第一章 【四】

 暗闇を彷徨っていた李苑はジュラウンの導きによって道を見つけた。突然のまばゆい光に瞳を細める。視界の端に鮮烈な炎を見た気がして混乱する。彼がいるここはイフリートということになる。
 李苑は混乱しながら顔を上げる。真正面には手を引いてくれたジュラウンの姿。立ち上がり、ザーイの姿をはっきりと捉える。蔵書に囲まれた部屋を見回し、二人以外の姿がないことを確認する。
「響希と翠沙はいないの?」
 肌で感じる湿度と温度。ここがイフリートであることは確信している。
 ザーイは驚いているだけで何の返答もない。次いで李苑はジュラウンに視線を向けて同じ問いかけをする。彼はゆっくりと李苑を見返し、瞳を瞬かせた。質問を聞いていないかの仕草に李苑は苛立った。
 いつか味わったような不安を感じて唇を噛み締める。この場に響希と翠沙がいないと、分かってしまった。
「どうして……」
「何があったんだ?」
 ザーイは驚きから立ち直ったのか戸惑うように李苑とジュラウンを見比べていた。彼の反応から李苑は計画的な出会いではなかったのだと悟る。
「私が見つけられたのは貴女だけでした。他の方々は無事に移動されたのではないでしょうか」
 ジュラウンが静かに推測を話す。
 李苑は執務机を睨んでいたがジュラウンに視線を移した。彼の瞳に嘘は見られない。李苑の焦燥が強くなる。
「私だけ?」
 唇を小さく震わせて呟いた。ジュラウンがあの暗闇に現れたとき、響希と翠沙は消えていた。もう少し早く彼が現れていたら事態は違っていたのかもしれない。
「リオン」
「私をガラディアに連れて行って」
 李苑はジュラウンの声を遮って声を張り上げた。涙が浮かぶ。
「それか、ガラディアまでの道を教えて。二人とも忙しいのは分かってるから。私、1人でも行けるから」
「お前、そりゃ無茶な」
「無茶でもいい!」
 呆れるザーイを怒鳴りつけて涙を拭う。渋い顔をする彼を睨みつけ、再びジュラウンを見た。彼もまた困ったような顔で李苑を見ている。
「貴方を1人で向かわせるわけにはいきません」
「でも!」
「落ち着いて、リオン」
 ジュラウンは立ち上がって李苑の肩に手を置く。
「前回、あのようなことがあったばかりです。貴方の気持ちはとても良く分かります。けれど、ご友人がガラディアにいる証拠もないのでしょう? 行って無駄足になった場合、次の目途はあるのですか?」
「ない、けど。元々はガラディアに向かうつもりだったし、きっといると思うし」
「まずは貴女がイフリートにいることをガラディアに伝えましょう。かの国から返答がありましたら必ず送り届けます」
 李苑は頑なになっていた心を解いてジュラウンを見上げる。彼が約束を破るとは思えなかった。それに、彼の言うことは最善だと理解できた。
「本当?」
「ええ。もし私が無理でも、ザーイがいますから」
 指名されたザーイは頬を引きつらせた。前回、大波乱を呼んだ彼の発言は記憶に新しい。セフダニアの事件に紛れて下火になっていた噂を再び掘り起こすことは必至だ。
「……その場合は何と説明するつもりだ」
「珍しいキャラバンを追いかけて行ったとでも」
「却下する」
 最後まで言わせずザーイは吐き捨てた。ジュラウンが楽しそうに笑う。
「とりあえず、貴方をご友人のもとへ送り届けることはお約束します」
 まるで小さな子供にするように腰を屈めて視線を合わせるジュラウンに、李苑は小さく頷いた。
「うん。お願いします」
 再び目頭が熱くなってきて俯いた。
 一息ついて、自己嫌悪する。あのまま彼が来てくれなかったら自分はどうなっていたのか知れない。彼が助けてくれたのだ。それなのに取り乱し、自分の要求を優先させた。
「あの、ありがとう。ごめんね」
 李苑はジュラウンの服をつかんで見上げた。何の脈絡もない謝罪に首を傾げた彼だが、特に何も言わずに微笑んだ。李苑の頭をなでる。
 そんな二人の様子を端から苦い顔で見守っていたザーイはため息をついた。
 再び、波乱になりそうな予感がした。


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「あの馬鹿!」
 目の前で弾けた怒声にランルは目を瞠った。
 時刻は昼を少し過ぎた頃。あたたかな風が花の匂いを残していくが、その風も次第に冷たくなっていく時季。先日の世界会議から明けて1日が経ち、国に戻ったランルたちを待っていたいたのは訃報に嘆く民たちだった。
 事件は評議会によって世界に報じられ、ガラディアの王と王妃、セフダニア、そしてイフリートの一部住民が宝珠の犠牲になったことを明かしていた。ガラディアの民はやり場のない怒りに囚われて、ただ嘆くしかない。
 ランルは近衛にだけ帰国を知らせ、サウスを伴ってお忍びで帰城した。サウスの存在を気取られるわけにはいかないからだ。窓を開ければ悲嘆を現す鐘の音が聞こえ、いつもは商人や楽師たちで華やぐ庭も静まり返っているのが分かる。住民たちの嘆きがいかに深いか分かろうというものだ。
 帰城して一夜明け、話の続きをしようとサウスの部屋を訪れたときだった、異変が起こったのは。
 不意に襲われた胸騒ぎにサウスと二人、共鳴する宝珠を持て余していた。力の発言は二人の意志ではない。どう対処したらいいものか途方に暮れて、助けを求めるように部屋を見渡して、そして怒鳴り声が響いたのだ。
「翠沙っ?」
 艶やかな黒髪を後頭部で1つにまとめた響希が部屋の中央にいた。彼女は怒鳴るように名前を呼ぶ。その視線を辿ったランルは、そこにいた翠沙に息を呑んだ。具合が悪そうな顔で体を折り、崩れるように床に膝をつく。しかし意識はしっかりしているようだ。顔を上げて響希に小さくかぶりを振る。
 響希は険しい表情のままその様子を見たが、心配は要らないと判断すると部屋の中を見渡した。そして舌打ちする。
「やっぱり来ねぇか」
 この時点になると、ランルにも何が彼女を不機嫌にさせているのか推測できた。1人が欠けている。
「……今回も唐突ね」
 呟いたランルに剣呑な双眸が寄越される。けれどランルは苦笑だけに留めた。それが響希のあり方だと知っている。
「李苑は、大丈夫」
 翠沙が苦しげな表情をしながら立ち上がった。息を整える。
「イフリート王が気づいてくれたみたいだから」
 響希は更に不機嫌そうに顔を歪めた。翠沙を長く見つめた後ため息をつく。そしてゆっくりと部屋を眺め渡した。そこに、椅子に座ったままのサウスを見つけて眉を寄せる。
「処分は決まったのか」
「身分剥奪と領地没収。宝珠管理者として不適任と判断され、宝珠の返還を要請されたわ」
「ふぅん。国外追放がないだけマシか。戻ることはできる」
 本当にそう思っているのか。響希は笑いながら椅子に腰かけた。翠沙がたしなめるような視線を送ったが、響希は知らぬふりだ。肩を竦めてみせる。翠沙も響希の隣に腰かけた。
「でも、宝珠返還などどうするの? サウス以外に扱える者がいるとは思えないけど。そんなこと、評議会でも承知済でしょうに」
 セフダニアの住民は消滅。残る王族はサウス1人のみ。同じ血族からしか管理者が生まれないのならば、セフダニアの宝珠を扱えるのはサウスだけとなる。
 翠沙の問いかけに、ランルは苦々しく唇を噛み締めた。
「宝珠の巫女に、返還するのだそうよ」
 評議会への不満を隠しもしないその言葉にか、それとも言葉の内容そのものに驚いてなのか、翠沙は瞳を瞠った。サウスがその言葉に従うように宝珠を持って近づいてくるのを見て慌てた。
「だ、駄目よ。私は預かれない。私は確かに巫女として存在しているけど、今の巫女はもう」
「言っておくが李苑は却下だ」
 翠沙の言葉を先読みした響希がすかさず口を挟んだ。ランルは思わず笑う。腕組みをする響希は本当に不機嫌そうだ。
「あいつに宝珠なんて持たせてみろ。絶対に俺が苦労する」
 さすがにサウスが苦笑した。翠沙も笑いながら、サウスの腕を押し戻す。
「そうね。だからサウス。それは貴方が管理するしかないのよ」
 意識的なのか無意識なのか、翠沙は宝珠をサウスの両手に包ませた。サウスはしばらく自分の手を見つめ、小さく「ありがとう」と呟いた。その宝珠はサウスにとってセフダニアの形見となった唯一のものだ。
 ランルは翠沙の微笑に、なぜか自分も救われた気持ちで笑みを浮かべた。
「当面の問題はサウスの滞在場所よね。まさかガラディアに置いておくつもりなの?」
「それは無理だわ。今この場には私もサウスもいないことになっているの。私はまだ帰城もしてない。知らせてるのは信頼できる者にだけよ。外にサウスの存在が知られたら厄介なことになるわ」
 このような無茶が許されるのは、ひとえに彼が近衛として優秀で、その性格を好意的に受け止めてくれた友人や同僚たちがいたからだ。ランルが全面的に彼の存在を隠そうとすれば、好意的な近衛たちは揃ってランルに賛同してくれる。けれどいつまでもそのような無理を通すことはできない。
 翠沙はサウスに視線を向けた。
「貴方は何か考えているの?」
「無理よ、スイサ。何も考えてないわ」
 ランルは多少の苛立ちも込めてサウスを睨んだが、本人は気にした様子もない。ひょうひょうと受け流して肩を竦めただけだ。腹立つことこの上ない。
「ひどいな」
 本当にそう思っているのか疑ってしまうほど、彼は爽やかな笑顔を浮かべた。
「俺だって少しは考えてるさ」
「ではどうぞ、そのお考えをお聞かせください」
 その言葉に何度裏切られてきたことか。ランルはまったく信用してないことを含ませて促した。
 二人のやり取りに翠沙と響希は顔を見合わせて苦笑した。サウスは余程、ランルに信用がないらしい。
「ひとまずカナン教国に行こうと思っている」
 カナン教国とはガラディアよりも南に位置し、セフダニアから少し離れた場所に版図を広げる、セフダニア傘下の国だ。
「カナンとは血盟を結んでいる。宝珠にも関わるのある国だ。そうそう邪険にはされないだろう」
 ランルは眉を寄せたままその言葉を聞いた。他国のことをあまり深く知っているわけではないが、カナンとセフダニアに密接な関わりがあることは学んで識っている。“血盟”の単語に胸が痛んだが、そこには触れずに頷いた。
「サウスにしては考えているみたいね」
「そうだろう」
 褒めたつもりはないのにサウスは満面の笑みで頷いた。
「宝珠と関わりがあるとは?」
 聞いていた響希が怪訝な表情で口を挟んだ。ランルは言葉に詰まる。
 誰もが知っている常識を知らないからそのような質問が出る。できれば触れて欲しくない話題だったため、零れるため息に苛立ちが混じる。同時に、本当に何も知らないのだと羨ましくなった。
 ランルは瞳に戸惑いを含ませながら響希を見た。