第六章 【二】

 爆ぜた炎の明るさに顔を顰めた。揺れる炎は響希に影を落とし、眩さに何度か瞳を瞬かせる。眉間の皺は深かった。
 セフダニア城で翠沙の居場所を聞き出そうとしたのだが、その行為は失敗に終わった。
 剣を突きつけた調査員たちは誰も戦闘力に欠けるひ弱な者達ばかりだったが、口の堅さは一流だった。手こずっている間に武装兵たちが駆けつけて来てしまい、流石に不利を悟って退却せざるを得なかったのだ。
 窓を破って二階から飛び降り、庭で待ち構えていた者達を振り払って森に逃げ込んだのだが追っ手が放たれる。直ぐに手が打たれたらしくて城の警備は固くなり、再び城内へ戻る事は困難だと諦めた。
 見回りの兵を拉致して聞き出そうとも考えたが、一人で巡回するような真似はさせていないらしい。二人や三人ならまだ響希も考えたが、流石に三人四人固まって巡回されれば隙も見出せない。諦めて城を離れたのだ。
 聞き出すことは出来なかったが、それでも目星はついていた。連れて行かれるのは、どこかにある評議会の本拠だろう。問題はそこまでどうやって行けばいいのか、という事だ。資金はあるが地図がない。地図があっても見方が分からない。自分がセフダニアのどの辺りにいるのかも分からず、森伝いに歩いて結界を出て。
 結界を一歩出た所で乾いた地を選び、休憩を取っていた所だった。
「……しっかし、読めねぇな……」
 溜息をつきながら本を地面に投げる。古い装丁がされているそれは脆く、簡単に解けようとしたが構わなかった。研究員が見たら青ざめる狼藉だろうが、響希にとってはただのガラクタなのだ。固い表紙の中に書類を挟み、炎の明かりに照らす。
 城から離れる前に再度書庫へと潜り込み、何冊か手当り次第に袋に詰めたモノだ。
 王族しか見ることが許されないというその本を見れば色々分かるのではないかと思っていたのだが、中身は難しく崩された漢字が敷き詰められていて。読解しようとしていた響希は眉を寄せて投げ出す。
「紙とペンが欲しい」
 適当に折った枝で先程から地面に書き、何とか理解しようとしていたのだが一ページも進んでいない。この時ばかりは李苑が傍に居ない事を恨めしく思ったりした。
 目元を揉みほぐし、荷物を袋の中に詰めて枕代わり。火を調節しながら横になった。
 結界が奏でる音だろうか。風鈴が揺れて奏でるような、高い微かな音が聞こえてくる。枝に邪魔されて空は見えない。集中すると枝の間から僅かな光が見えるが、そこまで集中して見たいものでもない。仰向けに転がって剣を右手に握り締め脇に寄せて瞳を閉ざす。瞳の奥が酷く痛んだ気がした。
 イフリートへ行き李苑を回収する予定だった。翠沙もそれに賛同し計画は順調に進んでいたはずだったのに途中からおかしくなった。
 セフダニアに近づくに連れて雰囲気を違え、考え込む事も多くなった。昔から自分の考えを外に出さない彼女であるが、最近は増して寄せ付けない。時折意味があるのか分からない質問まで増えて、まるで何かに踏ん切りをつけようとしているようで。
 響希は瞳を閉じながら脳裏にランルの言葉を思い出していた。
 この世界に巫女の存在を最後に確認したのは、本当に古い文献からのみ。以前ランルから一万年以上前という事を聞いてもいたが、話半分で。誇大話だろうと信じてはいなくて。それを知ったからと言ってどうなる訳でもないが、ふと興味が湧いて書物になど手を出そうとして。
 もしかしたらそれが翠沙を遠ざける結果になったのかもしれないなと、寝転がりながら思った。
 長い時間を翠沙はどうやって生きてきたのだろう。こちら側の世界から日本へと住み着いたのはどういう理由でなのだろう。彼女が自分に近づいたのは宝珠があった為か。そして李苑に近づいたのも、こちらの世界と関わりがあるからと知っていたからなのかと。そんな事を思い、信用されていないのかと悔しく思うのだ。
 脳裏に翠沙の姿が浮かぶ。
 遠目にも分かる、落ち込んで思いつめたような瞳。自分とは別の場所を見ているその瞳に映るのは何なのか。
 響希は胸の中に理由の分からない焦燥が浮かんできた気がして顔を顰める。
 李苑にはさっさと馬鹿呑気に翠沙の傍に居てもらわないと、と結構酷い事を本気で思いながら。響希はいつの間にか眠りへと引き込まれていった。
 宝珠の干渉を失った炎は次第に小さくなり消える。
 微かに薪が崩れ、その場には静寂のみ。響希はふと微かな気配を感じた気がして意識を浮上させた。
 薄く視界を開けば、篝火の焚かれたセフダニア城が窺える。反対へと視線を移せば果ての無い荒野が広がっている。そして、森と荒野の境界線を辿っていくと、ガラディアとの国境である大河が映り込む。
 警戒心は怠らず、決して深い眠りには引き込まれずに、常に意識を浮上させて浅い眠りを繰り返す。今まで培ってきた得意技である。
 薄い意識の中で、夜明け少し前にはここを出発しようと決め、それでも時折深い眠りの中へと落ちかけて慌てて戻し。先程から変わらず少し遠くで窺っているような気配に意識を向ける。
 セフダニアの誰かかと思ったが、追っ手では無いようだ。響希が本当に眠っているのかどうか窺うような気配を漂わせながら、現れた気配はその場所から動かない。害が無いならそのまま放っておいても平気かと微睡みながら、弛緩させて体力回復へと意識を努める。
 深夜を回り、遠く映る城の篝火も絶やされて来た頃である。
 響希はゆっくりと荷物に手を掛け、その下に置いてある剣の柄へと手を掛ける。遠くから窺っている人物には寝返りを打ったとしか見えないような動作で剣を掴む。
 気配が一つ、動いた。
 瞳を閉ざしたままそれを読んだ響希は、相手が充分な距離近づくのを待って――静から動へと一瞬で切り替えた。
 瞳を開くと、目の前に迫る剣が映る。結構な素早さで飛びかかってきていた男の剣は鋭い力で振り下ろされたが響希は避けて、起きざまに鳩尾へと柄を繰り出すと簡単に決まる。
 あっけない、と思った響希だったが直ぐにその表情は再び強張った。
 いつの間に現われていたのか、周囲は小さな子供たちで取り囲まれていた。気配も感じさせずに響希を輪の中に封じ、最初の男が倒れた事を知ると一斉に飛びかかってくる。
「ちっ」
 最初の動揺からは直ぐに立ち直り、響希は呻いた男の胸倉を掴み上げて盾とする。立ち上がり、どんな力が込められているのか男の足は地面から微かに浮かび。
「殺されたいか?」
 険を含ませて子供たちを睨むとその足並みが鈍って止まった。どうやらこの男は人質の価値がありそうである。
 響希は僅かに笑みを洩らし、掴む手をそのままに視線を子供たちから男へと移す。既に男の意識は戻っていて、その表情は非常に悔しそうである。
 ニヤリと口の端を歪めさせて、響希は再び視線を周囲へと散らす。
 周囲にはガラディアで見たエリオスよりも少し大きいくらいの子供たちしかいない。その瞳に浮かぶのは失敗を悟った時の悔し涙なのか、響希の手に命を握られた男への心配の涙なのか。
 感心した事に誰も戦意は失わず、ただ唇を引き結んで響希を睨むだけだ。幼い外見に似合わず皆、意志はシッカリとしているらしい。
 さてこの者達をどうするかなと思っていた響希だったが、子供たちからそんな視線を向けられて馬鹿らしくなる。男を持ち上げていた手を放すと目の前で尻餅をつき、解放された男は怪訝な視線を響希に向ける。
「殺されたくなかったらさっさと俺の前から消えるんだな」
 響希は剣を腰に下げ、冷ややかな声音でそう告げた。男の瞳が見開かれる。
 唖然としたその様子を視界の端に認めながら響希が踵を返すと子供たちが走り寄ってきた。響希を避けて、男のもとへと。余程人望があるらしい。
「ちょ、ちょっと待て!」
 今夜の野営は失敗。まだ大分時間は早いが、人がいる集落へでも急ごうか。
 そう思っていた響希は呼び止められて振り返った。本当は無視して行きたかったのだが、背中に縋られてはそうもいかない。鬱陶しくて振り払った。
「見逃してやるって言ってるんだ。黙って去れ」
「そうは行くか!」
 男の形相は鬼気迫る必死さであったが、響希の荷物を奪おうとする技量は追いつかないようである。力任せに奪い取ろうとするその仕草に響希は顔を顰め、男の手をするりと抜けながら距離を取る。
 失敗した男が悔しそうに響希を睨みつけた。
「食料だけでもいいんだ。全部渡せとまでは言わないが、せめて……こいつらが食える分を」
「お前らの事など知った事か」
「あんたは鬼か!」
「褒め言葉だな」
 響希は薄く笑いながらその言葉を受け止めた。鬼と呼ばれる事こそ本望で、人の道など偉そうに説かれるいわれはなく、従う事も無く。自分が生き残る事こそが至上として生きてきたのだ。
 響希は父を思い出しながら目の前の男を眺め、その顔立ちが存外幼い事に内心で驚く。周囲を取り囲む子供たちとはどういう関係なのか、軽い好奇心が沸いてきたが口にする事は無かった。
 闇の中、切れそうに鋭い痛みを抱えながら響希は笑う。父の事はいまだに胸の奥で燻っている。
「――死にたい奴からかかって来いよ」
 剣を外して鞘で挑発してやる。男は不機嫌に顎に力を込めたかに見えたが、それよりも響希は別の事に眉を寄せた。周囲を囲んでいる子供たちの目の色が変わった気がしたのだ。
 小さな体から放たれる威圧感に響希は顔を顰め、腰を低く落として剣を構える。抜き身である。
 声も無く、子供たちは殺気を撒き散らして地を蹴って。
「待てお前ら!」
 男の焦るような声が響いたが聞き入れる子供は誰もいない。
「やめろ!」
 悲痛な声が耳を打つ。だけれど聞き入れる者はいない。
 端から見れば九死に立たされているのは響希である。子供たちは小さくても数があり、その手には明らかに使用目的が違うと思われる小振りの包丁が握られていて。円の中に取り込まれて一斉に襲い掛かられ、響希であろうと無傷でいられる訳がない。
 頼りなく細い手足で襲い掛かってくる子供たちに響希は息を吸い込み、剣を握る手に力を込めた。
 武器を持たない者に向ける剣は無いが、武器を持っているなら話は別だ。武器を手にしているならそれは子供でも戦う意志があるという事。手加減などしていられない。
 まずは背後の一角が辿り着く前に、こちらから仕掛けて前の一角を切り崩し、そしてタイミングをずらしながら各個撃破していこうと足を踏み出した響希は、目の前に迫った男に目を瞠った。
 先にこいつが来るか、と応戦しようとした響希であるが、男の目的はどうやら違うようだった。
 泣きそうに脆い表情を見せて響希に背中を向け、そして響希よりも余程必死の形相で子供たちを叩き伏せていく。
「な……っ?」
 子供であろうと容赦するつもりは全くない響希であったが、流石に目の前で繰り広げられた光景には絶句した。思わず動きを止めて佇みその様子を見つめてしまう。子供たちは戦い方を教わっているとは思えない程に容易く、男の一撃に沈められていった。
 子供たちはと言えば、男の突然の凶行に混乱する事もなく、ただひたすら響希を目指して進んでくる。こちらの表情も必死であるが、子供たちは響希に辿り着く前に男の攻撃に気を失っていくのだ。
 しばし唖然とその様を見ていた響希だが、背後から襲い掛かって来ようとする子供の気配にハッとして剣を構えた。気付いた男が怒鳴り声を上げて回りこんでくる。
「やめろって言ってるだろうが!」
 響希ではなく、斬りかかろうとしていた子供の方を、体当たりで突き飛ばす。体格が違いすぎる男の体当たりをまともに食らって、子供は地面に倒れたまま気を失う。
 気付いてみれば全ての子供たちが地面に倒れていた。
 男は立っているのがやっとのように両膝に手をつき、屈み込むようにして荒い呼吸を繰り返している。
 しばらくその現状を理解しようとしていた響希であるが、再び剣を収めると踵を返した。
 何も聞かずに離れた方が得策である。これ以上の面倒ごとに関わりたくなどない。
 今度こそ離れようと歩き出し、けれど、三度。止められた。
「頼むから――」
 掠れた声で男が懇願する。響希の腕を掴み、汗に塗れた顔を上げ、まるで泣いているような表情で。
「行かないで、くれ……」
 ずるずると男はしゃがみ込むと、力尽きたように地面に倒れた。男の手はしっかりと響希の裾を握り締めている。未練などなく去ろうとしていた響希は、男のその手に眉を寄せた。
 倒れた男の後頭部と、周囲に転がる子供たちを見比べて溜息をつく。
「……厄日だ」
 この世界にそんな物が存在するかは分からなかったが、ひとまず響希はそう呟いて。たった今倒れたばかりである男の後頭部を、遠慮なく足蹴にして起こしにかかった。