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第三話

【五】

 町の中心へ近づくにつれて人が増えていく。港へ続く大通りで、途中には大広場がある。海賊への注意を呼びかけた当日は軍兵の数が目立っていたが、一日経てば逆転する。今ではいつも通りに朝市が開かれ、威勢のいい人々の声が飛び交っていた。
 エスバドは舌打ちして人の波を掻い潜る。イリアもまた、人々に埋もれるようにしながら前へ進んでいた。今朝は外に出る人の数が、いつもより多い気がした。
 いつしか港へ続く人の流れに飲まれてしまったらしく、気付けば戻ることも叶わない深みにいた。この人ごみの中でシャルゼたちはどうしただろうと空を見上げるイリアだが、彼女たちの姿はない。
 今日も快晴のようだ。白んだ空は徐々に青く色づいていく。朝日が目に突き刺さる。
 腕をつかまれたイリアは振り返った。
 人々に揉まれながら、直ぐ背後にはエスバドがいる。逸れないようにとイリアをつかんだのだろう。実際、彼がつかんでくれなかったら人の波に飲まれて流されていた。ごめんなさい、と押し寄せる波に逆らいながらエスバドの方へ体を抜いた。
 昔からこの無口な幼馴染はさり気なく優しい。
「この人ごみだもの。シャルゼたち、下りる場所もなくて困ってるわよ」
「どうかな。既に下りてこの人ごみを利用してるかもしれない。こんな人ごみでいつまでも浮かんでいたら騒ぎになるのは目に見えている」
 屋根裏の存在を隠しつつ、仕方ないから屋敷に戻りましょうと促したかったイリアだが、エスバドは聞き入れない。人ごみを出ようとはせずそのまま周囲に視線を向け続ける。
 イリアは小さなため息を吐き出した。
 イサミアが記憶を取り戻すまで手元に置きたいのは山々だが、記憶を取り戻したあと、イサミアが今まで通りに振舞えるのかと問われれば不安になる。もし彼女が海賊だとヴェラークたちに知れれば、きっとイサミアは王都へ連行され、裁きにかけられる。その後に待つのは『死』だ。そんなことにはしたくない。だから、イリアは何とかシャルゼがダルスの元へ辿り着けるよう祈り、エスバドの足止めを図ろうとしているわけだが。
「でも、記憶が戻らないのに帰ったって、ミーアが戸惑うだけだと思うんだけどな……」
 まだ納得のいかない部分がある。イリアはそう呟いていた。
 二人は人の波に乗って、広場に流されていた。もう後ろを振り返ることもできない密度だ。どうやら人々の目的はこの広場にあったらしい。人々の足が止まり、イリアたちも足止めされる。
(もう、何なのよ、この人ごみ。いくら朝市が立つからって、異常だわ)
 イリアは眉を寄せながら圧迫感に耐える。横から押され、圧迫死しそうな恐怖が込み上げる。つかまれた腕はそのままだったので、エスバドが近くにいることは分かるのだが、姿は確認できなかった。少しでも頭を動かすと隣の女性に嫌そうな顔をされる。
「ミーア!」
「え?」
 頭上から聞こえた声に驚き、見上げるとエスバドの顔があった。彼は視線を前方に集中させている。迷惑がる周囲を押しのけて向かう。イリアも腕を引かれるまま追いかけた。彼がそうして人々を押しのけることで空間が生まれ、イリアの視界にも鮮やかな金髪が映り込む。
「シャルゼ!」
 人ごみのなかにいたシャルゼを見つけ、イリアは叫んだ。
 再び人の波に飲まれたため金髪は視界から消えたが、あの雰囲気はシャルゼに間違いない。直ぐ傍に、イサミアの黒髪も見えた気がした。
「ちっ、どけ!」
「通して!」
 無理に人々の間を掻き分け、イリアもエスバドに加勢した。ダルスのところに返す、という目的は忘れている。
「ねぇエスバド。今日はどうしてこんなに人が多いの?」
「自分の町のことだろう。俺が知るか!」
 もっともだ。
 エスバドはそんな質問はどうでもいい、とばかりに返し、イリアは頷く。
 人々のざわめきが次第に大きくなっていくような気がして、イリアはシャルゼを追いかけながら不安に駆られていた。
 この場所は領地の中心に位置する大広間。どこの町にもあるような噴水が設置され、取り囲む花壇には鮮やかな水花が咲いている。人々の憩いの場であるため、確かにこの場所には人が集まるのだが――息がつけないほど人々が集まるのは異常ではないだろうか。彼らは何を目的に集まっているのだろう。
 シャルゼたちのことより、イリアはこの場の異常事態が気になり、密かに周囲を窺ってみる。
「ミーア!」
 イリアの頭上を越えてエスバドが手を伸ばす。反対側からも小さな手が伸ばされた。まるで恋人同士のようにしっかりと手を繋ぐと、エスバドは強い力で彼女の腕を引く。シャルゼは抱え直そうとしたが、強引な力の前に負けた。イサミアは痛みを堪えるように硬く瞳を閉ざし、その表情を歓喜に変えた。
「良かった、ミーア。無事か?」
「え、ええ……ありがとう、エスバド」
 抱えられたイサミアは戸惑うようにエスバドとイリアを見比べた。彼が追いかけてきてくれたのだと知り、嬉しそうに微笑んだ。その背後からシャルゼが近づいてくる。
「もう。何するのよ」
「こっちの台詞だ!」
 周りを囲む人々が迷惑そうにその場の四人を眺め渡した。
 現れたシャルゼは気に留めず、くたびれた髪を手櫛で整える。そうしてイリアを睨んだ。
「しっかり引き止めておいてくれないと困るじゃない。昨日の約束を破るつもりなの?」
「え、って、えーっと」
 イリアは焦って言葉を探したが、上手い言葉が出てこない。エスバドの不審そうな視線が突き刺さってくる。イリアが冷や汗を流したときだ。
「海賊だ!」
 誰かが声高に叫んだ。全員の視線がそちらに向く。
「海賊?」
「おかしいわ。レナード様たちはこちらにいらしていないはずなのに」
 シャルゼの双眸が細められた。エスバドがシャルゼを見る。
 イリアとシャルゼは爪先立ちになって声を上げた人物を見ようとするが、人壁が高くて叶わなかった。シャルゼが忌々しく叫ぶ。
「ああもう、鬱陶しいわね、この人ごみ!」
 憤然と足を踏み鳴らせたが地面ですら窮屈で、シャルゼは隣の男の足を思い切り踏みつけていた。痛ェ! と悲鳴が上がり、続いて怒鳴られたがシャルゼは気にしない。肩を怒らせて次なる行動に出る。イリアが止める暇もない。
「きゃああっ?」
 突如として起こった局地的な暴風。足元から立ち昇る空気が形を成して人々を圧す。まともにその攻撃を受けた人々は何が起こっているのか良く分からないまま弾かれる――とはいっても数十センチであるが、シャルゼたちが状況を把握するには充分な空間ができあがった。
 間近にいたイリアは余波を受けて怯み、エスバドに支えられて何とか踏み留まる。このような町中で発現させるなど、正気の沙汰とは思えない。一言注意しなければと顔を上げると見通しが良くなっており、その先にあった光景にイリアは絶句した。
 見慣れぬ舞台が設置されていたのは広場の中心。そこに引き上げられた、1人の少年。意識があるのか分からない、妙な歩き方をしている。両手を後ろ手に縛られた彼は首に紐を掛けられて、強引に舞台に引きずり出される。
「何、あれ」
 イリアが眉を寄せたのも無理はない。何が起こっているのか良く分かっていない人々からも、小さな非難の声が洩れる。しかし舞台に上がった男たちは、自分たちこそ英雄だと言わんばかりに堂々と、少年を引き倒す。
 カーデ領では私闘が禁じられている。舞台に上った男たちは我を忘れているようだ。
 イリアの位置から舞台までは遠くて、少年を引き上げた男が何を叫んでいるのかは聞こえなかった。けれど、風による能力で遠くの会話を拾い上げたらしいシャルゼが顔を歪めた。
「……海賊だそうよ、あの子。縛り首にされるようね」
「海賊? 縛り首って、え、えええっ?」
「うるさいわ。聞こえないじゃない」
 不愉快そうに諌めたシャルゼは再び男たちに視線を向ける。だがイリアは聞き流して少年を見つめた。
 ――海賊は極刑。
 それはイリアにも分かるが、王による裁判を通さない刑は、単なる殺人だ。海賊だからと言って容認されることではない。
「町の閉鎖でずいぶんとご立腹のようね、あの男。自分にそんな権限がないってことも頭にないようだわ」
 チロリと唇を舐める赤い舌。
 シャルゼの言葉を聞いていたエスバドも不愉快そうに眉を寄せた。
「馬鹿な。こんな町中で縛り首だと? 大体、あの少年が海賊だという証拠もなしにそのようなこと、許されないぞ」
 冷静になれば誰もが異常に気付くだろう。けれど数日に渡る町の封鎖で、そんな簡単な判断すらできなくなっているらしい。領民が犯した罪は、そのまま領主――ヴェラークへと跳ね返る。
 イリアは怒りに震えた。彼女に呼応してエスバドたちも舞台へ向かおうとしたとき。
「ファートン」
 エスバドの腕に抱えられたままだったイサミアから、少年の名前が零れた。
 虚を突かれてイサミアを見る。
 彼女の視線は真っ直ぐに舞台へ、少年へと向けられていた。呆然としていたようだが、不意にその顔を歪めると大声で叫んだ。
「お兄ちゃんの馬鹿ーっ! カレンのことはもう許してあげるから早くファートンを助けてよーっ!」
 喧騒に負けない大きな叫び声。ようやく記憶を取り戻し、イサミアは泣いた。ダルスが捜しに来ているのなら、この声は必ず届くはずだ。イリアたちと接触を図ったなら、もしかしたら先ほどまでの小さなやり取りも、ダルスは聞いていたかもしれない。
 今まで大人しくしていたイサミアの大絶叫に皆が驚いた。その隙にイサミアはエスバドの胸を蹴って、地面に降り立つ。
「ミーア!」
 イサミアの小さな体は器用に人々の間をすり抜けて、見る間に消えた。
「くそっ、どけ!」
 エスバドが舌打ちして追いかけようとしたが、上手くはいかない。周囲にぶつかって文句を投げられ、時には乱暴に押し返された。
 町の封鎖によって皆が苛立っている。
 エスバドの瞳が剣呑になるのを見てイリアは表情を改めた。何とかしなければ、と人ごみを眺め渡して目を瞠る。視界の端にはヴェラークとディールアがいた。この場を治めるには最適の人物だ。
「道を開けろ! 私はこのようなことを許した覚えなどない!」
「命令なしでの刑は犯罪だぞ!」
 太く力強い声は瞬く間に皆の中に浸透した。振り返った者たちはヴェラークたちの姿を見つけて目を瞠り、口を閉ざす。そうして騒ぎは徐々に治まっていく。
 イリアは安堵すると同時に「まずい」と思った。駆け出したイサミアの様子から、彼女が記憶を取り戻しただろうことは推測できる。それならば、あの少年が海賊だということも、海で逸れた友人だということになる。簡単な図式だ。
 けれどそれでは、彼女たちがヴェラークの手に渡れば絶望的だ。今直ぐに殺されなくても、死期が延びるだけだ。
「ミーアはっ?」
 舞台を振り返ったイリアは、そこによじ登ろうとしているイサミアを見つけた。子どもだからか、辿り着くまで早かった。
 そして。
「最っ悪」
 赤銅色の髪を風に揺らせ、自身が持つ能力で、必要な者以外は容赦なく吹き落として。
 拘束されたままのファートンと、風に煽られた友人を支えようとしたイサミアの前に、ダルスが降り立った。

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