第十章 【一】

 サウスの足取りは力弱い。時折ガクリと、本当に膝の力が抜けて倒れかける事もある。
「大丈夫なの?」
 サウスは風を纏っているため迂闊にランルも手を出せない。中途半端に両手を彷徨わせる。
 壁に手をついて体を支えながら、サウスはランルを振り返った。
 唇の端を持ち上げて「心配ない」と豪語する。
 けれどそれだけの動作でも息が上がっており、強がりだという事は簡単に分かる。
 ランルは胸中だけで「どこが心配ないのよ」と毒づいた。苦い物が胸に湧く。
 支えたいのに支える事ができない。触れようとすればランルの体に傷がつき、サウスはそれを快く思わない。
 宝珠とは全く違う力の存在に、ランルは軽く眉を寄せただけで何も言わなかった。サウスの後ろを歩きながら視線を落とす。
「民が消えたわ」
「民が?」
 ランルの歩調はとても遅かった。サウスに合わせ、まるで散歩のようだ。
 ランルは後ろに手を組んだまま頷いた。
「宝珠が……きっと、暴走してるんだと思う。消えた人達が無事なのか分からない。どこに消えたのかも分からない」
「そうか……」
 サウスの口調は重かった。
 宝珠が暴走すればどのような事態になるのか分からない。遥か昔から伝えられてきた文献は失われ、口伝で『世界が滅ぶ』という言葉だけが残っている。
 かつて栄えていた都市が宝珠の暴走により滅んだ。
 そう伝えられているが、それも真実なのか分からない。試してみるには危険すぎる内容だ。
 今回の件は、伝承を再現しようとする序章なのだろうか。
 サウスは視線だけをランルに向けた。彼女の表情は随分と気鬱で、他にも何かを抱えているように思える。ガラディア皇女という身分で、幼少から数々をその胸に封じてきた女だ。
「サイはお前に何をした?」
 問われたランルは肩を震わせた。
 この一ヶ月、サイによって眠りにおちていたサウスは何も知らない。ランルに手を加えたのはセフダニア王であり、サウスに罪はない。
 ランルの視線は彷徨った。唇を噛み締めて眉を寄せ、黙り込む。
 サイが為した事を知ったら、サウスはどうするだろうかと考えると胸が痛い。罪がない者は存在しない。
 黙り込んだランルを見て取り、サウスは困惑したように促した。
「ランル」
「あいつに聞いてよね」
 ランルは不機嫌に呟いた。サウスの側を通り抜け、これ以上不本意な表情を見せたくないのか先に行こうとした。
 サウスは咄嗟にランルの腕を掴む。途端にランルは小さな悲鳴を上げる。サウスの風が、ランルを微かに傷つけたのだ。
 サウスは慌てて風を散らせた。
「わ、悪い!」
「貴方ねぇ……」
 ランルの腕には新たな裂傷ができていた。危険な物ではない。木の枝に引っ掛けて傷がついた程度である。そのような小さな傷など慣れているランルであるが、その瞳が潤んでいるのは何故なのか。
 風を散らせたサウスは改めてランルの腕を掴んだ。
「何をしたんだ? あいつは」
「本人に聞けばいいでしょうっ? もう、放してよ!」
 ランルは腕を振り解こうとした。けれどサウスはそれを許さない。
 力は萎えている筈なのに、ランルの力ではサウスを振り解けなかった。
 ランルの動揺をしばらく見ていたサウスは軽く瞳を伏せる。ただ眠っていた自分に腹を立てる。
「……分かった」
「え?」
 見上げたランルは目を瞠った。
 サウスの表情が、先程までと一変している。険しい光を瞳に湛えて前を見据えている。
「ちゃんとするから」
 サウスはランルの腕を掴んだまま歩き出した。
 風は纏わない。歩調はかなりゆっくりで、一歩一歩踏みしめるような物に変わる。それでもランルの腕を解いて風を纏うような事はない。
 ランルはその事に目頭を熱くさせ、衝動をやり過ごしてから顔を上げた。
「大丈夫なの?」
 共に歩きながら静かに問いかける。
 サウスは振り返り、ランルの頭を優しく撫でて微笑んだ。
「いつまでも格好悪いとこ見せてる訳にはいかないだろ」
「元々格好良くなんてなかったから、構わないわよ」
 ランルは微かに頬を染めながら顔を背けた。サウスが苦笑する。
「そういう可愛くないこと言う?」
「元々可愛くありませんから」
 不機嫌に呟いたランルは、肩に腕を回されて驚いた。抱き締められて紅潮する。
「最初に逢った時から、可愛かったよ」
「貴方の審美眼はおかしいわ」
 耳に落とされた言葉に居心地の悪い気持ちを感じながら、ランルは抗議した。
 サウスが笑って体を離したが、肩に回す腕は外されなかった。ランルは眉を寄せたが直ぐに気付く。その方がサウスにとっては歩きやすいのだろう。
「女に負担かけるなんて、男らしくないわね」
「でも俺らしいだろ? そしてランルも、ランルらしい」
 ランルは肩に回された腕を掴んで呟いてみた。決して本気ではなく、間が持たなかった為の言葉だ。それを知ってかサウスの言葉も随分と優しく、面白がるような口調。
 不愉快にはならない言葉に、ランルはそれでも唇を尖らせて見せた。
「言っておくけど、それ以上私に触れたら氷付けにしてやるから」
「でも俺、近衛は解任されたけど恋人は解任されてないしな」
 ランルは鋭く睨みつける。そんな視線もサウスは面白そうに眺めながら、塞がっていない片手でランルの口を塞ぐ。
「そっちは両者の同意が得られないと解消できないんだからな。知ってるか?」
「あ、あのねぇ」
 ランルは呆れてサウスを見たが、直ぐに口を閉じた。サウスの足が止まってランルも止まる。目の前には扉がある。
 王の間へと続く扉。
 ランルが横目でサウスを見ると、彼は強張った表情でそれを見つめていた。そんな顔を見てランルは視線を床に落とす。
 ――扉の向こうには両親を殺した人物がいる。
 そう思うと暗い念が込み上げてくる。
 ランルは胸にかける宝珠が輝くのを見て手の平に包んだ。扉向こうにある宝珠と、ランルの感情に刺激されているのだろう。
 ランルの肩からサウスの腕が離れた。熱が離れて軽くなる。けれどその軽さと残った熱に、ランルは更に俯いた。
 ランルの前で情けない姿を晒していた時とは違い、扉を前にしたサウスは毅然としていた。ランルが知る彼とは全く違う雰囲気を纏い始める。
 その姿にランルは寂しさを覚えた。そして、自分とは違うその姿に憧憬を覚えた。
 湧き上がる想いに瞳を伏せる。
「ランル」
 振り返ったサウスが微笑んでいた。
 ランルは驚いて目を瞠り、伸ばされた腕を見つめる。浮かんだ涙を堪えて彼の手を取った。
 扉が開いた。