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第三話

【五】

 呼ばれた気がしたイリアは振り返った。
 群集のなかで頭1つ分高い人物はひときわ目立つ。彼の前には自然と人垣が割れて道ができる。彼が立ち往生することはない。
 走ってくるのが誰なのか気付いたイリアは驚愕した。
 そんなイリアに気付いたのか、頬を染めてレナードを追いかけようとしていたシャルゼも振り返って驚愕する。
 走ってくるのはヴェラーク=カーデだ。
 このカーデ領地――否、ジェフリス国で、彼を知らぬ者はいない。十三艦隊の艦長たちは就任と同時に新聞で報道される。艦長の姿絵を描いた肖像画は人気となり、必ず宿屋や酒場に飾られる。絵師がなかなか優秀で、肖像画は本人を忠実に描写されているため、人々は実物に会ったことがなくても姿だけは知っている。
 けれど今、人々が道を譲るのは、彼がヴェラーク=カーデだからという理由だけではない。彼が凄まじい形相でイリアの名を叫んでいるからだ。他にも何か叫んでいるが、そちらは聞き取れない。そんな鬼気迫る光景に関わりたくないため、人々は道をあけるのだろう。
 このように冷静さを欠いたヴェラークを、イリアはあまり好きではなかった。そして疑問に思う。なぜ彼はこんなところで冷静さを欠いているのだろう、と。自分が原因だとは気付かないイリアだ。
 イリアは隣のシャルゼを小さく窺った。このようなヴェラークを見てしまい、どんな反応をするのか、恐ろしい。最悪の第一印象だと思う。何しろ今、ヴェラークの姿を目撃した子どもが泣き出して母親に縋りついたのだ。シャルゼとは長く付き合っていきたいと思っている友人だ。そんな彼女に父親が嫌われるのは寂しい。
 イリアは軽く失望しながらシャルゼを窺い、そして瞳を瞬かせた。彼女の視線はヴェラークに注がれている。見定めるように真摯な表情で凝視している。その頬がいまだ赤いのは、レナードが側にいるからなのか、不愉快な怒りを溜めているからなのか。
「素敵」
 入学当初、その美貌で告白が後を絶たなかったという。しかしシャルゼは告白のことごとくを非情に切り捨ててきた。ひとたび裏を返せば人の足ばかり引っ張る彼らは、シャルゼの好みではなかったのだろう。
 そんなシャルゼの表情は、見たこともないほど輝いている。レナードに告白したときよりも強く。
「あの方がヴェラーク=カーデ艦長。大将ね。ああ、なんて素晴らしいのかしら」
 うっとりと呟くシャルゼを、イリアは奇異なものでも見るかのように見つめた。
「矢など物ともしない頑健な肉体。戦歴を示す無数の傷。青藍はあの方のためにあるような色ね。士気も上がるはずだわ。あの迫力で対峙されたら、相手は不戦敗ね」
「……シャルゼ?」
 ひとまず嫌われたわけではない。だが、予想外の反応だ。お願いだから戻ってきて、とイリアは彼女の体を揺さぶろうとした。
「ダルス」
 ヴェラークを見て顔色を変えたレナードが鋭く呼んだ。ダルスも同意するように頷き、二人は素早くその場を離れた。
「あ、レナード様!」
 不意を突かれたシャルゼは置いていかれた。慌てて叫んだが待つ二人ではない。彼らの背中はあっと言う間に群集に紛れてしまう。
 イリアは追いかけようか迷った。シャルゼが追いかけようとするのを見て、反射的に引き止めてしまう。
「何をするの、イリア。貴方に人の恋路を邪魔する権利はなくってよ!」
「駄目よシャルゼ! あいつらは」
 振り解かれまいと懸命にシャルゼにしがみつく。先ほどまで周囲を気にしていた己が信じられない。何をしていたんだろうと呆れが湧く。彼らを捕まえるために海軍を目指したのに。
「彼らは海賊なのよ!」
 決死の覚悟で叫んだイリアを振り返る。
「だから?」
 シャルゼは素早く返した。あまりにも素っ気ない返答だ。イリアは呆気に取られる。
 後ろから抱きつくように引き止めていたが、力が抜けて振り解かれる。けれどそのときにはもうダルスたちは近くにおらず、シャルゼはそのまま足を止めてため息をついた。イリアを振り返る。
「ふふふ、イリア。あとでどんなことがあっても恨まないでね。邪魔した貴方が悪いのよ」
 太陽を味方につけたシャルゼは眩いばかりの笑顔をイリアに向ける。金髪が光に溶けて輪郭が見えない。
 これなら大人しく屋敷探索させてた方が良かったかも、とは後の祭り。
 イリアは疲れてうな垂れた。


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 それまでヴェラーク帰還の喜びに沸いていた人々は、不穏な雲行きに騒然としていた。海賊の侵入を許すなど警備は何をしていたんだと、今にも怒号が放たれそうなほど緊張が高まる。
 表立って諌めたのは、やはりヴェラークやディールアだった。
 下手に恐怖を煽られてはたまらない。情報を公開し、ダルスの追跡を開始させる。玄関には鍵を掛けるよう呼びかけ、人々を帰す。町には兵の姿ばかりが目立つようになった。
 イリアを先に帰して指揮を執るヴェラークだが、成果はなかった。ディールアと共に町中を探索したが、ダルスは見つからない。彼を見たという情報も途絶えた。目立つ容姿で記憶に残りやすいと思うのに、港から数十メートル離れたところで足跡は完全に消えた。不思議なことだ。追跡は諦めざるを得なかった。
 次にヴェラークがしたことは、停泊している船の数を数え、持ち主を明らかにすることだった。いくらダルスとて沖に船を停め、空を飛んで侵入するとは考え難い。偽装した船で来ている可能性が高い。けれどこちらも成果は上がらない。なぜならカーデ港は交易港としても有名だからだ。アイスス海に突出した地形で、船の往来が激しい。軍港エリアにはさすがに規制を設けているが、商業港は旅券さえあれば誰もが行き来できる。1分間にどれだけの船が入り、どれだけの船が出て行くことだろう。すべてを把握することは不可能に近い。
 それでもヴェラークは、長く停泊しており持ち主の分からない船には監視を置いて、少しでもダルスの退路を断とうとした。
 陸続きで逃げられぬよう、関所は封鎖した。特別な旅券や商業手形がない限り、通行は不可能だ。
 能力者であるダルスにどこまで通じるか分からない。
 そこまで手を打つと、もう日が傾く頃だった。
 マルク諸島での演習を終え、一息つけると喜んでいた矢先の急務に皆は疲労困憊だ。しかしヴェラークは容赦ない。肝心な時に倒れていては治安の維持もままならぬ、と率先して動き、皆の士気を上げていった。彼自身にも相当な疲れが溜まっているはずだが、彼の能力は衰えない。次々と采配を揮っていく。そんな姿に部下も足を動かし、手探り状態でダルスを追い求めた。
 今日は夜警の数を倍に増やそう、とそこまで決めたあと、現場での指揮を左翼のリリア大佐に任せ、ヴェラークとディールアは屋敷に戻った。
 休むためではない。ダルスの上陸目的を知る手がかりを得るためだ。
 屋敷に仕事を持ち込むことは滅多にないヴェラークだが、どうしても避けられないときがある。そんなときのために、外に情報が洩れないような特殊な造りの部屋を設けている。
 ヴェラークはその特別室へ、イリアとシャルゼを呼び出した。
「どういうことか説明しなさい。イリア」
 艦長二人に詰め寄られたイリアは視線を逸らせた。シャルゼを横目で窺うと、彼女は常と変わらないように見えた。動揺しているのは自分だけだと知って居心地悪くなる。唇を引き結んで座り直す。
「どういうって言っても……」
 さまよう視線がディールアを捉えた。向けられた微笑みはイリアの緊張をほぐそうとするものかもしれないが、イリアの緊張は増した。
 もう30分近くこのような状態だ。
 これでは埒が明かないと思ったのか、ヴェラークは苛立ちを隠さずにため息をついた。次いで何も語らないシャルゼを見る。
 シャルゼは自分に矛先が向けられたことを悟ると微笑んだ。
「お名前しか伺えませんでした。ダルスと共にいた男性はレナードと仰います」
 軍学校に首席で入学し、能力者でもあるシャルゼの噂は、ヴェラークにも届いていた。優秀な成績を修める彼女とイリアが共にいることはヴェラークを安心させていたが、今回の事件現場で彼女と出くわしたことに困惑している。シャルゼの性格に関することまではヴェラークに届いていない。果たしてそれは幸か不幸か。
 シャルゼはヴェラークの戸惑いを敏感に察知していたが、無視をする。微笑みを湛えたまま口を開く。
「私の未来の夫ですわ」
「違うから」
 意味が理解できなかったヴェラークの前でイリアが決然と否定した。
 冗談か本気か判断しかねる言葉だが、ヴェラークならば、この状況下で冗談などつくわけないだろうと思い込み、どんなに無茶な言葉だとしても信じてしまう。
 シャルゼはもちろん本気だが、イリアは思い切りかぶりを振る。
「何が違うというのかしら」
「最初っから間違いだらけよ。やっぱり貴方を外に出すんじゃなかったわ。よりによってレナードに惚れるなんて、最悪中の最悪。レナードには三人の奥さんがいるし、子どもだって沢山いるの。嫉妬に狂って竜巻でも起こされたら敵わないわ。海軍が壊滅しちゃうわよ」
「私1人に壊滅させられる海軍なんて、所詮はその程度に過ぎなかったのだわ。私が嫉妬に狂う前にもっと頑丈にしておくことね。彼は異国の人だもの、私たちの常識が当てはまらなくても当然よ。奥さんが何。子どもが何。そんな障害で私の想いを止められるとでも思っていたら大間違いよ。むしろ燃えるわね。大家族も憧れだけど、イリアがそう言うならご期待に応えて嫉妬に狂ってみようかしらという気になるわ」
「シャルゼのそういうところは面白くて凄い好きだけど、今回は話が別だわ! 私がいつ嫉妬に期待したって言うの!」
「初耳だわ、イリア。それでは是非にも嫉妬してみせなくてはね」
「嫌がらせにもほどがあるじゃない!」
「知らないわー」
 国を代表する艦長が二人もいるというのに、繰り広げられたのはいつもの他愛ないやり取りだった。イリアは頭痛を覚えて頭を押さえる。シャルゼは鼻を鳴らせて顎を反らせる。不機嫌そうに腕組みをして唇を尖らせた。
「貴方はいいわよね。もう1人の男――ダルス? とやらと、仲良くしてたじゃない」
「だ、な、誰が仲良く!」
 敏感に聞きとがめたヴェラークが口を挟もうとしたが、それよりも早く反応したイリアによって機会は失われた。シャルゼは両手を胸に当てて哀しみの表情を浮かべる。嘘ではないことが恐ろしい。
「それに比べて私は――まだ始まってもいないのよ」
「撤回してよシャルゼ! ダルスなんかと何を仲良く始めればいいって言うの。冗談じゃないわ!」
「冗談じゃないのはこちらの台詞よ」
「私よ!」
「イリアが邪魔しなければ、私はレナード様と愛の蜜月旅行に旅立てていたかもしれないのに」
「物凄くあり得ないって分かってる、シャルゼ? いつもの冷静さはどこに行ったのよ」
「友なら応援するのが当然ではなくて?」
「シャルゼが普通の人と恋愛するなら文句も言わないけど……!」
「貴方の口から“恋愛”なんて言葉が出るなんて驚きだわね。ふふふ」
「そ、それは今、関係ないでしょう。レナードは、だから」
「さて。彼は次に、どこに現れるかしらね」
「だ、だからシャルゼ。レナードは」
 立て板に水のごとく矢継ぎ早な会話だ。イリアが弄ばれてる感があるが、それでもヴェラークやディールアは口を挟む隙がない。聞いている方が疲れる舌戦を繰り広げたのち、二人はしばし睨み合った。
 ヴェラークは当初の気迫をすっかり霧散させた。眼前で喚く少女二人を無視してディールアと話し合いまでする始末だ。イリアとシャルゼが息を切らせ始めてから、終わったか? と声をかける。だてにイリアの父を何年も務めているわけではない。イリアとシャルゼは納得がいかないようにヴェラークを睨んだが、無駄な努力だった。
「それで。なぜあの者たちがこの町で、しかもお前と一緒にいたのだ」
 客室に似た造りの部屋だが壁は厚い。閉められたカーテンにも厚みがある。屋敷に住む者たちは暗黙の了解として、この部屋には近づかない。イリアもまた、普段からこの部屋に入ることは禁じられていた。
「私が知るわけないじゃない。お父様を迎えに行こうとしたら、勝手にダルスがいたんだもの」
 頬を膨らませながら可愛いことを言うイリアに、ヴェラークは頬を緩めそうになり、気付いて払拭した。彼の様子に気付いたのはディールアだけだ。呆れるような視線が投げられる。
「それで、イリアちゃん。あいつらがどこに行くか、聞いてるか?」
 沈黙を保ち続けてきたディールアが身を屈める。イリアは居住まいを少しだけ正して彼を仰ぐ。
「分かりません。用事があるから来たと言ってました」
 事務的な口調で告げたあと、直ぐに相好を崩した。
「久しぶりですね。ディールアおじさま」
 何しろ港では騒ぎが起こっていて、挨拶などできなかった。部屋に呼ばれたときも、ヴェラークだけが先にイリアたちを待ち、尋問が始まったあとにディールアが入ってきた。そのときもヴェラークからの詰問はやまなかったため、今まで挨拶する機会がなかった。
 あくまでマイペースを崩さないイリアに苦笑してディールアは首を傾げる。
「イリアちゃんはダルスと何かあるのかな?」
「ディールア!」
「単なる興味じゃないぜ、ヴェラーク。軍に関わりゃ海賊との遭遇率も高くなるってもんだが、まだ見習いで海にも出てない人間が海賊に、それも特定の人物にだけ何度も遭遇してるってのは、やっぱり疑われても仕方ないだろう」
 言葉もなく憤るまま立ち上がったヴェラークは背後のディールアを睨みつけた。対峙するディールアは引かない。二人の緊迫に、イリアは拳を握り締めて俯いた。海賊と通じているなど醜聞だ。露見したらヴェラークは監督責任を問われ、第八艦隊は解散を迫られるだろう。
「俺としてはお前に失脚されたら困るわけだ。だから、イリアちゃん」
 ディールアに視線を向けられ、イリアは心臓が凍る思いをした。
「本当のことを話すつもりはないか?」
「ほ、ほほほほ、本当のことと言われても!」
 イリアは笑い出すくらいに噛みまくる。
 笑顔のディールアが恐ろしい。陽気な知り合いは、今は海軍将校としてイリアを尋問する立場にある。
「イリア。やましいことがないなら正直に言いなさい。私にお前を裁かせるつもりか?」
 海賊に関することはすべて国王に報告する義務があった。義務を怠ると、町に潜む王徒が王へ進言する。そうすると怠慢な領主だとして、王は領主を罷免する。
 もしも海賊と通じる者があれば、ヴェラークは直ちにその者を王都へ送り、そこで裁きを得なければならない。
 イリアは途方に暮れた表情でヴェラークを見つめた。
「イリア」
「イリアちゃん」
「イリアー」
 なぜかシャルゼまでもが一緒になって迫ってくる。
 三人の視線に耐え切れず、イリアはとうとう机に突っ伏して叫んだ。
「レナードに包丁教えてもらっただけなのに、どうしてここまで追いつめられなきゃいけないのよー!」
「なんですってっ?」
「海賊に剣を習ったのかっ?」
 シャルゼとヴェラークの声が重なった。
「あなたばかりずるいわ!」
「イリアになんてことを教えるんだ……!」
 シャルゼはイリアの胸倉をつかむ。ヴェラークは天井を仰いで嘆く。イリアは料理がいかに楽しかったかを切々と語る。
 そして、その賑やかな波に乗れなかったディールアは一歩後退して三人を見つめた。
「お前らみんな、天然か?」
 呟かれた九番艦隊艦長の言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。

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