第九章 【三】

 ランルたちがセフダニアへ着いてから数時間後。ガラディアでは、ランルから一時的に全軍の指揮権を委任されたヨールが王宮での警戒を続けていた。兵たちの間に張り詰める緊張は痛いほどだ。
 ランルたちが無事に戻るまで何も起こさせない。度重なる失態で落ちた警備隊の名誉を、そろそろ挽回したいところだ。
「異常ありません」
 ヨールは物見の塔に登り、最上階から外へ出た。気付いた兵が目礼する。その隣に立ち、ヨールは国に視線を投げた。既に逢魔が時。空を染める紅に瞳を細める。
「あの。ヨール隊長」
 遠慮がちに掛けられた声に鋭い一瞥。声をかけた兵は言葉を失って息を詰まらせた。その姿を見て、ヨールは頬を掻く。常にないこの異常事態に、自分も神経を尖らせているらしいと知る。深呼吸して眼差しを和らげ、青年を促した。
「今回のこの警戒態勢は……いったい何なのでしょう? 私たちは何に警戒しているのでしょうか?」
 王たちの死とセフダニアのことは、下の兵たちには伝わっていない。外へ漏洩することを恐れた官たちが戒厳令を布いた。何も知らされない兵たちが戸惑うのも無理はない。
「ランル様が戻られたらすべて分かる。だから、お前はその目でランル様が戻ったことを確認すればいいんだよ」
 ランルが城を離れていること自体が不安で、兵は怯えた視線を向けたが、ヨールは何も返さない。強引に納得させて、その場を離れようとする。
「本来はこんなもんだろう。今までランル様に甘えていたが、俺が新米のときはもっとずっと重労働だったんだからな。これまで以上にランル様を敬うように!」
 青年は「何十年前の話っすか」と半眼で呟いた。
「あれ?」
「どうした」
 それまでとは違った様子の声に、その場を離れかけていたヨールは振り返った。兵は目を凝らして城壁を見つめている。彼の隣に戻って同じように視線を向けたヨールは驚愕に目を見開いた。青年の訝る声も耳に入らない。勢いよく塔を駆け下りる。
 塔の下で待機していた少年兵を勢いで突き飛ばしてしまい、走りながら謝った。
 城壁の外側で肩を怒らせていたのは。
 数日間行方が知れなかった李苑に間違いなかった。


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「なんでよ!」
 怒りに顔を染めて怒鳴る李苑に、対する兵はにべもなく「駄目だ」と言い放った。先ほどから何度となく聞いた言葉だ。進展はない。李苑は更に頬を膨らませる。
「今は緊急事態で、通行不可能になっている。用があるなら数日後にまた来い。この警備が解かれたならお前の要望も通るだろう」
「そんなに待ってられないってば! 今更なんでそんなことしてんのさ! 今まであんなに温い警備してたくせに!」
 怒りに任せた暴言。相手をしていた兵の片眉が跳ね上がった。
「いい加減に諦めろ。いくら言われようと、駄目なものは駄目なんだ」
 もう話はない、とばかりに瞳まで閉ざした兵に、李苑は体を震わせた。
「ケチ! 馬鹿! 人でなし! ランルとまで無理は言わないから響希たちを出してって言ってるじゃないっ。呼びに行ってる間は私が誰も通さないように見張っておくからって!」
 そんな話が通らないのは当たり前だ。しかし李苑は構わず叫ぶ。自分が通れないのならば誰かに呼びに行ってもらうしかないのが正解なのだけれど。
 城門からやや離れた位置に停まらせた馬車内で、李苑と兵士のやり取りを聞いていたザーイは呆れながら李苑を見つめた。彼女の怒鳴り声は何にも遮られず、離れたここにまで明確に届いている。
「あいつ、あれ、本気か?」
「本気なんでしょうねぇ」
 呑気に呟いたジュラウンにもため息を零して、ザーイは立ち上がった。気付いたジュラウンが諌めるように渋面を作る。けれどザーイは仕方がない、というように肩を竦めた。ここで騒ぎを起こすわけにはいかないのだ。
「そのうち実力行使で強行突破しそうだしな。いくらなんでも俺の顔知ってる奴にいきなり出くわすことはないだろう? 俺はあの門番は知らねぇし」
 馬車の扉を開けて飛び降りる。ジュラウンが何も言わないのをいいことに、肩を竦めて李苑の元へ歩いた。
 傍に寄ったときにはもう、彼女は完全に戦闘態勢で一触即発。予想を裏切らない展開に怒鳴りたくなったが、仕方がないと諦めた。一緒に過ごしたのは数日だけだが、これが李苑らしいと学んだ。
 うんざりした様子で李苑の相手をしていた兵士は、近づくザーイに気付き、表情を改めた。背筋を正してザーイを見る。さりげなく剣の柄に手がかかる。
 空気が変わったことに気付いた李苑は振り返る。そこにザーイを見つけ、唇を尖らせた。
「ああ、警戒しなくてもいい」
 砕けた態度でザーイは片手をかざしたのだが、そんなことを素直に聞く奴が門番など任されるわけないわな、と胸中で自嘲する。
「俺はこいつを引き取りに来ただけなんでね」
 『ひょい』っという効果音がつきそうなくらい軽々と、ザーイは李苑の首根っこをつかんで肩に担ぐ。当然ながら李苑がその状況を大人しく受け入れるはずもない。暴れようとするが、強い力の前に、抵抗は封じられた。
 純然たる力で李苑はザーイに敵わない。それでもザーイは、腕に相当な力を込めなければいけなかった。表面上は何気ない風を装って兵士に語りかける。
「この警戒態勢はいつからなんだ? いつも開放的なガラディアにしては珍しいじゃないか」
「何者だ」
 当然のことながら情報を与えてはくれなさそうだ。
 情報収集なら外見や態度から李苑が適任なのだろうが、今の李苑にそれを望むのは間違いだ。
「なに、ちょっとしたキャラバンの者さ。こいつはそこの芸人で、俺はそこの護衛人。ここで興行する許可を貰おうと来たんだが、いきなりの警戒で驚いたよ」
 肩を竦めておどけてみせる。兵はまだ不審そうな顔を続けたが、護衛人ならば、とザーイの雰囲気にも納得したようだ。
「そちらの言う通り、出直すとするよ。すまないな。手間取らせて。こいつは突っ走るところがあって、俺はいつもそのお守りに振り回されてるんだ」
 兵の瞳が同情を含んだ。
「そうか。色々大変だろうが、宿を取って待っていてくれ」
「ああ」
 ザーイは軽く手を振りその場から離れようとした。それに気付いた李苑が再び暴れようとしたが、ザーイは彼女を前に抱え直すことで、李苑の動きを封じた。そのまま唇を寄せる。
「静かにしろ。もしかしたら、お前の友人たちは既にこの城にはいないかもしれないんだぜ」
 李苑は渋面でザーイを見た。なぜ言い切れるのか。
 大人しくなった李苑に、ザーイは視線で城を見るようにと促した。そのまま城を見た李苑だが、ザーイが何を言いたいのか、分からない。
「あちこちで篝火が焚かれているだろう」
 篝火は一定間隔をあけて焚かれている。別段不思議はない。夜の見張りに、それは必要不可欠な明かりだ。
 ザーイが何を言おうとしているのか分からない。「だから何?」と問えば、なぜ分からないんだというようなため息が降ってくる。
「通常は篝火など使わない。宝珠で水晶に光を宿し、それを明かり代わりに使っている。それがないということは、今この城に宝珠の力がないということだ。別のところに集中して使う予定がない限り、宝珠の力は通常、城に満ちている」
 ザーイの言葉は抽象的で良く分からないけれど、李苑は眉を寄せながら真剣にそれを受け入れようと考えを巡らせて。
「お前の友人たちはサラン皇女の近衛なのだろう。なら皇女の傍にいると考えた方が妥当だ。宝珠の使い手がいないからこそ、この厳重な警戒態勢なんだろうよ」
 李苑は納得した。この世界の常識がないのは、こんな考え方にまで影響を及ぼすのかと感心した。
 自分でも再び確かめようと城を見上げた李苑は、城門が開かれたのを見た。先ほど自分を冷たくあしらった兵が、誰かに敬礼するのを見る。ずいぶん慌てた様子だ。誰が出てきたのだろうか。
 李苑は顔をしかめて覗こうとする。気づいたザーイも振り返る。そして。
「あ!」「げ」
 李苑とザーイの声が同時に上がった。
 城門から出てきたのはヨールだった。兵と何かを話し、坂を下ろうとしているザーイたちに気付いて走ってきた。
 まずい、とザーイは呟く。ヨールの姿を、サラン皇女と共に見たことがあった。ジュラウンと共にいた自分のことを覚えているかもしれない。
 背にかけていた砂よけのフードを素早く被ったが、近くに来られれば顔を隠せない。いっそのことこのまま気付かなかった振りをして離れようかとまで考えたザーイは、次の瞬間、頭を抱えたくなった。それまで珍しいほど大人しくしていた李苑が、大声でヨールの名前を呼んだのだ。
「お前……それは俺に対する嫌がらせかっ?」
「なんでよ。被害妄想が過ぎるのは老化現象の兆候よ」
 思わず緩んだザーイの腕から逃れ、李苑は地面に降り立った。
「ヨール。久しぶりだね!」
「やっぱり、リオン! 良くご無事で。皆で心配していました」
 両手を広げて飛びついた李苑を、ヨールは微笑んで抱きとめた。ザーイは微かに頬を引きつらせる。
「俺以外の奴になら素直じゃねぇか」
「そちらは?」
 ヨールの視線はザーイに向けられた。
 ザーイは気付かれないようにと月明かりを背にしてヨールを見た。黄昏も終わろうとするこの時間帯は、最も他人の顔が朧になる時間だ。
 逆光による目くらましも多少の効果があるはずだ。砂除けを外さなければ何とかなるかもしれない。というザーイの淡い期待を、李苑は見事に打ち砕いた。
「こっちはイフリートのザーイ。向こうの馬車に乗ってるのがイフリートのジュラウン。私をここまで連れてきてくれたんだ」
 にこやかに告げる李苑を、ザーイが思わずくびり殺したくなったとしても仕方がない。紹介を聞いたヨールの顔が、見る間に強張る。
 ザーイは内心で李苑を罵倒し、諦めてフードを取った。太陽を切り取ったような、明るい髪が現れる。
「……イフリートの……」
 その目立つ髪と経歴で、ザーイは国内外を問わず有名だった。
「貴方が、リオンを……?」
 なぜ、とヨールは視線で問う。李苑を自然と背に庇うような仕草は無意識なのだろうが、ザーイは無性に気に障った。危害を加えられたのはむしろこちらだぞと、声を大にして叫びたい気分だった。あまりにも大人気ないと思ったのでやめる。スッと息を吸い込んで外交用の面目を保つ。
「先日こちらで大怪我を負った彼女を、我がイフリートで預かり治療を施しました。今ではその傷も癒え、元気を取り戻したようなので希望する地へと運んで参った次第です。あいにくこちらでは警備が厳しい様子で、どうしようかと困っておりました。城の内情に明るい者が出てきてくれて、助かりましたよ。彼女は門兵を倒しかねない勢いでしたからね。それではリオン。また機会があれば」
 後は任せた、というようにザーイはそのまま背を向けて馬車に戻ろうとした。しかしそんな態度に驚いた李苑に引き止められた。服をつかまれては振りほどくわけにもいかない。振り返ったザーイは、不安を顔いっぱいに浮かべて見上げてくる李苑を見た。なんだか自分がとても人でなしな行為をしている気がした。
「よろしければ詳細を伺いたい。そちらの、馬車に乗っている御仁も含めて」
 ザーイが戸惑って足を進めずにいる間に、ヨールが素早く切り込んだ。その瞳は鋭く、馬車へも向けられる。
 イフリートの宰相がここにいる。そして、先ほど李苑が放った『ジュラウン』の名前。加えて、ランルが動かざるを得なかった、宝珠に関わる今回の事件。
 これらを繋ぎ合わせれば、あの馬車に乗っている人物は確定する。
 ザーイには、ヨールの脳内が手に取るように分かった。李苑を見て、肩越しに馬車を振り返って、ヨールを見て。盛大にため息をついた。


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「抜けさく」
 隣に座ったジュラウンに呟かれたザーイは思わず「俺のせいじゃねぇ」と反論したが聞き入れられなかった。ジュラウンは顎を反らしてすまし顔を崩さず、出された飲み物を口に含む。
 現在ジュラウンたちは馬車ごとガラディア城内へ招き入れられていた。貴賓室でヨールを前にして事情を説明していた。
 ヨールの言い分は、ランルの近衛を看護してくれた礼をしたいとのことだったのだが、それが上辺だけの言葉であることは容易く知れる。ジュラウンを間に挟んだ反対側では、何の悩みもなさそうに李苑が足をバタバタとさせながら座っている。彼女を睨んだところでどうしようもないことは分かっているが、ザーイは睨まずにはいられなかった。この場をどうやって切り抜けるかと、必死で頭を悩ませる。
「ランルはいないの?」
「ええ」
「どこに行ったの? 響希と翠沙も一緒にでしょう?」
 その会話から、李苑がいれば案外あっけなく切り抜けられるかもしれない、と思ったザーイだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。ヨールは曖昧に微笑んだだけで、視線を再びザーイに戻す。
「リオンをここまで連れて来て頂いたこと、深く感謝いたします。けれど一介の近衛になぜそこまで外国の王が構われるのか、理由をお聞きしたい」
「……構ってもらってないし」
 自分をのけ者にして進められる話に、李苑は直ぐに飽いた。今度は何を考えているのか、頬を膨らませたままソファに寄りかかる。
 そんな風に大人しくなってしまった李苑を横目で見たザーイは小さなため息を吐き出した。結局説明に頭を悩ませることは変わらないらしい。
「先日、こちらでは宝珠による何らかの大量な力が集結していました。宝珠を管理する我が王によれば、あれは大変危険な状態であったとのこと。宝珠を管理する者として事実を確認すべく出向いたところ、こちらのリオン殿が大怪我を負われていたのを発見しました。我が王は癒しの力を有しておりますゆえ、彼女の怪我を治そうとイフリートへ連れていきました」
「なるほど。しかしわざわざ貴国へ連れていただかなくても、ガラディアで済ませることはできなかったのでしょうか?」
「力を発揮するには、あの場所では負の力が働きすぎていました。それでは宝珠による治癒は完全には行われない」
「なら連絡を下さればよかった。皇女の私兵がいなくなったことで、皇女は酷い心痛に悩まされました。連絡できないわけでもあったのでしょうか?」
 次々と揚げ足を取ろうとするヨールを、ザーイはイライラとねめつけた。
 これ以上イフリートを不利な立場に置いておくわけにはいかない。ジュラウンがこの場にいることは非公式であるし、イフリートでは李苑の存在も隠してきた。公になればジュラウンが足元をすくわれる一因ともなりかねない。皇女がいないと知れても結束を固めるだけで何の陰謀も働かないこのガラディアという国を羨ましくも思うが苛立たしい。イフリートでは、そんな結束は夢にも等しい。
 さてどう丸め込もうかと言葉を探したザーイの反対側から、李苑の声が割り込んできた。
「セフダニア?」
 それまで静かにしていた李苑が顔を上げてヨールを見ていた。
 一瞬のこと。ヨールの瞳が驚いたように見開かれたのを見て、李苑は確信する。
「セフダニアに行ったんだね?」
 返答はないが、李苑は立ち上がり、拳を握り締めた。
「ずるいよ皆してっ。あそこの王を殴りたいのは私だって一緒なのに!」
 そう叫ぶと李苑はザーイの腕を引っ張って立たせ、部屋を出ようとする。
「おいっ?」
「リオン、待ちなさい!」
 ザーイとヨールの慌てた声。ジュラウンだけは1人静かに立ち上がり、リオンを見ていた。しかしその瞳は面白そうに揺れている。
「私たちもこれからセフダニアに行くからね!」
「“たち”っ? 俺らは関係ないだろう!」
「一蓮托生! それに、誰が馬車を動かすと思ってんのさっ」
「俺かよっ」
「待ちなさいリオン、話はまだ終わっていないんです。勝手は……!」
 素早く前に回りこまれる。李苑はヨールを見上げた。
「話すことなんて終わったよ。私はガラディアで死に掛けて、ジュンに助けられて、今までイフリートで静養してた。元気になったからここに送って貰った。話はそれだけだ。イフリートで私は危害も加えられてないし、ここに送ってもらったのだって善意から。勝手に飛躍して腹の探りあいしてたって、私にとっては時間の無駄なの。だから、そこどいて」
 絶句したヨールに、ジュラウンが小さく吹き出した。ヨールは情けない顔でジュラウンを見る。ジュラウンは必死に平静を装った。
「あのね、ヨール。私、あそこでジュンに連れて帰ってもらわなかったら確実に死んでたんだよ。出血だけは翠沙が止めてくれたけど、翠沙には響希も止めてもらいたかったから。だから、例えイフリートが何考えててもいいの。私にとっては恩人なの。それに、イフリートで私は誰にも姿を見られてないから、向こうの人たちにだってガラディアに干渉する要因は与えてないよ。ってことで、私で国外干渉するのはやめてね。それから、今ジュンたちがここにいることも口外させないでよ。私のせいでイフリートが荒れちゃったら最悪でしょう」
 ほらどいたどいた、と李苑はヨールを押しのける。
「しかし、リオン!」
「もう、いいでしょ。たとえ問題起こったって、何とかすればいいのよ。ここにはランルもジュンもいるんだよ。王様二人もいて何とかならないはずないんだから!」
 今度こそ、李苑はヨールを押しのけて扉に手をかける。ザーイは李苑に腕をとられたままジュラウンを振り返る。既に決意している瞳に、ジュラウンも頷く。
「では、そういうことで。私たちのことはくれぐれもご内密に。私たちはこれからセフダニアへ行って来ます」
「な、あ、貴方まで何を……っ」
「恨むなら、リオンを近衛にしたサラン皇女を恨んでくださいね」
 とんでもないことを言われて、ヨールは言葉を失った。絶句する彼に笑い、ジュラウンは既に廊下へ出ていた李苑たちを追いかけた。