第十章 【三】

 副作用とも言える凄まじい疲労感と戦いながら、それでもどこか放心したようにサウスは皆を眺めていた。不意に背後から殴られる。
「おい、お前!」
 振り返ると燃え盛る炎のような色をした男性が険しい表情で立ちはだかっていた。サウスは顔をしかめる。
「あれはお前の弟なんだろう。止めろよ」
 命令口調だが不愉快さはない。自分でも分かっていることだ。しかしあまりの出来事に思考が追いつかない。李苑たちのように本能で動ければ良いのだろうが、そうするには体がついていかない。中途半端に“立場”に縛られているため本能ばかりに任せるわけにもいかない。自分の行動次第では誰かが何かを失くすことになる。その責任を負うのがとても怖い。
「あいつはお前を尊敬してるんだろう? 間違った方向に進もうとしてるなら、止められるのはもう唯一の肉親になったお前だけで、それは義務だろうが」
 険しい表情のままサウスもザーイを睨んだ。
「サイは、両親を殺した」
 平穏な日々は突然の凶行によって破られた。サイは父を殺して宝珠を奪った。母の取り乱す姿は初めて見たが、サイは淡々と母をも殺した。サウスの目の前で行われた惨劇だ。宝珠を奪ったサイは存分にその力を揮い、逆らう者たちを次々と血祭りに上げた。
 当然ながらサウスはサイを止めにかかったが、その手がサイに届く前に、身を案じた重臣たちによって城の地下通路から外へと出された。戻ることは許されない。
 怒りを覚えながらもサイを本当の意味で憎んだことはない。それまで本当に仲の良い兄弟だったのだ。なぜこのようなことをしたのか、国を出てからも疑問符ばかりが浮かんできた。
「これは反乱だ。宝珠を持つ者を殺すなどあり得ない。国だけではなく、世界規模での危険因子だ。セフダニアとイフリートは友好条約を結んでいる。願い出れば直ちに師団を貸しただろう。なぜ助けを求めなかった」
 最初の激昂は抑えられていた。燃える髪と同じように、その瞳には炎が宿っているようだった。サウスは振り返り、見事な理性力だと内心で褒めながらザーイを見返した。
「兵を上げたくなどなかった。サイが何をしたいのか分からない。宝珠を得たいだけなら、このまま俺が消えればサイの暴走は止まるだろうと思った。実際、そうなったわけだ。もしもサイが宝珠を持て余すようなときが来たら、その時は影で力を操作しようと、思っていた」
「安易な考えだな」
 痛烈な言葉は胸をえぐる。サウスは何も返せずに俯いた。先ほどから何度か宝珠に働きかけているのだが、暴走してしまった宝珠はサウスの意識などまるで無視をして解放の歓喜に湧いている。影で宝珠を操ろうなどと、良くも思えたものだ。
「俺は管理者ではないが、宝珠の危険性は承知しているつもりだ。もしもお前がそんな考えを持ってイフリートに来ていたら、その横っ面を叩いていただろうな」
「それはありがたい」
 サウスはふと笑みを零してザーイを見た。
「セフダニアは滅びる。王がこれでは救いもない。評議会も黙っていないだろう」
「それはさせない」
「どうやって? 失礼ながら今の貴方は宝珠の管理者ではなく、王位継承権も放棄した、中途半端な位置にある。イフリートに願い出られる立場とお思いですか。一旅人の言葉に耳を傾けていられるほど、陛下はお暇ではない」
 口調は丁寧だが言葉は辛辣だ。あまり良い気持ちがしないそれにサウスは顔をしかめてため息をつく。
 明るい、太陽のような眩しい色。イフリートは年中、強烈な日射が降り注ぐ厳しい大地が広がると聞いていた。そんな場所で暮らしていたら、自分もこのように強くなれるだろうかと、サウスは眉を寄せて。
「イフリートのザーイか」
「それが何か」
 作られた壁が崩れることはない。
「何もできない者には舞台から下りていて貰いましょう」
 サウスは思わず口を開きかけたが、ザーイの言葉はふと自分にも言い聞かせているのだという思いが湧いて口を閉ざした。宝珠による力が吹き荒れるこの場で、常人であるザーイが手助けできることもないのだから。
 そのとき少し遠くから悲鳴が上がった。
「リオンッ?」
 サイに突き飛ばされたのか、李苑が勢い良く床を転がっていった。
「そりゃ、あれだけ軽かったら転がりもいいわな」
「うるさいザーイ!」
 李苑は地獄耳でもあるらしい。サウスやザーイが見守るなか、素早く立ち上がって埃を払う。一瞬だけ険しい視線をサウスに向けたが直ぐに外される。再びサイに向き直る。
「ちょっと、翠沙に触んないでよね!」
 李苑に駆け寄ろうとしていた翠沙だが、サイが立ち塞がって進路を塞いでいた。
 ザーイは頭痛を覚えたように額に手を当ててため息をついた。
「ああくそっ」
 舌打ちし、ザーイは腰に佩いていた剣を抜くと走り出した。
 彼の後ろ姿を傍観しながらサウスは「妥当だな」と他人事のように呟いた。そんな自分に気付いて顔をしかめる。ため息をついて李苑を見つめる。
 李苑は強い。けれど、純然な力の押し合いで負けるのは李苑だ。翠沙が振り飛ばされて床に転がり、頭に血が昇ったのか李苑が突進していく。その太刀筋を見極めることは簡単で、サイは予想したとおりやはり簡単に李苑の剣を弾く。その強さに耐え切れずに李苑は少しよろけた。その隙を狙い、サイが剣を振りかぶった。
 李苑とサイの間に割り込んだのはザーイだ。大きな剣を片手で操り、サイの剣を受け止める。剣の腕には覚えがあるのか、サイを止めた剣に迷いはなかった。身のこなしを見ていても、単なる宰相ではないと分かる。
 一方、サイに集中していた李苑は突然の割り込みに双眸を瞠り、思わずその障害物をどかそうと、反射的に足を振り上げたところだった。直前で思いとどまる。
「声かけてから入ってきてよね。障害物だと思って蹴りかけたよ」
「蹴るな!」
 留めていた剣を強く打ち払い、ザーイは叫んだ。危機的状況だというのに、まるで真剣味に乏しい李苑の様子が、妙に癪に障った。
 邪魔をされたサイは忌々しそうに舌打ちする。距離を取ってザーイを見た。
「イフリートの、ザーイ」
「はいはい。そーですよ」
「邪魔しないでよ!」
「助けてやってるのに、なんだその言い草は!」
 警戒心を見せるサイに対する反応は皮肉と嘲笑だったが、返す李苑への反応は熱かった。
 倒れていた翠沙がようやく立ち上がる。辛そうに胸を押さえながらゆっくりと瞬かせる。呼吸が荒いことは自分でも分かっていた。翠沙は顔色が悪いまま、広がり続ける闇を見据える。その顔色は、響希が初めて宝珠を使ってガラディアへ移動したときと同じほどに青褪めていた。
「ザーイ、邪魔!」
「なんだとっ?」
 ザーイと李苑が、二人がかりでサイの剣をさばく。宝珠に守られたサイを傷つけるのは至難の業だ。李苑もザーイも迂闊に攻め込めない。
 誰にも聞こえないほど小さな声で、翠沙は「李苑」と囁いた。
「私たちは……」
 翠沙は闇を見つめた。
 ランルと響希とジュラウン。三人がかりでも押さえきれない。あの歪みから出てくるのは、宝珠よりも強大な力。もう、抵抗することをやめてしまおうかと瞳を閉じかけた刹那、翠沙は瞠目した。
「翠沙! 響希を手伝って!」
 振り返ると李苑が手を挙げて示していた。余裕があるわけではないのに、向けられる笑顔には翳りがない。負けることを恐れない強い瞳がある。
「ええ」
 不意に胸が熱くなり、翠沙は頷いて走り出した。
「よそ見をするな!」
 李苑に向かったサイの剣をザーイが止めた。二人の力が拮抗する。
 振り返った李苑は二人の様子を見て取ると軽く跳んだ。サイの頭上へ跳び上がり、クルリと体をひねらせて体勢を変える。気付いたサイが宝珠を揮おうとしたが、ザーイと剣を交えているせいで反応が遅かった。
 サイは頭が揺れるような衝撃と共に暗闇に落ちた。何が起きたのか分からないまま床に転がる。
「おっまえ……」
 ザーイが呆れて李苑を見る。
「こいつだけは、絶対に殴り飛ばしてやろうと決めてたの!」
「回し蹴りだったけどな」
 ザーイの呟きは誰にも届かない。
 蹴り飛ばされたサイは必死に立ち上がる。双眸には憎悪をみなぎらせて李苑を睨む。
「さぁ、これでゾンビの借りは返した。これからなんだからね!」
 気合いを入れなおすように叫び、李苑はサイに笑いかけた。