=番外編= 不文律と成文律

 強くなれば自由を手にできる。
 完全なる自由を望むには、生まれついた身分は高貴すぎた。
 それでも――と、願わずにはいられない。
 監視のように並び立つ護衛を見るたびに思う。
 ライール=ガラディア=サラン王女はここにいる。
 しかし、ライール=ガラディア=サラン自身はいまだ、激しい水の流れに翻弄されるばかり。

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 最初に惹かれたのは髪の色だった。
 炎を宿したような深紅の髪。色素が薄いガラディア人の中にあって、彼の髪色は異彩を放っている。遠目からでも良く映えるだろう。興味を惹かれたのはランルばかりではなく、彼を視界に捉えた者ならば必ず一度は振り返る。辺りを闊歩する旅人とは一線を画す雰囲気だ。関所の役人も気圧されている。
 ランルは目を離せなくなっている自分に気付いてかぶりを振った。
 毎日のように、国境にある関所のこの窓から旅人を見てはきたものの。
 ――あ、剣だ。
 ランルは窓枠に頬杖をついたまま視線を下ろした。
 男の腰には立派な長剣がある。彼は俯いているためランルの場所から男の顔は見えないが、その他の仔細は見て取れた。腰に佩かれている剣は護身用ではなく実用だと分かる。鞘や柄が、使い込まれたようにくたびれて褪せている。
 ランルが観察していると、男はようやく役人に提出する書類を書き終えたのか顔を上げた。しかしながら背の高い役人がランルの視界を塞ぐ。またしても彼の顔は見えない。ランルはかすかに顔をしかめて次の機会をうかがった。
 入国手続きを済ませた男はガラディアに足を踏み入れた。
 ランルに背中を向け、町を眺める彼は何を思ったのだろうか。いつまでも立ち尽くして眺めていそうな雰囲気の男だ。ランルは思わず瞳を細めて見守ってしまう。
 関所の前でしばらく佇んでいた彼は、次に入国手続きを済ませて出てきた旅人に「邪魔だよ」と容赦なく押しのけられた。振り返った男は困ったように笑う。その顔は意外と子供らしさを覗かせる。つられてランルも笑う。颯爽と歩き出す彼の姿は、先ほどまでの落差が激しくて更に笑えた。
 武術を習得していると思わせる、力強い歩き方だ。
 悠然とした態度だがさりげなく周囲を警戒していると分かる。辺りを眺める顔には好奇心が溢れていたが、ガラディアに馴染めないようで、どこか遠巻きに人々を観察している。
 ――何者だろうか。
 ランルは彼の後姿を見送りながら宝珠を握り締めた。
 若々しく力に満ちている宝珠は、ランルに働きかけて力を解放させようとする。常に誘惑を持ちかけてくる。宝珠の管理者となってから、片時も心が休まらない。
 ランルは宝珠の暴走を軽く封じながら溜息を吐き出した。大切な者を失ってしまうような予感がして胸が痛む。その痛みを感じた途端、ランルは自分でも意識しないまま、衝動的に窓から飛び降りていた。
「ランル様!?」
 部屋にいた者たちが驚愕する。
 彼らの悲鳴を聞いた途端、ランルは我に返った。しかしこれでいいのだ、とも思う。振り返ることはせずに胸中で謝る。
 飛び降りたのは二階の窓から。
 少し無茶だとは思ったものの、宝珠の力を駆使して怪我を負わないようにする。ランルは膝が軽く痛んだだけで済んだ。後悔はしていない。あの者を見失うより余程いい。
 頭上から降ってきたランルに、関所にいた役人や旅人が悲鳴を上げた。
 この場所にランルを正確に知る者は少ない。関所の部屋を借りるさいも身分を明かしはしなかった。もしかしたら役人は薄々感づいているかもしれないが、それは“どこかの高貴な娘”という曖昧な認識だろう。この場でランルを正確に知るのは、ランルの近衛たちぐらいだ。
 人々の注目には頓着せず、ランルは慌てて首を巡らせた。近衛たちが下りてくる前に走り出さなくてはいけない。このような無茶をした手前、見つかれば強制送還という罰が待っている。
 目的の人物は直ぐに見つかった。
 雑踏に紛れる赤い髪が見える。彼は背後の騒ぎには気付かないようで、そのまま離れていく。
 ランルは小さな笑みを浮かべて走り出した。
 追いかけてくる近衛たちの気配を感じる。けれど彼らはランルの名前を呼ぶことができない。民衆は、ランルの姿は知らなくても名前は知っている。このような雑踏の中で真の名前を呼べばどんな騒ぎが待っているか、知らない近衛たちではない。
 ランルはさり気なく彼らを人ごみに撒いた。
「待って! ねぇ、待ってってば!」
 観光気分でゆっくりと歩いているものかと思ったが、男は足早に進んでいた。もしかしてガラディアが気に入らなかったのだろうか。
 ランルは息を弾ませながら彼に近づいた。この人ごみの中、追いかけるのは容易ではない。声も届かない。それでも何とか追いつき、ランルは彼の外套に手をかけてようやく引き止めた。
 男が振り返る。
 髪色と同じ、深紅の瞳。
 振り返った男は瞳を軽く瞠った。そしてランルは、間近で相対した男を見て絶句した。
 こうして近くで見ると、とても整った造作である。少し陽に焼けた顔は先ほど見ていたよりもずっと若い。勢いのある力を秘めていると感じさせる。瞳に宿る強固な意志がランルを捕らえる。
 これまでにも綺麗な顔をした貴族にはさんざん会ってきたランルだが、目の前の男は誰とも違う雰囲気だった。いくら綺麗とはいえ、女に間違われることは決してないだろう美丈夫だ。
 ランルは見惚れると同時に落胆を覚えた。
 これまでの貴族たちにいえた事だが、顔立ちのいい者は、実は剣術が大したことのない者が多い。顔のよさと剣術は反比例する。これはランルの経験談だ。
 腕のよい剣士を求めていたランルは失望する。外套を掴む手を外した。
 一方、引き止められた男は不思議そうにランルを見下ろしてくる。引き止めてしまった以上は何か話さなければいけないだろう。しかし落胆が大きいランルは、上手い言葉が浮かばない。
 そんな時、聞きなれた声が近くから聞こえてきて眉を寄せた。
 撒いたと思っていた近衛たちの声だ。
 街中であるため、彼らは偽名を使っている。マーリスという耳慣れない名前だ。このままでは確実に捕まるだろう。この旅人に一縷の望みをかけて脱走してきたのに、その望みは打ち砕かれ、何の実りもないまま戻されてしまうのか。
 逃げようか諦めようか。ランルが顔を顰めたまま迷っていると、男が口を開いた。
「え?」
 低く問われた声は雑踏の喧騒に消されてランルにまで届かなかった。
 ランルは顔を上げて問い返す。何を言ったのかと耳を寄せると抱き寄せられる。外套に包まれるようにされ、肩を抱かれる。そのまま歩き出されてしまえば、視界を遮られたランルは男にすがるように歩くしかなくなってしまう。
 突然のことに困惑したランルは、外套の隙間から見えた外に顔を強張らせた。
 男は路地裏に向かっていた。
 自分は、見込み違いどころか、大変な愚を犯したのではないかと青くなる。
 ランルは服の下に隠してある短剣に手を滑らせた。本格的な戦いには向かないが、相手に一瞬の隙を与えるためには有効なものだ。そしてランルには、その一瞬さえあれば事が足りた。
 ランルは緊張しながらその時を待った。
 予想通りだ。男は路地裏に入るとランルを壁に押し付ける。そしてランルと向かい合う形となり、被さるように密着してきた。
 羞恥心と怒りにランルは唇を噛み締める。素早く短剣を取り出そうとした。顔を上げ、短剣を繰り出そうとして――その手を止めた。
 男はランルなど見ていなかった。彼の視線は表通りに向けられている。いったい何を見ているのか、ランルは短剣を握り締めたまま視線を表通りに向ける。その時、ランルを追いかけてきた近衛たちが路地裏を通過して行った。彼らは路地裏にいたランルたちに気付かなかったようだ。
 近衛たちが路地裏を通り過ぎ、しばらく経ったのち、ランルは外套から解放された。ランルはまだ状況が飲み込めなくて瞳を瞬かせる。短剣からは手を離す。
「……もしかして」
 ランルは意外な思いで呟きつつ、笑いが込み上げてくるのを抑え切れなかった。吹き出すと、男は怪訝にランルを見やる。それ以上、無体を働くような真似はしない。ただランルを見ている。
「何をやらかして追われる羽目になったんだ? あれは国の兵士だろう」
 ランルは目を瞠った。
 今回ランルの護衛として配されたのは王宮で働く近衛たちから選出された者たちだった。身分を隠すように紛れ込むのは得意だ。仰々しい剣も鎧もない彼らは、平民たちとの区別もつかない筈だった。
「ここに」
 男はランルの胸元に指を突きつけた。
 思わず腕を振り上げかけたランルだが、男には下心が何もないと悟って怒りを宥めた。
「ガラディアの紋章が入った装身具をつけていただろう」
 男の言葉にランルは首を傾げた。
 見慣れてしまい、そのような事にまで気がつかなかった。あったとしても、それだけで国の兵だと気付く者は少ないだろう。
「別段、愚鈍という訳ではないのね」
 呟くランルに男が眉を寄せた。
 ランルは男にそっと笑いかけて壁から背を離した。護衛は完全に撒けたのだろう。彼らがいないのならば気ままに街を探索することが出来る。このまま歩いて王宮まで戻ろうかとも考える。
「助けてくれて有難うね。じゃあ、私は行くから」
 去りかけたランルの腕を男が掴んだ。
「何?」
「平気なのか? 何か、厄介ごとに首を突っ込んでいるとか」
 腕は放さぬまま渋面で告げられたランルは苦笑した。
「大丈夫よ。例えそうだとしても見知らぬ貴方に話すことではないわ」
 最初に声を掛けたのはランルであるが、棚に上げて拒絶した。男が顔を顰める。
「……マーリス?」
 名前を確かめるように呼ばれ、ランルは首を振る。
「ランルよ」
 男の目が不審そうに歪められた。ランル自身、なぜ明かしてしまったのか分からない。けれど偽名で呼ばれたくはなかった。
「貴方は?」
「……サウス」
「そう、サウスね。助けてくれて本当に有難う、サウス」
 改めて礼を述べるとサウスは笑った。晴れやかで鮮やかな笑みだ。
 ランルは離れ難いものを感じて戸惑った。次の言葉を探しているかのようなサウスの仕草に想いを固めて笑みを零す。サウスの視線が突き刺さる。
「……助けて貰ったお礼に、食事でもいかが?」
 何てありふれた言葉だろうかと思う。
 しかしサウスは嬉しそうに顔を輝かせた。その笑顔にランルもつられて嬉しくなる。
 いまだ掴まれたままだった腕を外すと、そこだけが赤く、掴まれた跡が残された。
 サウスが慌てる。
「あ、悪い」
「平気よ。いつもの事だわ」
 サウスは怪訝な表情をした。
 ランルにとっては、剣の練習や無茶な行動が絶えず、打ち身や擦り傷が日常茶飯事になっている事を指しての言葉である。
「さ、行きましょう」
 余計なことを探られる前に、とランルはサウスの手を取った。サウスはまるでエスコートするようにランルを隣に引き寄せる。
 反射的のような彼の行動を意外に思ったランルであるが、問いかける暇はなかった。路地を出た途端、通りの反対側から折り返してきたらしい護衛に見つかったのだ。
「マーリス!」
 振り返ったランルは顔を顰める。
「あー……」
 お忍びもここまでかと溜息は禁じえない。
 サウスがランルを庇うように前へと出て、ランルは驚いた。近衛が怪訝にサウスを見つめる。
「ランルが何かしたのか?」
 偽名を使っていたにも関わらずランルの名前を告げるサウスに、近衛の瞳が真剣味を帯びた。剣呑な視線はサウスに突き刺さるが、サウスは至って平然としている。その豪胆さにランルは密かに感心した。
「違う、違うのよサウス。貴方も。街中で騒ぐのはやめなさい」
 一触即発の雰囲気を掻き消すように間に入った。周囲の視線がチラチラと三人に向けられるようになり、波紋を広げようとしている。
「もう戻りますから、騒ぎを大きくしないで頂戴」
「貴方が勝手をされるからです!」
 厳しく叱られたランルは苦く肩を竦めた。近衛の背後からは、気付いた他の護衛たちも走って来る。先程まで感じていた、どこか心躍る気持ちは瞬時に地に落ちた。
「ランル……?」
 サウスは戸惑うように近衛とランルを見比べる。その視線にランルは肩を竦める。
「前言撤回。お礼はまた今度ね。いつ叶えてあげられるのかも分からないけど」
「それは……」
 混乱しているのだろうか。サウスの口は動くものの、意味を成す言葉が出てこない。
 ランルは苦笑しながらその顔を見つめた。
 視線に応えたい想いはあるが、護衛たちがそれを許さない。深紅を纏う不思議な雰囲気に飲まれかけ、ランルは琴線に何かが引っ掛かった気がした。
「……王宮にくれば……」
「マーリス!」
 口走った言葉を遮るように鋭く諌められた。
 護衛はサウスを睨みつけており、同じくらいの強さでランルをも睨んでいた。
「はいはい。分かってますって」
 我に返ったランルは肩を竦めて近衛たちに歩み寄った。彼らはサウスから隔絶するようにランルを取り囲み、歩き出す。
 そのまま去ってしまうのは寂しくて、ランルは流れに逆らわぬよう歩きながら振り返った。サウスは元の場所にそのまま佇んでいる。
「もし次に会えたら……何か、お礼をしてあげるよ。ごめんなさい」
 手を振って告げて、もう振り返らない。
 呆然とするサウスをその場に残して雑踏に紛れた。

 ――もう会えないだろうけど。

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 ガラディア国が主催する大きな大会。
 国中のツワモノ達を集めて開かれる武術大会だ。最近では噂を聞いた者たちが国外からも応募の手を上げている。
 年に一度開かれる大会を、ランルは気乗りしないまま貴賓席で参加した。
 自分が出られるのならこれほど楽しい事はないだろう。だが周囲は決して許してくれない。強い者を見つけて招く楽しみもあるかもしれないが、そういう者は上位に食い込み、国専属の兵として雇われる事が多い。ランルの目的はそういった者から剣を習う事であるため、兵になった者が王女であるランルに剣の手解きをする訳もない。必然的にランルの願いは満たされないまま終わるのだ。
 そういう訳で今回の大会もまた、ただ眺め、暇潰しよりも悪いものとなっていた。
 ふと、ランルは視界を過ぎった鮮やかな赤に目を瞠った。
 肘かけにやる気なく頬杖をついていたランルは身を乗り出した。
「どうしました?」
 ランルの様子に気付いたヨールが問いかける。
 関所から無断で脱走したあと、王宮に戻った時につけられたランル専属の近衛である。別名を監視。軍の上層で腕を揮ってきた彼の目は誤魔化せない。
「ああ。見事な髪の色ですね。珍しい」
 ランルの視線を追ったヨールも身を乗り出した。けれどヨールの言葉などランルの耳には入っていない。
 一ヶ月前に出会い、その場で別れた男。サウスが大会に参加していた。
 ランルはサウスの後姿を凝視しながら一ヶ月前の事を思い出していた。
 別れ際、名残惜しくて王宮にくればと呟いたものの、半分以上が冗談だった。更には小さな声だったため、サウスに届いていたかどうかも怪しい。彼はそんな言葉を本気にして参加しているのだろうか。
 今すぐ駆け寄って確かめたい衝動に襲われた。
「強いの?」
 大会はまだ始まったばかりだ。しかし選抜は抜け、本戦に残っているのだから一定以上の実力はあるのだろう。
 ランルの問いかけにヨールは首を傾げた。
「さて、何とも。見事にお坊ちゃん育ちな顔立ちですがね」
 ランルは苦笑した。
 サウスが舞台に上がった途端、観客――主に女性が高い声を上げた。
 ランルたち王族は本選からの観戦となるが、一般公開は予選からされている。サウスはどうやらそこで人気を勝ち取っていたらしい。
 耳を塞ぎたくなるほどの大歓声である。
 ランルは何となく不愉快なものを感じながらサウスを見つめる。彼は背中を向け続け、どのような表情をしているのか分からない。対戦するのはサウスと同じような体格の、こちらも結構な美丈夫だった。
 サウスの腕前はどのような物なのだろうか。大会に出るほどだから自負はあるのだろう。
 ランルは固唾を呑んでサウスを見つめたが、答えは直ぐに知れる。
 試合開始の合図から一分も経たず、サウスは相手を制してしまったのだ。
 観客は一瞬静まり返り、次いで爆発したかのような歓声が上がった。
 ランルは舌打ちする。彼に対する認識を改めなければいけないようだ。大した腕前ではないと決め付けてしまった事が悔やまれる。初対面の時に知っていれば、側に引き込んで剣の手解きを受ける事も可能だった筈なのに。
 歯噛みしたランルをサウスが振り返った。単に舞台から降りる為だけの動作だったのかもしれない。けれどサウスは貴賓席に座るランルを確かに見上げ、視線が交わった。
 ランルは息を呑む。
 ランルを認めたサウスはニヤリと笑い、自分の存在を誇示するように剣を頭上に掲げたのだ。
「知り合いですか?」
「え、いえ、うん、ちょっと」
 完全に心をサウスに飛ばしていたため、返答は曖昧なものとなる。ランルは椅子を前へ引き出して、会場が良く見えるようにした。サウスは既に控え室へと戻っており、舞台は次の試合の為に整えられている。それでもランルは隠すように両手で頬を包み、舞台を見下ろす。
 そんな仕草にヨールは何も言わなかった。
 試合は次々に展開される。予選を勝ち残ってきた猛者たちの力量は、ふるいに掛けられて互角程度にされている。その中でもサウスは次々と勝利を納めて鮮やかな剣技を披露していった。そうなれば誰もが彼の実力を認めざるをえない。
 ランルは音を立てて椅子から立ち上がった。
「ランル様。どちらへ?」
 貴賓席から外へ繋がる階段へ走ったランルはヨールに止められた。彼は階段の前に立ちはだかり、文字通り大きな障害物としてランルを制止する。ランルは焦れるようにその腕を掴んですり抜けようとしたが、ヨールの腕は強くて動かなかった。
「どこへ、行かれるのですか」
 強く問いかけられてランルは見上げる。悔しくて視界が滲む気配を感じる。
 ガラディア王がランルにつけた優秀な近衛隊長。
「サウスという若者が気になりますか」
「――そういう意味で気になるんじゃないわ。彼には、助けて貰った恩がある」
 ヨールは溜息をついた。それがランルの神経を逆撫でた。
「王女の立場はわきまえてるわよ!」
 声を張り上げてヨールと睨みあった。直ぐ側で控えていた女官たちがおろおろと二人を見比べたが、ランルは決して視線を逸らさなかった。胸元で輝く宝珠と同じ強さを瞳に宿して、真っ直ぐにヨールを射抜く。
 ヨールはしばらく沈黙していたが、やがて脇に避けた。ランルとは視線を絡ませて睨みあったまま。ヨールが道を開けてもランルは少し踏みとどまっていたが、やがて顔を背けると階段を駆け下りた。その後ろからヨールは付いていかない。
 会場の裏へ出たランルは瞳を細めた。強い陽射しが眩しくて空を見上げる。
 参加者たちの控え室へ行けばサウスに会えるだろう。けれどランルは思いとどまる。なぜか立ち尽くし、胸元にかかる宝珠を手に包む。ヨールとの睨み合いをしたせいで感情的になっていると悟った。
 宝珠から伝わるのは微かな熱だ。
 控え室が設けられている場所へと歩き出したが、中庭まで進んだ所で足が止まった。流れてくる歓声を聞きながらランルは足元に視線を落とした。
 会って何を言うつもりなのか、自問してみるが答えは出ない。ヨールの言葉が延々と脳裏を往復する。
 ランルは耐えるように眉を寄せて目を固く瞑った。両手を強く握り締めて歯軋りする。
 ――ふと奇妙な感覚に襲われて周囲を見回した。
 これ以上先へ進んではいけない。直ぐ近くには己と同質の者がいる。
 そんな奇妙な感覚だ。
 時折、顔を知る者たちに目礼されながらランルは歩き出した。ゆるく首を巡らせながら目指すのは一つ。
 奇妙な警告と既視感。
 初めての感覚に戸惑いながら、意識が導かれるまま中庭を横切った。
 無意識に目的地を定めながら歩いていたランルは白亜の神殿で足を止めた。神殿の前に佇んでいた男の姿に目を瞠った。
「何をしているの?」
 優しさの欠片もない、不信感と糾弾を含む詰問だった。
 ランルは内心で顔を顰めたが、声は取り消せない。
 神殿を見上げていたのはサウスだ。試合の順番は間近に迫っているであろうに、彼はここで何をしていたのか。
 ランルに声を掛けられたサウスは弾かれたように振り返った。緊張したように肩が強張るが、ランルを認めると口許を綻ばせる。
「ここは関係者以外立ち入り禁止。参加者は控え室以上の城への出入りを許可されていない筈だわ」
「そうらしいな」
 サウスの顔から笑みが消えた。肩を竦めるとそのままランルの横を通り抜ける。
「何をしていたの?」
 ランルは完全に通り抜けられる前に、腕を掴んで止めた。
 サウスが見上げていた神殿は“宝珠宮”と呼ばれる特別な建物だった。宝珠をコントロールするため、暴走させても平気なように造られた唯一の宮である。ある意味、国の機密に関わると告げてもいい。
 鋭く睨まれたサウスは宝珠宮へ視線を移した。
 その仕草も漏らさずランルは見つめる。
 ガラディアに災いを持ち込むのならば、王女の立場として見逃す訳にはいかなかった。
 そう思って睨みつけるのだが、サウスの横顔を見ながら掴む力は薄れていった。何を思っているのか、彼の横顔は悲しくなるほど何の感情も読み取らせない。
「……この大会に出るために入国したの?」
 問いかけを変えるとサウスはようやくランルを見た。困ったように笑う。
「あんたが王宮に来いと言ったんだろ。その通りに来てみればいつの間にか登録されていて、訳が分からないまま試合に駆り出されて」
 サウスの口調は不本意そうで、本当に困惑しているようだった。黙って聞いていたランルは吹き出した。
 サウスが顔を顰めてランルを見下ろす。
「なぁに。それじゃあ貴方、成り行きでこの大会に出てるって訳? 他の者が聞いたら怒るわよ。彼らは本気で優勝を狙っているんだから」
「そうなのか」
「そうよ」
 真面目に返すサウスに、ランルは笑いが止まらない。サウスの肩に寄りかかり、お腹を抱えて笑う。
「そんなに笑われるようなことか?」
「だって貴方……」
 ランルは必死で笑いを納めて咳払いした。
「それじゃあ、サウスは何の為にガラディアに来たの? 観光?」
 サウスはきょとんと瞳を瞬かせた。
「最初は観光だったが……ランルが王宮に来いと言ったから」
「ああ、なるほど」
 ランルにすれば何の気もなくポツリと零した一言である。けれどその事に本気で反応してくれたという事が嬉しくて、ランルは自然の笑みを浮かべていた。
「それにしても騙されたわ」
「え?」
 笑い混じりに唇を尖らせたランルはサウスを睨んだ。
「ここまで勝ち抜けるほど強いのだと知ってたら、あの場で勝負を申し込んでいたのに」
「それは……俺が怒られるようなことなのか?」
「そうよ」
 即答すると、サウスは可笑しそうに笑った。
「騙されたのは俺の方だ。王女だというのは聞いてなかった」
「それは貴方の調査不足」
 再び即答すると、今度は苦笑が漏らされる。
 外套を掴む手がそっと外され、ランルはドキリとした。サウスの手はそのままランルの手を掴む。
「何が望み?」
 掴まれた手を気にしないようにしながら、笑ってサウスを見上げる。王宮までわざわざ足を運んだサウスになら、無茶な要求でも何とかして叶えたいと思う。サウスが大それた欲望を抱いているとは思えず、王女の特権を利用すれば大抵のことは叶えられるだろう。
「一つだけ、叶えてあげるよ」
 告げたランルの脳裏にヨールの顔が浮かんだ。
 その事に胸中で自嘲しながらランルはサウスに笑いかける。
 ――瞳を塞がれた。
「サウス?」
 ランルは大きな手で両目を塞がれる。視界を奪われた事に困惑してその手を外そうとしたが、直ぐ近くでサウスの吐息が聞こえた。体が緊張する。
「その顔はいらない。笑えないなら無理して笑うな。見たくない」
 その声にランルは両手を下ろした。急に抜け殻になった気がして抵抗を解く。
 直ぐにサウスの手は外されて、間近にあったサウスの顔を見つめた。
「欲しいものは自分で手に入れるから、叶えて貰うまでもない」
「なら……何をしに、ここへ来たの」
 サウスは笑う。何の裏もない、邪気のない笑顔。
「ここで優勝すれば近衛にもなれるんだろう? ランルの側に居られる」
 一体この男は何を言うつもりなのかと、ランルは目を丸くした。
「俺が貰いたいのはランルの信頼だよ」
 ランルは更に目を瞠って――徐々に滲む心底からの笑みを浮かべた。
 なぜだか妙に嬉しい。
 ランルはそのまま地面にしゃがみこむ。声を出さぬまま、肩を震わせて笑った。
 視線を落とした先の芝生が霞んで見えた。

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 欲しいものは自分で手に入れると言い切った言葉通り、サウスは順調に勝ち上がった。参加者の中でも群を抜いた剣技で、実力は安定している。誰の目から見ても優勝は確実に思えた。
 決戦を控えた休憩時間。
 ランルは二階に与えられていた貴賓席の階段を下りて、一階の貴賓席へと足を運んだ。そこでは王たちが観戦している。ランルの父である王を中心にして、ランルの実母である王妃と、二人目の妃であるカルミナが控えている。
 休憩時間に飲み物を受取っていた王はランルに気付いた。王妃たちも直ぐに振り返る。
「お父様」
 ランルは王の横に立って舞台を見た。
 丁度休憩時間が終わろうとする頃で、決勝の準備が整えられ、サウスが入場してくる所だった。彼の鮮やかな赤を目にしながらランルは王に提案する。
「もしサウスが優勝したなら、彼を私に下さらないでしょうか」
 王は飲んでいた果実酒を気管に詰まらせて盛大に咳き込んだ。見守っていた者たちも驚いたようだが、まずは王を何とかしなければと駆け寄ろうとする。しかしランルは誰も来るなと手で制した。
 しばらくすると王の咳が治まり、彼はランルを見上げた。
「ヨールを本来の所属へ戻して欲しいのです。その代わりにサウスを私の近衛に」
 試合が始まる。
 宝珠によって作られた小さなボールが二つ打ち上げられ、天空で軽い音を何度か響かせて破裂した。色の付いた煙が二筋漂う。
 サウスは大きな剣を両手に持って迎えうった。
 安定した剣捌き。
 観客全員がそれぞれ贔屓にしている者達に激励を飛ばす。
「ヨールが私に付けられたのは監視の為だと見抜かれてるんですから、言い繕っても遅いですよ」
 しかし、と言いかけた王の言葉を、ランルは言わせもせずに遮った。王は唸り声を喉で潰して王妃の苦笑を買う。
「ヨールがいなくなって王宮の警備隊は飽和状態です。ヨールの所には頻繁に彼らが指示を仰ぎに来ますし、彼は休む暇も無くて辛いでしょう。あと一ヶ月もすれば、今後を任されたジェマは発狂しますよ」
 ヨールが突然異動となった時、王は権限を持ってジェマに後任を告げたのだ。その場に居合わせたランルが見る限り、ジェマは哀れなほど青褪めて、今にも卒倒しそうに見えた。
 ランルは王を見つめる。
「サウスが私の近衛になれば、私が王宮から出る必要もなくなります」
 ランルが王宮から抜け出す事を認めるか、サウスをランルにつけて剣技を身につけさせる事を認めるか。二択を迫ったランルはサウスの試合を振り返った。
 相手の動きを先読みしているサウスは小手調べのように加減をしながら切り込み、受け止め、回り込む。
「しかし、だな」
 軍の方では既に兵たちの雇用が決められている。細かな配属先も決定済みである。
 王は困ったように眉を寄せた。
「宜しいのではなくて? それでランルが自覚を持ってくれると言うのなら」
 口を挟まずに黙っていた一妃が告げた。
 ランルは意外な気分で己の母を振り返った。視線の先で一妃は微笑みながらランルを見つめる。
 ――自覚を持ってくれると言うのなら。
 その言葉に戒めを感じて、ランルは黙ったまま王を見つめた。
 ランルと王妃と、二人の意見に迫られて王は苦渋の表情を浮かべている。二妃のカルミナは何も口を挟まず、ただ成り行きだけを見守っていた。
 王はしばらくの沈黙の後、長い溜息と共に吐き出した。
「認める」
 ランルの顔が輝いた。嬉しさのあまり王に抱きつく。
「ありがとう、お父様!」
 同時に、大会を仕切る司会から、サウスの優勝が告げられた。
 ランルはサウスの優勝を知った途端、振り返って貴賓席から飛び出した。
「ランル!?」
 王の声が追いかけたが、ランルは既に舞台に姿を現してしまっている。気付いた観客たちが騒ぎ、ランルを包む。一人で舞台に残っていたサウスは眉を寄せてランルを見返した。ランルはそんな彼に微笑みを返しながら、司会者が持っていた剣を奪い取る。
「ランル様!?」
 慌てたように追いかけてくる声。
「何をするつもりだ?」
 サウスの疑問も当然だ。戸惑う彼には試合疲れが見えていた。
「お疲れ様。でもあともう一勝負、頑張って頂戴」
「何?」
 ランルは鞘に入っていた剣を引き抜いた。鞘を舞台の外へと投げ飛ばしし、戸惑うサウスに剣先を向けると観客がどよめく。
「私以上に腕が立つ者ではないと側にいる事を許さないと、そう宣言していたの」
 舞台には誰も上がってこなかった。
 近衛たちが泡を食ってランルを引き戻そうとするのだが、彼らは見えない壁に阻まれたように近づけない。その後ろで王たちが溜息をつき、ヨールは苦渋の表情でサウスを睨みつけていた。唯一、見えない壁の外にいた司会者がランルに近づこうとしたが、突風に阻まれて貴賓席まで押し戻された。彼も壁の中へと閉じ込められる。
 ランルが発動させた宝珠の力によるものだ。
 サウスは一連の流れを見ながら溜息をついた。
「……それで、傷がつくのには慣れている、か」
 初対面の時に零された言葉を、ようやく得心がいったかのようにサウスは頷いた。ランルは笑いながら「ええ」と頷きを返す。
「手合わせ願えるかしら?」
「私でご指導できるなら」
「……言ってくれるじゃない」
 悪戯に笑うサウスへと、ランルは唇を尖らせて剣を構えた。同じくサウスも構える。
 どこにも隙が見えない構え方。身長差も手伝い巨大な存在に見えて、嬉しかった。
 王女と優勝者との試合に、観客は熱い声援を送った。
 滅多に姿を現さない王族が、このように民衆と近い立場にいること自体、観客たちは信じられない。噂は聞き及んでいるが、実際に彼女が扱う剣術はどのような物なのか。王族は全て同じ剣術を扱うのか。民衆の興味が尽きることはない。
 ランルの帝王学の中に剣術は含められていない。彼女の身は何物にも劣らない宝珠の力が護っている。ランルが扱う剣は全て独学であり、旅人たちから基礎を少し手解きされた程度である。本格的な剣術とは言い難い。
 ランルは素早くサウスに仕掛けたが、彼は剣で受け止めてそのまま流す。間合いに入ったランルに剣を振り下ろすが、その程度の単純な動きであればランルにも先読みできる。横っ飛びに跳ねて躱し、側転するようにサウスの後ろへ回り込む。
 サウスは素早く反応を返し、肩を狙って叩き込もうとする。その剣をランルもまた素早く剣を振るって相殺した。
 両手で支えなければ押し切られそうなほどに強い剣。
 まともに受けていたのでは剣が折られる。
 ランルは引いて受け流し、体のバランスを保ったままのサウスに舌打ちしたくなった。けれどそのような余裕はない。弾くように彼の剣を横に流すと、意外にもサウスはそれに乗ってくれた。明らかにわざとである。
 ランルは腹を立てて奥歯を噛み締める。剣を横に流されて彼の胸部が大きく開く。隙に見えたそこへ剣を繰り出したランルだが、視界が90度回った。
 足払いを掛けられたと気付いたのは、舞台の石畳が間近に迫った時だ。
 サウスの外套が掠めるように石畳で揺れているのが視界に入り、本当に一歩も動かす事が出来なかったのかと、悔しくなって視界が滲む。
「いい筋はしているようだが、試合慣れしてないな」
 勝負はついた。
 ランルは滲む視界に耐えてから体を起こし、差し伸べられた手に掴まりながら立ち上がった。服についた汚れを叩き払ったが完全には取れない。
 少し淡く青が混じる戦士服は、ドレスを好まないランルが女官のユーハに頼み込み、特別に誂えて貰った物だ。お気に入りの一着であるだけに落胆は隠せない。
「我流だもの。私が剣を構えれば、よってたかって取り上げられるの」
 ランルが立ち上がると、サウスはその場に片膝をついて礼を取った。
 民衆の歓声。
 どこか遠くに聞こえるそれを聞き流しながら、ランルは彼の肩に手を当てた。掴まれたままだった手の甲に、騎士が一般的な忠誠を誓うように口付けられようとする。それに気付いたランルは慌てて手を振り払った。サウスが怪訝な顔をする。
「ランル?」
「勝ったのは貴方よ」
 礼を取るのは私の方、と忠誠を拒んだランルにサウスは笑った。
「変な王女だな」
 ランルは微笑みを見せながらサウスの両肩に手を置いて腰を屈めた。
「これから貴方は私の近衛。観客全員が誓いの証人よ」
 暗く燃えるような髪を目にしながらランルは彼の頬に口付けた。
 王女から家臣に対する褒賞としてはこれ以上ないものだ。
 耳をつんざくような歓声の中で、顔を離すとサウスは驚いたようにランルを見上げていた。
「決定なのか?」
「今更遅いわよ」
 どこか抜けたようなサウスに苦笑を漏らすと、サウスは破顔して立ち上がった。
「王女にばかり誓わせるのは公平ではないだろう」
 言葉の意味が分からず首を傾げるランルに、素早く被さる影。
 頬ではなく唇に。
 従者ではなく、対等の人間、異性として。
 本日最高ではないかと思われる、爆発のような歓声が響いた。
 耳が痛くなるそれに包まれたランルは、視界の端で王族全員が唖然と立ち上がったのを見る。
 ――私以外の信用は失ったわね。
 ランルは胸中で呟いてサウスを見上げた。
 触れられた唇に笑みを乗せ、嬉しげに輝く深紅の瞳を見返した。