第六章 【五】

「ハイロウト民族って、知ってるか?」
 先払いした情報料として語り始めたクーリュエンの言葉は、そんな声で始まった。
 知っているかと問われた響希は頷けない。何しろ彼女がこの世界について知り始めたのは最近である。しかし響希は「知らない」と答える事が妙に躊躇われ、口を開かず憮然としたままクーリュエンを見つめた。
 沈黙をどう理解したのかクーリュエンは笑う。
「キョウキが知らないのも無理はない。ハイロウト民族は元々、ここからずっと離れたイフリート圏で遊牧する民族だったんだ」
 響希は無言のままで話を促した。
「ハイロウト民族の何代目かの族長選出の時、俺の先祖は族長相続争いに敗れて追放された。数人ばかりを連れて放浪し始めたんだ。どうやら定住を求めようとしたらしいんだけど、長い間人里から離れてたせいか、どこ行っても爪弾きにされて居場所はない。長い時間かけて放浪し続け、ついにはここセフダニアで力尽きて――ここが、そいつが望んだ場所だったのかどうかは分からないけど、俺達は今、ここで定住してる。劣悪な環境でも、住めば都ってな」
 高い壁の向こう側にはセフダニアの者達が住んでいる。集落側の壁には窓もなく、ただ高い壁に空が切り取られて果てなく遠い。路地を一本過ぎれば華やかなメインストリートがあるけれど、誰から見向きもされず、存在すら忘れられているような、このような場所にしか住まう事を許されていない。そんな集落を示してクーリュエンは皮肉に笑った。
「ここに住んでる奴らは皆、そのハイロウト民族から分かれた末裔って事か?」
「まぁ、近い。皆が皆そうって訳じゃないが、そう思ってくれても構わない」
 訊ねた響希に、クーリュエンは少し考えてから頷いた。
 響希は視線を背後へと向け、陽光が徐々に動く様を見て取った。軽く眉を寄せる。
「テレス=セフダニア=エルレッド王」
 不思議な呪文に聞こえた言葉に響希は視線を戻した。
 先程まで快活な笑顔を浮かべていたクーリュエンから表情は消え、彼は天幕の影を見つめていた。響希もそちらへ視線を向けたが何もない。微かに黒ずんだ埃が溜まっているだけだった。
「王がサイ=セフダニア=スファーヤ王に代替わりしてから少しして、セフダニアの民たちはおかしくなっていった」
 表情を失くしたまま話すクーリュエンに、響希は眉を寄せた。
 響希の脳裏に浮かんだのは、サウスと同じ、湿った洞窟の奥深くで燃える炎を宿したような髪のサイ王の姿だった。兄を妬むあまりに正気を逸し、宝珠の暴走を引き起こした管理者だ。
 クーリュエンが洩らした”テレス=セフダニア=エルレッド王”が前王かと、響希は軽く瞼を伏せた。名前だけでは想像する事も出来ないが、サウスたちの父であるならやはり、その髪は同じ色を宿しているのだろう。
「王都では最初に噂が流れ始めた。郊外の結界付近に住んでいた者達が消えたという噂。何の確証もない噂だったけど、結界付近の、更に周囲に住む人達の怯えは本物みたいだった」
 ――宝珠の暴走はそのような噂話から始まった。
 誰もが知りたかった核心に迫る話に、響希は身を乗り出すようにしてクーリュエンを見つめた。彼の瞳には在りし日を思い出すかのような、望郷が宿っていた。
「テレス王が崩御されてから間もない頃だ。王都は活気を失って疲労してた。そこに噂が加われば不安にもなるだろう。少しでも不審な点があったり、怪しい素振りをする者があったら直ぐに通報された。誰もが疑心暗鬼になって怯えてた。ここも例外じゃない。城から派遣されてきた兵が二人、見張りに立つようになった。俺らが騒動を起こさないように、盗みなんかを働かないように」
 クーリュエンの言葉は最後だけ、憤りを込めるように吐き捨てられた。
 派遣された兵達とは折り合いがつかなかったのだろうと予想でき、響希は苦笑する。国として機能していたセフダニアを見てはいないが、サイが王だったというだけで状況が把握出来るような気がした。
「怪しい奴らは粗方排除され、それでも闇は晴れなかった。今考えたら被害妄想に囚われてたのかも」
 響希は片眉を上げた。
「人心は王を疑い始めたんだ」
 クーリュエンは一度言葉を切った。その表情は嫌悪感も露なもので、響希は軽く溜息をつく。何が起こったのか想像は容易い。
 響希は天野組を思い出した。
 天野組は世襲制であった為、地位が譲渡される事はない。それでも下克上を狙う身の程知らずや、新たな組を興そうと組員を揺さぶる者達が後を絶たない。組長の地位が直接揺るがされる訳では無かったが、組長の威厳や信望が無くなれば組員達は散っていく。
 ――サイ王の信望が揺らいだ時、彼はどうしたのだろうか。
「テレス王は特別賢帝っていう訳じゃなかった。それなりに純朴で思いやりがあって、王の器量は平凡並みだったけど、それは宝珠で補える種類の物だった。他の宝珠国はどうか知らないけど、テレス王は気さくに結界を開いて交易したり、積極的に他国と交流を持とうとしていた。けど、サイ王の時代になってから結界が開かれた事は一度もない。民達が怯えているのに、安心させるような言葉の一つもない。顔も見せない。これはもしかして、サイ王は宝珠を管理できていないんじゃないのかという疑問が湧いたんだ」
「暴動が起こったのか?」
「民達はサイ王に、姿を見せての情報開示を求めた。たぶん、もし何も情報開示されなくても、民達はサイ王の姿が見れれば納得したんだろうな。でもサイ王はガラディア王との交渉が忙しいの一点張りで、民の前に姿を見せる事は無かった」
「交渉?」
「テレス王はガラディアに殺されたという噂があったんだ。知らないか?」
 問われた響希は眉を寄せた。
 テレス王は息子のサイに殺されたのだ。彼が狂乱し、無理矢理に宝珠を奪い取り、他ならぬ父であるテレス王を殺した。家臣や将軍や、無抵抗の乳母達までも容赦なく殺して王座に君臨した。それなのに民達の間にはそのような噂が蔓延していたのかと、響希は歯噛みした。自分には関係ない事であるが、ガラディアに罪をなすりつけたと思えばフェアじゃない事に怒りが湧いた。
 響希は苦虫を噛み潰したように顔を顰め、胸底に燻る怒りを吐き出すようにゆっくりと呼気を繰り返した。拳を握り締めてクーリュエンを見つめる。
「それで。暴動が起こった後は」
「暴動は――続かなかった。一番初めに決起した奴らが王城に到着する前に、森の中で惨殺されたんだ。監視兵の仕業じゃなく、宝珠によるもので」
 響希はますます気分が悪くなった。
「大丈夫か?」
 舌打ちをした響希を気遣うように覗き込んで、クーリュエンが問いかける。
 響希は彼を一瞥するだけで答えなかった。無言で先を促す。
 クーリュエンは溜息を一つ落として先を続けた。
「決起した奴らが宝珠で殺された事を悟った皆は、国を捨てて逃げようとした。そこまで追い詰められて、でも」
「セフダニアには宝珠による結界がある。管理者の意志によって何者も通さない鉄壁の守りとなる――が、それが裏目に出たか」
 クーリュエンの台詞をもぎ取った響希は吐き捨てた。クーリュエンの瞳が丸くなる。
「で、逃げることが出来ないって悟った奴らはどうした。逆上して城に詰め掛けたか」
「……いや。サイ王が宝珠を扱える事は分かってたから、皆は引き篭もりさ。殺されるのを分かってて行く奴はいない」
「ふん。臆病者めが」
 響希は苛々と腕を組んで瞼を伏せた。瞼裏に浮かんだのはサウスとランルの姿。
 彼らは当時、セフダニアの現状を関知していたのだろうか。これだけ大事になっているのだから、知らない筈はないと思うのだが、こちらの世界に詳しくない響希は断定できない。
 響希は苦々しい想いを抱え、ふと思った。
 翠沙にはもしかして、当初から分かっていたのではないか。だからランルとサウスにあれ程厳しかったのではないか。今更であるがそう思い至る。
「それで――人が消えるっていう噂は、現実として王都の人間を飲み込んでいった」
 宝珠の暴走による消失。王都の人間にも、それはもはや疑いようが無くなった。サイ王は宝珠を管理できていないのだ――と。
 響希はひとまず脳裏からランルとサウスを締め出し、クーリュエンに意識を向ける。彼は昏い影を落として薄く笑っていた。怒りを押し殺した笑みに、響希は微かに双眸を瞠る。
「王都の中心から遠い者達から順々に、肌が黒く染まり出して。砂が零れるように崩れて、風に飛ばされるんだ。痛みはない。ただ、恐怖があるだけで。そんな最期を迎える者がこの集落にも出始めて――ついには俺だ」
 響希は視線をクーリュエンの衣服に向けた。その下は、彼自身で言った”黒く染まる肌”となっている筈だ。夜明けと共に見た黒い肌を思い出す。
 宝珠で消えた者達がそのような末路を辿ったなら、クーリュエンもまた――
「俺たちはハイロウト民族の血を引いてたから発現が遅かったのかもしれない。この集落を見張りに来てた監視兵が最初に滅んだ。でも俺らはまだ肌が黒く染まる現象も起こってなくて、ただ身の危険だけを感じて、やっと手に入れた定住の地だったけど、もう一度皆で逃げ出そうとしたんだ。でもやっぱり――結界が最期の壁でさ」
 低い呟きを零すクーリュエンには再び笑みが浮かんだ。先程の怒りは消え、代わりに脆い諦めを感じさせる。
 響希は外を振り返った。
 陽が当たる地面は強く光を帯びている。辺りに満ちる影は随分と短く、太陽が天頂を過ぎて落ちるばかりである事を示していた。響希は静かに立ち上がる。
「悪いが時間だ。俺はそろそろ発つ」
 縋るように見上げてきたクーリュエンの瞳をしっかりを見返し、響希は静かに告げた。荷物を掴んで外套を正す。
「キョウキ」
 立ち上がった響希に合わせてクーリュエンも立ち上がり、真剣な瞳が響希を捉えた。彼が何を言うのか、予想できていた響希は黙ってそれを待つ。
「セフダニアには誰もいなくなった。この地は評議会の管轄となって、唯一残った皇子も行方不明だって聞いた。俺はこんな体にされてどこまで保つか分からないけど、俺はこの国から出たい。キョウキ、連れて行って貰えないか? 結界を潜れたあんたと一緒なら」
「断る」
 クーリュエンの言葉は予想と違わなかった。響希は彼の瞳を見つめ、苦々しい物を含みながら断固として言い放った。クーリュエンの瞳が悲痛に歪められた様を見ながら更に告げる。
「俺には先を急がなきゃならん理由がある。足手まといになりそうな奴を一緒に連れて行く訳にはいかない」
「足手まといになんか……」
「サイ王は消えた。宝珠はサウスの手に渡り、お前を阻む結界はもう無い。セフダニアを出たいなら俺と一緒じゃなくても平気だ」
 クーリュエンの双眸が瞠られる。それを見終える事無く、響希は外套を翻した。
 知識を得られた事は純粋に嬉しいが、今では踏み込みすぎたと少々後悔していた。連れて行きたいのは山々であるが、翠沙を追いかけるという目的がある。彼女が巫女である限り評議会が乱暴を働かないと理解はしていても、可能性を完全に否定する事はできない。であれば実際に側にいて守らなければいけない。翠沙はこちらへ来る事を嫌がっていたのだから、それは自分の責任である。
「ついていく」
 背中を向けた響希にクーリュエンの声が飛んだ。
「断る」
 微かに胸の痛みを感じながら響希は天幕を出る。
「まとわりつく!」
「……断ると言っている」
 歩きながらも隣から離れない声に眉を寄せた。意外にしつこい。
「俺は決めたからな。絶対キョウキに」
「断る!」
 ザッと足を止めて振り返り、響希は怒鳴った。振り返った先でクーリュエンが満足そうに笑う様が見える。響希は「ちっ」と舌打ちして踵を返し、先程よりも早く足を進めた。