第七章 【四】

 花涼月球は遥か昔から巫女が治めてきた星。
 巫女は数多の顔を持つ。
 聖神となり戦神となり魔神となりて、全てのものを従える。
 巫女の代替わりには世界を破壊し尽くす災いが生じ、新たな世界が新たな民へと贈られる。新たな世界で再生をなすのは、巫女から零れた宝珠をかかげる者たちだ。そうして花涼月球は破滅と再生を繰り返してきた。

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 ザーイは部屋を後にした。
 部屋にはジュラウンと李苑が残っている。その意味から目を逸らし、ただ命じられるがままに役目を終えた。
 庭園に出て空を仰ごうとしたザーイは、廊下で珍しい人物に出逢った。
「セリシア……皇女」
「ご機嫌いかが? ルクト宰相閣下」
 一口に王宮といっても面積は広い。軍事的な物が広がるエリアと、宝珠に関するエリアと、文官たちが利用するエリアと、王族が住まいとするエリア。その他にも多岐に渡って区切られている。そうであるから生活圏を別々にする者同士が、王宮で顔を合わせる偶然など滅多にない。
 ザーイが闊歩するのは政治に関するエリアだ。ジュラウンが住まいとする場所も、そちらに近い場所にある。だから皇女たちと顔を合わせることは稀なのだ。本来であれば。
 ザーイは目の前に現われた一つの団体に、唖然と言葉を失くした。
 王族たちが住まいとするエリアで優雅に過ごしている筈の者たちが列をなして向かって来ている。その先頭に立つのはセリシア皇女。
 セリシア皇女には先日の夜、会ったばかりだ。珍しいことだがあり得ないことではない。皇女たちの中でも行動派に入る彼女は、部屋に篭っているよりも散歩をしている方が似合っている。人目が少なくなる夜であれば、それこそ王宮中を歩き回っているという。だからこそ夜に会った時、ザーイもさしたる疑問は持たずにいたのだ。
 けれど今回は違う。セリシアは明るい太陽の下、十数人の供人を連れて政治エリアに踏み込んでいる。セリシアの進路はジュラウンの私室へ向けられている。
 ザーイは不吉な予感に眉を寄せた。先頭に立つセリシアが笑みを向けた。人前でのみ向けられる他人行儀な笑み。
 褐色の髪を豪奢に束ね、彼女がまとう薄い布地は静かに床を舞う。
 表情は妖艶。ザーイを見る瞳には挑戦的な笑みが宿っている。
 驚きに固まっていたザーイは、彼女の後ろに更に信じられないものを見つけた。
「ペリメーゼ皇女……?」
 豊かなセリシアの肢体の向こう側に、隠れるようにして小さなペリメーゼがいた。顔を出すことが恥ずかしいのか、俯き加減で侍女に寄り添っている。セリシアが供を嫌う以上、今いる侍女たちは全てペリメーゼの侍女たちだと窺えた。
 李苑よりも幼い少女だ。
 ザーイの声に、彼女は恥ずかしげに頬を赤くして、セリシアの背中に隠れた。
 セリシアは明るく笑う。
「たまには外へ出ませんと、白い顔色が、今度は青くなってしまうわ」
「――謁見の予定はないはずでしたが」
 ザーイは辛うじて平静を取り戻すと告げた。
「妹が兄の顔をみることに何の予定があって?」
 少々強張ったザーイの言葉を、セリシアは嫣然と切って捨てた。その言葉には強い意志が滲む。どうやらセリシアが会いたいのではなく、ペリメーゼが会いたいという事を強調させたいのだなと思わせる言葉だ。
 ザーイはスッと冷静になった。動揺を押し隠してペリメーゼを見る。彼女はセリシアの背中に張り付き、侍女の腕を掴み、ザーイから姿を隠している。セリシアの腕の間から微かに身体が見えるくらいだ。
 警戒心が強く部屋から滅多に出ないというペリメーゼ。そんな彼女が大勢の供を連れてジュラウンを訪れるなど考えられない事だった。ザーイは内心で慌てながら、けれど決して表情には出ぬよう努めながら笑った。
「確かにないですね。けれど王は現在イフリートにとって大切な時間を過ごしております。時間を置いて出直した方がよろしいと思いますよ」
「あら。私たち、せっかくここまで来たのよ。一目見るだけでも良いではありませんか。ペリメーゼは朝の顔合わせにも出席しませんし、もう何日も顔さえ見ていないという話ですのに。仮にも夫なのかしらと私が強引に引っ張ってきましたのよ」
「言葉は正確に、セリシア皇女。王は誰とも婚礼を挙げてはいません」
 ザーイが眦を強くして牽制すると、セリシアは苦笑を洩らした。ここで曖昧な言葉を紡ごうものなら直ぐにつけこもうとしていたようだった。
 ペリメーゼが怯えたようにセリシアのドレスを掴んだ。セリシアは背後を振り返り、表情を曇らせる。
「――ほら。貴方が恐ろしい声を出すものだから怯えてしまったわ。ここまで引っ張り出すのにどれだけ時間をかけたと思っていますの」
 ザーイは言葉を喉の奥に詰まらせた。困惑してペリメーゼを見つめる。
 どうしたものかと思っていた時だ。
 不意にペリメーゼの肩が大きく揺れた。そして次に。
「なんだ皆そろって顔つき合わせて。いったい何の相談だ?」
「……ゲイル皇子」
 新たに現われた王族に、ザーイは本気で頭痛に悩まされた。苦虫を噛み潰してそちらに視線を向ける。ペリメーゼに従って来た侍女たちが揃って道をあけ、頭を垂れる。
「ペリメーゼ。おいでなさいな」
 ペリメーゼはいつまでも侍女の腕を放そうとしない。それに業を煮やしたセリシアが促したが、彼女は頑として譲らなかった。ただ硬直して動かない。無遠慮に近づいてくるゲイルを見つめ、身体を硬くさせている。
「ペリメーゼが外に出るなんて珍しいな。今日は何かあんのか?」
「私の姫に触れるなゲイル」
 からかうようにペリメーゼに手を伸ばしたゲイルを、鋭い手が打ち払う。セリシアが憤然と二人の間に立ち塞がる。先ほどまで周囲に向けていた穏やかな雰囲気をガラリと変えて、ゲイルを見つめる双眸は険しくなっていた。背中にペリメーゼを庇ってゲイルを見下ろす。
「ふん。過保護にも程があるぜ」
 ゲイルは鼻を鳴らすと肩を竦める。そしてザーイに視線を移すとニヤリと笑った。
「よう、ジュラウン王の腰ぎんちゃく。兄上に会いたいんだがな?」
 馬鹿にする態度を隠しもせずゲイルは覗き込んだ。ザーイは露ほども表情を動かさず「なぜ?」と冷静に問い返す。普段ジュラウンの宮になど寄り付きもしない王家の者たちが一度に集まるなど奇蹟だ。
「別に。兄上のお顔を拝見するのに理由もないだろう?」
 ゲイルはセリシアと同じことを告げて飄々とする。セリシアはその言葉にムッと唇を尖らせて彼を睨みつけた。
「王は現在イフリートに関わる大切な時間をお過ごしのようよ。出直してらっしゃい」
 ゲイルに言い放ったのはセリシアだ。両手を腰に当て、長身をいかして見下ろしながら腕を振る。事あるごとにペリメーゼをからかって遊ぶゲイルを、セリシアは忌々しく思っている。
 ザーイは騒ぎが徐々に拡大されていく様に顔を顰め、頭を抱えたくなったがそれは許されない。見ればペリメーゼが二人の険悪な雰囲気にオロオロと怯えていた。庇っているはずのセリシアが逆に彼女を追い詰めている。
「……貴方の姉君はいつも容赦がない」
「は、はい」
 スッとペリメーゼの側に寄ると彼女は明らかに身体を硬くさせて俯いた。素直な反応にザーイは笑う。そして、次第に殴り会いに発展しそうな二人を見る。彼女たちは応酬合戦を繰り広げ、出て行け出て行かないなどと次第に白熱していき、そのうち手が振り上げられるのではないかと思うほど勢い付いていた。
「と、止めなくては……」
「私に止める気はありませんが」
 そう告げるとペリメーゼは驚いたように目を丸くした。戸惑ったように「でも」と繰り返す。しかしそれ以上の言葉は出てこない。
 ザーイにとっては、二人が喧嘩に明け暮れていてくれれば都合がいい。これが時間稼ぎになればいいなという意味合いも含んでの「止めない」だ。セリシアとゲイルの間に入って怪我を負うような真似はしたくないという本音もある。ゲイルは勢いのある剣を揮うし、セリシアもそれなりに剣の手解きを受けている。体格の良い体から繰り出される剣技はいっぱしの物だろう。さすがに王宮内で剣を抜くことはないだろうが格闘技となっても壮絶な戦いになることは目に見えている。止めようとすれば本気で相手にしなければいけない。しかしわざわざそのような事に労力を割きたくなかった。結局これは、両者共に愛情表現と呼べるものだったから。分からないペリメーゼだけがオロオロと心配そうに見守るのだ。
 やがて応酬合戦に疲れたのかセリシアがザーイに怒鳴った。
「ザーイ! わたくしは戻ります! この馬鹿のせいでやる事を思い出してしまったわ!」
「おう。とっとと行けよ、行けず後家」
「なんですってっ?」
「お姉さま……っ!」
「危ないですよ、ペリメーゼ皇女」
 当初の落ち着いた様子はどこへ消えたのか。セリシアは双眸に怒りを滾らせながらゲイルを睨みつけた。ゲイルは全く怯まず笑い返す。
 ペリメーゼは今度こそ割って入ろうとしたがザーイが引き止めた。彼女の腕は驚くほど細かった。しかしペリメーゼの腕を掴んだ瞬間、彼女は悲鳴を上げる。
 妹の悲鳴に気付いたセリシアはようやく激情を宥めて息を整えた。とつぜんの悲鳴にザーイは驚いて手を放す。ペリメーゼは青褪めながら自分で自分を抱きかかえるような仕草をし、その場にしゃがみこんだ。その様にセリシアは僅か痛ましげな視線を向け、そしてゲイルにまだ忌々しげな視線を向けると後はペリメーゼだけを見つめた。
「ペリメーゼ、貴方もおいでなさい。王が忙しいのならいる意味もないでしょう」
「ふん。いくら死を予言されたからって甘やかし過ぎなんだよ」
 ザーイが止める暇もなかった。カッと怒りを閃かせたセリシアがゲイルの頬を叩いていた。高い音が響き終わった後には静寂が満ちる。勢いでよろけたゲイルは柱に背中をぶつける。
「二度とその言葉を口にするな……!」
 ゲイルを睨みつけるセリシアの瞳には涙が浮かんでいた。ゲイルはバツが悪そうによろよろと姿勢を正し、いまだ座り続けるペリメーゼに視線を向けると素直に頭を下げた。悪かったと潔く詫びる。
「……わたくしは戻ります」
 泣きそうに歪んだ顔を見られたくないのか、セリシアは皆から顔を背けて告げる。ペリメーゼは姉の表情に驚いて立ち上がっていた。しかし彼女がこの場から立ち去ろうとしても追いかけはしない。その事に気付いてセリシアが振り返ると、ペリメーゼは全力でその場に立ち尽くしていた。か弱げに見える小さな両手を胸で組み、悲愴な決意をしているかのような表情でセリシアを見つめていた。
「どうしたの、ペリメーゼ。戻りましょう?」
 促したセリシアにペリメーゼはかぶりを振り、その場の皆を驚かせた。
「ゲイルお兄様の仰る通りだわ。私はもう少し強くなりたいんです。だから、ゲイルお兄様に少しだけ……一緒にいて貰いたいのです」
「お、俺っ?」
 ペリメーゼの言葉にセリシアは眼を剥いた。そして射殺しそうなほど強い視線でゲイルを睨みつける。ゲイルはそれこそ蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「決して無茶はいたしません。どうか、王庭の散歩を許可してください」
 小さな肩を震わせて頼み込む姿に、セリシアが断る術はない。
 突然すぎる変化だが嬉しい変化だ。セリシアは表情を和らげてペリメーゼを抱き締めた。ゲイルに向ける物とは全く違う、まるで母親のような表情だ。セリシアとペリメーゼは一回りも年齢が違う姉妹のため、そのように見えるのだろうか。
「貴方が望むことを反対などできないわ。思うようにしていいのよ」
 許可が下りた。ペリメーゼは花が綻ぶように優しい笑みを浮かべてセリシアに抱きついた。
「ゲイル。分かっているとは思いますがペリメーゼに危害を加えようものなら……」
「わーかってる、分かってますよ。そんな恐ろしいこと出来るもんか」
 自分の意志を挟む間もない皇女二人にゲイルは不貞腐れた声を出し、諦めたように両手をひらひらと振ってみせた。
 セリシアの視線は次いで傍観していたザーイに向けられる。その視線が『監視をお願い』と頼んでいるように思えて、ザーイは肩を竦めた。どのみち皇女たちがジュラウンの近くに行くのであれば、それがどこであろうと監視しなければならない。
 ザーイはセリシアに頷いてみせた。