにを思ってるのさ。自分の状況が分かってるの?」
 サウスと同じ赤い髪。けれどその色素は薄く、明るい陽のような色。
 見慣れたその色をサウスは眩しく見やった。
「なにが目的なんだ。サイ」
 床に座り込んだまま青年を見上げる。
 久しく呼ばれてこなかった名前に、青年はやや陰湿な笑い声を響かせて手を翳した。その手に宝珠が出現する。力を引き出され、歓喜の色に輝いている。
 サウスは思わず身を乗り出した。宝珠の色はどこか危険を連想させた。前王が揮っていたときには弾けるような明るい光を放っていたというのに、サイが揮う宝珠にはそれがなかった。
「もうすぐ、きみのお姫様がここにくるよ。サウスを助けにね」
 意味を悟ってサウスは宝珠から視線を外す。サイを凝視する。
 その反応はサイのお気に召したらしい。嬉しげに笑う。暗い光を放っていた宝珠を手にし、体の中にしまい込んだ。
「馬鹿だよね。きみなんかのどこがいいんだか」
「ランルになにをするつもりだ?」
「君を取り戻そうと頑張る姿があまりにも馬鹿らしくて。綺麗なものほど汚してやりたいっていうのは、こういうことかと分かったよ」
 サイは背を向けた。水晶の光を避け、暗闇に沈んでいた階段に向かう。
「サイッ? こんなことをして――外交問題になるぞ。ラトナシアやスラッジの意見は聞いた」
「死んだよ」
 言葉の意味が分からず、サウスは眉を寄せた。
 サイは振り返って唇だけで笑ってみせる。
「ラトナシアは民衆に討たれて死んだ。僕が宝珠を操れない――なんていう馬鹿な連中が城に押しかけてきたんだ。ラトナシアは説得に向かった。だけどなかなか難航だったみたいでさ。あまりにも長引くと他の馬鹿も乗じて騒ぎ出す。まだるっこしかったから、騒いでいる連中に見せてやったんだ。宝珠の力を。そうしたら奴ら、半狂乱になって、勝手にラトナシアを殺した。だからこっちも、お返しに宝珠の力で連中を殺してやった」
 サウスは唇を震わせた。脳裏に、厳格な態度で常に人々を導いてきた老齢の姿が浮かんだ。
「宝珠を揮う前に、ラトナシアから、助言は得られなかったのか……?」
「戯言だよ。民衆の言葉を頭から信じちゃって、僕を裏切った」
「馬鹿な!」
 思わずサウスは声を荒げていた。サイは鼻白んだように顎を引いて、不愉快そうに眉を寄せる。サウスは信じたくないような気分でサイを見つめ、けれど、ラトナシアの死だけは信じなければいけないのだと言い聞かせた。
「スラッジは、その後、なんと……?」
「聞いてない。勝手に城の皆に暇を与えようとしたから、永久追放してやった。森の中には宝珠で仕掛けをしておいたから、誰も抜けることはできなかっただろうけどね」
 何かを思い出すように、楽しげに微笑むサイの顔を、サウスは奇妙な気持ちで見つめた。彼の言葉の端々に含まれているのは、城仕えの者たちの、大量の死。そこにはサウスが見知った人々も多く含まれているのだろう。
 衝撃に思考がついていかないまま、サウスは口を開いた。
「お前は……王になったんだろう」
「だから誰も僕に逆らえない。僕の邪魔をしないで。サウスはそこで黙って見ていてよ。君にだって、なにもできないんだからさ」
「サイ!」
 サウスの言葉にはもう取り合わず、サイは階段に消えた。足音は直ぐに遠ざかる。サウスがどんなに叫んでも応えはない。追いかけようとしても足に力が入らない。
 身動きするたびに奏でられる鎖の音が耳障りだ。
 ガラディアを出てから一ヶ月が過ぎようとしている。ランルがセフダニアへ来ようとしている。城に仕えていた多くの者が死んだ。恐らくはサイが揮う宝珠の力によって。
 サウスは寝台に腰掛けながらサイの言葉を思い出していた。情報が脳裏で渦を巻く。奥歯を強く噛みしめる。
「なにやってんだよ」
 サイも、ランルも、自分の立場を無視してまで。
 そしてサウスは自嘲した。最初に放棄したのは自分だろう、と。
 自由を奪う鎖に視線を移した。力を入れて引っ張ってみたのだがどうなる訳でもない。歩けないほど力が萎えていることが一番痛い。
 辺りを見回したサウスは自分がどこにいるのか再確認した。城内の地図を脳裏に描き、ここは地下の一角だと思い出す。旅に出て各地を放浪するまでこの城で育ったのだ。間違うわけもない。サイと共に、遊び場にして走り回っていた。
 思い出して笑顔を翳らせる。
 なぜああも歪んでしまったのだろうか。答えは出ない。
 セフダニアへ来る前、ランルから下賜されていた剣も取り上げられてしまったようだった。目の届くところには見当たらない。
「情けない」
 ランルに合わせる顔がない。
 サウスは溜息をついて寝返りを打った。それだけで息が上がってしまう。
 腕を持ち上げ、顔を隠すように翳す。
 大きく溜息をついた。

 :::::::::::::::

「どういうこと?」
 歩いていたランルが呟いた。
 単なる独り言であったが、近くを歩いていた人物たちにはしっかりと届いていたらしく、肩を竦められる。なにを言いたいのか分かっているのだ。
 ガラディアを出てセフダニアに入国した。国境に設置された関所には兵がいなかった。訝しく思いながらもそのまま入国したランルたちだが、そこで絶句するような光景を目の当たりにした。
 関所から少し離れた町には人がいなかった。
 無礼を承知で家に踏み込んでもみた。生活していた様子はあるが、肝心の人間が見つからない。そんな町が幾つも続き、とうとう誰にも会わないままセフダニアの王都に来てしまった。
 王都までかかった日数は丸一日。ガラディアを出る際に用意していた魔道具を使い、可能な限りの速度で馬車を走らせた。常なら歩行者の存在を考えて、全力疾走などできない。だがどうせ誰もいないのだからいいだろう、と響希に押し切られたのだ。もしも歩行者の存在を考えていたら、とても一日では着かなかっただろう。
 さすがに王都近くに来てからは馬車を下りたものの、相変わらず町には人の気配がなかった。無人の宿に馬車を置いて、城を見上げる。もう目と鼻の先にまで迫っていた。数日前に来たときと全く変わらない姿で城は佇んでいる。違うのは人がいないことだけだ。
「城に集められてるんじゃないのか?」
「国中の人が? あり得ないわ。なんのためにそんなことをするの」
「俺らが来ることを予想して集めたとか……危険防止のために?」
「あり得ないわよ。国中の人を収容できるほど、城は大きく造られてるわけじゃないんだから」
 苦し紛れの響希の言葉に、ランルも苦渋を滲ませながら応えた。
 ランルは改めて視線を町に向ける。嫌な予感ばかりが育っていく。
「これでは、何が起こったのか、人に聞くこともできないわね」
 馬車を預けた宿とは別の宿を見つけた。その側で翠沙は立ち止まる。この通りを歩き、城を囲む森を通り過ぎればセフダニア城だ。
 響希は宿の前に出されていた樽に腰掛けて町を見渡した。
 中央に噴水が造られている。雑貨屋や食材屋などがこの通りに集中しているようだ。
 響希と同じく町を眺めていた翠沙が、宿の隣にある食材屋に入った。そこはやはり無人だ。翠沙は並ぶ品物を手にして首を傾げる。
「そんなに痛んではいないから……放置されて一週間くらいかしら?」
 響希も翠沙の隣に並んで食材を手にする。見たこともない食材ばかりだが、翠沙の言葉に偽りは感じられない。
「どうする?」
 自分でも何の確認なのか分からないまま、響希はランルに問いかけていた。
 ランルは通りの中央に佇み、中央から町を眺めていた。
 セフダニアはランルの管轄ではない。セフダニアの住民が消えたからと言って、ランルが動かなければならない理由は何もない。
 しばし葛藤していたように見えたランルは、視線を響希に向けた。
「サウスを取り戻すことだけが私の目的よ。何があったか知らないけど、セフダニアの方針に口出しする余裕なんてないわ」
 ランルは見据えながら断言した。
「なら」
 響希は手にしていた食材を元の位置に戻し、翠沙を振り返る。憂いを含む緑柱石の瞳も響希を見ていた。同意するように頷く。
「当初の予定通り、作戦実行するか」
 セフダニア城を囲む、深い森を見据えた。