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第三話

【三】

 サーフォルー大陸の東に位置するマルク諸島。毎年恒例の演習は、今年はそこで行われた。海底火山の活動によってできた諸島で、今でも活動が続いているため、危険区域に設定されている。
 何もない海面に突然白い泡が湧き出し、隆起して大爆発を起こす。その時の危険領域は六百メートルにも及び、巻き込まれれば船もろとも粉砕される。
 十三艦隊すべての盾が、巡視も兼ねてマルク諸島へ近づいた。
 今は演習も終わり、それぞれ自分の領地へ帰る航海途中だ。
「艦長。そろそろ港に着きますよ」
「ああ。ありがとう」
 ノックで知らせたダールカ軍曹に、ヴェラークは振り返りながら礼を言った。けれど扉は閉まっていたので笑顔は見えない。
「怖いからその顔やめろ」
 向かいに座っていたディールアは目を据わらせてヴェラークを見る。
 チェスの手を止め、背もたれに寄りかかって大きく伸びをした。
「さて。俺も久々にイリアちゃんに会えるかな」
 先ほどまで同じ航路を進み、別の艦に乗っていた彼は艦を自分の領地へ戻す手筈を整えてからヴェラークの艦に身を移した。任務の途中だと睨みつけたが堪えるディールアではない。意気揚々とチェスを広げてみせた。
 ガヴィルート総督の監視下から離れ、領地へ戻るだけだったので、ヴェラークも渋々ながらチェスに応じたのだが、いつの間にか白熱戦が展開されていた。ダールカに声をかけられるまで、艦内を見回ることも忘れていた。
「まったく。お前がそばにいるとこちらの気まで抜けていく」
「人のせいにするんじゃないよ。見苦しい」
「見苦しいのはお前の顔だ」
「ひでぇ」
 そんな会話は長年培ってきた友情の証。ディールアは低く笑いながら、両手を広げて降参してみせた。苦戦していたチェスはいい暇潰しになったらしい。
 勝者ヴェラークは久しぶりに会うイリアを思いながら、浮き足立って甲板へ向かう。
 その後ろ姿を見ながら、チェスの後片付けを任されたディールアは苦笑して呟いた。
「親馬鹿ならぬイリア馬鹿だな、あいつ」
 そうしてふと、舷窓から外を見る。後から来ると言っていた息子を思い出す。
「親馬鹿なら俺もいい勝負か」
 乱雑に詰め込んだチェスを机に放り投げ、ディールアも甲板に向かう。
 律儀なヴェラークのことだ。どれほど心を込めて片付けようと、最後は自分でやり直さなければ気が済まないだろう。
 怠慢を配慮に変えたディールアは部屋を出る。
 チェスが机の上で転がった。


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 嫌がるシャルゼを強引に外へ連れ出したイリアは港へ向かっていた。
 外出にはいつもミトスや他の女官が付き添うが、今はシャルゼと二人きりだった。誰の手も借りずに外へ出たのは久しぶりで、イリアは心を躍らせる。目を惹くものがそこかしこに転がっていて退屈しない。
 けれどシャルゼにとっては歩き慣れた道で、退屈そうにイリアの後ろを歩いていた。屋敷探索という興味を途中で阻まれた恨みは深そうだ。辺りを睨むように眺めている。隣を歩くのがためらわれる美女だ。
「もう。いいじゃない。屋敷にいてもお父様はいつ戻るか分からないし。ここだったら船が戻ったら直ぐに分かるわ」
 眼下の港にはカーデ艦を一目見ようという観光客が溢れていた。結構な賑わいようだ。ヴェラークの姿を見るのは困難かもしれないが、帰港したことを確認したら屋敷に戻ればいいだけだ。直ぐに会える。
「私は貴方の屋敷も見たかったのよ。平民とどういう違いの中で暮らしているのか。ああ。私の研究を邪魔するなんて、あなた、後で呪われるわよ」
 シャルゼに? と聞こうとしてやめた。頷かれても怖いだけだ。
「ところでイリア」
 それまでと僅かに声音が違う。
 イリアは不思議に思いながら振り返った。
「シャルゼ?」
 彼女の視線は一点に注がれていた。イリアを通り越し、イリアの背後に向かっている。振り返ろうとしたイリアだが、その前にシャルゼは口を開いた。
「私、恋に落ちたわ」
「は?」
 また突拍子もないことを。
 イリアは双眸を瞠ったが、シャルゼは頓着せずにひたすら一点を見つめていた。
 いったい何が彼女の心を奪ったのだろう。
 今度こそイリアは振り返る。そして、大きな瞳を見開かせた。
 カーデ艦入港に沸く人ごみの中で、なぜかその人物だけが異彩を放って見えた。
 疑問を覚えたのも束の間、なぜ彼がここにいるのだろう、と緊張が体を支配する。彼は絶対に、この港にいてはならない人物だ。
 日に焼けた褐色の肌に、赤銅色の長髪が背中で揺れている。以前見たときは1つに結んでいた。髪を下ろすと印象が違う。
 かの人物は、一年半ほど前にイリアが乗り込んだ、海賊船の船長、ダルス。
「な、なんでダルスが……」
 身なりを整えて髪型まで変えれば、一見しただけでは誰だか分からない。
 イリアが凝視する中でダルスはまるで観光に来たかのように港を見回していた。ヴェラークの帰港を聞きながら、ずいぶんと余裕ある行動だ。それとも、ヴェラークなど眼中にないという、無言の意思表示なのだろうか。
 少し不愉快に思ったイリアだが、ダルスがどことなく緊張しているように思えて首を傾げた。周囲を見回す視線も、歩調も、どこかぎこちない。笑みを湛えてはいるが不自然だ。
 凝視していたイリアは息を呑む。
 何気なく周囲を観察していたダルスの視線がイリアの方を向き、そのまま止まった。


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 レナードが血相変えて走って来たのは、ダルスが自宅に戻って寛いでいるときだった。
 毎年の航海が終わると男たちは派手に遊ぶ。
 賭け、女遊び、冒険。その方法は多岐に渡るが、無事に戻れたことと、これからの実りに対しての祝杯を兼ねて遊び倒す。
 ダルスも例外ではない。船長の特権である大きな屋敷の中で寛いでいた。常ならこの時期は女のところへ入り浸るが、今年はそのような気も起きない。ただひたすら惰眠を貪っていたときのことだ。
 他ならぬ妹がイリアに会うため海に出たという爆弾を抱えて、レナードが飛び込んできたのだった。
「ったくよ。これで何回目だっての。いい加減、港の奴らに顔を覚えられるぞ」
「そんなに何回も来てたのか、お前は」
 カーデ港に降り立ったダルスはそんな会話を繰り広げながらため息をついた。軽い変装がてら格好を変えてみたが、どうにも落ち着かない。ちょうどカーデ艦の帰港と重なったことで規制が敷かれ、港から船を出すこともできなくなった。万が一、海賊であることが露見した場合は逃げる手段がない。運のなさに苛立ちを覚える。
「だいたい、なんだっていきなり飛び出してくるんだ。あの馬鹿は」
「お前の妹だからなぁ」
「おい」
 深く納得するレナードに低い声を出したが、彼は堪えた様子もない。島の男たちがダルスに畏怖の念で接するのに対し、レナードはいつもこんな調子だ。年齢が二周りも違い、自分の息子の様に感じているからかもしれない。
 ダルスは舌打ちして反論は諦めた。
 島の皆にはイサミアたちの無謀な行動を隠し、再び船を出した。上陸するなら第六領地バード港や第五領地オーガ港の方が近い。けれどカーデ港が大らかな気風で他国の商船や客船を広く受け入れているのに対し、他の港は閉鎖的で厳しい規制が敷かれているため、イサミアでは入港できないだろうと判断してカーデ港へ来てみたが、状況は最悪を示していた。
「ファートンも一緒なんだ。そんなに心配することでもないだろう」
「お前はイサミアって奴を分かっちゃいない。俺の妹だぞ。ファートンがイサミアを待たせたまま充分な準備ができたとは思えない」
 さすがは兄だ。苦々しく呟かれた言葉は大よそ合っている。
 レナードは眉を寄せて呟いた。
「航路を間違えたなんて、洒落にならんぞ」
「だから苛立ってるんだろうが!」
 赤銅色の髪をぐしゃぐしゃとかき回して憤る。
 風を駆使し、今までできっと最速のスピードで大陸に辿り着いた。運が良ければ海上で追いつけるだろうと思っていたが、結局そのままカーデ港へ来てしまった。嫌な予感を抱きながら上陸したダルスを待っていたのはカーデ帰港による出入港の規制。いつもより多い警備兵の目をくぐりながらイサミアたちの船を探したが、見つからなかった。
「途中でばれて連れて行かれたか?」
「そっちの方がまだいいがな」
 観光客に紛れながらダルスは周囲に視線を配る。人捜しを目的とするとき、騒ぎを起こしたら終わりだと思わなければならない。馴染みの軍人と鉢合わせなどしたら洒落にもならない。
「あいつらに船を偽装する知恵があるとは思えねぇしな」
 それに、イサミアたちが乗ったのは昔に廃棄された船を改良して作った、単純な造りの船だ。偽装するまでもなく単なる旅行者だと思われるだろう。
「これからどうする」
「俺らもあまり長居はできねぇだろ。島じゃこれから祭りが始まるんだ。俺らがいなくてどうするよ」
「それはそうだが……イサミアがいなくても困るだろう。あいつは今年の女神に決まったそうじゃないか」
 ダルスは眉を寄せた。
 島では毎年、船が戻ると、島の豊穣と繁栄を願って大きな祭りが開かれる。祭りには女神の存在が欠かせない。祭りの最初と最後に、女神は海から現れ海へと帰る。その手に豊穣と繁栄を抱き、皆に新たな約束を与える。
 また上手い時期に選ばれたものだと、天の巡りに頭を抱えたい気分だ。イサミアが女神ならば、祭りが始まるまでに彼女を連れ戻さなければならない。島の豊穣と繁栄を願う祭りに女神が遅刻でもしたら、不吉な影を落としそうだ。
「遭難だなんて、冗談じゃねぇぞ……」
 剣呑な眼差しを地面に落としてダルスは呟く。
 イサミアが島を出たと聞いたとき、強い怒りと絶望が湧いた。思い出したくもない過去が脳裏を過ぎり、強い虚脱感に襲われた。しかしレナードに尻を蹴飛ばされ、島を出てから間もないと聞かされ、直ぐに正気に返って追ってきた。
 カーデ帰港に湧きだした周囲に気付いてレナードが舌打ちした。
 これ以上ここに留まるのは不味い。どこか人の少ない場所に移動しなければいけない。
 ダルスは歩きながら、ふと巡らせた視界のなかに惹かれる何かを見た気がして足を止めた。レナードが怪訝そうな視線を向けてきたが、構わずそれを捜す。そして、直ぐに見つける。
 帰港に湧く人々のなかで、少し埋もれるように動く紫の髪を。
 向こうの方がこちらに気付くのが少し早かったようだ。大きな瞳がダルスを捉える。彼女の小さな唇が確かに『ダルス』と名前を刻んだ。

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