第四章 【一】

 翠沙は頭から被ったフードで口を押さえながら顔をしかめた。眼前には荒廃した大地が広がっている。
「酷いものね……」
 響希は横目で翠沙を確かめ、視線を前方に向ける。瞳を細めて小さく頷く。
 そこに町はあったが、人はいなかった。人の手が入らなくなった町は廃墟と化し、風だけの遊び場となっている。
「セフダニアの領内か?」
「端のほうだ。結界も壊れてしまっている。たとえ俺がもう一度力を流そうと、復旧しないだろうな」
 手近な家を占領した三人は外に出て、夕陽に染まる町並みを眺めていた。口を閉ざすと沈黙が流れるだけだ。風は誰の声も運んでこない。
 国が一つ、滅んだ。
 人々はこれからの長い年月の中で国があったということを忘れ、この大地の上に新たな居場所を築いていくのだろう。それが何十年後になるかは分からない。ただ、彼らがこの場所に住んでいた人たちの想いを知ることはない。
「中に入るのか?」
 尋ねるとサウスは沈黙した。追放はされていないが、ここは没収された土地だった。評議会から派遣された番人の目はないが、城に近づくとなれば必ず見つかるだろう。
「響希。私は中で休んでいるわ。食事の用意をしてるから」
「ああ。頼む」
 静かな大地を眺めていた翠沙は踵を返した。響希が顔を向けると、翠沙は小さな笑みを見せて頷く。そのまま休憩所にしていた家の中に入っていく。人が消えてから大分経つとはいえ、保存食ぐらいは残っているだろう。いつもの携帯食よりはマシなものが食べられるかもしれない。
 翠沙を見送った響希は再び視線を大地に向けた。
 斜陽に包まれて赤く染まっている。血の色のようで不吉だ。なんとも言えない気分でただ眺めている。
「宝珠とは、過去や未来にも飛べるのか?」
 ふと思い立ってサウスに問いかけた。返事はない。響希は首にかかる宝珠を取り外し、眺めた。
 斜陽を受けて赤い光を宿す宝珠。本来は黒色に染まるそれは、母親の形見。
 産褥で死んだという響希の母親、耀子《ようこ》。もともと体が丈夫な方ではなかったという。響希を産み落としたあと、そのまま息絶えた。彼女の最期を看取ったのは父だけだ。彼はしばらく部屋から出てこなかったというが、葬儀は彼の手によってすべて行われた。
 響希の脳裏に母親の姿が浮かんだ。ビデオや写真で見た彼女は、とても自分と良く似ていたことを覚えている。そして、ガラディアで見た肖像画は、日本で見たどの記録よりも年齢が若く、響希に酷似していた。
 ――ルヴァイヤ。
 翠沙は彼女のことをそう呼んだ。
 なぜだか響希は、あの肖像画の女性が天野耀子だと疑いもしなかった。偽名など幾らでも使える。彼女はもともとこちらの世界で生まれ、何らかの原因で日本に来て、そして響希を生んだ。そう確信する。
「宝珠を扱う者の力によっては可能なのかもしれないな」
 思考に突然割り込んできたサウスの声に、何を言われたのか分からなかった。一瞬後に分かり、苦笑する。先ほどの問いに対する返答だ。今までずっと考えていたのだろうか。
「力はどの宝珠も同じなのか?」
 振り返ると、サウスは腕組みをしたまま家の壁にもたれていた。外套は外され、赤い髪がまばゆく染められている。瞳も今は赤く燃え上がり、どこにいても目を惹かれる存在になっていた。
「恐らく同じだろう。どれ程の力があるのか、正確には知らない。宝珠の巫女ならばすべての力を引き出せるだろうが……」
 サウスは響希から視線を外し、肩越しに遠くを見た。響希もつられて視線を向ける。
 もとは緑が溢れ、水源も豊かで、人々が笑顔で暮らしていたというセフダニア。その面影はない。
「そうか」
 響希は呟くだけにとどめて反対側を見た。今まで歩いてきた荒野だ。ガラディアの国土を抜けると次第に大地は乾燥し、地面には何も生えなくなった。そのまま進めばさらに大地は乾き、風が土を砕いて砂にするのだという。そして広大な砂漠を広げ、大地はイフリートへと続いていく。その前にセフダニアに寄ったのは、あの事件の後、どのようになっているのか興味を引かれたからだ。サウス自身の提案もある。
 東京にいれば決して見られない地平線。焼け落ちるように輪郭をぼかした太陽が身を沈めている。
「俺に聞くよりも実際の巫女に聞いてみたらいいだろう。すぐ傍にいるんだから」
 翠沙を指しての言葉だろう。響希は眉を寄せて視線をさまよわせた。
 日本にいるとき以上に、今の翠沙は他人を寄せ付けない雰囲気を醸している。何か問いかけようとしても直ぐに流されてしまう。まるで心を閉ざしてしまっているようだ。
「近くにいるから聞けないこともある」
 自分では翠沙を追いつめることしかできない苛立ちに舌打ちする。話を打ち切って踵を返す。翠沙の手伝いをしようと家に戻る。
「一度セフダニア城に入りたい。評議会には渡せない物がある」
 先ほどまでの声とは違い、どこか切羽詰った様子だった。
「こちらの世界を知りたいと思うならお前も来るといい。イフリートには負けるが、古い文献は残っている。あの巫女はいい顔をしないだろうが、お前だって、隷属してる訳じゃないだろう?」
 響希は顔をしかめて頷いた。主人と配下の関係ではない。宝珠で結ばれてはいても、それ以前に親友だ。翠沙が命令で響希を縛るようなことはしないだろうし、響希にもそのようなつもりはない。
「分かった。行こう」
 李苑と再会できるのは大分先になるが、それ自体は構わない、と響希は鼻を鳴らした。ただ、李苑というクッションがなければ落ち着かないのも事実で、複雑な気分になる。
 ――俺自身としては当分野放しにしておきたい気分なんだが。
 半ば以上の本音を胸中だけで呟き、響希は家の扉を開けた。


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 ランルは書類に最後まで目を通すと顔を上げた。
「他に影響が出ているところはない?」
 紫紺の双眸が部屋を一巡した。声を上げる者はいない。カルミナも黙したまま着席している。彼らの無言の肯定を受け取ったランルは安堵して笑顔を見せた。
「では、先ほど上げた通りに進めましょう」
 その声を合図に朝議は解散となる。張り詰めた空気が見る間に揺るぎ、互いを労う声が生まれる。ランルは手元の書類を整理しながら部屋を出て行く皆に「ご苦労様」と声をかけた。年若い王に、誰もが笑顔を返してくれる。
 セフダニアの事件から数ヶ月経った。今のところ、目立った混乱はない。
 やがて部屋には誰もいなくなり、廊下の声も消えると、静寂に包まれた。ランルはようやく肩の力を抜いて大きく伸びをする。寝不足にならない程度の睡眠は取っているが、緊張の連続で疲れが溜まる。いくら眠っても眠り足りない。
 朝議が終わったこの後は国軍議会が開かれる。本来は軍事長がすべての采配を揮うためランルは報告書に署名するだけでいいのだが、今回は直接顔を出すつもりだった。ヨールを復帰させるためだ。
 サウスと懇意にしていた軍関係者に、評議会から懲戒免職の沙汰が下ったのは、世界会議が終わってしばらく経ってからのこと。そのあまりの横柄さにランル以下ガラディアの高官たちは激怒した。ランルが直接働きかけ、その沙汰を取り下げさせた。サウスの交友関係は広い。友好的な者は軍の三分の一にも及ぶ。それらすべてを解雇せよなど無茶な話だ。
 評議会とランルのやり取りは日数をかけて長く続き、その間にも懲戒免職の日は刻一刻と近づいていき、そして今日がその日だった。本日開かれる国軍議会は懲戒免職を下すための会議だと言ってもいい。
 今朝早くに評議会から正式文書が届き、大きく安堵したものだ。けれどその文書を議会に提出しなければ辞令が下りてしまう。使者を送っても良かったが、ランルは自分で軍事長の手に渡したかった。彼もまたヨールたち懲戒免職者の進退を嘆いていた人物だからだ。
 ランルは朝議の結果をまとめた書類を束にして揃え、ため息をつきかけてそれを飲み込み、立ち上がった。