第九章 【四】

 薄暗い森の中を、ランルたちは宝珠を、足元を照らすランプ代わりにしながら歩いていた。
 最初こそ警戒心を強めていた三人だったが、森に入ってしばらくして、何の変化もないと次第に肩から力が抜けてくる。何か仕掛けられていると思ったが何もない。巡回兵の姿も見えない。
「城の見取り図、頭の中に入ってる?」
「愚問だ」
 問われた響希は頷いた。傲然とした態度にランルは笑みを零す。彼女の横柄さはどんな時でも頼りがいを思わせて、不安を打ち消してくれる。
「ではそろそろ別れましょうか」
 三人は姿を大きくしてきた城を見上げて立ち止まる。当初に決めていた位置だ。
「本当に1人で行くのか?」
「心配しないで。翠沙に教えてもらったこともあるし、前よりは宝珠に長けているつもりよ」
「けれど……」
 翠沙は不安そうな表情を崩さずにランルを見た。しかしランルは微笑んで片目を瞑る。
「貴方たちには城の方を頼むわね。私はサウスを見つけるから」
 ガラディアで既に役割分担は決めている。その確認をしながらランルは二人の顔を交互に見つめた。サウス探しはランルしかできない。響希と翠沙は王の歯止め役だ。翠沙と響希が宝珠を使えるという事実は、まだ明確には伝わっていないだろうと踏んで、だからこそ不意を突けると考えた。
「じゃ、頑張ってね」
 ランルは今まで歩いていた道を外れ、森の中へと姿を消す。鬱蒼とした木々に紛れていく。その後姿を見送った翠沙は不安に駆られて城を見た。
 宝珠による明かりが灯された城。それは中に王がいて、宝珠の力を引き出している証拠だ。無機質な明かりを多数散らばせている。
「行きましょう。王の居場所は分かっているから」
 いつまでも立ち止まっていても仕方がない。離れていくランルの宝珠とは別に、訴えてくるセフダニアの宝珠を感じながら、翠沙は響希の手を取り、歩き出した。


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 何かが近づいてくる。
 そんな胸騒ぎに襲われて、サウスは寝台に体を起こした。
「なんだ?」
 落ち着かなく辺りを見回しても、目に入るのは簡素な調度品だけだった。部屋を照らす水晶はいまだ淡い光を放って照らしている。けれどそれは、鉄格子の向こう側だ。手を伸ばそうとも届かない。
 繋がれた鎖が不愉快な音を奏でる。眉を寄せて、視線を落とす。
 鎖をつかみ、力を込めて引っ張ろうとしたが、千切れない。肝心の力が入らない。
「止める役目は、やっぱり俺、だよな」
 遠くを見つめるような瞳で呟く。宙を見つめた。サウスは城から脱出したときのことを思い出しながら奥歯を噛む。王位を捨てることに躊躇いはなかったが、残してきた人々への憂いは常に足を重くさせた。何度帰ろうと思ったか知れない。そのたびに、サイに剣を向ける自分の姿が浮かび、逃げ続けた。超常の力を求めた彼を止められるのは、同じく超常の力を持つ者のみだと知っている。
 心の中で、“それ”に呼びかけてみた。
 セフダニアを長く見守ってきた彼らは、サイを止めてくれるはずだった。
「覚えているか? 俺の声を」
 気だるさを覚えながら強く念じる。時を見て戻ると約束したのはいつだったか。そんな約束を努めて忘れようとした心に気付き、もう応えてくれないかもしれないと思ったが、二度目の呼びかけで手応えを確信した。けれど気配は弱弱しい。彼らと自分を繋ぐのは、目に見えない絆だという。それが綻びかけているから、応える声も弱いのだろうか。
 そんなことを考えながらサウスは顔を上げた。目の前には誰もいない。それでもサウスはそこに誰かがいるかのように振舞う。
「悪いな、こんな時ばかり。でもな、お前らがちゃんとサイを導いてくれると思ったから俺は城を出たんだぞ。ってことはだ。責任の一端はお前らにもある」
 随分と図々しいことを、と自分でも思いながら口の端を持ち上げると、見事に寝台から突き落とされた。赤い髪が無残に床に散らばる。
「八つ当たりは見苦しい」
 起き上がろうとしたサウスの頭が、再び床に押し付けられる。
「……俺が悪かった」
 素直に謝ると頭を圧迫する力は直ぐに離れる。思うように力の入らないサウスは四苦八苦しながら体を起こした。そして、真剣な表情で手を伸ばす。
 サウスの意図を汲み、鎖が音を立てて切断された。
「腕輪も切れないか?」
『手首ごとで良ければ』
 物騒な声が聞こえてきて、サウスは諦めた。
「まぁいいか」
 足の鎖も切断させて立ち上がる。彼らの力が体中に行き渡ったのを感じる。
 サウスは視線を落として右手をぎこちなく動かした。やや違和感はあるが、動けないよりマシだと息をつく。そして目の前の鉄格子を見つめた。頭の奥に光が散ってわずかな痛みを覚えた後、鉄格子は真っ二つに切断された。耳障りで不愉快な音。鉄格子が完全に倒れるのを待ってから、サウスは踏み越える。
「連れて行ってくれ」
 ぎこちない足取りで、階段を登り始めた。


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 警備は厳重だと構えていたのに、拍子抜けするほど簡単に城内へ侵入できた。裏口の扉を開けるとそこは厨房で、誰の姿もない。常なら立ち込める熱気や火の音が聞こえてきそうなものだがそれもない。現在は使われていないようだ。
「城の中も外も、同じようなものかしら」
 ランルは短剣を構えながらゆっくりと足を踏み入れた。ここからはサウスを見つけるまで個人行動だ。誰もいないと確認できても、警戒は解かずに視線を周囲に投げながら進む。
 高鳴る鼓動と共に呼吸も荒くなろうとする。意識して抑えた。
 セフダニアの王は何を考えているのだろう?
 宝珠を握り締めると、わずかに震えているのが分かる。共鳴しているのだ、この場にある別の宝珠と。ということは、宝珠の力が揮われていることになる。
 厨房から出たランルは廊下を窺い見た。光を放つ力石が壁に埋め込まれているだけだ。廊下の向こう側は闇に沈んでいるが、誰の足音も聞こえない。
 ランルはどちらへ行こうか逡巡した。
 来る前に宝珠で城の中を透かし見て見取り図を作ったわけだが、翠沙に手伝ってもらっても詳細を調べることはできなかった。
 ランルは眉を寄せて左右を見比べる。勘を頼りに走り出した。ここでいつまでも迷っていても時間の無駄だ。
 果たして、その判断は正しかったと知れる。
 廊下を風が吹き渡っていた。自然なものではないようだ。
 王かしらという考えが脳裏を掠めたが、彼は自分たちが来ることを知っている。横柄な態度で玉座に君臨しているだろう。
 髪が乱されるほどに風が強くなった。ランルは走るのをやめる。何が出てきてもいいように慎重に近づき、廊下の角に目を凝らし。そこに、赤い光を見た気がした。
 ――最初に惹かれた赤い髪の色。
 疑心に囚われながらランルは近づく。やがて、ゆっくりとした動作で、人物が顔を出した。
 それは、サウス。
 確信したランルは唇を引き結ぶ。サウスに体当たりをした。
「うわっ?」
「痛っ」
 死角から飛び掛られたサウスは避けることもできず、ランルと二人で廊下を転がった。その刹那、ランルから上がった小さな悲鳴にサウスは慌てる。
「……ランル?」
「貴方は誰よ」
 ランルが傷つかぬよう、まとわせていた力を一時解放する。戸惑いながら呼びかけるサウスに応えたのは、低い声だった。ランルは俯いたままだ。サウスは力の入らない体を何とか支えながらランルに手を伸ばす。紫色の髪をつかんで軽く引く。顔を上げたランルの顔は、泣きそうに歪んでいた。
「俺は、貴方の近衛騎士です」
 ランルの表情が更に歪んだ。一息吸って、眼光鋭くサウスを睨む。
「そうよ。私の近衛よ。それなのに、この失態は何? 守るべき私に助けられて、城の皆に心配をかけて! 直ぐに戻ってくるって言ったのはどこの誰っ?」
 サウスを睨みつける瞳が一瞬だけ揺らいだ。濡れた瞳を必死で見開く。
 そんな様子に、サウスは視線を揺らがせる。
「……悪い」
「言うことはそれだけっ?」
「ご心配をお掛けしまして」
「誰も貴方の心配なんてしてないわっ」
「そこは素直にならないか?」
 意地を張るランルに思わず呟くと、怒ったランルの制裁を受けることになる。城を出たときから変わっていないその態度に楽しくなって、ランルを引き寄せた。
 ランルは抱きしめられたまま瞳を閉ざす。少しの間だけ安堵と幸せを噛み締める。しかし脳裏にはセフダニアで見た無人の家屋が浮かび始める。サウスを取り戻したあとは、セフダニアのことなど知らないと、思っていたのに。
 静かにサウスの腕から離れたランルは、床に座ったままサウスを正面から見つめた。
「ライール=ガラディア=サランの名において、サウスを近衛から解任。ガラディア王宮での職に就くことを制限します」
 サウスが驚いたように目を見開いた。
「貴方の失踪によって国の機関は大きく揺れました。引き起こされた弊害は何年経っても取り戻せないものばかり。貴方の存在が、国を揺るがす惨事に繋がったのならば――私は、貴方を、ガラディア王家から追放します」
「おい?」
 だから――と、ランルはサウスの腕を解いて立ち上がった。
 力が入らないサウスは引き止めることができない。自分の体に苛立つような表情を見せながら、サウスは壁伝いに立ち上がった。
「だから、セフダニアのことは、貴方が何とかしなさいよ。ガラディアと貴方はもう、何の関係もないんだから。好きなようにやりなさいよ」
「ランル?」
 サウスは訝るようにその名を呼んだ。
「サウス=セフダニア=スファーヤ。宝珠を掲げるセフダニアの、正統なる第一王位継承者。貴方の役目でしょう?」
 髪の色と同じ深紅の瞳をこれ以上ないほど大きく見開かせて、サウスはランルを凝視した。
「――いつから……ばれていたんだ?」
「私には、最初からよ」
「最初からって……でも、じゃあ何で俺を近衛に認めたんだよっ?」
「国を出奔した皇子なら何の問題もないと高をくくったのよっ」
 サウスは絶句した。苦々しく顔をしかめるランルを見る。
 やがてランルはため息を零して再びサウスに向き直った。
「私も一緒に、咎めを受けるわ。禁を犯そうとしたんだもの。……サウスの弟を、止めに行きましょう?」
 差し出されたランルの手は震えていた。
 サウスの身分を認めることは、彼との決別を意味していた。宝珠を持つ者同士での婚姻は認められない。次代の子どもに二つの宝珠を与えることはできない。力のバランスを大きく崩してしまうその行為はイフリートが許さない。そして、子どももまた、その強大な力に耐えることはできないだろう。重臣たちも、それぞれ自国の宝珠を至上と仰いで他国の宝珠に敵愾心を燃やしている。国を統合するなどできない。要らない争いを呼び込むことはない。
 サウスは複雑な表情をしていたが、しばらく迷って、それでもランルの手を取った。
 ランルはその決断に安堵を覚える。それでも胸が痛み、装った表情が一瞬だけ悲痛に歪む。自分の無力さが情けない。そんな表情を見たサウスは奥歯を噛み締めた。
「誰が、諦めるか」
 強く腕を引いて抱きしめる。否を許さず口付ける。それは直ぐに離れ、サウスは顔を歪めた。叩かれた頬が痛い。
「馬鹿じゃないのっ? 次に私に触れたら、窓から放り投げてやる!」
 顔を真っ赤にさせて怒鳴られても、サウスはただ笑うだけだ。彼女の表情に嫌悪感がないことだけが唯一の救いだった。
 途端に足から力が抜けて、その場に座り込んだ。ランルが慌てて支えようとしたが、無理だ。二人で床に尻餅をつく。
「どうしたの?」
 心配そうに訊ねるランルに苦笑を見せる。
「俺は今まで、ただ寝かされていただけらしい。力が入らない。ついさっき、目覚めたばかりなんだ。体全体が、重たくて辛い」
 告白された内容に、ランルは思わず絶句してサウスを凝視して。
「――役立たず」
 本当の本当に、心からの呟きだった。