第五章 【二】

 ジュラウンが新たに張った結界を横目にしながらザーイは欄干にもたれかかり、首を回した。結構な疲れが溜まっているのか、体全体が固まってしまっているようだ。毎日休む暇も無いほど忙しく動き回っているために負荷は溜まる一方で。
 ザーイは溜息をつきたい気分で結界を見上げる。
 王宮自体を覆い護る、強固な結界とは別に張られた結界だ。それはさほど強度を必要とせず、ただ、近づこうとした者に「こちらには行きたくない」と思わせて遠ざける効果をもたらす結界だった。新たに張られた結界はジュラウンが主に暮らしている私宮を覆っている。
 本来なら私宮は後宮としての役割も果たす建物であるのだが、ジュラウンの代になってからは一度もそうした意味で使われた事は無い。
 元々王位とかけ離れ、次代の王たる候補として名前すら挙げられなかったジュラウンである。そんな彼が『宝珠に選ばれた者』としての価値だけを持って王位に就いた為、当然ながら敵は酷く多かった。
 辺境から王宮へと足を踏み入れただけで、その敵意は当時幼かったジュラウンを押し潰しかねない圧力を持っていただろうに。
 ――ようやくここまで来たのだ。今ここで彼を死なせてしまう訳にはいかない。
 疲れ切った表情の奥に固く決意を秘め、ザーイは剣呑な面持ちで私宮を見上げた。
 あらかじめ結界が張られると知っているザーイ以外には、新たな結界の存在など分からないに違いない。元々こういった結界などという宝珠に関わる類の物は、常人には分からないように出来ている。それでも感覚が鋭い者は何らかを感じるのかもしれないが、その条件に当てはまらないザーイには何も感じられなかった。
 何となく空気の密度が変わったかもしれない。
 それでもそれは元から知っていたからそう思うだけで、何も知らなかったらそんな事も考えないに違いない。
 ザーイですらそうなのだから、他の一般人たちには決して気付かれないだろう。
 私宮と公宮を繋ぐ渡廊で、ザーイは欄干に腕を乗せながら溜息を吐き出した。その脳裏には李苑の姿が過ぎり、彼女はジュラウンの事を決して許しはしないだろうなと顔を歪める。
 それでもジュラウンにはそれが必要なのだ。これから彼がイフリートの王として長く君臨していく為に。その道が少しでも安全である為に。
 苦々しく舌打ちしそうになる自分に気が付いて、ザーイは眉を寄せた。
「閣下?」
 響いた声に、ザーイは弾かれるようにして振り返った。
 既に深夜で気温は零下にまで落ちている。分厚い外套を羽織ったザーイですら寒さを覚えるような中、公宮から顔を覗かせていたのは薄着の女官だった。
 このような時間帯にただの女官がジュラウンの私宮にいるような訳は何なのか。
 ザーイは怪訝に警戒を強めながら彼女が近づいてくるのを待ち、その顔に見覚えがあった事に軽く瞳を瞠らせた。
 李苑が外に出たいと我侭を通した時、彼女の身辺を見張らせていた女官――ファイナン。叔母の伝を頼って王宮へ入ったらしい彼女は同期に入った女官たちの中でも働き者で機転が利き、器量良しである為に常に人の噂に上っていたのだ。
 李苑の事を頼む際に、女官に知り合いなどいなかったザーイは念入りに彼女の背後関係や忠誠心、口の堅さなどを調べてから接触を図った。それ以来、李苑以外のことで全く接触を図る事の無かった彼女が突然目の前に現れた事にザーイは眉を寄せた。
 そう言えば李苑を神殿に招待してから後の事をファイナンに告げていなかったなと思い出し、もしかして王宮から突然姿を消した李苑の事を彼女は探っていたのではないかと思い至る。彼女の性格からして考えられそうな事だった。
 昼間の王宮を闊歩している時はしっかりと纏め上げられている黄金の髪が、今はふわりと肩に落ちて静かな煌きを宿している。髪に宿る艶めいた光と剥き出しの白い肌に、ザーイはスッと瞳を細めた。
「人の気配がしたものですから……声をお掛けしました事、お詫び致します」
 不機嫌さを漂わせるザーイの雰囲気に気付いたのか、ファイナンは少しだけ慌てたように頭を垂れた。そしてこの場を直ぐに離れた方がいいのか迷うような素振りを見せた彼女に、ザーイは微かに微笑みを作って安堵させた。ファイナンの顔には微かな好奇心が煌いている。ザーイがこの場所で何をしているのか興味を持ったのだろう。
 ザーイは自分の肩から外套を取り外した。
「その薄着で部屋まで戻るのは寒いだろう? 返さなくていいから持って行け」
「けれど」
「構わない」
 ファイナンの瞳が驚きに見開かれたが、ザーイは無頓着に外套を彼女の肩に被せた。そして僅かに顔を近づけた合間を縫って「貴方に課せられた使命を解く。以降は通常の業務に戻り、これまでの事は秘匿する事」と囁き告げる。
 離れた後は微笑みを崩さぬまま、驚いた顔で見上げるファイナンの肩を叩く。
 李苑とは全く違う、大人びて落ち着いた美しい顔。男には困らないに違いない。
 ザーイはまだ戸惑う様子を見せるファイナンの肩を軽く押し、退出を促す。言葉など無くても優秀なこの女官には伝わるに違いない。
 案の定、ファイナンは少しだけ唇を引き結んで胸中で先程の言葉を繰り返し、ザーイに一礼をすると立ち去った。振り返ることもなく公宮へと入っていく。
 ザーイは彼女と外套が視界から消えて遠ざかる充分な時間を見計らって、盛大な溜息をついた。渡廊の欄干に背中をつけながら腕組みをし、瞳を細めて剣呑な声を上げる。
「――盗み見は趣味が悪いんじゃないですか、セリシア皇女」
 敵意すら感じさせるザーイの硬い声は、軽やかな笑い声によって掻き消された。
 ファイナンが宮の中へ姿を消したのに対し、笑い声は公宮外の庭園から聞こえてきた。
 チラリとザーイが視線を向けると、その先からファイナンよりも圧倒的な存在感と美を備えて艶めいた女性が現れる。
 女性としては少々背が高いが、その美貌は周囲を抜き出て誰をも虜にする――そんな魔性めいた女性としての華を持つ彼女はイフリート国の第二皇女、エイ=イフリート=セリシアである。
 呆れを含むザーイの視線に堪えた様子もなく、供もつけない彼女は微笑みながら近寄って来る。セリシアの肩からは薄手の外套が掛けられていて、ザーイは更に苦い顔をするのだ。
「このような時間まで外で一体何を? 供もつけずに王の私宮まで出向くのは無用心ではありませんか。間者との嫌疑をかけられても反論できませんよ」
「その時には貴方と共にいたと証言するからいいのよ」
「私を巻き込まないで下さい」
 反省する様子は微塵も無いセリシアに、ザーイは苦笑しながら手を伸ばした。セリシアは微笑むと大きな手をザーイに重ねる。
 渡廊の外から中へと、欄干を軽く越えて位置を変えた。
「貴方の方こそここで何をしていらしたの? このように中途半端な位置で待ち合わせでもしていらっしゃるのかしら。先程の女官がそうかと思いましたが、違うようでしたね」
「貴女がこちらを窺っている事が分かっていましたから」
「あら、では私がいなかったら抱き寄せていたとでも言うつもりなのかしら」
 咎めるような口調だったが本気ではない。セリシアは軽い笑い声を上げながら悪戯めいた光を浮かべてザーイを覗き込む。
 ザーイは苦笑し、セリシアは背筋を伸ばすと空を眺めるようにしながら瞳を細めた。夜風が冷たくザーイは微かに顔を顰める。
「私の小さな姫はお元気? 最近は声が聞こえて来ませんの」
 ザーイは手を離したのだが、セリシアはその手をザーイの頬に滑らせた。空へ向けていた視線もザーイへと向けられ、大きな手が彼の頬を包む。
 セリシアは長身であるため手の平も大きいが、その手は他の王族と同じで非常に綺麗で滑らかだ。比べようと意図した訳ではないが、剣を扱う李苑の手を脳裏に浮かべたザーイは半眼を伏せる。頬から唇に移動しようとしたその指を掴んで明るい微笑みを作る。
「ペリメーゼ皇女は貴女と違ってとても貞淑な姫ですから。今も王のお渡りを厳粛にお待ちしておりますよ」
 揶揄するような口調であったが、ザーイの瞳にも先程のセリシアと同じように悪戯めいた光が浮かんでいた。間近で見られたそんな変化にセリシアは声を上げて笑い出す。
 ザーイはセリシアから視線を外して私宮へ移した。ジュラウンがいる方向である。
 気付いたセリシアもその視線を追いかけ、私宮へと視線を向ける。
 年齢はセリシアの方が上であるが、彼女はその豪胆な性格と長身から、ザーイと二人並んだ時には歳近い兄弟のようだと微笑ましく囁かれていた。
「まるで私は娼婦のような言い様ね。仮にも皇女に向かって酷いのではなくて?」
「とんでもない。ここは冷えますから貴女のお部屋にお招き頂こうかと考えていた私がそのような事を思うはず無いじゃありませんか」
 おどけるように驚いた口調を装うザーイにセリシアは笑い、再度楽しそうに彼を見る。
「あら、最近は王の私宮に奥方を囲ったと専らの噂ですのに。私にかまけて不興をお買いになったら如何なさるのかしら」
 ザーイは嫌そうに顔を顰めた。
 今でこそ笑い話とされ誰も本気にしていない噂であったが、一時は誰もが本気にしたのだ。何故ならその話を流したのは国の最高権力者にあたるジュラウン王であるのだから。
 王宮で人とすれ違う度に何度囁きを交わされた事か。その度に訂正して回った苦い過去は新しい記憶である。
 ――やはり後でもう一度きつく絞めておくべきか。
 相手は王であるが、ザーイは本気でそう思って眉を寄せた。不穏な発言は胸中だけにとどめてセリシアへと微笑みを向ける。
「誤解ですと、何度申し上げたら信じて頂けるのですか」
「さぁ。男の言葉ほど信じられぬ物は無いと、教えて頂けたのは貴方からだったような気がしますけどね」
 セリシアは軽く笑って、エスコートするように歩き出すザーイの腕に手を預けた。彼女はこの私宮から自分を離したがっているザーイの意図に気付いているのかいないのか、黙ってザーイと歩き出す。
 静かな夜だった。
 普段は警備兵たちの見廻りに出くわす事が頻繁に起きるのだが、今はそれが一度も無い。その明かりも今夜は見えない。
 昼間は砂に潜っている虫たちが顔を出し、静かな旋律を奏でている。虫たちが放つ微かな光により、視界に映る庭園の地面は仄かな光を湛えていた。
 私宮から大きく外れ、外廊下まで歩いたザーイは表情を改めた。セリシアが突然腕を放した為である。
 近くには誰の気配もなく、女官たちの居住区からも遠く、ここには神官や高官たちの耳も届かない。王の結界に護られた一直線の外廊下であり、誰かが通れば直ぐに分かるその場所には、今自分たち以外の姿は何も無い。
 腕を外したセリシアを、ザーイは振り返った。
「報われない人ね、貴方も」
 突然の言葉にザーイは首を傾げた。
「王はもう成人の儀を終えて久しいでしょうに、一向に次代に興味を見せない。十公は誰もがやきもちしているし、私たちだって。ペリメーゼを降家させてまで繋がりを保とうと必死でいるのに」
 立ち止まったセリシアに合わせるように、ザーイも足を止めた。セリシアの腰に回していた腕を外し、油断なく周囲に警戒を配りながら壁に背中をつける。
 そこは以前、国葬の為に李苑やファイナンが必死で磨き上げた壁であるが、今のザーイにそんな事は知るよしも無い。セリシアが何を言いたいのか分かりながら口を挟まず、ただ黙って耳を傾けていた。
「一向に訪れない王に業を煮やして、私たち王族や十公はもう一度縁組を考えようとしている。今の権力勢を考慮に入れて、その地位を覆そうとも。それを繋ぎ止めているのが貴方一人ですものね」
 王の結界内から遠くへと、国葬が行われた神殿を眺めるように瞳を細めていたセリシアは視線を再びザーイに向けた。
 誰よりも抜きん出た知性で前王の寵愛を勝ち取った第二王妃の一の皇女、セリシア。彼女には、今は亡きエイ=イフリート=ターニャの知性がそのまま受け継がれているようだった。
「私たちに興味を見せない王に代わり、貴方は上手く関心を引き寄せている。私たちが王を見限らないように」
 ザーイは苦笑した。
「貴方がたの助力を失っては困りますから」
「だから損な役回りだわと言っているのよ」
 藍色の瞳を少しだけ翳らせて、セリシアは見つめた。ザーイに近寄り覗き込むように。まるでセリシアがザーイに迫っているように見える構図である。この廊下は人が来れば直ぐに分かるような造りになっているが、聴覚と違って視覚は騙せない。曲がってきた者が突然その状況を見たらどう思うだろう。ルクト=ザーイ宰相は女好きの遊び人という認識がまかり通っている王宮ではあるが、その相手が王位継承権を持つ皇女の一人であるというのは流石に噂にしたくない話題である。
 けれどザーイはセリシアから離れる事も目を逸らす事もなく、その状況を受け入れていた。
「貴方が王宮に姿を見せなくなってから久しく――先程の噂ばかりが耳に入るようになりましたけれど、その後に出てきた貴方は楽しそうでしたわよ? 私たちが聞いた事もない乱暴な言葉が聞こえる事もしばしばでしたけれど」
 その言葉にザーイは顔を顰めた。セリシアが指しているのは李苑との会話の事だろう。私宮に居た頃は結界で会話が漏れぬようになっていたが、使用人として外へ出していた頃は阻むものが無かった為、彼女との会話は王宮に響いていたのだ。それでも、会話は慎重に選んだものにしていたのだが。悪意のない李苑の率直さと怒鳴り声に知らず振り回されていたらしい。
 思い出すようにザーイは瞳を細めた。
「そうであったと思ったら、突然『宝珠の巫女』ですもの。とんでもない隠し玉ですわよね」
 真剣に、けれどどこか笑いを含んだ声は直ぐにまた塗り変えられた。
「王は文献を実行に移そうとしているのね」
 ザーイから視線を外し、セリシアの視線はジュラウンの私宮へと向けられた。その瞳が含む意味にザーイの表情は翳る。
 私宮では現在、ジュラウンにとっては必然であるが李苑にとっては好ましくない事態が展開されている筈だ。
「確かにそれが一番手早い方法なのでしょう。イフリートは今までも何度かその方法に縋ってきたと伝えられております。宝珠管理者の身が危うくなる時現れる宝珠の巫女に……それだけで、巫女はイフリートの為に現れるのだと信じた者も居たようですが」
「――それは間違いではありません」
 長らく現れなかった宝珠の巫女が現れたと知った時、ジュラウンもザーイも「やはり」と確信したのだ。
 王であるジュラウンは、このまま行けば殺される存在であったけれど宝珠の巫女が現れ、その機会を延ばして来た。まるで巫女が「死ぬな」と言っているかのように。過去のイフリート王もそうやって生き延び、宝珠の巫女はイフリート歴にたびたび存在し続けてきたのだった。
 今回も、また。
 目の前に手早い方法があるのに、遠回りする方法を模索するなど誰がするだろうか。ジュラウンもザーイも、宝珠の巫女はイフリートと共にあるべきなのだと、軽い落胆のような諦めと共に納得したのだから。
「私たち――ジュラウンを追い詰め過ぎたのかもしれませんわね」
「貴女がそう思っていただければ、王の心労も少しは報われますね。何しろ今までが今まででしたから」
 本気でそう思っているのか、ザーイは自分でも良く分からぬまま笑って肩を竦めて見せた。セリシアの不満げな視線が寄越される。
「私は今まで巫女を目にした事はありません」
「誰だってそうではないでしょうか」
 唇を尖らせたセリシアにザーイは苦笑を零す。巫女の存在は文献に残るだけになって久しく、巫女は古に栄えた都市「ジャンターク」の滅亡以来、存在を絶えさせた。それまでにも巫女の不在は幾つかあったが、これほど長い不在は初めてで。もしかしたら巫女はジャンタークと共に滅んだのではないかと誰もが思っていた。そうして巫女に頼らない自治を手に入れ、文明を築き、今まで来た。
 ――けれど。
「リオン、と言いましたか」
「セリシア皇女」
 ザーイは咎めるように剣呑な声を出したが彼女は引かなかった。真っ直ぐにザーイを見つめて不愉快に顎を反らす。
「納得いきませんわ。何故ジュラウンがあの少女を得るべく天は動くのでしょう」
「巫女は王と共にある存在だと、王家の文献にも記されていた筈ですが」
 強められた声にもセリシアは動じない。更にきつくなった眦をザーイに向け、苛立つような声を出すだけだ。
「誰が決めましたの。イフリートの書庫には確かに世界中の知識が詰まっておりますが、正確にそれをなぞるだけの歴史など何が楽しいのです。欲しければ奪えばいいのです、ザーイ」
 胸元に指を突きつけられ、怒ったように睨まれ、ザーイは言葉に詰まった。
「――セリシア皇女は何か勘違いをされているようです。私は王の一臣下。巫女に心を注ぐのも、巫女が王に有益を与えるという判断の元にしかない」
 ザーイは言い切ったが、その心には重い鉛が生まれて沈んでいくようだった。
 セリシアを見返す瞳に力を込めなければ崩れてしまいそうな自分を感じ、ザーイは驚くのだ。突然湧いた存在に理性を乱される日が来るとは思ってもみなかった。
 動揺する自分を悟られぬように藍色の瞳を見返していると、セリシアは表情を翳らせた。それが更にザーイの心を波立たせる。
「――そうですか」
 もう追及はしないようで、セリシアは静かに頷くとザーイの腕を取った。硬い頬に口付けを贈る。
「では今夜は、私の相手をして下さいな。王の宮前で一人、警備に勤めるのはあまりにも不憫に思えましたからね」
「それは光栄です、セリシア」
 セリシアの手を取り、その甲に口付けてザーイは微笑んだ。あの場にいたのは、別段ジュラウンに命じられたからという訳ではなかった。自室に戻ってただ眠り、朝を迎えていればいい筈だった。王の宮には侵入者を拒むように結界が張られていたし、警備などする必要も無いのだ。それでも何故か落ち着かなくて、あの場に佇んでいたに過ぎない。
 朝が来ればジュラウンの王位は確定され、隣には李苑が宝珠の巫女として立つ事になる。それまでの長い時間を、意識を消す睡眠という手段で消してしまうのが躊躇われただけ。
 ザーイは再びセリシアの腰に手を回すと歩き出す。彼女が纏う外套が軽く夜風になびき、冷たい風が肌を滑って体温を奪っていく。
 二人は終始無言で王の私宮とは正反対の、皇族たちの居住区へと向かう。この後に待つ事柄を面倒に思いながらも助かったと思う自分もいて、ザーイは憮然としながらセリシアの私室へと進んでいく。
 けれど、ザーイがセリシアの私室まで辿り着く事は無かった。
 外廊下を抜けた、城下町に程近い廊下で呼び止められたのだ。それは、通信や手紙をやり取りする外交担当の男だった。
 朝を待ってからまとめて城に運ばれるのが通例であったが、それだけは緊急を通して届いたらしい。その男が何を担当しているのか知っていたザーイは一目で顔を顰め、「こんな所にまで仕事かよ」とうんざりとし。
 セリシアの前だったが守秘情報制限は掛けられていなかったので、更には仕事をするのが億劫な気分だったので、適当に返事をしてやろうという気分で開いたザーイだったが直ぐに表情を改めた。横からそれを見ていたセリシアの瞳も見開かれていき、それを横目で確認したザーイの表情は剣呑となり舌打ちする。
 彼女に問わせる暇を与えず謝罪し、その頬にキスを贈り、外交担当が唖然とした目を向ける中でザーイは走り出した。