前へ目次次へ

第三話

【七】

 倦怠感を覚えながらイリアは目覚めた。
 空気を切る音に気付く。そちらを見ると、なぜかシャルゼが素振りの練習をしていた。寝たふりを決め込もうと思ったイリアだが、振り返ったシャルゼと目が合って、仕方なく起き上がった。
「その剣はなに?」
 間の悪いときに起きてしまったものだ、と思いながらイリアは問いかけた。
 本物である証に、抜き身の剣は鈍色に光を映している。刃も潰されていないようだ。シャルゼの手には少々重そうに見えた。
 シャルゼは嬉しそうに微笑む。
「レナード様に頂いたのよ。勝負は私の勝ち。嬉しくて弾け飛びそうだわ」
「思いとどまって、シャルゼ」
 剣を鞘に収めたシャルゼはそれを抱き締めて頬ずりする。
 『切れる』剣を渡された意味を分かっているのか疑問だが、シャルゼが嬉しそうなので良しとする。否、シャルゼならば理解して尚、喜ぶのだろうと思い直す。
「え、ちょっと待って。っていうことは、それってレナードから貰ったってこと? そういえばあれからどうなったの? ミーア……ううん、勝負って……シャルゼがレナードに勝ったってことっ?」
「落ち着きなさいね、イリア」
 瞬時に思い出したイリアは身を乗り出した。シャルゼはため息をひとつ洩らし、両手を腰に当ててイリアを見下ろす。静かな威圧を感じるその仕草に、イリアは声を呑んで大人しくなった。
 シャルゼが微笑む。
「私が負けるわけないでしょう。レナード様との勝負にはもちろん勝ったわ」
「勝ったの……?」
 イリアはシャルゼが抱える剣をちらりと見た。勝ったからには結婚を迫ると思っていたが、なぜ剣を貰うことになったのだろうかと疑問に思う。そうするとシャルゼはイリアの疑問を読んだように答えをくれた。
「さすがに20年以上の歳の差は辛いわね」
「恋に年齢は関係ないって言ってたのは誰よっ?」
「心外だわ。恋に年齢は大有りよ」
 言ってのけるシャルゼに本気で頭痛がして、イリアは額を片手で押さえた。
「5年や10年はいいけど、26年は辛いわ。結婚したと思っても直ぐに死んでしまうじゃない。何の面白みもないわよ。理想は、長年連れ添って老後を面白おかしく過ごすことねぇ」
 本気なのだろうか。
 片手を頬にあてて呟くシャルゼを見やる。やはり彼女は理解不能だ。そんな思いを感じ取ったのかシャルゼは苦笑して肩を竦める。
「もういいわよ。諦めてくれたなら私ゃぁあっ? だからあれからどうなったの、ダルスたちはっ?」
 言葉の途中で唐突に思い出したイリアは奇声を発する。シャルゼが顔をしかめた。しかしそんなことには構っていられなくて寝台を飛び降り、シャルゼに詰め寄る。
 そのとき、別の声が部屋に現れた。
「何の奇声を上げているんだ」
「エスバド!」
 扉を開けて入ってきたのはエスバドだった。いつもの無表情の中には呆れが混じっている。ディールアの軍服は抜いでおり、代わりに黒を基調とした学校の制服を着ている。
「この際エスバドでもいいわ。ダルスたちはどうなったの?」
「自分で運んでおいて、何を今更」
 エスバドの非難にイリアは顔をしかめた。
「いいえ、エスバド。イリアは本気よ。覚えてたらもっと下手に誤魔化そうとするものね。幼馴染歴が長い貴方には分かっているのではなくて?」
 エスバドは、今度はハッキリと目に見えるように顔をしかめた。疲れたように椅子に腰掛ける。
 イリアは怒ろうかどうしようか迷ったが、エスバドが口を開くのを見て大人しくなった。
「海賊たちは逃げたよ。俺たちが岬へ着いたときにはもう姿もない。岬守も広場に向かわせていた最中だったからな。岬には誰もいなかった」
「そ、そう」
 イリアは歯切れ悪く頷いた。おぼろげながら、自分が彼らを噴水に引き込んだのだと思い出した。
 噴水の水は、海から太い管を通して引き込んでいる。非常時には噴水の水を抜き、町の外へ脱出できる。昔からある設備だ。誰もが知っているわけではないが、イリアはヴェラークから聞いて知っていた。
 しかしイリアも、最初からそれを狙っていたわけではない。ダルスが逃げる素振りを見せなかったので逃げ道が近くにあると睨み、そして水道管の話を思い出しただけだ。ダルスは最初からイリアが助けることを知っていたのだろう。
 ダルスだけならばイリアも助けようなどと思わなかっただろうが、傍にはイサミアがいた。彼女が捕まるのは嫌だった。だから、助けようと思った。ダルスにはイリアの行動が読めていたに違いない。
「じゃあ、ダルスたちはもう町にはいないんだ?」
 質問ではなく、自身に聞かせるための独り言。
 イリアは部屋を見渡し、イサミアの姿がないことに落胆する。喪失感はどうしようもない。
「ミーアが海賊ね……」
 低い呟きに振り返ると、エスバドがテーブルに頬杖をつきながら何かを考え込んでいた。イリアは複雑な思いで視線をさまよわせる。
「最初から騙されていたのか」
「違うわ、エスバド。ミーアは本当にすべて忘れていたと思うわ」
「なぜそんなことが言える」
「女の勘よ」
 何の根拠もなく自信を持って答えると、エスバドは押し黙って瞳を閉じた。
「色恋に溺れる男ほど見苦しいものはないわね」
 それまで黙っていたシャルゼが大声で呟いた。イリアは慌てる。
「何を言うの、シャルゼ。色恋に興味の欠片も示さなかったエスバドがミーア……イサミアに興味を持ったのよ」
 本名を言い直すとエスバドの瞳が細められる。
「見苦しいなんてことないわ。祝福しましょう。それが友だちである私たちの役目よ!」
「あら。私、いつエスバドと友だちになったのかしら」
「ひねくれたこと言わないでよ。ほら、エスバドも!」
 イリアの矢継ぎ早な言葉は口を挟む暇もない。エスバドは手首をつかまれ、強引にシャルゼと握手させられた。
「イリア。俺は」
「今日からエスバドもここに住むんだし、私の言うことは聞きなさいね。ほら。これで二人は友だちよ!」
 強引に握手させた二人の上からイリアも手を重ねた。
 妙な同盟が組まれようとしているようで、エスバドもシャルゼも、複雑な思いで沈黙した。

前へ目次次へ