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第三話

【三】

 いつの間にか眠っていたらしい。前のめりに倒れかけ、ダルスは慌てた。かぶりを振って現状を把握する。記憶が途中から途切れていた。
 月明かりしかない薄闇の中、地図を広げていたレナードが苦笑する。
「別に二人で起きてる必要もないだろう? 今日は俺がやっておくから、ダルスは寝てろ」
「んなわけにいくかよ。どこまで印つけたんだ?」
 睨んで地図を覗き込もうとするとレナードは肩を竦める。昼間は賑わっていた港町も、陽が沈むと人が出歩かなくなった。人々に隠れ歩くことが難しくなると途端に目をつけられる。仕方なく地図を購入し、捜した場所に印をつけているという次第だ。
 明日中にファートンが見つからなかった場合、イサミアだけを連れて強制送還するつもりだ。既に希望が潰えているとは思いたくないが、彼を捜すためにもう一度この港へ戻ろうとしても、容易ではない。仮にファートンが自力で島に戻ろうとしても、再び難破するのが関の山だ。
 ダルスは苛立つように拳を握り締め、唇を噛み締めた。
 最悪、別の港に流れ着いていたなら、捜す手段はない。
「イサミアの記憶はどうなんだ? 俺たちが分からないんだったら、連れ帰るときに暴れるだろう。下手すりゃ海軍呼ばれるぞ」
「……心配ないだろ。イサミアが俺のこと忘れるなんて、ありえない」
 どこからの自信なのか、ダルスは確信を持って断言した。レナードは肩を竦めるだけで追究はしない。二人の瞳には焦燥が浮かんでいた。
「ああくそっ。俺にどうしろってんだ!」
 耐え切れずにダルスが叫んだそのときだ。
 まるでタイミングを見計らったかのように窓が叩かれた。
 ダルスとレナードは素早く窓から離れ、腰の剣を抜いた。屋根裏の窓が叩かれるなど尋常なことではない。ダルスの能力がなければ辿り着けない。
 ダルスは視線でレナードに合図を送った。彼は合図を正確に読み取って地図を隠し、ダルスよりも後退する。それを確認してからダルスは窓に近寄った。もちろん手には抜き身の剣が握られたままだ。
 窓を開けた瞬間にも一突きしかねない緊張を漂わせながら、窓を開く。そうしてダルスは思い切り後方に跳んだ。突き出しかけた腕を制すると汗が吹き出した。なぜなら、そこにいたのは。
「物騒な気配が漂ってること。真夜中にこんな美女が訪ねて来たんだから、諸手を上げて歓迎するのが普通ではなくて?」
「ごめん、ダルス……」
 笑みを浮かべて宙に浮かぶ金髪の少女と、彼女に抱えられながら両手を顔の前で合わせて謝る紫髪の少女。
 ダルスは呆気に取られたままだった。二人が窓から入ってくる様を見ながら、脱力して座り込んだのも無理はない。
「レナード様。お久しぶりです。会いたかったわ」
 身なりを整えたシャルゼは、イリアをダルスに突き飛ばすと同時にレナードへ迫った。
 まだ18歳でしかない少女に詰め寄られ、哀れな44歳は壁際に追い詰められる。イリアが同情の念を向ける。
「ああ、シャルゼ……」
 突き飛ばされたイリアは床に両手を着きながら振り返り、呆然とその名を呼んだ。そんな背後にダルスが回りこみ、引き寄せられる。
「イリア?」
 怒りを抑えた低い声。首を竦めて振り返ると、怒気を孕んだ瞳が間近にあった。
「ご、ごめんなさい。教えるつもりはなかったのよ。絶対口を割らないつもりだったのよ。でもシャルゼって妙な迫力があるし、怖いし、演習で沈められるのは絶対嫌だし!」
 ダルスにとっては意味不明な言い訳が口をついた。
「平気。お父様たちには言ってないから安心して!」
 この状況で何を安心しろと言うのだろう。ダルスはイリアを解放し、静かにため息をついた。
 酷く疲れているようなダルスにイリアはもう一度謝る。申し訳なくて彼の顔を覗き込んだ。壁を伝って座り込むダルスに驚いて手を伸ばすと、ダルスはそのままイリアを抱きかかえた。
「何するのっ?」
 強く回された腕の力は緩まず、イリアは壁に手をついて体を支える。
「昨日は俺の上着を貸してやっただろう。今日はお前が上着代わりになれ」
「勝手な条件つけないで! ていうか、よくも昨日は勝手してくれたわね! そうよ、思い出したわ。ああ、腹が立ってきた!」
 イリアは精一杯体を仰け反らせると頭突きした。
「いってぇ!」
 目の前に星が散ったようだ。ダルスは額を押さえて床に伏せる。
 イリア自身にも相当なダメージが返って来て涙が滲むが、とりあえずダルスに一矢報いることができて笑う。胸を張って「どうだ」と指差そうとしたが、床に倒れたダルスが笑っていることに気付いて眉を寄せた。
「ダルス?」
 もしかして打ち所が悪かったのかしらと心配しながら呼びかけるとダルスは起き上がった。いや、と手を振るが彼の笑いは消えない。
 どうしようかしらと部屋を眺めたイリアは、背後で対峙していた二人に目を剥いた。なぜか剣を持ち出したシャルゼがレナードに決闘を申込んでいる。
「ちょ、ちょっと待ってよシャルゼッ?」
 イリアはシャルゼに飛びかかった。
「何するのイリア。邪魔しないで」
「邪魔って、シャルゼ。貴方こそ何しようとしてるのよっ?」
 剣先が鼻先を掠めて息を呑む。イリアは必死でシャルゼにしがみ付いた。彼女は学校の剣技大会で常に上位を入賞を果たす実力の持ち主だ。とはいえ、実技を習い始めたばかりのため、レナードに比べれば歴然とした差があるだろう。
「知らないの、イリア?」
 体にしがみ付き、意地でも離れまいとするイリアにため息をつくと、シャルゼは諭すように告げた。
「これは遠い地に伝わる恋人たちの儀式なのよ。剣を交え、勝利した者は望みを1つ叶えてもらえるの」
 一体どこからそんな知識を得たのか。学力でも上位にいるシャルゼとは思えない発言に、イリアは唖然とし、レナードを窺った。彼は片目を瞑ってイリアに笑う。こんな嘘を吹き込んだのは彼に他ならないだろう、と確信した。レナード以外に言われたのなら、シャルゼは一笑にして信じることもなかっただろうに。
 そんな純粋さにイリアは複雑な境地に陥った。
 しかし、いくらイリアがシャルゼの純粋さを見つけようと、レナードが苦肉の策を伝えようと、剣による勝負の危険度には変わりない。やるからには、シャルゼは全力で挑みかかるだろう。
 狭い屋根裏で始まろうとしている何かの儀式に、部屋の片隅ではダルスが腹を抱えて笑いに打ち震えている。イリアはそんなダルスには気付かず、青くなって二人を見守ることしかできない。
 イリアを引き剥がしたシャルゼはレナードに向き直った。
 固唾を呑んで見守るイリアと、互いに真剣に睨み合って構える二人と。
 対決を見守っていたイリアは、不意に伸びてきた手に抱え上げられた。言うまでもなくダルスだ。
「負けるなよ、レナード」
「あのな、ダルス」
「よそ見してもよろしいんですの?」
 不機嫌な声を上げたレナードにシャルゼの声が被さる。レナードは対戦者に視線を戻した。様子を見たダルスが軽く笑う。イリアはそのまま肩に乗せられ、悲鳴を上げた。
「ど、どこに連れていくつもりなのよっ?」
「二人の勝負がつくまで、ちょっと付き合え」
 先ほどシャルゼに抱えられて入ってきた窓から、今度はダルスに抱えられて出ていく。どうして誰も彼もこちらの意見はおかまいなしなんだろう、とイリアは歯噛みする。再び空中散歩をする羽目になり、うんざりと脱力した。


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 月が見守る屋根の上。潮騒の音が静かに響いてくる。先ほど警備兵が足元を過ぎていったが、彼らはイリアたちに気付かない。距離が離れすぎているため、屋根の上で影が動こうと、気に留めないのだろう。
 下ろされたイリアはそこでようやく、イサミアがダルスの妹だということを聞かされた。
 目を丸くし、硬直してダルスを見つめる。
 唇がわなないて、受け入れることを本能的に拒否した。
「嘘よ……信じられないわ!」
 悠々と座るダルスに拳を握り締める。
「何が信じられない?」
 そんな言葉にイリアは声を詰まらせ、口を閉ざした。震える両手で自分の頬を挟みこむ。冗談言わないで、と笑い飛ばそうとしたが、彼の真剣な表情に、これは事実だと確信した。それでも納得がいかない。イリアはしゃくり上げるように、詰まらせながら息を吸い込んだ。
「だって……」
 思い出したのはイサミアの瞳だった。
 あの瞳に既視感を覚えたのは、ダルスと同じだったから、というわけか。
「私の夢を返してよ、馬鹿ーっ!」
 紫髪を勢い良く振り乱したイリアは大声で叫んでいた。この辺りは中心街から離れた場所のため、人もほとんど住んでいない。それでも警備兵はいるのだが、イリアの声は誰にも届かなかったようだ。
 ダルスに背中を向けてしゃがみこんだ。背後でため息をつかれ、悲しくなる。
「本当に、妹が出来たみたいで嬉しかったのに……。ダルスなんかの妹だったなんて……!」
「失礼な奴だな」
「ダルスなんて嫌いだわ!」
 背中を向け、いじけながら宣言する。ダルスは頭を掻いて月を見上げた。
「ミーアじゃなくてイサミア。その呼び名は、小さい頃に俺が使ってた愛称だ」
「イサミア……?」
 イリアは顔を覆う両手を外して振り返った。そして喉を鳴らす。
 月光に照らされたダルスはどこか妖艶さを漂わせており、不思議な雰囲気を醸していた。両足を伸ばして微笑みを向けられる。
 イリアはなぜか焦りながら視線を逸らした。
「そういえば、聞いたことのある名前だわ」
 頬が熱くなるのを気付かれたくなくて、平然さを装いながら呟いた。
 イサミアとは、確か海賊船に間違えて乗ったとき、ダルスの子どもだと誤解した名前だ。あのときのレナードはわざわざ誤解を招くためような言い回しをしていた。結果、イリアは誤解し、良く分からない衝動のまま船を下りたわけだ。あれは彼なりの、イリアを船から下ろすための策だったのかもしれない、と今になって考えた。
「お前がイサミアに好意を持ってるなら話は早いんだが」
「な、なんで私が海賊に好意なんて」
 緑柱石の瞳に見つめられ、イリアは続けようとした言葉を飲み込んだ。完全に否定するには、もう心はイサミアに傾き過ぎている。『海賊だから』という理由で遠ざけるには、その理由は弱すぎる。
 黙り込むイリアを見たダルスは嬉しそうに笑った。イリアは自分の気持ちを見透かされたようで、恨めしく睨みつけた。
「イサミアはお前に会いたがってここまで来たんだ。嫌われていると知ったらショックだろうな」
 追い討ちをかけるように告げられたが、イリアは首を傾げて瞳を瞬かせた。
「私に会いに来たの?」
 おかしな話だ。まるで面識のない彼女が、どうして会いに来ようとするのだろうか。
 イリアが不思議に思って問うと、ダルスは一瞬だけ苦い表情となって視線を逸らした。追究される前に素早く別の話題を持ってくる。
「イサミアが記憶を取り戻そうが戻すまいが、明日には島に連れ戻す」
「え?」
 眉を寄せたイリアは追究しようとしたが、ダルスの言葉に見事食いついた。
「連れ戻すって、どうして? あ、いえ、そりゃミーアにとっては生まれ故郷の方がいいでしょうけど……でも、今のミーアには記憶がないし」
「ここに置いておくわけにはいかないだろう」
「私は構わないわ!」
「イリアが構わなくても他の奴らが構う」
 即座に切り返されて、イリアはうなる。せっかく妹ができたのに連れて行かれるなんて。酷いと思う。
「そりゃミーアには心配してるお父様もお母様もいらっしゃるでしょうけど……」
 俯いていたイリアは、肩を揺らせたダルスには気付かなかった。
「あ、でも待って。そうすると、ミーアと一緒に船に乗ってたっていう友だちはどうするの? 彼はまだ見つかっていないのよ?」
 それともダルスは既に見つけているのだろうか。と、イリアは僅かな期待を胸に問いかけた。しかし、ダルスの表情から期待外れだったことを知る。イリアの表情がわずかに曇る。
「それでも明日にはイサミアを島に連れ戻す。ファートンが見つかれば、もちろんアイツも一緒に」
「見つからなかったら?」
 眦を強くしてダルスを見つめる。その強い視線にダルスは逸らした。途端にイリアの雰囲気が険しくなる。
「その時は諦める」
「見捨てるの?」
「こちらの足元が掬われたんじゃ堪らない。こっちが最優先だ」
 影を落とすダルスを睨みつけ、イリアは両手を硬く握り締めた。
「だから海賊なんて嫌い。自分さえ良ければどうでもいいのね。もしそのファートンが海賊だって知れれば無事では済まないでしょうに」
 イリアは吐き捨てるように零したが、ダルスは何の反応も返さない。沈黙が流れ、体を嬲る冷たい夜風と潮騒だけが過ぎていく。並ぶ倉庫の隙間風がやけに強く聞こえてきた。
「俺は海賊だ。救世主でも何でもない。1人を助けてすべてを危険に晒すような真似、俺にはできない」
 唐突な言葉に何を言われているのか分からず、イリアはダルスを見た。緑柱石の瞳は月明かりを含んで冷たく輝いている。
「イリアが考えるそれは、理想論だけで救いにならない。現実じゃあ引き摺り下ろされて終わりだ」
 ダルスの瞳を見据えたまま、何を言っているのかようやく理解したイリアは笑った。訝る視線が突き刺さる。
「理想を現実にするのが民の願いじゃないの」
「俺たちは」
「レナードは子どもから無事を願ったお守りを渡されていたわ。私も無事を願ったお守りをお父様に渡した。そのとき込めた気持ちは、海賊だろうと私たちだろうと同じはずよ」
 ダルスは瞳を瞬かせた。イリアは一歩ダルスに歩み寄る。
「何をためらっているのか知らないけど、弱気なのは似合わないわ。自分1人でできそうになかったら周りを巻き込めばいいの。そうすれば何だってできるものよ」
 自信たっぷりに胸を張って断言するイリアにダルスは呆れて笑った。
「巻き込む、か」
「そうよ。どうせ海賊なんて他人の迷惑考えない人たちの集まりなんだもの。いまさら他人のこと考えたって仕方ないわ。迷惑だろうが嫌がられようが、貫き通すのがダルスよ!」
 力拳でイリアは力説した。
「なるほど? お前の中で俺の存在はそんな受け止められ方か」
「真実じゃない」
「確かに」
 クックと楽しそうに喉を鳴らせながら、ダルスは涙を溜めて笑っていた。先ほどまで憔悴していた面影はない。イリアは安堵しながら頷くのだ。
 ダルスの腕が伸ばされて包まれる。馴染んだ潮騒と潮風を感じながら吐息を洩らす。自分の知っている存在がようやく戻ってきた気がして、これで一段落、と落ち着こうとして、我に返った。
「ちょっと! だから何で私がダルスに抱き締められなきゃいけないのよ!」
「迷惑でも嫌がられても貫き通すのが俺なんだろう?」
「私だけは例外にしなさいよ、融通の利かない男ね!」
 イリアは怒鳴りつけたが、当然ながらダルスには通じなかった。

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