第一章 【五】

 宝珠を保持する三国、ガラディアとイフリート、セフダニア。それ以外に国があるということすら初めて知った。評議会があるくらいなのだから、小国とはいえ国があっても不自然ではない。
「宝珠と関わりがあるというのは?」
 こちらには自分の知らないことで溢れている。
 純粋な疑問をぶつけると、振り返ったランルはなぜか傷ついたような瞳をしていて、戸惑った。そのことに声を詰まらせると、代わりにサウスが進み出た。
「セフダニアから宝珠の管理者が出ない場合にはカナンから選出される。だから、セフダニアとカナンは血盟を結んでいるんだ」
 サウスの声にもどこか苦いものが含まれている気がして響希はますます首を傾げた。
「しかし、宝珠の管理者はその国の中から選ばれるんじゃなかったのか?」
「宝珠は国に囚われるんじゃない。血に縛られるんだ」
 響希はようやく納得した。
「なるほど。つまり、カナンにはセフダニアから派生した血縁者がいるわけだ」
「そういうことだ」
 明確な原理は解明されていないが、実例は多くある。響希は「はっ」と吐き出すように笑う。
「そりゃすげぇ。管理者の血っていうのは、そこまで影響力があるのかよ」
「それだけではないわ」
 笑い飛ばした響希の思考が深みに及ぶ前に、静かな翠沙の声が響いた。瞳は真っ直ぐランルを映している。糾弾するかのように強い光を宿している。
「管理者の血は不可侵のもの。混血し、どんなに薄まろうと、一滴でも流れていれば管理者を生み出してしまう」
 追いつめるかのように淡々と告げる翠沙を、響希は意外に思って見返した。以前、セフダニアに忍び込む前に「ランルは苦手」と呟いていたことを思い出す。
「だから、管理者は自分の血を慎重に制限しなければいけないの」
「制限?」
「ええ、そうよ」
 分からず首を傾げた響希に、翠沙は幾分抑えた声を放った。
 翠沙がここまで感情を見せるとは本当に珍しい。
「近親婚を繰り返さなければ血は広がり続けるだけだもの。宝珠は血が濃い者に託されるようだけど、例外がないとは限らない。そもそも宝珠は力の媒体になっているだけで、簡単に持ち主が揺らぐように出来ているのよ」
 翠沙は一度言葉を区切り、言葉を探すように視線を彷徨わせてから再び口を開いた。
「私たちの世界にも王家のある国があったでしょう。血を重んじて他家との婚姻は許されない。それと同じだと思えばいいわ。こちらでは伝統の代わりに宝珠がある。けれど、あちらとは違って、目に見えるだけ争いの火種になりやすいものなのよ」
 サウスとサイとで宝珠を争っていたように。例え当事者の思惑が違えど、事件を聞いた第三者には宝珠を巡った単なる権力争いにしか見えないだろう。
「分かるでしょう響希。組をまとめる貴方なら」
 理解を求めながら、拒む瞳だった。緑柱石の瞳はただ響希を見つめるだけだ。
 響希は彼女を不思議に見返す。
 初めて会ったとき、翠沙の容姿は純粋な日本人そのものだった。瞳も髪も艶やかな漆黒だ。響希と並ぶと圧巻だよね、と李苑が笑いながら指していたのを覚えている。しかし今や翠沙の瞳や髪は緑に変色していた。いつの間にこのような色を宿すようになったのか。
 神秘的な輝きを宿したまま、その瞳はランルとサウスを責め続ける。
 ランルとサウスが恋人同士であるなら、そして今の言葉を照らし合わせるのなら、新たな争いが生まれるだろう。二人が結ばれようとするなら、ガラディアとセフダニアが合併しなければいけない。混血児がどちらの宝珠を管理するのか分からない。
 響希は静かに内容を噛み砕きながら、それほど気にするようなことなのか? と首を傾げた。権力者たちの自尊心はもちろん分かる。他者に自国の持ち物をどうこうされるのは気に食わないだろう。しかしそんな下らないもののために自分の意志を殺さなければいけないなど、響希にとっては論外だ。そしてそれは、翠沙が怒るようなことではないとも思う。それとも違うのか。それを怒るのが宝珠の巫女とやらなのか。
 一瞬の沈黙のあと、声を荒げた翠沙は瞳を閉ざした。呼吸を整え、視線を響希に向ける。
「こちらでは宝珠を持つ者に絶対王政が認められているの」
 民の意見も、忠臣たちの意見も、すべてを覆し、独裁者となることが許される制度。王が認める制度だ。
「宝珠を持つ者が王になる。この世界はそうして続いてきた。ガラディアとセフダニアが納得しても、他の同盟国が承諾することはない」
 ガラディアとセフダニアが結ばれれば、血が薄くなった他国から管理者が生まれる可能性は更に低くなる。自ら管理者を生み出す可能性を持つからこそ恩寵を与えられているのだと、そう信じている者たちがこの事実を見逃すわけがない。世界そのものを揺るがす、大き過ぎる災禍だ。
「評議会も評議会だわ。サウスから宝珠を取り上げたあとは野放しだなんて。無駄に混乱を招いているとしか思えない」
 苛立ちを抑えることも忘れた翠沙は椅子に座り込んだ。ランルと響希はただ彼女を眺める。重苦しい沈黙を、ただ過ぎ去るのを待つ。
 ただ一人、サウスだけが沈黙を破った。
「けど、スイサ」
 その場にそぐわない声音だった。
「この世界には長く巫女がいなかったんだ。昔のことを忘れていても仕方ないだろう」
 大した問題ではないと、軽い口調で述べるサウスに翠沙は表情を強張らせた。響希だけがそれに気付く。
「起きてしまったことを悔やむより前を見ろ」
 はっきり言って、過ちを犯した本人が言う台詞ではないと。
 響希は、脳裏にもう一人の楽天家を思い出して舌打ちした。思い出してしまったことすら悔やまれた。
「サウスは何も考えてないだけでしょう。偉そうに言えるその口が羨ましい!」
 いや、その羨み方もどうかと思った響希だが、先ほどの舌打ちはランルの怒声に紛れたようだ。何となく安堵する。ランルの怒声にもサウスは堪えず飄々としている。ある意味才能ではないだろうか。
「……宝珠の巫女は、世界の平定が役目よ。争いの火種となる貴方たちを、巫女が認めることは決してないわ」
 張り詰める重たい空気。それを嫌うように翠沙は立ち上がり、誰も一瞥しないまま扉に向かった。行く場所などない。けれど、この場所にいること自体が耐えられないとでも言うかのようだ。
 追いかけようとした響希は、先に翠沙が留まったことで足を止めた。
 声をかけようとしたが、その前に扉が叩かれる。この場にいないことになっている自分たちが開けてもいいものか、迷った響希たちを追い抜いてランルが扉に走った。本当は女官が取次ぎをするものだが、人払いをしている以上、仕方のないことだ。
「砂漠からのお届けものでございます」
 小さく開かれた扉の隙間から、小さな箱が差し入れられた。
 中には青い宝石が収められている。
 丁寧に飾られたそれは、極上のサファイアに見えた。
「ありがとう。退がりなさい」
 慎重に受け取ったランルは息をつく。使者が扉を閉める直前、睨むようにサウスを見たことに気付き、複雑な胸中となる。響希もまたその場面を目撃してしまい、胸に重たい鉛が落ちた。
 ランルは先ほどの位置に戻って宝石を手にした。
 どこにでも売られているような青い輝石だ。
 もちろん、それはとても高価で、誰でも手に入るという代物でもないのだが。
「それは?」
 翠沙も興味を覚えたように宝石を見つめていた。
 ランルは小さく笑う。
「多分、貴方たちへの届け物ね」
 含み笑いに響希は胡乱な目をランルに向けた。この世界に知り合いなどいない。贈り物をされるような心当たりなどない。
「宝珠の力を使えば解呪されるわ。それ以外では絶対に反応しない力石だから」
 その説明に、響希はその宝石が何なのか朧気に悟った。舌打ちする。
「どこまでも手がかかる……」
 翠沙もランルも苦笑した。
 響希は宝石を手にし、改めて眺めた。少し意識すれば、宝石を取り巻くサランラップのような薄い膜が見えた。これが宝珠による結界なのだろう。どのようにすれば解けるのか分からない。無作為に手で破ろうとすると、簡単に破けた。あっけない。こんな物なのかと思った響希だが、それは宝珠を持つ彼女だからこそできる荒業だった。
 破られた膜は見る間に消えた。
 手には淡い光をまとう宝石だけが残される。
 そこからどうすればいいのかと思ったとき、宝石が変形した。正確に言えば宝石本体はそのまま。しかし、それを核として、人影がそこに浮かんだのだ。
 宝石が投影した半透明の人物が開口一番叫んだのは。
『響希の馬鹿ー!』
 だったりしたものだから、響希は宝石を投げ捨てた。