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第一話

【三】

「おうカーデの娘!」
「うるさいわね。私には『イリア』っていう名前があるの。名前で呼びなさいよ」
 舳先に設置されている女神像を見ていた時。通りすがら掛けられる声を聞き流していたイリアだが、遂に怒りを爆発させた。気さくに見えても彼らは海賊なのだから少しは大人しくしていようと決めたのに、我慢できなかった。
 苦々しく顔をしかめて女神像へ視線を戻す。
「さっきから船長が捜してたぜ」
 呼び捨てよりも嫌な言葉にイリアは思い切り眉を寄せた。
「なぜ私が呼びつけられなきゃいけないの。用があるならダルスが来ればいいのよ」
 顎を逸らしてみせると笑われる。
 男たちはダルスを畏怖の念で接しているようだが、海軍将校を父に持つイリアには恐れる理由が見つからない。密航した当初は震えたが、船を降ろされる心配がなくなった今は開き直ることもできた。
 そして男たちに『カーデの娘』や『能力者』としての印象を植え付けたイリアだが、元来の威勢の良さと、ダルスが気に入っているという要素が手伝い、存在は好意的に受け入れられていた。この者たちは本当に悪名を響かせている海賊なのかしらと疑問が湧くほどだ。今のところ無体を働かれることもなく無事に過ごせている。
 イリアは女神像を眺めてため息をつく。この船でミフト大陸へは行けないだろう。適当なところで下り、別の船を探さなければいけない。このまま海賊と一緒にいるのはさすがに危険だ。
 船内へ戻ろうかしらと踵を返す。
「お望みどおり、来てやったぜ」
「きゃああっ?」
 いつの間に背後にいたのか。赤銅色の髪が視界に入ったのも束の間、イリアは抱え上げられて悲鳴を上げた。
「下ろしなさいよ!」
 驚きは一瞬で去る。羞恥と怒りに頬を紅潮させ、イリアはダルスの髪の毛を引っ張った。
「いてて。乱暴な娘だな。カーデは娘の教育に手をかけなかったのか?」
「失礼なこと言わないで頂戴! ちゃんと礼儀作法も教養も身についてるわ! 私のこれは単なる性格よ!」
「ほう。それはそれは。俺の妻としては申し分ない性格だ」
「な、だ、誰が」
 思いも寄らぬ言葉にイリアは絶句する。そしてダルスの次の行動に悲鳴を上げた。首筋に顔を埋めるようにし、口付けられた。
 海軍将校である父ヴェラークに大切にされてきたイリアは免疫を持たない。
「放しなさいよ、この変態!」
 気持ち悪さに涙を浮かべて怒鳴りつける。
 ダルスは苦笑してイリアを解放した。
 その瞬間にもイリアはパタパタと走り、ダルスと距離を取って振り返った。汚れを払うように全身を手で払う。
「もう。だから海賊なんて嫌いなのよ。他人の迷惑、考えもしないんだから」
「お前だって俺たちの迷惑考えずにここにいるじゃないか」
「だって貴方たち海賊じゃない。迷惑なんて、かけても心が痛まないわ」
 ダルスは声を上げて笑った。
「船長! カーデ艦が近づいて来ましたぜー!」
 主帆の見張り台から身を乗り出した男がダルスに手を振った。
 イリアは見られていたのかと顔を赤くしたが、彼の言葉に表情を改めた。示された方向に視線を向けるが、カーデ艦の影はまだ見えない。既に水柱も見えなくなっていた。カーデ領から随分と遠く離れたらしい。
「心細いか」
 どんな表情をしていいのか分からなかったイリアは振り仰ぐ。先ほどまでとは違って落ち着いた雰囲気のダルスがイリアを見下ろしている。深い海の底に生まれ出でたような、神秘的な緑柱石の瞳。残忍だとも言われる海賊だが、彼の瞳には血の翳りが見出せなかった。
 イリアは視線を逸らしてポツリと呟く。
「知らないわ。お父様なんて、今回の件でお咎めを受ければいいのよ」
 そのまま一度も振り返らずに船内へ足を向けた。
 ダルスからは何の言葉もない。けれど背中に彼の視線を感じる。その場を離れ、船内に入って扉を閉める。ようやく視線の呪縛から逃れて大きく息をつく。
 扉の丸窓から外を覗くと、ダルスは見張り台の男となにやら大声でやり取りしていた。唇の動きから読み取ろうとしたが、イリアには高度な技過ぎた。
 ダルスの髪が大きく煽られ、イリアは船の速度が再び上がったことを感じた。彼が再び風を使ったのだろう。
 これほどまでに強い能力者とは初めて出会う。
 ヴェラークとは更に引き離されることになるだろう。
 イリアは複雑な思いでダルスを見つめていたが、やがて静かに踵を返した。


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 船内廊下へ入ったイリアは、ダルスが追ってこないことを確認してから首筋に手を当てた。熱を宿したようにその場所は熱い。
「海賊なんて……」
 屋敷を飛び出すほど憤っていたが、その熱はそろそろ治まりつつある。怒りと入れ替わりに湧いてくるのは後悔だ。イリアは唇を噛み締めてうな垂れる。それでも、ダルスの言う通り帰ることはできない。そこまで素直になれるほど大人ではない。
「新しいお母様なんて要らないわよ……」
 呟くようにして廊下にしゃがみこんだ。
 前方の角を誰かが曲がってきて、イリアに気付くと声をかけてきた。
「なんだ、嬢ちゃん、そんなところで小さくなって。急いでる奴がいたら蹴飛ばされるぞ」
 何が可笑しいのか笑いながら声をかけてきた男を見上げる。
「そうそう。さっき船長が捜してたぜ」
 誰も彼もがダルスのことばかりで、イリアは大きくため息をついた。
「さっき会ったわよ」
「そうか。ならいいな。よし、来いよ」
「え?」
 男に手を引かれて眉を寄せる。彼の力は強くて振り解けない。船の奥へ引き込まれて、イリアは表情を強張らせた。どこへ連れて行こうとしているのか分からない。
 イリアは嫌な汗が滲み出すのを感じながら様子を窺っていたが、目的地へは直ぐに着いた。
 男が扉を開けると広い空間が待ち構えていた。そこは食堂だ。飯時になれば賑わい、ほとんどの席が埋まるだろうそこは、現在は無人だ。寒々しく閑散とした空気が流れている。
 男は食堂を過ぎって厨房へ入り、イリアの背中を押した。
「え……え?」
「働かざる者食うべからず! お前の配置はここだ!」
 何を言われているのか分からずイリアは戸惑うばかりだ。けれど男には関係がない。イリアの様子を気にせず、厨房の奥に声をかける。
「おーいレナード。連れてきたからよろしく頼むなー」
 奥からは返事ともつかないくぐもった声が返って来た。
「よし。じゃあ上手い夕飯、期待してるからな!」
「ちょ、ちょっとっ?」
 男はイリアの両肩を叩き、豪快な笑い声を上げると素早く部屋を出て行ってしまった。イリアは唖然として立ち尽くす。
「いやよ、私、料理なんて……」
 ここへは父から逃れるためだけに乗り込んだ。本当なら直ぐに船を下りるつもりだったのに、状況がそれを許さなかっただけだ。海賊に飯炊きなど、なぜしなければいけないのかと、イリアは沸々と怒りを募らせた。これまで料理などしたことがなく、何をすればいいのか見当もつかない、というのが本音だ。
 ひとまず先ほどの男を追いかけようと踵を返したとき、背後から大きな声が聞こえてきた。
「お前が新入りか。ダルスと同じ能力者なんだってな!」
 振り返る前に背中を叩かれ、イリアは悲鳴を上げる。だが厨房の奥から現れた男は笑っただけだった。
「なんだ、細っこい娘だな! 海賊の女はもっとガッシリしてるのが理想的だぞ。そんな体で大丈夫なのかぁ?」
 イリアは睨みつけようと振り返って息を呑んだ。
 立っていたのは大男だった。イリアの背丈の二倍ほどもあり、厳めしい顔つきでイリアを見下ろしている。
 海軍の娘と海賊。本来なら敵同士だが、この男もまた他の男たちと同じく、そんなことには無頓着のようだった。イリアを見つめる瞳に警戒心がない。ただ興味を惹かれるまま面白そうに笑っている。不思議な距離感にイリアの方が戸惑ってしまう。
 本能的に体を引いたイリアを、男は逃がさないつもりかつかんだ。その手は大きく、余裕がある。抗議の声など上げる間もなくイリアは厨房の奥へと引きずりこまれた。
 やっぱり帰ると言えば良かったのか。こうなっては後の祭りだ。
 イリアは戸惑いながら男に従う。厨房には、更に奥へ続く扉がある。開けると湯気が二人を包み込み、イリアは美味しそうな匂いを嗅いだ。自然と頬が緩む。思わず警戒心を忘れてしまう。
「いい匂い……」
「ありがとうよ。あんたの当番はこっちだ」
 腕を解かれ、示されたイリアは振り返る。巨大な貯蔵庫に興味を惹かれる。作ることに興味はなくても、探索には興味がある。許可を求めるように男を探ると、男は笑顔のまま頷いた。イリアは貯蔵庫の取っ手に手をかける。
 扉は鍵でも掛かっているのではないかと思われるほど重い。イリアの力では、全力をかけても開かない。しばらく奮闘しても同じだった。
「なんだ。力ねぇなぁ」
「重過ぎるわよ! 何で出来てるの、この扉!」
 思わず扉を蹴飛ばすイリアに男は笑う。大きな手が頭を撫で、イリアは首を竦めた。
「まぁいい。じゃあ今日のところはこっちにするか」
 責めることなくレナードは別の場所を示す。イリアは唇を尖らせながらついて行き、そしてまな板の前に立たされた。包丁を差し出されて恐る恐るつかんでみる。初めての体験だ。持っただけではどこも怪我をしないことに安堵して息を吐き出す。男が面白そうに笑いを噛み殺す。
「芋でも剥いてみるか」
「え」
 安堵したところに小さな芋を転がされて、イリアは思わず男を見た。
 どうすれば剥けるのか分からない。芋と男を見比べてみる。しかしそんなことをしていても芋が自分から脱皮してくれるわけもなく、戸惑って包丁の先でつついてみる。芋は転がり、イリアは固まる。男に笑われた。
「ほら。こうやればいい」
 イリアの手から芋を取り上げ、男は薄く無駄なく芋を剥いて見せた。あっと言う間の作業にイリアは目を丸くして感嘆する。
「あなた凄いのねぇ!」
「凄いって……あんたな」
 さすがに少々呆れたように眉を寄せ、男は剥いた芋をイリアの前に差し出す。
「切るくらいならできるだろ」
 男の技にすっかり気を許したイリアは「それくらいなら」と胸を張り、包丁を握る手に力を込めた。
 目の前の芋に振り下ろす。
 真っ二つになった芋は、半分がどこかに飛んでいった。
 男が絶句する。
 イリアは首を傾げたが、残った芋を見定め、再び包丁を振り下ろした。
 厨房内に響き渡る、とても料理をしているとは思えない包丁の音の中、男は唖然としながらイリアを見つめる。数秒沈黙したあと、腹を抱えた。
「あんた、やるなぁ……!」
 涙を溜めての大爆笑だ。
 床にしゃがみ込んで大笑いする男にイリアは首を傾げ、それでも包丁を握る力は緩めず、芋を滅多切りにした。
 最初に男が差し出した芋は拳大だったのに、今やその体積を半分以下に減らしていた。
「これでは集めるのが大変ね。料理人って、毎回こんな面倒な作業してたのね」
 飛び散った食材を見ながら本気で呟いたイリアに、男は大きな笑い声を上げた。
 芋を滅多切りにしてイリアが一息つき、男が立ち直ったあと。
 まだ肩を震わせた男はイリアから包丁を受け取った。律儀に芋の残骸を集めるイリアの手を止めさせ、残骸はひとまず脇に寄せる。
 もう一度小さな芋の皮を剥くと、再びイリアの前に置いて包丁を差し出す。
「手を添えて切れば飛び散らない」
「でも、包丁が手に振り下ろされそうで危険だわ」
「包丁は振り下ろすんじゃない。引いて切るんだ」
 ところどころ笑いを滲ませてイリアの背後に回る。イリアの両手を取り、「こんな風に」と実際にイリアの手を使って切って見せた。もちろん芋は飛び散らない。新たな発見にイリアは「へぇ」と本気で感嘆する。
 男が新たな芋を転がすと、イリアは言われるまでもなく夢中で切った。男が面白そうにしているのは気付かない。
 ずいぶんと長い間、食材切りに熱中して一通り終わってしまったことにも気付かなかった。
「ああ、楽しかった。ありがとう!」
「こっちこそ」
 満足気に笑って礼を言うイリアに男も返す。
 煮込んでいる鍋をかきまわすよう指示を出すと、上機嫌なイリアは簡単に承諾してそちらへ向かった。

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