第十章 【二】

 扉をあけた真正面にサイの姿があった。玉座に座る彼は、サウスよりも少し色素の薄い瞳で、謁見の間に入った二人を凝視していた。
 地下牢で再会したときは薄暗く、またサウスも目覚めたばかりで正常な思考が働かずにいたため、何も感じなかったけれど、こうして相対してみるとどうだろう。かつて君臨していた父親の姿に重なって見えて、サウスは少なからぬ衝撃を受けた。
 もともとサイの方が、強く父の遺伝子を継いだと言われていた。大きくなったらお父様と瓜二つになるのね、と母が楽しげに微笑んでいたことも思い出す。体格は及ばないが、あと数年もしたら周囲が囁いていたように瓜二つになっていたのだろう。
 遠目から見たサイの姿は失われた王の姿を甦らせる。もう決して見られない姿だ。サウスは瞳を翳らせた。
「そいつらはやはりサウスについたか」
 サイが瞳を細めて捉えたのはサウスではない。彼を守護する、目に見えぬ者たちだ。宝珠とは異なる部分でセフダニアを支えてきた者たちだった。本来、まだ歩けないサウスが歩けているのも彼らの功績が大きい。彼らがサウスに憑依すれば、元より運動能力は落ちるが充分に動けるだろう。
「何をしたんだ。サイ」
 無言のままサイを凝視していたサウスは、やがて静かに問いかけながら進み出た。体が揺らぐことはない。足取りは確かだ。サウスは弟の胸元で淡い光を放つ宝珠を見据えて表情を曇らせる。
 サイはまるで演じているかのように大仰な仕草をした。声を張り上げる。
「宝珠に認められ、次代の王にと望まれ、風の一族も味方につけた優秀なる兄上。それが、僕にはいつも苦痛だった」
 立ち上がったサイはランルに視線を移すと笑みを浮かべた。
「あとはその皇女が手に入れば、僕はサウスになれたんだ」
「何を馬鹿な……」
 サウスは困惑して眉を寄せる。昔とは明らかに違う。言葉の端々に滲む嘲笑の色が年月を感じさせる。仲が良かった頃の面影を残しているのは顔立ちだけ。雰囲気も目つきも言葉も、何もかもが噛み合わない。
 サイはゆっくりと踏み出し、王座が位置する上座からやや階段を下りた。
「ランルを僕にくれれば、ランルの両親を生き返らせてあげるよ」
 サウスの影になっていたランルが大きく揺れた。鋭く息を呑む気配がする。サウスが瞠目し、言葉の意味を問い返す前に。
「ランル!」
 その場の雰囲気にそぐわない明るい声が侵入してきた。予想外だったようでサイが目を見開く。
 先ほどサウスが入ってきた扉が勢い良く開かれ、何かが飛び出してきた。小さい上に素早い動き。サウスは思わず体を引く。
 驚いたのはランルも同じだった。虚を突かれ、応戦しようと身構えたところに飛びつかれたのだ。けれど警戒したのは一瞬だけで、次には笑みが浮かぶ。歓喜に顔を輝かせる。
「リオン! 良かった。無事だったのね」
「無事無事!」
 それまで漂っていた雰囲気も何もかも、ぶち壊して闖入してきたその人物は、ランルと抱擁を交わして離れる。呆気に取られていたサウスに気付いて凝視した。栗色の大きな瞳がサウスとサイを見比べ、驚いたように瞠られる。そして何を言おうとしたのか、口を開いたその瞬間。
 黒い風が入ってきたように、サウスには感じられた。
 ――響希が容赦なく李苑を殴った。
「だ!」
「うろちょろするな。目障りだ」
 淡々と暴言を吐いたあとは李苑を掴みあげ、ランルから引き剥がす。
 呆気に取られていたサウスは、ランルの明るい笑い声を聞いて再び驚いた。心が狭いとは思うが、先ほどまで泣き出しそうだったランルをこうも簡単に笑顔にさせた、見知らぬ女性たちに嫉妬する。
「知り合いか?」
 ランルが頷いて口を開く前に、李苑がサウスを覗き込んだ。
「貴方がサウス。で、向こうがセフダニアの王ってわけね」
 無邪気な笑顔を浮かべながら李苑はサウスの鼻先に指を突きつける。その手を横から素早く叩き落したのは響希。李苑は不満な声を上げたが響希は取り合わない。聞き流しながら響希はサウスとサイを見比べた。
「双子か……?」
 ランルが唇を引き結んで眉を寄せる。
「黙っていてごめんなさい」
「まぁ、そりゃ――言えないわな」
「双子じゃなくて兄弟だけどな」
 呟いたサウスの言葉は誰も聞いていなかった。それぞれ強烈に自己中心的らしい、と結論付ける。
 李苑が声を張り上げた。
「そんなことはどうだっていいのよ!」
 響希の手を振り払い、一歩前に進むと李苑はサイを睨みつけた。
「よっくも人のことゾンビ攻めにしてくれたわね! 簡単に殺してくれちゃって! 私だって危うく三途の川、飛び越えかけたんだからね!」
「前置きはいい」
「響希の言う通り!」
 なぜか李苑は胸を張って肯定する。「生きているならいいのよ」と付け足し、呆気に取られるサウスやサイの注目を受けながら、険しい形相を崩さない。
「ランルの両親! これだけは絶対に許さないんだから!」
 ようやく先ほど中断された話に戻り、サウスはサイを見た。
「ガラディアの王まで……?」
 呆然と呟くサウスの声に、サイはため息をつくように肩を竦めて笑ってみせる。その表情は肯定以外の何者でもない。
「サイ……!」
 悲痛よりも既に怒りが上回っていた。
 叫んだサウスの感情に反応して突風が吹いた。何の予兆もなかった暴風に、李苑と響希は息を止めて顔を背ける。体の小さな李苑などは両足を踏みしめていても風に攫われそうになってしまう。
「大丈夫?」
 持ちこたえられない、と思った李苑は聞こえた声に顔を上げた。翠沙とイフリートの二人が間近に来ていた。宝珠の力を揮ったのか、荒れた暴風は李苑たちに届かなくなっていた。
「あれが、サウス……」
 ジュラウンの瞳がサウスを捉える。声には驚愕の色が滲んでいた。
 単なる驚きではないその声音に李苑は首を傾げたが、ジュラウンはサウスを見つめたまま表情を険しくさせた。次にジュラウンは今回の騒ぎの首謀者であるサイに視線を移す。彼の胸元で光輝く宝珠は暴走一歩手前の段階まで来ているようだった。
 ジュラウンは李苑を抜いて前に出るとサイに声を張り上げた。
「セフダニアの王よ。我が国の民を返していただきたい」
 吹き荒れる暴風からサイもまた身を守っていた。真剣な表情でサウスを見つめていたが、その視線がジュラウンに向けられる。萌える若葉色をした長い髪。それがイフリート王の容姿だと、幼いながらも理解していた。
 予想外に多い乱入者たちに自然と表情は固くなる。不機嫌さは隠せない。
「宝珠国の王が揃い踏みってわけ? この身がまるで大物になった気がするよ。けど悪いね。イフリートの民など知らないよ」
 サイは顎をしゃくって宝珠を揮う。サウスが起こしていた風が止まり、代わりに城が大きく震えた。下から突き上げるかのような衝撃が皆を襲う。
 立っていられず座り込んだ皆は、異常な重圧を感じて天井を仰いだ。通常の宝珠では引き起こせない異常現象。宝珠の暴走。
「それ以上宝珠を使わないで!」
 何が起こるのか。この場でただ一人真相を知っている翠沙が叫んで飛び出した。彼女の無謀な行動に李苑は慌てる。とっさに追いかけて腕を伸ばした。
 その光景をサイはゆっくりと眺めながら、更に宝珠の力を引き出した。
 翠沙の存在意味を理解していたランルとジュラウンが、翠沙のただならぬ様子に素早く反応して宝珠を揮う。深い海の色を宿した宝珠はランルの手できらめき。白く光を放つ若葉色の宝珠はジュラウンの手で輝く。二人はサイの宝珠の具現化を止めようとしたが、歪められた宝珠の力はそのまま膨れ上がる。それを自分の力だと錯覚したサイは歓喜に表情を輝かせ、更に強く力を引き出そうとした。
 頭上にポッカリと闇が空いた。
 目撃した李苑と響希は唖然として目を見開く。
 誰よりも早くサイに到達した翠沙は彼に触れた。その箇所から強制的な鎮圧の力を流し込む。
 サイは瞠目した。自分の意志とは別の力によって宝珠の力が押さえ込まれようとする。強大な気配に全身が震えた。しかし意味を深く理解するまでには至らず、本能的に翠沙を振り払う。翠沙は簡単に吹き飛ばされ、後ろから追いかけて来ていた李苑にぶつかった。二人は床に転がった。
「何をした……貴様……?」
 奪われかけた宝珠を握り締めて、サイは翠沙を睨み付ける。
 ランルしか眼中になかったサイは、ガラディアで起きたことを何も考えようとしなかった。だから、翠沙のことも、響希のことも、李苑のことも知らない。自分の知覚を超えた力に恐怖を覚えて腕を振り上げた。
「翠沙!」
 サイの腕が攻撃の予備動作だと理解していた響希は色を失くして叫んだ。助けに行きたくとも距離がある。剣を投げて時間稼ぎをしようと思ったが、剣は李苑に預けっぱなしだ。床に転がった二人が顔を上げる頃には、サイの眼前の空間が奇妙に捻じ曲がって歪み、それは瞬間的に膨れ上がって二人に襲いかかっていた。
 目の前でそれを見た李苑は『殺される』と直感的に悟る。無意識に剣を眼前に翳したが、目に見えぬ力には対抗できない。翠沙を置いて逃げればまだ助かるかもしれないが、そのような考えは微塵も浮かばなかった。それでも、ようやく死の淵から甦って響希たちに会えたのだ。またこんなに呆気なく終わってしまうのは嫌だ。誰が負けてなるものか、と閉じかけていた瞳を精一杯に見開かせてサイを睨みつけた。
 サイの力によって眼前の空間が裂け、その衝撃派が李苑たちを切裂く――そうなるはずだった。しかし風の刃が届く刹那、李苑の眼前で何かが弾けた。風の刃は相殺されて霧散する。少し遠くからサウスの悲痛な呻き声が聞こえた。
 助けてくれたのはサウスか。そう思いながら振り返った李苑は、サウスの側で仁王立ちしていた響希を見た。彼女は強張った表情で李苑を睨みつけている。恐らくガラディアで李苑が死にかけた場面を重ねてしまったのだろう。
 李苑はあえて笑いながら立ち上がった。自分が生きて動いている様を見せることが、響希にとって一番安心することだろう。
「李苑。歪みが……!」
 翠沙の声に振り仰いだ李苑は、天井を覆う闇が驚異的な速度で広がっていくのを目の当たりにする。異様な光景に戦慄して背筋が震えた。
 ――あれは異質なものだ。ここにあってはならぬもの。者……?
 自問自答のような言葉に内心で首を傾げた李苑だが、思考は中断された。サウスの叫びが響き渡った。
「もうやめろ! それはお前の手には負えない!」
「サウスができないだけだ! 僕にはまだ扱える!」
 正常な判断力を失い、縋りつくサイの言葉に響希は舌打ちした。ひとまず、まだサイの近くにいる李苑たちを安全な場所に避難させようと駆け寄りかけた。しかし、翠沙が響希を振り返る。その眼差しに足を止める。
 何かを訴えるように響希を見つめる翠沙の瞳。
 ランルと、ジュラウンと、響希。
 宝珠の力が期待できるのは三人のみ。すべての宝珠で、暴走した一つの宝珠を食い止めるのだという、そんな意志を含んだ瞳。なぜそんな風に感じてしまったのか。翠沙の意志がそのまま空気を伝って流れ込んできたようだ。響希は軽く瞳を瞬かせた。
 天井は闇に染められていた。今や天井を覆い尽くすほどに広がっている。
 響希は歯軋りして振り返った。
「ランル」
 青い宝珠を抱きしめながら、サイの周囲の空気に干渉して彼の動きを妨げているランル。彼女の意識がサイから外れれば、本来の彼の動きが戻って李苑たちはあっと言う間に殺されるかもしれない。それでも響希は『あいつらなら心配ない』という無責任な根拠で、ランルの集中を解いた。
「俺があれの周囲の空気に干渉する。俺たちで先に空間をねじまげ、広がるのを防ぐ」
 集中を解かれたランルは怪訝な表情をしたが、指された天井を仰いで蒼白になった。次いで、響希の言葉に驚愕する。
「無理よっ。私たちではそこまで宝珠を扱いきれない」
「それでもやる」
 言い切るとランルは絶句した。響希にも無謀だと分かっていたが、これ以上あの闇が広がる様を見たくなかった。
「私が補助しましょう」
 同じくサイから干渉を解き、響希に耳を傾けていたジュラウンが微笑んだ。
 ランルは戸惑う。己とほとんど年齢が変わらないジュラウンだが、彼の言葉には力があった。どんなに突拍子のない無謀なことでも必ず成功すると確信させる何かがある。そういった意味では響希ととても良く似ていた。
 響希とジュラウンが合意したところで二人の視線はランルに向く。ランルは怯んで顎を引いたが、結局の想いは自分も同じなのだからと、腹をくくることにした。
 一方、李苑は。
「だぁっ?」
 サイの動きを制限していた力がなくなったことで、サイは本来の力を取り戻していた。宝珠によって具現化された剣は容赦なく李苑の急所を突こうとする。李苑よりも剣の腕が立つのだ。
「李苑! サイは私たちで止めましょう!」
「そんなこと言われても!」
 李苑は悲鳴を上げながら繰り出された剣を必死で捌く。
 どうやら宝珠の暴走と、本来の力は別のところにあるらしい。ランルたちが暴走を宥めようとしても、サイが揮う宝珠の力は衰えない。今はサイが持つ本来の力で李苑に斬りかかって来ているものの、それがいつまで続くかは分からない。ここで宝珠を揮われたら李苑はなすすべもなく殺されてしまうだろう。
 ひとまず剣でだけは負けないようにしよう、と眦を強めて李苑は剣を持ちなおした。
 ランルと響希とジュラウンは、宝珠の暴走の産物である歪みを正そうと意識を集中させる。李苑と翠沙はサイ自身から宝珠を奪おうと奮闘する。
 ただ一人、戦闘に参加していなかったサウスは瞳を細めた。李苑を救うために放った力が最後の力だった。これまでセフダニアを影から支えてくれた風の一族はもういない。全身から力が抜け、立ち上がることで精一杯だ。
 他ならぬ弟がひたすらに剣を揮うのを見つめ、サウスは迷うように視線を逸らせた。