第十章 【五】

 飛び出した李苑を止めようとザーイが腕を伸ばしたが届かない。
 サウスを刺し貫こうと、サイが構える剣。振り下ろす寸前の剣の真下に、李苑は飛び込んだ。
 ちょうどそのとき、宝珠による歪みの微調整を翠沙に渡そうとしていた宝珠の管理者たちは、視界のはしに映った李苑の行動に目を瞠った。中でも衝撃を受けたのは響希だ。ガラディアで瀕死の攻撃を受けた、その場面が甦って動揺する。
「また……!」
 響希は無意識のうちに、漆黒に染まる宝珠の力を引き出していた。
 サイが振り下ろす剣を抑制して止める。けれど止まったのは物理的な力だった。サイは直ぐに気付くと次に宝珠の力を引き出した。
 ランルとジュラウンは、響希が抜けたことで再び広がろうとする闇を制御することで手一杯になり、擁護する力など引き出せない。響希が次の攻撃を繰り出すまでの刹那の時間。サイは李苑を切裂く真空の刃を生み出した。


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 飛び出したはいいが、サイを止める武器など持っていない。自分の無鉄砲さに呆れが湧く。サウスを連れてその場を離れるほどの時間もない。体を張って彼を守ることで精一杯だ。
 ――また殺されるのは嫌だな。
 サイの剣は私を貫き、その下にいるサウスをも貫くだろう。事実として理解できてしまう。しかし李苑の予想は外れ、サイの剣が寸前で止まった。響希がサポートしてくれたのだと、見ずとも理解して表情を綻ばせる。その隙に体勢を立て直そうとしたが、サイは引くことなくそのまま腕を振り下ろす。
 疑問に思う暇もない。サイの胸元で光り輝く宝珠がひときわ強い光を放ち、李苑は息を殺す。全身で嫌な予感を感じ取る。サイの瞳は憎しみを孕ませている。その瞳を真っ直ぐに見上げた李苑だが、眼前の空間が奇妙にねじれて息を呑んだ。
 下敷きにしているサウスが「逃げろ」と叫ぶ。
 李苑は歯を食いしばる。湧き上がる怒りのままサイを睨み付ける。
「いい加減にしなさいよ!」
 体勢を立て直しても間に合わない。そう悟りながら、サイに怒鳴りつけていた。
 パキンと、鋭くも澄んだ音が空間を占める。李苑に襲いかかるはずだった宝珠の力が霧散した。
「な……っ?」
 サイが驚愕する。宝珠はこの世界で絶対のもの。力を止めるには同じ宝珠の力が不可欠だ。また、同じ宝珠であっても扱う管理者によって威力は全く異なる。それなのになぜ、とサイは呆然として李苑を眺めた。彼女の体に宝珠の気配はない。
「これ以上その宝珠使われれば、私たち大っ迷惑!」
 立ち上がる李苑にサイは半歩退いた。睨み付ける李苑の瞳に囚われる。小柄な体から放たれる威圧感に、サイはもう一歩退いた。
「その宝珠、渡しなさいよ!」
 命令口調で李苑は叫んだ。
 小さな子どもが癇癪を爆発させたかのようだ。しかしサイはその命令に逆らい難いものを感じて息を呑む。このような小娘に恐れを感じることが信じられない。ためらいながら、李苑に向けて再び宝珠を揮う。
 しかし李苑が逃げることはない。その瞳には他に何も入っていないようだ。サイだけを睨み、小さな両肩を怒らせている。空間を切裂き、同じく李苑を切り刻むはずの力は再び、李苑の眼前で弾けた。まるで李苑を恐れるかのように力自身が避けた。方向を違え、床を抉る。
 その事実を、サイばかりかサウスも驚愕しながら見ていた。
 李苑の言葉には、宝珠を持たないサウスにも逆らい難い何かが含まれていた。
「宝珠の――巫女」
 サウスはポツリと呟いた。呟きは確信に姿を変えながら、胸に染み込んでいく。
 そうと悟れば決断は早い。
「リオン! 宝珠を俺に!」
 サイの表情が卑屈に歪む。しかし李苑は望まれるままサイの宝珠に視線を移した。禍々しい闇を生み出す宝珠を、これ以上彼の好きにさせてはおけない。
「サイ」
 力を込めて李苑が呼びかけると、サイの動きが止まった。
 その事実を不思議とは思わない。当然のように感じる自分を不思議だと思いながらも、李苑の中には次の言葉が浮かんでいた。
「宝珠をサウスに」
 意志を込めて呼びかけた瞬間だ。
 サイの胸元で輝いていた宝珠は一瞬だけ透明にきらめき、形を崩して消える。サイが両手で宝珠を掴もうとしたが、消えた後では自分の胸を掴むしかなかった。どこへ行ったのかと視線で探したサイは唇を引き結ぶ。消えた宝珠はサウスの眼前で光輝いていた。
 丸を描いた宝珠はゆっくりと落下する。
 サウスが手を伸ばし、触れる。その刹那。
 サイでもサウスでも、李苑でもなく。宝珠の歪みを正していた翠沙の絶叫がその場に響き渡った。