第十章 【八】

 サウスが療養している部屋を出た李苑は溜息をついた。
 場所はガラディア。ランルが直々に人払いをかけた王宮の最奥。
 元々はランルの両親が使用していた部屋だが、今は全てがランルに開放されている。その意味を思えば自然にやるせなさが込み上げてきた。李苑は拳を握り締める。
 ランルが宝珠で展開させている結界を、李苑はやはり気付くこともなく通り抜けた。
 城を歩けばいつも誰かの声が聞こえてくる。サウスを心配する兵士や、毒づく官吏たち。元は好意的に受け入れられていたというサウスの評判は、ずいぶん落ちているのだなと思うには充分な会話だ。
 サウスの身分については極秘にされていたが、人の口に戸は立てられない。いつの間にか公然の秘密として皆に浸透している。宝珠の管理者ということまでが伝わっていた。
 セフダニアには現在、誰もいない。宝珠によって消えた住民は一人も戻ってこなかった。
「やだなぁ……」
 李苑は床を蹴飛ばした。これからのことに想いを馳せる。
 サウスの意識がなかったため、ガラディア側も彼を無理に動かすことはできなかった。絶対に安静だとランルが突っぱねたのだ。しかし彼の意識が戻った今、彼は大勢の前に立たされることになる。ガラディア王たちの命を奪ったセフダニア。その関係者をどうするのか。会議は連日のように行われている。サウスを弁護するのはランルのみだ。
 イフリートの二人は全員をガラディアに送り届けただけで自国に戻っている。彼らには彼らの世界があるのだ。ランルは彼らを正式招待して留めようとしたが、彼らは一泊することなく戻ってしまった。長らく一緒にいた李苑としては少し寂しい。
 また、この世界には、評議会という、王の一存では決められない法的機関も存在するようだ。宝珠を管理する者たちの意志が最優先されることに変わりはないが、色々と複雑な様相を醸している。
「あーっ、頭がパンクしそう!」
 李苑は両手で頭を挟むと悲鳴を上げた。
 とにかくまずは自分が留年しない事を一番に考えよう、と心に念じる。それが最も考え易い。
「こっちのこと考えるのは私じゃなくてもいいし、考える人はいっぱいいるし!」
 李苑は拳を握って気合を入れて、大きく頷いた。廊下には誰もいない。
 翠沙が休んでいるのはランルから最初に与えられた部屋だった。最初と変わったことは、扉の前に屈強な兵が二人立てられたということ。響希と李苑が本気で抵抗すれば簡単に倒せそうな兵士でもあるが、それではガラディアの面目も立たず、二人の存在も厄介者扱いされる。取り急ぎ必要なことでもないしと放置していたのだが。
 部屋に戻ろうとした李苑は、廊下の角から扉を窺って唇を尖らせた。
 つけられた兵士は監視の役目も負っている。李苑が一人で部屋を出ようとすれば、当然ながら止められた。李苑がサウスに会うことが出来たのは、部屋をこっそりと抜け出して来たからだ。ここで兵士と顔を会わせて部屋に戻ろうものなら何を言われるか。鬱陶しい監視の存在に李苑は頬を膨らませる。
 壁に寄りかかりながら少し待ってみた李苑であるが、交代の者など現われない。時間ばかりが過ぎていく。
 腕組みをして唸った李苑は溜息をついた。
 ヨールにも監視はつけられており、会わせても貰えない。それはガラディアではなく評議会の意向だが、李苑にはどちらでも関係がなかった。ランルを通して訴えればさすがに打開策が取られるだろうが、今のランルにそれを頼むのは酷な気がしている。現状に甘んじているしかない。
 李苑は周囲を窺いながら中庭に出た。部屋の窓を目指して駆け寄った。鍵が掛けられていれば終わりだが、出てくる時に李苑は鍵を掛けなかった。そして今、窓の前には折りよく響希がいた。彼女は一直線に走って来る李苑に気付いて窓を全開にする。李苑の心配は杞憂に終わり、満面の笑顔で部屋の中に飛び込んだ。
「さっすが響希。タイミングいいね!」
 部屋へ転がって笑った李苑を、響希は無感動な一瞥だけで無視した。いつものことなので李苑は気にしない。
「翠沙はまだ?」
 響希を追いかけて部屋の奥へと足を運ぶ。
 イフリートとは全く違う懐かしい雰囲気に、李苑は部屋内を改めて観察する。自然に顔が綻んだ。寝台の側に出されていた椅子に腰掛けた響希に問いかけた。
 響希が顎をしゃくった方へ視線を向けると、そこには翠沙が横たえられている。いまだ意識は戻らず、彼女の顔色は青い。
「……そっか」
 李苑は落胆しながら椅子を引っ張り出した。響希と同じく腰掛ける。
「サウスはさっき目覚めたみたいだよ」
「そうか」
 響希はただ頷いた。
「でね、ちょっと聞いてくれる?」
 一瞬にして声音を違え、何かを企む笑い声を響かせた李苑を、響希は胡乱に見やった。
「嫌だ」
 一言で切り捨てる。
 けれど李苑は堪えきれない笑顔を湛えたまま「却下」と切り返す。
 響希はため息を吐き出した。
「なら聞くな」
「却下と言えども相手の意向を伺うのは当然の礼儀よ」
「そんな礼儀があってたまるか」
 眠る翠沙の手前、二人の声は小さい。しかし徐々に音量を増していく。
「さっきサウスに聞いて確信して来たんだけどね、どうやら私、只者じゃなかったのよ」
 響希は黙って腕を組み、足を組んで椅子に深く腰掛けた。瞼を閉じて視界に何も入れないようにする。つまりは黙殺しようと試みた。
 李苑は構わずに、椅子を響希の近くに移動させる。
「何かね、この世界にある全ての宝珠の干渉を受けず、しかも扱えるかもっていう、まるでゲームの設定無視したような最強ボスらしいのさ。“宝珠の巫女”っていう名前まであって、これはもう使ってみるしかないよね響希」
 好奇心を抑えきれない李苑に、途中から半眼となっていた響希は不機嫌な顔で微動だにしない。そして、一方的な会話終了と共に伸ばされた李苑の腕を、先読みしていた響希は素早く躱した。
 諦める李苑ではない。宝珠の巫女であれ何であれ、李苑にとってはどうでもいい。一度その宝珠に触りたかったんだ、という言葉をでかでかと顔に書いて、李苑は響希に手を伸ばす。
「何を起こすか分からんお前になんか貸せるか!」
「いいじゃん。何が起こっても宝珠で起こすことは私に無害らしいよ? そんな楽しそうなこと、やってみたいに決まってるじゃない!」
「お前の好奇心に周りを巻き込むな!」
「だって楽しそうなんだもん!」
 素早い李苑を躱しながら響希は舌打ちする。李苑を躱し続けるのは不可能だ。
 響希は防御をやめて攻撃に移った。回し蹴りを仕掛けたが、李苑はまるで猿のように、響希の足で逆上がりをして天井へ跳んだ。
「息の根止めてやる!」
 空中で身動きが取れない李苑を目掛け、響希は威嚇ではなく本気で剣を手にした。宝珠で具現化させた物であるが、切れ味は本物である。
 李苑は「げ」と唸った。
「卑怯者!」
「いっそのことここでくたばれ!」
 繰り出された剣閃は、決して生温いものではなかった。
 李苑は必死で避け、迫った剣の腹を蹴り上げる。紙一重で足が寸断されていた、非常に危うい賭けである。
 剣筋を変えられた響希は舌打ちする。休む間も与えず剣を振る。
「弱い者いじめだー!」
 しゃがみ込むように着地した李苑は間一髪で攻撃を避けた。しかし安堵も束の間、素早くその場から飛び退く。次の瞬間には響希の剣が床を抉る。全く容赦が見られない。
「馬鹿力! ケチ! 響希の甲斐性なしー!」
 部屋の隅へ転がった李苑は叫んだが、響希は聞き入れなかった。間合いから外れた李苑を睨む。しかし動いてまで李苑を始末しようとする意志はないらしく、舌打ちして剣を消した。
「銃を出していれば良かった」
 そんな呟きを聞いた李苑は「しばらく大人しくしていよう」と心に誓った。銃を出されてしまえば李苑に勝ち目はない。大人しく意気消沈して椅子に戻った。
 埃を巻き散らす大アクションを繰り広げた二人の功績か否か。翠沙が僅かに身じろぎした。
「翠沙!」
 視界の隅で動いた翠沙に気付き、李苑が声を上げた。遅れて響希も気付く。二人で翠沙に駆け寄った。
「翠沙?」
 二つの視線が見守る中で、翠沙は吐息と共に瞼を上げた。
 緑柱石の瞳に光は灯らず虚ろであり、二人に焦点が合わなかった。
「……翠沙?」
 翠沙の様子に不安が湧く。李苑は思わずシーツを引っ張った。その衝撃が伝わったのか、ようやく翠沙の瞳に正気の光が灯った。緩慢な仕草で、見守る二人に視線が向けられる。
「……李苑、響希……」
 消え入りそうな声だった。
 李苑は顔を歪めて響希を見る。響希も同じく複雑な表情で李苑と顔を見合わせ、再び翠沙に視線を戻した。ずいぶんと憔悴した様子の彼女に顔を近づけて囁く。
「大丈夫か?」
「どうしたの、二人とも」
 翠沙は青白い顔で微笑んだ。その様子は今にも消えてしまいそうで、李苑は慌てて翠沙の手を掴む。その腕は冷たくて李苑は驚いた。思わず手を放してしまいそうになったが、少し強く握り直す。脳裏には他界した両親の姿が過ぎり、目頭が熱くなる。
「王はどうなったの」
「……消えちゃった」
 心配ごとが頭から離れないような翠沙の台詞に、李苑は躊躇いながら答えた。
「ここはガラディア。翠沙は今まで眠ってたんだよ」
 ガラディア、と翠沙は呟いた。そして不意に全身を強張らせて響希と李苑を見つめる。まるで、脳裏に過ぎったことから逃げようかとする仕草だった。
 李苑はそんな翠沙の様子に不安を募らせながら寝台に腰掛けた。
「ね、翠沙。全部教えてよ。私がいない間にあったこととか、宝珠のこととか」
 翠沙は李苑から視線を逸らすようにして響希を見た。けれどそこにあった瞳も李苑と同じく真摯なもの。糾弾ではなく、見守るような眼差し。
 翠沙はふと既視感を覚えたように瞠目し、納得したように瞼を閉じた。
「……もう少ししたら。話すから」
 ゆっくりと深呼吸すると、翠沙の胸が上下する。
 逃げるための言葉ではなく、話を出来る状態に保つための言葉。気持ちの整理がつくまで待っていて、と翠沙は瞼を閉ざしたまま告げた。
「……うん」
 李苑は静かに頷いた。
 一拍を置き、打って変わって明るい声を上げた。
「じゃあさ、先に一度帰ろう? 学校のこと心配だし。落第なんてことになってたら洒落になんないよ。出席日数が足りなさそう」
「お前の場合はそれより学業が足りないだろ」
「響希だって一緒じゃん」
「期末で国語以外が全滅だった奴に言われる成績ではない」
 李苑は言葉を詰まらせた。脳裏には赤文字で返されたテストの山が過ぎる。
「――国語は学年トップ十に入ったもん!」
 因みに首席は翠沙で、響希は三位だ。二人はその他の教科でも非常に優秀な成績を見せている。もちろん一度限りではない。常に実績を積み上げている。先生たちに一目置かれる所以だ。
「国語だけ良くても意味がないだろ。向こうに戻って追試になるのはお前だけだ」
「ひどっ。皆で受けようよっ」
「受けるほど成績悪くねぇし?」
 それは普段通りの他愛ない会話。今日もまた、悔しげに唸り声を上げる李苑が惨敗のようだ。翠沙は笑って体を起こした。
「そうね。帰りましょうか」
 混乱しているガラディアから姿を消せば、それだけで波紋は大きくなるだろう。それでもこれ以上の厄介ごとに巻き込まれるのは望まない。ガラディアには三人の存在がない方が上手くいくのかもしれない。
 翠沙は響希を見上げた。
「ね、響希。貴方はそれで構わない?」
 問われた響希はただ笑みを刻んだ。頼りなく伸ばされた翠沙の手を掴む。そして少し考えるようにしてから李苑に手を差し伸べた。
「ほら、李苑。向こうに連れてってやるから有難く俺の手を掴め」
 響希の父が倒れた時、病室で李苑が響希に向けた言葉。
 思いがけないその言葉に、李苑もまた笑った。
「上等!」
 響希の胸に輝く宝珠が力を発する。

 ――ガラディアから三人の姿が消えた。


 Is it near at the time of farewell?
 Yes, everyone all begin to walk.
 ――決別の日が近づき、誰もが歩き始める――


 第一部END