第四章 【四】

 落陽に包まれた外観は白亜の城から印象を違え、穏やかな橙色に染められていた。
 窓から見えた大きな夕日に瞳を細め、響希は静かな廊下を横切っていく。燃え落ちる太陽そのものの光を乗せて、前を進むサウスの足取りは迷う事がないようだ。評議会の者達を気にした様子も無く角を曲がろうとする彼に眉を寄せたものの、彼は公宮へと進んでいくようで。
 苦労するのはやはり自分だけなのかと。
 彼の代わりに警戒心を最大限に発揮しながら、響希は以前にも乗り込んだ事を思い出した。
 あの時は観察する余裕も無かった。先頭に立って探索しようとする李苑を制御する事で精一杯だったのだ。夜であった為、黄昏に沈んだ現在とは印象も違うが――なぜ自分が苦労する事だけは変わらないのだろう、と不毛な事を思ってしまう。
 一切の静寂しか寄せ付けずに、外界と時を遮断された城。
 何年か経てば人の手も入らなくなり、廃墟として扱われるのだろうか。
 流石に観光名所として公開されるという事には抵抗を感じるし、またそんな事はあり得ないだろうが――人の記憶からただ忘れられていくのも物寂しい。
「――会議室と王の部屋――宮にもいるな」
 前を進んでいたサウスから片手を上げてストップをかけられ、刹那に響希も素早く反応した。
 誰かが近づいてきている。
 サウスと翠沙を掴んで壁に押し付け、自分も固く息を殺す。『力』を展開させて自分たちの存在を他から隠す。
 常人より余程訓練された聴覚だ。
 壁に押し付けられた二人から怪訝な視線を向けられたが、響希は「動くな」と目で命じた。
 程なくして、先ほどサウスが進もうとした方向の角から男が一人現れた。セフダニアに一般人は入る事が出来ないと聞いていたから、きっと調査に来たと言う評議会の一人なのだろう。何かの分厚い書物を捲りながら響希たちに向かってきた。
 翠沙が一瞬、緊張したように体を強張らせたが男は直ぐに通り過ぎる。宝珠で展開させた力のお陰でこちらが見つかる事は無い。
 男はこちらに気付いた様子も無く廊下の端へと歩いていき、曲がってその姿を消した。その気配が充分に去ったであろう頃を見計らって響希は結界を解く。
 宝珠に手を伸ばし、熱を発するそれを包み込んで。複雑に息をつく。
「凄いな」
 横からかけられた声に視線を向けると、サウスが感心したように瞳を丸くして見つめていた。浮かぶのは純粋な感動だけだ。
「何がだ?」
 何に目を丸くされているのかサッパリで、響希は眉を寄せながら首を傾げた。
 先ほど通り過ぎた男の事だろうか、と思い出してみるが、男は司祭のような長いローブを身につけていた以外の特徴を見出せなかった。通り過ぎた時の様子から、彼がこちらに気付いていたとは考え難い。
 男が去った方向を見やったが、サウスは更に続ける。
「人の気配を察知できる縄張り意識の強さに、だ」
 その言い方に響希は苦々しく顔を顰めたが、間違っていなかった為に何も言わない。
「……さっさと終わらせるぞ」
「ああ」
 響希に任せておけば安心とでも思ったのか、サウスは明らかに緊張を解いた様子で歩き出し、その様に何故か苛立つものを感じて。響希は憮然と顔を顰めた。隣で翠沙が可笑しそうに笑えば更に眉間の皺は深くなった。

* * *

 地下牢付近の廊下ほど警備は甘くない。ということを、響希たち三人は直ぐに悟らざるをえなかった。
「流石に、研究員は多いのな」
 辟易して吐き捨てると同意を得られた。
 先程から何人もすれ違っており、そのたびに宝珠を使用するのが面倒になっての言葉。
 当初の目的である場所は、評議会にとってもいい研究対象なのだろう。それらしい格好をした者達が詰めているようだ。遠くにいてもその場の賑やかさを感じ取れてしまう。
「……宮は、言うまでもないな」
 窓から見える庭から続く、宝珠の宮。
 力が暴走しないように訓練を重ねる場所。玉座に次いで、国の要となる場所。そんな場所を評議会が放っておくわけもないだろう。
「強行突破するか」
「やめて。殺されるわよ」
 半ば以上が冗談だったが、返されたのは真剣な声音だった。
 翠沙に苦笑し、軽く肩を竦めてみせる。どっちにしろ、ここから身動きが取れなくなった。
 客室であろう一室で、はたから見れば寛いでいるとも取れるように腰を落ち着けて。
「だがここから動く事も出来ない。俺の力では三人を長時間隠しておくことは無理だ」
 顔を顰めながら宝珠に触れる。
 普段は玲瓏とした輝きを乗せる宝珠だが、短時間内に何度も使用したためか服越しでも熱さが伝わって来ていた。このまま使い続けたら破裂するんじゃないかと思わせるほどの熱さ。
 首からかけているわけだが、顎の辺りが暖かかったりする。
 チラリと翠沙を見やると憮然としていて、何故だかそれに可笑しさが込み上げてきて。喉を鳴らすと不機嫌に睨まれた。
「私、便利な道具じゃないんだけど」
「そりゃそうだろう」
 軽く返すと溜息をつかれ、翠沙は壁に預けていた体を離して歩いてくる。
 首から外した響希の宝珠と、何か分からないような顔をしているサウスから赤く煌く宝珠を受け取って。
「でも、宮を解除するのは巫女の役目でもあるから……今回だけよ、響希」
「分かってるって」
 それでもきっと、翠沙はやってくれるだろう。
 そんなこちらの思惑もシッカリと伝わっているらしくて睨まれたが、怖くなどない。
「もう」
 見守る中、翠沙はふと顔を強張らせたが一瞬にしてそれを払拭させ、両の手の平に包んだ宝珠をそっと合わせて祈る。
 途端に反応する宝珠たち。
 響希たちが揮う時には鋭い閃光を放つそれだったが、翠沙が望むと暖かく柔らかく発光するらしい。見ているだけで癒されていくかのような光に瞳を細めながら、翠沙が怪我を治すときに放つ光も同じものだなと思い出した。
 最近はそんな力を使用することも無く来ていたが。
 あれもやはり宝珠の力なのだろうか。それとも巫女が特別で、李苑にもそのような力が備わっているのだろうか。
 あいつにそんな力が備わっていても厄介なだけで使いどころなどないだろうがな、と響希は忌々しく顔を歪めた。日本に居た頃は離れていた方が楽だったけれど、こちらに来た今ではその逆だ。離れているのは構わない。だが確実に再会する事が決まっていて行動を共にする事も決まっているなら、早く再会したい。離れている時間が長ければ長い程、奴が連れてくる厄介ごとも比例してでかくなるだろうから。
 李苑が聞けば非常に複雑に唸るであろう響希の思考回路であった。
 響希とサウスが見守る中、それほど強烈でもなかった光が徐々に消えて行き、暖かな空気に包まれたかのような感覚に響希は首を傾げる。
 自分の体を見下ろしてみたが、何も変わったところは見られない。それでも違和感があって。
「これで、私たち以外には感知出来ないはずよ。使うのは久しぶりだから、完璧なんて求めないでね」
 声に顔を上げて、響希は目を瞠った。
 視界の端でサウスもが驚いたように立ち上がって自分の体を見下ろしている。
 翠沙と、響希と、サウス。
 まるで周囲の風景に溶け込むような存在へと変化し、体が半透明に透けていた。
 他人を見るとそうなのだけれど、自分の体を見れば普段どおりで首を傾げてしまう。クスクスと響く笑い声に視線を向け、返された宝珠を再び首にかけて。
「光の屈折を変えただけだから、人に触れたら即バレてしまうわ、気をつけてね」
「へぇ、便利なもんだ」
 サウスは楽しそうに口許を歪めて、その瞳はまるで新たなオモチャを見つけた子供の様に輝いていて。
 やはり翠沙から返された宝珠を首からかけ、服の下へとしまっていた。
「私たちは宝珠に深くかかわりのあるものだから、その者達を騙す事は出来ないけれど……一般の人になら充分これで通用する筈よ」
 穏やかに微笑んだ翠沙に頷き、便利だと肩を竦める。
「これは、スイサから離れていても持続するのか?」
 では行きましょうかと、部屋から出かけた時に掛けられた言葉。
 翠沙は緩やかに首を傾げ、サウスを振り返る。
「ある程度なら……可能だと思うわ。自分でその状態を持続しようとするなら、の話しだけれど」
 その言葉に響希も宝珠に意識を向けると、ほんの微かだが力が引き出されているのを感じた。
 自分にすら気付かれないほど微かな発現。
「ああ、なるほど」
 サウスも言われてから気付いたようで、少しだけ瞳を大きくして笑った。
「じゃあここから俺は単独行動だ。日暮れに町で落ち合おう」
 言うなり駆け出そうとしたサウスを慌てて掴み止めて響希は「おいっ」と苛立った声を出した。
 普段、李苑という免疫がついていなければ決して止められなかったであろう切り替えのよさ。
「お前一人で行かせられるわけないだろうっ」
「何故だ。お前が知りたいことはスイサに聞けば、どこにあるか教えてもらえるだろう」
「あのなっ、そういう意味もあるがそれだけじゃなくてっ」
「……大丈夫」
 段々と苛立ってきた為大声となって。
 外の連中に見つかったら、という気もあり、大音響というわけではなかったが。
 それでも怒鳴りつけると、サウスは不可解な顔となり、背後の翠沙からは弱いが同意を得られなかった。
「翠沙?」
 サウスの背中を掴んだ手を離し、常なら決して「いい」とは言わない翠沙を怪訝に見つめる。
 もしかして先程宝珠を使って疲れたのだろうか。
 寝台に腰掛け、弱弱しい笑みを見せて、それでも「大丈夫」と言い繋ぐ。
「大通りに面した宿があったわよね。用事が終わったらそこで落ち合いましょう」
「ああ、構わない」
 翠沙の言葉にはサウスも違和感を感じたのか、少々眉を寄せていたが。直ぐに頷き響希を見る。
 反対するのは自分ひとりというわけだ。
 元々は翠沙を慮っての言葉だったため、彼女が「構わない」と言うなら響希に否はない。納得はいかなかったものの、溜息をついてサウスから離れた。途端に笑顔となる彼が酷く憎らしい。
「じゃあ、明日までには戻る」
 もう何の未練も無いように、サウスは扉を開けて行ってしまった。
「あいつ、宝珠があるからって確認もしないで……」
 外に誰かいたらどうするんだと顔を顰めると、翠沙が笑う。
 振り返ると立ち上がって手を取られた。
「貴方が知りたいものは一体何?」
 深い、緑柱石の瞳。
 誰も踏み入ることの出来ない神域にあたる森の光を宿すその瞳で見つめられて。響希は一瞬にして全てのしがらみから解放されるような、奇妙な錯覚に陥った。
「私はきっと、貴方の知りたい全てを知っているわ」
 憐れみも嘲りも真摯さもない。
 ただ軽い笑みを含んだその瞳が、こちらの意識を攫っていく。
 そう言えば、李苑も時折そんな瞳でどこかを眺めていたと、思い出す。両親の訃報を聞いてから、時折。
 けれど響希はそんな思いも直ぐに消え去っていくことをどこかで感じながら……操られるように、口を開いた。