第六章 【四】

 クーリュエンと名乗った男の後をついていくと程なく城下町が現れた。
 サウスを取り戻す為、ランルと共に走った町である。人々が消えた町並みを不審に思いながら走りすぎた記憶は、まだ新しく鮮明に覚えている。あの時はセフダニア城へと入る事にばかり気が向いていて周囲を見渡す余裕も無かったが、今見る町並みは以前よりもくすんで見えた。触れたら端から崩れていきそうだ。時折強く吹き付ける風に砂が舞い上がり、店の看板も傾き、至る所の窓ガラスが割れていた。割れた窓から覗く建物の中はそのままの形を残していたが、白く積もる埃が時間を感じさせた。
 クーリュエンは昇る朝日を眩しく見上げた後に振り返って響希を確認する。見落としてしまいそうな細い路地へと体を滑らせた彼に続き、響希もまた足を踏み入れた。そこにはまだ昨夜の冷気が潜んでいて、大通りとは隔絶されたような雰囲気を保っている。
 冷たさを宿す壁に触れ、人が一人通るのが精一杯のような狭い路地をひたすら歩く。クーリュエンの背が意外に高いお陰で前方は見通しが悪い。どこまで続いているのか、路地は結構な長さである。
 時折クーリュエンの腹の音が響き渡り、緊張感などとうに消えていた。
「……おい」
 響希はクーリュエンを振り返らせると瓶を投げた。
「え?」
 彼が振り返るよりも前に瓶を投げていた為、彼の反射神経が鈍かったら額に当たって割れていただろう。けれどクーリュエンは先程の戦闘で見せた結構な素早さで瓶を手で掴む。不思議そうに手の中の瓶を見下ろす彼に、響希は複雑に笑った。
「先払いにしておいてやろう。腹の音を止めないと、次はお前を蹴り飛ばしそうだ」
 響希が渡した瓶の中には栄養剤が入っている。ガラディアを出る時、サウスが選んできた物だ。こちらの世界にもそういう技術はあるのだなと何だか不思議な気分になった事を思い出す。
 本当は携帯保存食も用意していたのだが、そちらは生憎翠沙とサウスの荷物へと詰め込まれている。現在響希の手元に残っているのは僅かな栄養剤のみで、早く集落へ行かなければ餓死するのは響希も同じだった。
 瓶の中に何が入っているのか悟ると、クーリュエンは素直に喜色を浮かべて瓶を開けた。なんの面白味も味気もない錠剤であるが無いよりマシである。クーリュエンはあっと言う間に瓶を空にした。
「あ……悪い」
「いいや?」
 よほど切羽詰まっていたのだろう。クーリュエンは全て食べ終わった後で空にしてしまった事に気付き、心底申し訳ないように謝って来たが響希は笑った。実は自分の分は別に取ってあるのだ。けれど響希は真実を伏せたまま笑って「構わない」と告げた。着せる借りは多いほうがいい。
「どこまで行くんだ?」
「直ぐだ。この路地を抜けたらもう」
 言っている間に路地を抜けた。
 セフダニア城門から続く大通りとは全く違った光景に、響希は双眸を瞠らせて眺め渡した。
 華やかな大通りと比べれはその場所は、まるでスラム街のようで。こちらの世界にこのような格差があることに驚いた。
 それともこれは、サイが王位に就いた為に及んだ弊害なのだろうか。以前のセフダニアを知らない響希には見当もつかないが、ガラディアにこのような場所は無いだろうなとランルを思い出しながらそう思った。
 薄い皮で張られたテントがそこかしこにあり、それすら節約するように壁へと寄せている場所が沢山あった。最初は、露店でも開かれていたのだろうかと思ったのだが、良く観察してみれば天幕の下には生活環境が整えられていた。
 路地を抜けた直ぐ目の前には壊れかけた噴水が僅かな水を噴き上げているが、それは溜まる事なく亀裂へと吸い込まれてしまう。苔生した底を湿らせる程度の噴水に意味などあるのだろうか。常ならば子供たちの遊び場となっているであろう広場を、瞳を細めて眺めながら響希はそう思った。
「俺の住処はこっちだ」
 懐かしんでいたのか何なのか、響希と一緒になって眺めていたクーリュエンは振り返って促した。太陽の光が眩しいのか、振り返ったクーリュエンは額に手を翳して瞳を細めている。
 白日のもと、彼の細い手足は黒々と染められている。教科書に載っているような『黒人』よりも余程黒い。黒人が自然に焼けているのに対し、彼の肌は正常な黒とは思えない。触れたら嫌な音を立てて手がのめり込んでいきそうだ。腐っているのではないかと思うような黒。
「ここが、俺と姉貴の家」
 周囲の天幕にも幾つか生活環境が整えられている場所はあったが、誰も住んでいないように思えた。宝珠の暴走で住民が消えた時、やはりこの場所に住んでいた者達も一緒に消えてしまったのだろう。けれど何故クーリュエンだけは滅びを迎えなかったのか。
 先程の広場からさほど離れていない場所で、クーリュエンは壁を指差した。
 他の天幕より僅かながら厚い皮が張られ、地面には汚れた敷物が敷いてある。奥に並べられているのは布団らしく、響希はあのように薄っぺらいシーツ一枚で地面の肩さが消せるのだろうかと首を傾げた。
「こんな所に住んでいるのか?」
「ああ」
「――王の代替わりが行われる前からか?」
 一つ目の質問には即答して笑ったクーリュエンだったが、次の質問には表情を強張らせた。
 黙したまま奥へと入り、響希も後に続く。仰ぐと天幕は太陽の光に透けて見えて、この場面だけを見ると遊牧民の住居へと案内されたかのような錯覚を起こしそうだ。
 瞳を細めて天幕を見上げ、奥へと入ったクーリュエンへ視線を移す。彼が向かう先には小さな祭壇が見出せて、なんだろうかと足を向ける。
「ただいま、姉貴。客人だぜ」
 姉も生きているのかと思ったが、クーリュエンは祭壇に話しかけているように思えた。それならば位牌にでも話しかけているのだろうかと、覗き込もうとした響希は、先にクーリュエンが振り返ったことでそれをやめた。
 クーリュエンは直ぐに響希のもとへと戻ってきたが、違うのはその腕に細長い布の塊を抱えていた事だ。その見た目や彼の仕草から、響希はその中に何が入っているのか嫌な予感を抱きながら凝視した。
「情報料って言ったよな」
 クーリュエンは天幕の下の影の中で、唇だけで笑っているように見えた。
「これがその情報。どうやってこの国の奴らが滅んでいったのか、ここで起きた真実がここに」
 クーリュエンが抱えてきた塊は随分長い布で巻かれているらしい。包帯のような布をグルグルと巻き取りながら、彼はそれを響希に突き出した。響希は受け取らないままそれを見つめる。
 真っ白な布が一枚一枚剥がされていく。
 現れたのは、指。そして手の平。次に手首、腕、二の腕。
「なんだ。そんなに驚かねぇのな」
 慣れた様子で全ての布を巻き取り終えたクーリュエンは淡々と呟いて、それを響希の前に差し出した。
 人間の右腕だった。
 骨格や筋肉のつき方から女性の腕だろうかという事は推測できた。
 肩は無く、二の腕中央辺りから切り取られたような形の腕が目の前に晒されている。付け根の部分はクーリュエンに見出した黒のように、真っ黒く沈んでいる。
「これが姉貴。ここに住んでいた奴らは皆、こんな風に黒くなって消えてった」
 『姉貴』と呼び、黒く染まった腕の一点を指したクーリュエン。
 そちらを凝視すると、存在している黒い部分が僅か――本当に微々たる速度で灰のように崩れていた。
 眉を寄せてその部分に指を触れてみる。クーリュエンの驚愕する声が響いたが、響希は耳に入れなかった。
 血も流れず、腕だけを残して今尚それが消えようとしている。灰のように風に紛れ、どこかへと吹き飛ばされようとしている。指で拭い取った黒は僅かな痛みを響希にもたらしたが、その痛みは直ぐに消える。黒が残るのみだ。
 一体どういう事なのだろう、と首を傾げた響希は乱暴に手首を掴まれた。尋常ではない勢いでクーリュエンがそのまま響希を外へと引きずり出す。
「何だっ?」
「何だじゃねーよっ」
 苛立つ声と共に、響希は先程の噴水へと連れて行かれた。底を湿らせる苔に手を突っ込まされ、水温の冷たさに眉を寄せる。切られるような痛みが指に走る。
 そうかと思ったら直ぐに引っ張り出され、先程姉貴だという腕に触れた指を、クーリュエンは手で拭う。響希の指にこびりついていた黒はアッサリと消えた。
 その事を確認すると、クーリュエンはようやく安堵したように盛大な溜息を吐き出した。
「大げさな」
「大げさじゃねぇよ!」
 呆れると怒鳴られ、その勢いに少々面食らう。
「ちょっとした意趣返しのつもりで怖がらせるつもりだったのに全然怖がらねぇし、どころか触るし! 評議会の奴らなんて姉貴の指が見えただけで悲鳴上げて逃げてったんだぞ」
「軟弱者めが」
 響希は城で相対した数々の調査員たちを思い浮かべて忌々しく吐き出すと、クーリュエンは目を丸くした後に笑い出した。
「すげぇやキョウキ。最強だ」
 腹を抱えて笑い出すクーリュエンに響希は顔を顰め、とりあえずその後頭部を加減なく殴って先程の天幕に戻った。悲鳴を上げる彼は無視である。
 テントへと戻ると広げられた布の中に放り出された腕が響希を出迎え、他には何もない。消えたという住民は皆、こうして滅んでいったのか。
 イフリートへと向かう途中、セフダニアへ入ると告げた時、頑なにそれを拒んだ翠沙を思い出して複雑な気分に陥った。
 翠沙は一体どこまで知っていたのだろうか。自分に配慮が足りないという事は重々承知していたが、翠沙にも原因があるのだと憮然とする。話してくれなかったという事実が、信用されていないのだなと落ち込むに変化する気がして唇を引き結ぶ。苛立ちが溜まる。
 クーリュエンの姉だという者の右腕を最初と同じように布でくるむと、響希は祭壇へとそれを戻した。腕だけとなった者を恐れ厭う気持ちは湧かなかった。躊躇う事なく腕を掴み上げる。
 壊れかけた祭壇には紋様が描かれており、もしかしたらこちらにも宗教的な何かがあるのかもしれないなとボンヤリ思った。
「――俺は肝心な事を聞いていないような気がするんだが。結局、俺を襲って消えた子供たちの事はどう説明するんだ。そしてその体。夜には普通の人間と同じだったよな」
 背後から音も無く忍び寄ろうとしていたクーリュエンへ、響希は冷たく告げた。彼の気配を読むことなど簡単だ。
 細めた瞳をそちらに向けるとギクリとしたように足を止め、彼は苦笑めいた笑みを浮かべて肩を竦めると入ってくる。その足取りから緊張は取れていて、敷物の中央へと腰を落とす。響希は促される前にその場に胡坐をかき、目を丸くしたクーリュエンに再び笑われた。
「先払いした分の代価を貰おうか」
 不機嫌な顔で響希は促した。
 黒く染まった自分の肌に視線を落としたクーリュエンは溜息をつくように笑い、響希へと視線を合わせた。