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第一話

【五】

 イリアが海賊船を離れてから少し後のことだ。
「ええええっ! カーデの娘、帰しちゃったんですかぁっ?」
 男たちの悲鳴にダルスはたじろぐ。どうやらイリアは知らぬところで人気者になっていたらしい。女ッ気のない船だから、尚更だ。男たちは一様に失望の色に染まる。
「本人が望んだことだ。それに、いつまでもカーデに狙われてたら島に帰ることもできねぇ」
「でも船長。あの娘のこと、気に入ってたじゃないですか!」
 必死で食い下がる男たちにダルスは唇を曲げた。
 気に入っていたことは確かだが、真正面から「嫌い」だと言われれば興味も失せる。手に入らないならば用はない。
 船員たちの反応を不愉快に思いながら、ダルスは海へ視線を投じた。
 イリアを下ろしてから随分と時間が経っている。もはやどれほど瞳を凝らそうと、彼女の姿が見えることはない。カーデの艦も見えなくなっている。
「意気地なし」
「なんだと?」
 その言葉だけが耳に鋭く飛び込んできた。
 ダルスは剣呑に顔を上げたが、誰とも視線は合わなかった。男たちは既に散じようとしており、犯人の特定は難しい。
 ダルスは小さく舌打ちして歩き出す。自室に戻りながら各所で点検を行い、面白くない気分になりながら頭を掻いた。
 慌しい台風のような娘だ。どこか憎めない。船に乗っていた時間は一日もなかったというのに、随分と好かれたものである。
 もう会うこともないだろう。
 少しだけ感慨に浸るように、ダルスは思う。
 姫君はあるべき場所へ戻ったのだから。
 そうして、ダルスは静かに瞳を閉じた。


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 迎えに来たカーデ艦へ引き上げられたイリアは、甲板で待ちわびていたヴェラークに力強く抱き締められた。潮の香りが強く漂う。常人よりも鍛えられた体は大きく、彼に抱き締められるとイリアは丸々体が隠されてしまう。正直、窒息の危険すら覚えたこともある。
 けれど今は、そんな体温や危機感を客観的に分析して、イリアは艦内を見渡した。今日は非番だった軍人たちが勢揃いしている。ヴェラークが強引に出動させたのだろう。屋敷を出るときは私服だった彼も、今は識別色で作られた軍服をまとっていた。
 ヴェラークに恨みがましい視線を向けることなく、彼らは親子の再会を微笑ましく見つめていた。ヴェラークの艦に乗る彼らは共通して善人だ。
 軍艦だけあり造りは他の船に劣らない。しかし、ここにダルスはいない。そのことを少しだけ不思議に思う。
「何もされなかったか?」
「別に――」
「そうか。なら良かった」
 彼の腕から解放されたイリアは覗き込まれて視線を落とす。屋敷を飛び出した怒りなど忘れてしまったようだ。
 ヴェラークは優しく微笑んだあと、眦を吊り上げて表情を一変させた。
「この馬鹿娘が!」
 イリアの頬を両手で挟んで平手打ちする。加減は心得ており痛みは少ない。それでも、ヴェラークからこのような暴力を受けたのは初めてで、イリアは驚いて顔を上げた。これまで見たこともない険しい表情をしている。
「ミレーシュナがいなくなって、お前までいなくなっては、どうすればいい!」
 真摯な怒りにイリアは驚愕した。叩かれた頬を押さえ、言葉を噛み締める。すると、忘れていた怒りが徐々に復活してきた。拳を握り締めて肩を怒らせる。
「新しいお母さまがいるじゃない……私がいなくても、寂しくなんてないじゃない!」
「私が誰のために再婚を決めたと思ってるんだ。イリアが、二人きりは寂しいと零すから!」
 その言葉にほだされかけたイリアだが、なぜそこまで飛躍するのかと再び怒りを募らせる。グッと息を詰まらせてヴェラークを睨みつける。
「どうしてそこで新しいお母さまなわけっ? 行動が滅茶苦茶過ぎるのよ!」
 親子喧嘩を聞いていた男たちは全員が「どっちもどっちだ」と声に出しかけたが慌てて飲み込んだ。イリアたちは既に互いしか見えなくなっている。周囲は眼中外で、このままではつかみ合いに発展しそうな勢いで怒鳴りあいを繰り返した。
「ミレーシュナに似た使用人を雇ったら追い出したではないか! 母にしてしまえばお前でも追い出せないだろうっ?」
「だから、どうしてそこでお母さまに似た使用人なんか雇わなくちゃいけないのっ? 静かにお母さまだけを忍んでたらいいじゃない! 結局顔が同じなら誰でも良かったのね、最低! 男なんて大嫌い!」
 矢継ぎ早なイリアの怒鳴り声にヴェラークは言葉を詰まらせた。
 けれど低次元な言い争いは、非番の者たちが集うなかで、そのまま盛大に続行することになったのだった。


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 艦内に与えられた個室の寝台に仰向けになり、腕で目隠しをしていた。
 ここ数日で溜まっていた苛立ちが、喧嘩することで洗われたようだ。あれだけ言えば気が済んだのかもしれない。海水までも駆使して行われた親子喧嘩は、軍人たちが警報を鳴らして避難するほど盛大なものだった。そこまで暴れられればすっきりもしよう。
 イリアは疲労感を覚えながら笑っていた。
 おかしくて、満足で、それで笑っているはずなのに。胸の中はなぜだか空虚で釈然としない。しまいには涙まで出てくる始末だ。胸が締め付けられる感覚に陥った。
「ああもう、寝よ寝よ。明日には港に着いてるはずだし!」
 一日も経っていないのにずいぶんと遠くの海まで来てしまったらしい。通常の航路は外れていたが、普通の船の3倍の速度で距離を稼いでいたということだ。ダルスの能力はやはり、それほどに強いものなのだと改めて実感した。
 来た距離を考えると、今から引き返しても到着は明日の朝になるだろう。
 現在の位置は算出されている。直ぐ近くにスアシャ大陸が迫っていた。徹夜で国に戻るより、スアシャ大陸に停泊して一夜を過ごした方が安全だったが、ヴェラークはそれをしなかった。今回の出動は王の許可を取らず、無断で行った。そのため、用事が済んだなら即、港へ戻らなければいけない。
「……馬鹿」
 誰に向けての呟きなのか分からない。
 寝返りを打って、瞳を閉じた。
 ――直後に飛び起きる。
「だぁ! 何で目を瞑ってまであんな奴のこと考えなきゃいけないのっ? 出てけ、出て行けお前!」
 脳裏に生まれた像を何とか追い出そうとかぶりを振るが、イリアの頭が痛くなるだけだった。ダルスの顔は一向に消えない。
「だいたいね。子どもまでいるっていうのに私に手を出そうなんて、お父様よりタチが悪いわ。男の風上にも置けないわね。抹殺よ。そうよ、それしかないわ――ああもう、だから! 考えたくないんだってば!」
 ぐああっ、と貴族の姫とは思えないような奇声を上げたイリアは、肩で激しく息をすると寝台に倒れ込んだ。しかしそれも長くは続かず直ぐに体を起こす。誰もが眠ってしまったのか、廊下は閑散として誰の気配もない。気分を変えたくて、イリアは部屋から出た。
「お父様の馬鹿。明日には新しいお母さまに会えるって、何でそんなこと言うのよ。私が言ったこと、全然分かってないじゃないの。私は新しいお母さんなんて要らないって言ってるのになあーああー」
 何も考えたくなくて無駄に声を出してみた。手を振り回す。
 ハタと気付いて辺りを見回し、誰もいないことを確認して安堵する。
(気をつけなくちゃ。頭が変な子だと思われちゃうわ。全部あの海賊のせいよ)
 憤然と歩きながらイリアは頷く。
(考えない考えない。無心無心。ダルスの奥さんって美人かしら)
 決意は早々に崩れていたがイリアは気付かなかった。
 甲板に出ると風が冷たかった。誰もいないようだ。今回は私用による航海のため目立つわけにもいかず、照明も鉱石ランプだけ、と小さくしてある。常の航海なら考えられないことだが、危険がないと判断して見張りを配置していないのだろうか。ヴェラークの領海に入ったため常に巡視船が往来している。それとも見張りの交代時間がずれたのだろうか。
 イリアは少し肌寒さを感じながら船の縁べりへ寄る。
「海面見ると酔うって言うわよね」
 試しにと海を覗き込んでみる。渦巻く波を見ていると、確かに気分が悪くなってくるような気がする。
「よし。これでグッスリ眠れたら言うことなしだわ」
 妙な自信を湛えて拳を握り、少し痛くなった頭を上げた。ヘリに肘をついて頬を抱く。
 夜の海は闇に沈んでいて、何も見えない。いつもは透き通る海も今は黒々とした静寂を宿すだけだった。
「そういえばダルスって何歳だったんだろう」
 考えたくないはずだったのに、口をついて出たのは彼のことだった。
 風が強くなり、腕をさする。
「私とそんなに変わらないように見えたんだけどな。えっと、十八くらい? いえ、待って。十歳の子どもがいるって言ってたわよね。まさか八歳で子どもができるわけないし……あ、海賊ならそれも有りなのかしら? いえ、やっぱり常識じゃないわよね」
「お前に常識があるもんか」
「うるさいな。考えごとしてるんだから黙っててよ」
 横槍を入れられて眉を寄せ、空を見上げる。
 今日は雲が一面を占めていて星が見えない。こんなに風が吹いているのだから雲が流れていってもいいはずなのに、と不思議に思いながら、ひとまず思考を戻すことにした。
「どこまで考えたっけ。そうそう、子どもよね。とりあえず十五歳って考えて、それから十年足して二十五……猶予期間足して二十六にしておこうかしら」
 次々と決めながら満足して頷いた。そうしてから結果に目を瞠る。
「うっわ、二十六? ダルスって童顔にも程があるわ。レナードの時にも思ったけど海賊してると皆で童顔になるのかしら。羨ましいけど凄く嫌!」
「あのな、イリア」
 いい加減に気付けと声を掛けられたが「うるさい」と隣に来た男に手を振る。
 しかし次いで、壊れた機械のようにその男を振り返った。
 風が強く吹く。
「ぎ……っ!」
 ふてぶてしい態度で隣に陣取るその男は、紛れもなく海賊。
 海軍の艦に堂々と立つダルスに、イリアは絶叫しようとしたが阻まれた。さすがに叫ばれては不味いと思ったのか、ダルスが素早くイリアの口を塞いだのだ。大きなその手にイリアの息が止まる。
「こ、子ども、子ども……!」
 しばらくして放して貰えた後も、イリアはその言葉だけを繰り返した。ダルスに熱を測られて不思議そうな顔をされても、その意味を理解できない。
 ようやく衝撃から立ち直ってきたとき、イリアは息を大きく吸い込んでダルスを睨みつけた。
「奥さんに申し訳ないとかくらい思え馬鹿ー!」
 イリアの平手が勢い良くダルスの頬に飛んだ。突飛な行動はダルスでも予測し切れなかったらしく、彼はまともにその攻撃を受ける。微かによろめいた。
「お、奥さん……?」
 平手攻撃は結構な威力だったらしい。痛みに顔をしかめながらの問いにイリアは勢い良く勢い良く頷いた。
「そうよ。ダルスの奥さん。十歳になる子どももいるって」
 ダルスは話の途中でイリアを横抱きにした。
「何するのよ!」
 聞く耳持たずにダルスはそのまま艦のヘリに足をかけて飛び降りようとしている。イリアは怒鳴りながら再び平手打ちを見舞おうとしたが、それよりも先に艦から落ちた。
「きゃああああ!」
 イリアの絶叫が海面を駆ける。自分が水を操れることも忘れて力いっぱいダルスにしがみ付く。
 笑う気配が耳元で聞こえ、同時に今までとは比べ物にならないほど強い風がうなり声を上げる。しかしそれは一瞬でおさまった。
「で。奥さんって何」
 一瞬の出来事をすべて、目を瞑って感じていたイリアはその声に瞳を開けた。自分の状態を確かめて目を瞠る。
「浮いてる……」
 遥か下方に艦が見える。そう思ったのも束の間、景色が流れていく。
「お前だって海面に立てただろう。風で浮くくらい、俺には何ともない」
「人間じゃないわ」
 ダルスは呆れたようにため息を吐き出した。その横顔をイリアは見上げる。
 父が海軍将校ともなると、必然的にイリアも海軍本部や関係者との交流を持ち、何人かの能力者たちとも会って来た。けれどダルスは、今まで出会ったどんな能力者たちよりも優れた力の持ち主のようだった。宙に浮くことができるほど強い風を自由に操れるなど、考えられない。
「で、奥さんって何?」
 話題を戻されて我に返る。
 この際、カーデ艦が遠く離れていくことよりも疑問を解決する方が先だ。
 首を傾げる脳内の自分は都合よく無視することにして、イリアは頷いた。
「あなたには、美人で気立てのいい、料理上手な奥さんがいるじゃない」
 ダルスは思い切り顔をしかめた。
「今年で十歳になる子どももいるって、レナードから聞いたのよ」
 お前の耳はきっと飾りだ、というダルスの言葉は聞かなかったことにして睨みつける。目の前でため息をつかれる。
「俺、今年でやっと十九なんだけど。いくら俺でも九歳で身を固めようとは思わねぇよ。その頃は島で岩転がして遊んでた」
「岩っ? 何のために岩を! いいえ、言わなくていいわ。想像するだけに留めておくから。それより十九歳ですって? 絶対嘘だわ。詐欺だわ。ダルスの年齢は二十六歳だって決まってるのよ」
 その時ちょうど良く、ダルスは自分の船へと足をつけていた。
 下ろされたイリアは気付いて周囲を見回す。カーデ艦と同じように海賊船も闇に沈んでいる。甲板には誰の気配も感じられず、黙ってダルスを見上げた。
「何で連れてきたの?」
「海賊だからな。欲しいものは奪い取る」
 近づいてきたダルスの顔面を平手で叩いた。そのまま押し戻す。
「浮気な男はキ、ラ、イ!」
 一字一句区切りながら手に力を込める。
 ダルスはかぶりを振ってイリアの手を振り解き、眉を寄せてイリアを見下ろした。
「一途だろ」
「子どもいる男のどこが一途っ?」
「だから、お前の言ってる意味が分からねぇ」
 少々不愉快そうな声に怯んだものの、イリアは気を取り直して息を吸い込んだ。
「レナードに聞いたのよ。ダルスに似て美人になりそうな十歳の可愛らしい赤ん坊がいるって。“ダルスに似て”っていう時点で既におかしいわよね!」
「おかしいのはそこか?」
 ダルスは奇妙な顔をして黙り込み、不意に「イサミアのことか?」と呟いた。敏感に聞きとがめたイリアは勝ち誇ったように胸を反らす。
「ほら。心当りがあるんじゃないの」
「あれは俺の妹だ」
 イリアは瞳を瞬かせた。
「いもう、と?」
「俺が男前に育ったからな。確かにイサミアも美人に育つだろう」
 自画自賛的な物言いにイリアは眉を寄せたが、ダルスは得意気に笑うだけだ。
「ダルスが男前って時点で嘘っぽい」
「何だとこら」
 睨まれたが、おかしさの方が先に立ってきて、イリアはその場に座り込んだ。それまで荒れていた心が嘘のように凪いだ。
 拍子抜けしながらダルスを見上げると、座り込んだイリアを追いかけるように彼もまた甲板にしゃがみ込む。顎を持ち上げられ、視線を絡ませる。唇が重なった。けれどイリアは特に不快にも思わず受け入れた。瞳を閉じて押し倒されようとした瞬間――我に返った。
「それとこれとは別問題だー!」
 不自然に体勢を崩されたまま、イリアは思い切り足を振り上げて彼の脇腹を蹴りつけた。全力だ。ダルスのダメージは大きく、彼は微かにうめいて脇を押さえる。その間にイリアは彼の手から逃れて船の端へと逃げた。
「イリア!」
「私、帰る!」
 徐々に混乱してきた。
 イリアは大声を張り上げ、船のヘリをつかむ。これ以上この場にいたら危険だと本能が告げている。
「俺は海賊だ」
「だから何っ?」
「海賊は奪うのが専門なんだ」
 イリアは自分の顔が真っ赤に染まったのが分かった。
 それはダルスにも伝わったのか、低い声で笑われて唇を引き結ぶ。顔を逸らした。
「また会いに行く」
 告げられ、イリアは逃げるように船を飛び降りた。
 海賊船は直ぐに遠ざかるが、ダルスの視線はいつまでも追いかけてくるような気がして振り向けない。
 再び会うのはきっと、そう遠いことではない。


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 再びイリアがいなくなったことで、船内は騒然としていた。
 甲板に上がった瞬間、イリアは誰の制止も聞かずに船内廊下を走る。
「お父様!」
 イリア探索のため緊急会議が行われていた会議室へ飛び込んだ。
 扉を壊しかねない勢いだ。
 呆気なく解決した問題に視線が集中する。しかしイリアはそんなことに構わない。乙女の危機だ。周囲の視線を完全無視し、上座にいたヴェラークへ飛びかかった。
「イリア。お前、いったいどこへ」
「私、海軍に入ります!」
 これから数年後、海上では賊と軍との攻防戦が繰り広げられることになるのだが――この場にいる誰もが、そんな未来を予想することはできない。
 突拍子もないことを言い出したイリアを見つめるだけだった。

第一話 END

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