第一章 【一】

 仄かな蒼光が満ちた聖堂。
 床には紋様が描かれ、会議の様子を記録する布陣となっていた。
 姿は見えずとも向けられる百の視線は悪意に満ちており、サウスは嫌でも緊張せざるを得ない。広い聖堂を見上げて瞳を細める。立ち止まろうとすると先導者が振り返り、眼差しだけで招く。中央に据えられた壇へ案内すると先導者の影は消えた。
 サウスは壇に落ち着く。
「サウス=セフダニア=スファーヤ皇子」
 厳かな声が反響して消えていく。
「ライール=ガラディア=サラン皇女」
 サウスが入場した扉とは別の扉が開かれた。そこから現れたのはランル。普段の凛々しさを化粧の奥に隠し、ガラディア皇族の正装をまとっている。
 彼女は聖堂の入口で一度だけ足を止めたが、直ぐに歩き出した。サウスと同じく彼女の目には先導者の影が見えているだろう。ランル専属の案内係だ。
 ランルはサウスよりも離れた場所の壇にのぼり、椅子に腰掛けた。
 声はガラディアの主だった高官の名を次々と読み上げる。ランルは黙ったままその声を聞き、無心を貫くように瞳を閉ざして座っていた。
 ガラディアが終わると、ガラディア縁の国々も名前を連ねた。今回の会議は世界に関わることだ。宝珠国以外の小さな国々も呼ばれている。
「ナイ=イフリート=ジュラウン王」
 進行役の男が朗々と名前を読み上げた。
 ランルが入ってきた扉とはまた別の扉が開かれ、そこからジュラウンが現れる。聖堂の入口で彼もまた足を止め、先導者の出現を待ってから歩を進めた。落ち着いた翡翠の瞳が聖堂を観察している。若葉色をした髪はそのまま流され、彼が歩くたびに光を散らして揺れている。
 サウスはセフダニア城内で一度だけ相対したジュラウンを思い出した。
 周囲にいた大人よりもよほど年齢が近い彼は、王族という垣根を越えて好感が持てた。誠実さを感じさせた。李苑と一緒にいる姿を見れば堅苦しい印象も崩れるというものだ。しかし聖堂に現れたジュラウンはさすがに王者の風格をまとっており、貫禄を感じさせた。柔らかな物腰がそのまま彼の余裕を感じさせる。
 サウスは振り返ってランルやジュラウンの様子を知りたいと思ったが、理性で耐える。この場で少しでも常軌から外れた行動を取れば、心証が悪くなるだけだ。これから裁かれるのはサウスなのだから。
 進行役を務める男の声が途切れた。
 とたん、頭上から降り注ぐ光が変わった。ステンドグラスが模様を変えたのだ。光をより多く取り込めるように力石で位置がずらされる。
 サウスは眩しい思いで少しだけ顔を上げた。前髪が光に透けて一層赤く見えた。
 上段の階には薄幕が張り巡らされていて、奥は見えない。だがそこには大勢が座っていることを知っている。宝珠で張られた結界の一つだ。サウスたちから窺うことはできないが、座る者たちからはサウスたちが実に良く見えるはずだ。
 薄幕の向こう側から囁きが降り注ぐ。無数の声がパラパラと羽虫の音のように降り注ぐ。
 今日の議長なのだろう、入場者を読み上げていた者とは別の声が響いた。
「イフリート宰相ルクト=ザーイより、宝珠の巫女が現れたと報告を受けている。姿が見えぬのはどうした訳か」
 サウスは少しだけ目を瞠った。
 世界を支える宝珠。全ての中心となる宝珠の巫女。
 長らく不在となっていた巫女だが、今回の事件でようやく表に現れた。だが彼女は既に、異界へ飛び立っている。
 サウスの脳裏に二人の少女の姿がよぎった。
 李苑と翠沙。
 ガラディアで宝珠を暴走させた響希を止めたのは翠沙。それは宝珠の巫女でなければ決してできないことだ。しかし、いま一人の李苑も宝珠の巫女としての資質を備えていると感じさせた。サイが放った宝珠の力に干渉されず、怪我を負わなかった。巫女自身が望まない限り、宝珠の力が巫女を左右することは決してないのだ。
 サウスは思い出しながら眉を寄せた。
 サウスはガラディアで響希を諌めた翠沙を知らない。だから李苑こそ宝珠の巫女と感じた。だが、あの場で翠沙にも惹かれるものを感じた。憂いを含む翡翠の双眸で、サイに対する不明を責めた少女。
 全ての宝珠を支配できる巫女は世界に必ず一人だけ。
 さてどちらが本物なのか。
「巫女は異界へと渡りました」
 硬いランルの声にサウスの思考が中断された。
 サウスは視線を薄幕に戻した。姿は見えないが、その奥からざわめきを感じ取る。宝珠の管理者は独裁者であることが許されるが、世界や人心を敵にしてまでその道を取ることは躊躇われる。
「異界……だと?」
 ランルの声に、信じられぬと言いたそうな声が返る。異界の存在が信じられないのではない。姿を現した巫女が再び異界へ渡ったという事実が信じられないだけだ。
 宝珠の巫女は世界の至宝。全ての宝珠を治めることのできる唯一の存在。その存在がないだけで、民がどれほどの苦労を強いられたことか。それが役目であるのに、異界へ渡るとは。
「巫女と、黒宝珠の管理者。あの者たちは異界へ渡りました。異界で生まれた者たちです。こちらに縛ることはできません」
「巫女はこの世界を治める義務がある!」
 自分たちの住む世界を軽んじられていると憤る。
 巫女たちと直接会うこともできなかった者たちの叫びにサウスは苦笑した。
 崇め奉る巫女がよほど幼い存在だと知ったらどうするか。さらに、その中身を知ったらどんな反応を返すのか。想像すれば楽しそうだが現実にはならない。サウスは頬が緩まないよう口の端だけで笑った。
 彼らの中にはありもしない巫女の偶像ができあがっているのだろう。
 巫女を国に招けば将来は安泰――そんなあからさまな策略が見え隠れしていて、サウスは冷めた目を薄幕に向ける。背中からランルの不機嫌そうな気配が漂ってきていた。そんなランルの表情すら瞬時に想像できて、サウスは笑みを浮かべたくなる。
 彼女はこれからガラディアの王になる。そしてサウスは、この会議で全てが決まる。
「宝珠の巫女は――」
 騒然としだすその場を治めるように静かな声が響いた。
 男とも女とも取れる、中性的な声音。
 イフリートを治めるナイ=イフリート=ジュラウン王の声だと理解する前に、上空からは息を呑む気配が降ってきた。ランルの発言時とは異なる気配だ。
 この場に召喚されるのは国の重臣たちだけ。ランルも次期女王として呼ばれることはあったが、発言の許可は王にしか許されない。この場で発言するのが初めてのランルより、長年イフリートを治めてきた王の言葉に耳を傾けるのは必然か。ランルの悔しそうな顔が目に浮かぶようだ。
 今回サウスを助けることのできる立場の中で、最も発言力を持っているのはイフリート王だった。
「宝珠の巫女は世界のことわりそのものです。我らの規約に縛られることはありません。義務も――巫女には存在しない。だが、巫女にとって唯一義務と呼べるものがあるとすれば、それは存在することだけ。宝珠は世界を支える力そのものだが、巫女は世界そのものです。長らく巫女の行方が掴めなかったことで貴方がたは忘れているらしい。世界は変わらず我らの足元にある。これこそ巫女が生きている証拠。巫女そのものをここへ召喚する必要性を感じません」
 議員たちの目論見など、怜悧な表情であっけなく看破しているだろう。イフリート王の涼やかな笑顔が目に浮かぶ。
「さぁ。改めて会議を始めて下さい」
 促す声に進行係の男は汗をかきながら先を続けた。
 議題は進む。
 今回の事件に関わる実害や実態。責任の明白。その中でサウスが何をしたのか。
 そうして裁決は下された。
 セフダニア領には評議会からの監視。サウス=セフダニア=スファーヤからは皇子身分の剥奪。そして、管理者としての責任からは、宝珠の没収――……。

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 揺れる馬車のなかでランルは憤然と拳を振り上げていた。
「だから、没収して、その管理は誰が務めるというのよ!」
 夜明けのような紫紺の双眸が睨み付けるのは、遠くなっていく円形の建物。数時間前までサウスに対する審議が行われていた会場だ。あと数時間もすれば建物は跡形もなく消える。あの建物すらも宝珠で造られた、一時的な会場だった。
 ランルに対面するように座っていたサウスは、怒鳴るたび揺れるランルの髪を眺めながら面白そうに笑っていた。落ち着け、と手で示す。
「管理は巫女に任せるという話だったが」
 自身に下された判決だったというのに、落ち着いた態度が気に食わない。
 ランルは馬車の窓からサウスへと視線を移す。先ほどより一層の怒りを込めて睨みつけた。
「スイサは向こうに帰ってしまっているでしょう。それをあの馬鹿ども……! 真に巫女が現れたのなら我らを見捨てる道理がない。だなんて、涼しい顔でーーっ!」
「顔は見えなかっただろ。俺らで結界張ってただろうが」
 呑気な声がランルの逆鱗に触れた。
「言うことはそれだけな訳? ねぇ。その頭に詰まってるのは本当に人間として発達した脳なのかしらっ?」
 藪蛇だとサウスが気付くが後の祭り。胸倉を掴まれて揺さぶられ、サウスは震える声で「おう」と頷いたが、自分でも何に対しての「おう」なのか分からない。ひとまず揺さぶるのはやめてくれ、とランルの手を引き剥がす。
「自業自得じゃない!」
 ランルは腕組みをして自席に戻る。だが怒りは解けない。サウスを睨み付ける眼差しは変わらない。
「だいたい、サウスはいつもそうやって、関係ないことばかりで間が抜けてるのよ。だからこんな羽目になるんじゃないの」
 少しは気が済んだのか、先ほど評議会をなじった声よりは小さい。
「かもな」
「一人で落ち着いてないで。事の重大さを理解してないだけでしょう!」
 サウスは思わず顔をしかめて片目を細める。
 理解してないわけじゃないさ、と一人で胸中に返した。
 セフダニアに戻れず、身分も剥奪され、さらに宝珠を預かる権利までも奪われた。この地で今回の事件を知らぬ者はもはやいない。渦中の人物たちが誰であったのかも知れ渡っている。サウスを招き入れる場所などない。誰だって厄介ごとは歓迎しない。
 ガラディアには王と王妃をセフダニアに暗殺された恨みがある。
 イフリートには住民を奪われた哀しみがある。
 たとえ王たちの意思がどうであろうと、禍根を肥大させるサウスを助けることはできない。無視して招き入れれば民たちが黙っていない。詳細な事実を知らぬがゆえに、全ての責任はサウスへと降り積もる。王族としての身分を剥奪されようと、サウス自身が皆の記憶から消えるわけではない。サウスは人々によって、永遠にその身分から逃れられない。
「宝珠も身分も住む土地さえなくなったら、何も残らないじゃない」
 容赦なく言ってくれるランルに微笑んで、サウスは手を伸ばした。
 硬質な紫の髪を掴むと音を立ててすり抜ける。
 サウスの燃えるような深紅の髪とは対照的な、静かな光を宿す髪。静謐な湖のようで、サウスはそれを気に入っていた。髪を撫でながら、怒鳴り疲れて赤くなっている頬に触れる。熱を持って熱い。
「そう悲観することでもないだろう。これで心置きなく旅ができると考えたら悪くない」
「楽観過ぎるの、サウスは!」
 抱き寄せられるままサウスの隣に位置を変えてランルは怒鳴った。そうして疲れたように大きく息をつき、首を傾げるようにしてサウスの肩に頭を乗せる。
 サウスも深く座り込んで、瞼を閉ざしたランルを横目に馬車の窓に視線を移す。
 ただ黙って馬車の揺れを感じている。
 ガラディアに戻ったら、国を挙げての葬儀が行われる。ガラディア国王と王妃の国葬だ。ガラディア城は、今はその準備で大忙しだろう。
 今回の件は評議会を通して世界に発表される。噂ていどにしか事件を知らなかった民たちの非難も、全てセフダニアに向けられるだろう。
 国葬が行われる前に、サウスはガラディアを出て行かなければいけない。それを両者共に分かっている。もう、共にいられる時間は少ない。本来ならガラディアに戻る馬車にサウスが乗ることも許されない。事情を知る近衛たちが渋い顔をしながら、特別ですよ、とサウスを乗せてくれたのだ。
「どうするの……これから」
 サウスの肩に頭を乗せたまま瞳を開いた。
 サウスは変わらず、窓に頬杖をつきながら外を眺めている。外はもう暗い。
 闇に沈んだ窓から見えるのは荒野。
 果てのない。
 その荒野をずっと西に行くと、はるか昔に滅んだ伝説の都があるという。御伽噺で伝えられる、はるかな伝承の地。
「あてなんてないんでしょう?」
 聞いてどうするつもりか。ランルはもう気軽に国から出られない身分へとのし上げられた。
「サウスを受け入れてくれる場所なんて……あるわけないよ」
 呟きに、サウスは喉を震わせて笑った。
 訝しげに眉を寄せて顔を上げたランルに、楽しそうな深紅の瞳が向けられていた。
「そんなに俺と離れたくない?」
「はっ、離……っ!」
 赤面したランルを見て、サウスは更に嬉しそうだ。
「そうだなぁ。異界とやらに行ってみるのも楽しそうだな」
「――……本気?」
 紅潮した頬から血の気が引く。腕に縋りつくように見上げる。
 ランル自身は気付いていないが、その瞳は不安に揺れ、泣き出しそうに潤んでいた。同じ世界にいればまだ連絡の取りようがあるかもしれないが、異界へ渡ってしまったら本当に会えない。世界が求めていた宝珠の巫女ですら行方を掴めなかったのだ。ランルがサウスの行方を知ることはできなくなってしまう。
「……冗談だよ」
 表情を改め、ランルを抱き締めたサウスは囁いた。