第七章 【五】

 ゲイルとペリメーゼの散歩は端から見ていて決して和やかと呼べるものではなかった。ペリメーゼは相変わらず周囲に怯えているように身体を硬くさせている。ゲイルはそんな彼女を気遣うこともなく先を歩く。両手を頭の後ろに組んで投げやりに歩くゲイルの姿は、彼を年齢よりも幼く見せた。
 ザーイは二人を見失わない程度の距離をあけて散歩につきあっていた。セリシアはいない。ペリメーゼを心配して残ろうとした侍女も全て退がらせた。何かあれば自分とゲイルが対処すると強引に説得した。むろん、個々の心情はどうあれザーイに命じられれば侍女たちは従うしかない。イフリートで宰相ともなればジュラウンの名代を務めることもできる地位なのだ。
 王のために造られた庭は広い。数世代前に園芸に打ち込む王がいたらしく、彼が率先して庭を広くしたのだと伝えられている。今では庭師を十数名も雇わなければ手が行き届かないほどだ。彼らの功労によって現在も多種な花々が蕾を膨らませていた。イフリートでは決して生まれることのない弱い命たちは、宝珠の力によってようやく生きている。花園が生き生きとしているのは、王が宝珠をしっかりと管理している証でもある。
「兄上も物好きな奴だよな。俺が王になったらこんな花園、根絶やしにしてやるのに」
 ペリメーゼは不穏な言葉に立ち尽くした。
 遠く離れたザーイに二人の会話は聞こえていない。しかしペリメーゼが立ち止まったことで異変を察したのか、注意を向ける。ゲイルはそれを見て鼻を鳴らす。不機嫌に眉を寄せながら、大きく瞳を見開くペリメーゼを見て続ける。
「これが枯れたら宝珠の代替わりが行われるんだろう。父上の時もそうだった。自分の力が衰えていくのがはっきりと分かるんだ。こんな花園、要らねぇよ」
 ゲイルは近くの花に手を伸ばした。ふっくらとした蕾がようやく綻び始めた頃の一輪だ。それを無造作に掴み、手折る。そして投げ捨てる。宝珠の支配から引きずり出された一輪は、地面に落ちた途端に萎れ始めた。イフリートの気候は、花が瑞々しく育つには向いていない。花が完全に萎れるのを見る間もなくゲイルはそれを踏み潰した。それでもまだ足りないというように、地面に擦り込ませる。彼が足を上げた後には無残に散らされ変色した一輪の跡が残るだけ。
 ゲイルは強く降り注ぐ熱射を見上げて腕を翳した。眩しげに瞳を細める。
「そういう意味じゃお前だって物好きだ。兄上との婚約を承諾したと聞いたぞ」
 ペリメーゼは王家の名簿から名前を消され、十公の養女へと降格される。そうしてからジュラウン王との婚約を結ぶ。異母兄弟にはなるのだがイフリート王族ではそうした結婚は珍しくなかった。宝珠の管理者を生むためには少しでも血が濃い方がいいのだ。
 ペリメーゼはエイ公爵家に連なる者であるので、書類上はエイ家から選出される事になるのだろう。
 ペリメーゼは唇を固く引き結んでいた。頼る者などいないように、拳を胸で握り締めている。降り注ぐ熱射に、褐色の髪が光を強く反射している。
「ゲイルお兄様は、どうしてジュラウン王に会おうとなさったの……?」
 ペリメーゼの様子に苛々を募らせ、ともすればまた八つ当たりしてしまいそうだったゲイルは眉を寄せた。苛立ちは消されることなく育ち行く。
「お前になんか関係ないだろう。どうせ今は会えないって言うんだから、もう用はねぇよ」
 苛立ちを紛らわすようにゲイルは再び花に手を伸ばす。無造作に摘み取って投げ捨てる。花は見る間に萎れて存在を消す。飽きる事なく、彼は何度かそれを繰り返した。
「――元々王家に連なる者でもなかったくせに。何であんな奴に宝珠が渡ったんだろう」
 少しだけペリメーゼの表情が動いた。
「血の濃さで言うなら兄上たちの方がずっと濃い。それなのに、兄上たちを差し置いて、王の血が一番薄いあんな奴に。不公平だ」
「……仕方ありませんわ。宝珠には私たちの思惑など関係ありませんもの」
 沈んだ声だった。
 公の場所に姿を現さないペリメーゼの人柄を知る者は少ない。ゲイルにとっても彼女は未知の存在だ。しかし今は確かに沈んでいると分かる雰囲気を醸している。
「自分が嫁ぐってこと、納得してないんだ?」
 ペリメーゼは弾かれたように顔を上げた。勢いよくかぶりを振る。けれど一瞬だけ見せたその反応が肯定を物語っている。
 ゲイルはニヤリと笑い、ザーイに視線を移した。彼までの距離は遠い。会話など聞こえていない。動向だけを見守っている監視者。そんな彼に、王宮から出てきた誰かが近づいていくのを見守る。ザーイはそちらに気を取られる。
 ゲイルはペリメーゼの細い肩を掴んで引き寄せた。華奢な彼女は簡単にゲイルの思うようにされる。彼女が鳥肌を立てて息を呑んだことに気付き、ゲイルは苦笑した。直ぐに解放し、ただ唇だけを彼女の耳元に寄せた。
「一緒に兄上の顔を見に行こうか」
 ゲイルが顔を離すと、ペリメーゼは強張った表情をしていた。
「ルクト宰相なんてどうにでも撒ける。宝珠がなきゃあいつだってただの歩兵で終わってたような奴だ。俺たちは王族だぜ? お前だって、降格されるまでは王族だ。あんな奴に怯える必要はねぇよ」
 自信に溢れるゲイルの瞳をペリメーゼは覗き込んだ。
 陽の光が良く似合う彼の姿が眩しい。差し出された手に視線を落とし、恐る恐る手を伸ばす。
 手を重ねると握り込まれる。
 それは強く、温かいものだった。

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 ただ黙って皇子たちの散歩に付き合っていたザーイは溜息をついた。手の中には力石が三つほど握られている。この機会にジュラウンの周囲に張られている結界を強化しておこうと思ったのだ。その内の一つがこの庭園にある。
 ゲイルたちの様子を窺いながら力石を発動させ、結界の強化に努める。内心では早くここから立ち去って欲しいと思っているが、王族である彼らにそんな事を言える訳もない。遠くから監視を続けるのみだ。
「管理者の血、ね……」
 宝珠に選ばれるための血は王族全てに流れている。今回は宝珠に選ばれなかったが、ジュラウンがいなければ管理者になっていてもおかしくない者たちだ。そんな彼らには宝珠の効果が伝わりにくいと聞く。一般人には絶大なる宝珠の力であっても、王族にはそれほどでもない事が多いのだ。それであるから、ジュラウンを狙おうと考える者はまず、王族を狙って来ることが多い。宝珠の効果を弱める彼らを手に入れ、ジュラウンの元へ行こうと考える訳だ。
 迷惑な話だとザーイは思う。イフリートは広大な土地に相応しく、渦巻く野望も限りない。誰もが虎視眈々と宝珠を狙っている。だからジュラウンも易々と宝珠を首から提げるような真似はしていない。宝珠を掠め取ることはできない。宝珠を奪うとなれば、ジュラウンを殺し、彼の体内から宝珠を取り出すしかないのだ。
 他国と違いイフリートの宝珠は何よりもまず、国全体を包む結界に力を注ぐ。管理者の身を守るために、民衆の暮らしを潤すために、という使い方は二の次だ。まずは土台として生活できる環境を整える。結界がなければイフリートは灼熱地獄と化してしまう。
 ジュラウンが揮うことの出来る力は、本来の宝珠の力に比べたら微々たるものだった。ザーイという身辺警護を買って出る者がいなければ外を歩くこともできない。正規の皇子として育てられなかったジュラウンには護身術も帝王学も与えられていない。基本的な王族の範疇から逸脱している。ザーイがこうして力石で結界の強化を行わねばならぬのも、全てはジュラウンが王であり続けるために必要な行為だった。
 ゲイルたちを視界に入れながら、点在している東屋の一つを強化し終えたザーイは溜息をつきながら空を仰いだ。
 突き抜ける蒼穹の天。ジュラウンが張った結界によって青々と煌いている。本来の空はどのような色をしているのか見たことがない。
 ザーイはかぶりを振って、髪の間に入り込んだ砂を払い落とした。そして近づいてくる誰かの気配を感じた。振り返って瞳を瞠る。
「ルクト宰相……あの、リオンの様子を窺いに来たのですが」
 近づいてきたのは李苑の女官に就けたファイナンだった。全ての仕事を終えたのだろう。気付けばずいぶんと時間が経っていた。皇女や皇子の女官であれば、戻らない主人を捜して女官が出歩くのは良くある話だ。ファイナンが今回捜しに出たのも分かる。けれどザーイは眉を寄せた。
 李苑は宝珠の巫女という肩書きをつけてイフリートに滞在している。彼女がいるべき場所は常に王の隣だ。自室にいないからと言って捜しに出る必要はない。戻るも戻らないも王の意志に委ねられる。
「――リオンは王の側にいる。今日は戻らないだろう」
 ファイナンの瞳が僅かに瞠られる。聡い彼女ならば意味が飲み込めたはずだ。
 ザーイは探るようにファイナンを見つめた後に続けた。
「ここはもう王の私宮だ。巫女の女官とはいえ、私か王の許可がない限りは許されない。今回は大目に見るが、次からは肝に銘じておけ」
「は、はい。失礼致しました」
 ファイナンは白い顔をパッと紅潮させて頭を下げた。
「下がれ」
 言い放たれれば戻るしかない。しかしファイナンは迷う素振りを見せてザーイを窺う。その仕草にザーイは顔を顰める。ファイナンは一度視線を逸らし、辺りを窺って躊躇った。
「皇子たちの、お姿が……」
 その言葉にザーイは素早く振り返った。
 視界に映る範囲にゲイルとペリメーゼの姿がない。庭園に紛れたようにも思えない。険悪ながらそれでも戯れていた彼らの気配が消えていた。ザーイの側を通らなければ戻る事はできないのだから、後はこのまま奥へと行ってしまったという事になる。
 ザーイは舌打ちして走り出した。手の中に嫌な汗が滲む。
 ジュラウンの私宮には他者を拒む結界が張られている。けれど管理者の血を持っている皇子たちには効果がないかもしれない。ジュラウンまでの扉が簡単に開いてしまうかもしれない。
 そこには李苑がいるのに。
 ザーイは一瞬でも彼らから目を離してしまった自分を罵りながら最短距離を走った。庭園からジュラウンの私室までそれほど離れていない。庭から渡廊へと、支柱に手をかけて飛び込んだ。そこでザーイは顔を顰めた。
 ペリメーゼの悲鳴が響き、続いて、間違えるはずもない、李苑の怒声が響き渡ったのだ。