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第二話

【一】

 悪名高い海賊、ダルスに姫が攫われたという話は直ぐに広まった。助けるために立ち向かった父の話も広まり、その父が十三艦隊を指揮する者の一人であるという噂が流れると皆は一様に驚いた。
 十三艦隊といえばジェフリス国を守護する盾だ。
 指揮官はその地を治める家系から選出されるのが通例だが、任命は王が直々に行うため、相応の人物でなければならないのは当然だった。
 王から拝命された軍務に背き、全権を投げ打つ覚悟でなければ艦隊を動かすことなど到底出来ない。その決断に踏み切ったヴェラークの名前は瞬く間に広まり人々の口に上るのだ。
 けれど、彼の名前を聞いた者は一様に納得する。
 ああ彼か、と。
 それまでにも幾つかの武勇伝や逸話を持つ彼であるから、今回の行動も彼らしい、と。
 そうして納得した後に上るのは下世話な中傷。
 口さがない人々によって流されるのは「海賊に攫われたっていう貴族の姫が、何もされずに無事に帰って来れる訳がねぇ」というような物だ。
 当の本人たちが聞いたら大激怒するような内容であるが、流されるのは姫君たちが住まう地とは遠く離れた大地。だから噂の存在も、本人たちの真相も、何も交わされない。
 そんな噂を面白半分に流す者たちは大抵真相などどうでもいい者たちの集まりなのだが、彼らでも一つだけ気になることがある。
 噂話を終えた後の静かな沈黙の後で、彼らは必ず王宮を見やって肩を竦める。
 『カーデの八番艦隊は解散かなぁ』と。
 それもまた、酒の肴にされた軽い想いなのだが。
 多大な戦功を上げてきたヴェラーク=カーデが民衆に好かれているということは事実だった。


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 執務室に繋がる扉を閉めて、ヴェラークは息をついた。扉脇の衛兵が少し苦笑して「ご苦労さん」と声を掛けてくる。
 それに軽く応えてヴェラークは歩き出し、王の部屋を後にする。
「何だ何だ、辛気臭い顔をして。お咎めはなしだったんだろう?」
 廊下を抜け、少々開けた休憩所のような場所に出た途端に掛けられる声。その気安さと人物にヴェラークは眉を寄せる。
 自分と同じく十三艦隊を指揮する者の一人、ディールア=ラード。
 軍学校に通っていた頃からの親友である彼は、呼び出しを受けたヴェラークを心配して駆けつけてきた。
 王宮がそれ程混乱していないことから当たりをつけていた彼は、たとえヴェラークが深刻な顔をしていようと「それほど深刻じゃない。こいつは真面目過ぎるんだ」として肩を叩く。
 ヴェラークはため息を零してひとまず頷く。
 今回は半年前のイリア誘拐事件で呼ばれていた。本来の査問委員会は二ヶ月前に終わっていたが、今回は王からの個人的な要請だった。
 十三艦隊を束ねるのは総督でもある国王、ガヴィルート。
 王族は帝王学の一環として幼少期にあらゆる学校を巡り、そこでヴェラークと出会った。国王と臣下、という壁を超えて築かれた絆はそうそう切れるものではない。その絆はダルスという海賊が出没したことで更に強まった。
 考えごとをしていると周囲が目に入らなくなるのはヴェラークの悪い癖だ。今回もまた、ディールアにひとつ頷いただけで自分の世界に入り、そのまま無言でしばらく歩く。少々暴走気味なのは「あの父にしてこの娘あり」を見事に実演している。
 ほとんど無視されたディールアの拳がヴェラークの脇に決まる。
「正気に返ってこい」
「何か話していたか?」
 無情な彼の一言にめげそうになったディールアだったが、気を取り直すように咳払いした。真顔になって彼と肩を組む。
「やめんか。暑苦しい」
 眉を寄せたヴェラークは逃れようとしたが、ディールアは逃さなかった。伊達に長く親友をしているわけではなく、ディールアもまた強心臓を持つ人物だった。通り過ぎる貴婦人たちに注目されながら内緒話をするように囁いた。
「お前のところのイリアちゃん、元気?」
「元気も元気。毎日私に突っかかって来ているよ」
「そりゃお前が過保護過ぎるからじゃないのか?」
 容易い想像にディールアは呆れた。だがヴェラークはまったく堪えていないようだ。
「お咎めなしだったんだろう? 久々に家族で俺んとこに遊びにこいよ」
「無理だ」
 考える時間もまるっきりなく、反射的に答えたんじゃなかろうかこいつ、という回答の早さだった。
「艦隊指揮に関する直接的な咎めはなかったが、しばらく自宅謹慎を命じられた。それを破るわけにはいかない」
 ディールアは苦笑する。艦への干渉をこそ謹慎されたのだと察するが、根が真面目なこの男は言葉通りに受け止めて実行しようというのだろう。
「分かった。なら、謹慎が終わったら来いよ。エスバドが心配してた」
「エスバドは……来月の募集に応募するのか?」
 沈鬱な声のヴェラークに不思議そうな顔をしながらもディールアは頷いた。
「俺の子だからな。海軍に入って俺の跡を継ぐつもりらしい」
 ヴェラークほどではないが、ディールアも結構な親馬鹿だ。嬉しげな表情は誇らしげでもある。ヴェラークは視線を外すと静かにため息をついた。
 さすがにそこまでされるとディールアも不審そうな顔となる。
「どうしたよ?」
「いや、何でもないんだ。せっかく誘ってくれたのに申し訳ないが、私はこのまま帰るよ」
 肩を落として断るヴェラークの姿は、どこを見ても疲れた中年男の姿だった。
 常にない落ち込みようにディールアは心配になったが、ここで踏み込んでも打ち明けられることはないだろう、と首を傾げるだけにした。果たして彼をここまで疲れさせたものは、王からの言葉かイリアに関わることか。ディールアは王の私室へ続く廊下を振り返る。
「何だか知らんが達者でな?」
 意味不明な見送りの言葉を口にしてディールアは手を振る。
 胃を押さえるようにして歩き出した、一児の父の背中を見送った。

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