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第四話

【ニ】

 イリアは自室で髪を梳きながら窓の外を眺めていた。
 屋敷は高台に位置しているため町並みが一望できる。他国から輸入した光炉のお陰で人々は夜でも光を灯すことが出来る。舗装された道路には街灯が整備され、月明かりを選ばなくても白光に守られるようになった。
 イリアは櫛を窓辺に置くと町並みの向こう側を眺めた。カーデ領の港には軍港が併設されている。非常時には軍籍を持つ船しか出入りを許可されなくなり、折り悪くそんな時に港へ居合わせた商船や客船などは、港が一般に開放されるまで身動きが取れなくなってしまう。だがそれはカーデ領ばかりでなくジェフリス国全体に言えることだった。船を商売に扱う者たちは常にそのことを念頭に置いておかなければいけない。ジェフリス国はそういう国柄なのだと、船乗りたちには昔から暗黙の了解だった。
 世界中を回ってもこんなに厳しいのはジェフリス国ぐらいだと、以前商人の誰かが笑いながら言っていたことがある。
 常ならば港の明かりは夜になると落とされるが、現在は少量の明かりが灯されたままだった。それはカーデ艦隊を束ねる総指揮官、ヴェラーク=カーデが領地にいないからだ。彼は海賊騒ぎの報告のために王都へ出向いている。
「お父様がいれば色々相談できるのにな」
 現在の領地は混乱もなく平穏だったが、軍港には近海を見回る哨戒船や連絡船がいくつか出されていた。大きな明かりがゆっくりと海を流れていく。それらを眺めてイリアは瞳を細めた。灯台の光が眩しく映る。
 ヴェラークはそろそろ戻ってきてもいい頃だ。証拠に、国王からの感謝状が学校に届いている。ヴェラークよりも王都の連絡船が早いわけはないから、ヴェラークは寄り道をしていることになる。最初は頬を膨らませたイリアだが、今ではその理由も知り、諦めていた。
 ヴェラークが王都を出る間際、シーア領の近海に海賊が現れた。もちろん騒ぎには一番近いシーア艦が当たればいいことだ。しかし現在シーア領を治めているザリーフェン=シーアはその地位に就いて日が浅い。十三艦隊指揮官を務めるには経験不足も否めない。そのため、国王は王都にいたヴェラークに声をかけたという次第だ。
 鎮圧は直ぐだとしても、シーア領からカーデ領へ戻るには時間がかかる。ヴェラークへの信頼は嬉しく思うが、早く帰ってきて欲しいと願うイリアには複雑でもある。
 そのとき、扉を叩く音がしてイリアは振り返った。
「どうぞ」
 促すと扉が開く。姿を見せたのはエスバドだ。
 先の海賊騒ぎから屋敷に居候している幼馴染、エスバド=ラード。彼の父親がヴェラークと友人という要素も手伝い、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあった男友達だ。イリアは顔を輝かせた。
 けれどエスバドは部屋に一歩足を踏み入れたところで硬直していた。ふと我に返り、憮然とした口調で「出直してくる」と視線を逸らした。イリアが夜着になっていたからだろう。しかしイリアは今更この幼馴染に羞恥心を湧かせることもなく、彼の突然の態度に首を傾げただけだ。エスバドが踵を返すのを見て慌てた。
「待って、話があったんでしょう? 遠慮しないで、入ってよ」
 強引に部屋へ招き入れる。エスバドは抵抗したが本気で抗うことはせず、イリアに扉を閉められると諦めのため息をついた。イリアが気にしないなら自分も気にしないふりをしようと決めたようだ。
 エスバドは気を取り直してイリアに向き直った。
「特進おめでとう。イリア」
「ありがとう。エスバドもおめでとう」
「ああ」
 右手を差し出され、握手をしながらイリアは微笑んだ。
 エスバドの父は第九番艦隊を指揮するディールア=ラードだ。ヴェデドースが言うところの軍人家系の出自であるから、彼の特進は上層部でもすんなり決まったに違いない。
「こうして私たちは学校を出る頃には将校になってるのよね」
 功績を挙げている軍人家系出身の者は、将校試験さえ受けてしまえば次々と特進を受けることが可能となる。就職先に困ることはない。優先的に斡旋を受け、軍学校を出る頃には立派な将校として海に出ていく。もしくは、将校として陸に留まり支援をする。
 陸に留まることを選択した者は、得てして、数年後に誰からも納得される小太りな運動不足者になるのが運命ではあるが。
 因みに将校試験を受けずに一般試験のみで入学した平民には活路が開かれない。軍人として卒業はできるが特進も斡旋も受けることができない。彼らは最下級の階級を拝命されて、それぞれの科へ配属される。
「シャルゼのことで上官に意見したという噂だ」
「噂は本当よ」
 イリアは彼に椅子を勧めながら笑った。彼がこの部屋を訪れるのは珍しいが、用件はそのことか、と納得する。
「だってシャルゼは能力者だし頭もいいし、私なんかよりよっぽどよ。性格は、あれだけど」
「性格はな」
 イリアは暗く笑った。不思議に思うことなくエスバドも強く同意する。鉄面皮の無表情を誇る彼だが、シャルゼを思い出す彼は苦虫を噛み潰すような顔をしていた。
 イリアは気を取り直してエスバドに向き直った。
 先の海賊騒ぎから一ヶ月が経とうとしている。許可なくファートンを処刑しようとした民は罰せられ、ヴェラークとディールアが王都レーヴェドールへ赴いて事件は落着したかに見えた。けれどヴェラークは未だに王都――否、現在はシーア領地であるが、カーデ領地へ戻ってこない。
 今回の騒ぎを聞いた人々は再び口さがない噂話を繰り広げ始めるのだ。
 正直、鬱陶しいしがらみはすべて水没させたいと思うイリアだった。
 民の中には、海軍見習いながらも恐れず海賊たちに向かっていったイリアに感動した、と称える者もいれば。余計な手出しなどせず正規軍に任せていれば海賊を捕らえることができたかもしれないのに、と不満を洩らす者もいた。現場を見ていた者はヴェラークたち指揮官が命じたところも見ており、不満を上げることはなかった。このような不満を上げるのは大抵、噂話を聞きかじって無責任に揚げ足を取ろうとする者たちばかりだ。
 そして人々は更なる不満を口にする。カーデ領で他艦長が指揮を執ったからヴェラークの邪魔となり、海賊を逃がしたのではないかと。面と向かって言い切る者はいないが、軍に属する者であってもこちらの不満を抱く者は多かった。皆、自分が住まう自治軍にはそれぞれ誇りを持っているものだ。
 そして最後に。約二年前、話の渦中にあったイリアが再び海賊騒ぎに絡んだということで、名前が浮上した。人々の関心は高まり、忘れられていた下世話な中傷も復活する。
 以前は屋敷から出ないイリアに中傷が届くことはなかったが、学校へ行けば嫌でも耳にする。聞くたびに不快な思いだ。
「それで」
 エスバドの声に意識を戻され、イリアは顔を上げる。足を組んだエスバドが少し疲れたような表情でイリアを見ていた。
「上に行きたいならあまり問題を起こさないことだ」
 イリアは瞳を瞬かせた後、意味を悟って唇を尖らせた。
「何言ってるのよ。理不尽なことがまかり通っているからこういう問題が出てくるんじゃないの」
 頬を膨らませるがエスバドは何も言わず、しばらくイリアを見つめた後にため息をつく。その仕草が更にイリアの苛立ちを煽った。
「何よ。軍人は大衆のためにあれ、でしょう? ガヴィルート総督の信念を貫かなくてどうするのよ!」
「確かに、父さんたちからはそう教わったが」
「学校でも教えられたわ。一番最初にね。校規と一緒に教えられたじゃない」
 畳み掛けるように告げるとエスバドはため息をつく。
「……まぁ何であれ、大人しくしていることだな」
 大人が子どもに教えるようだ。イリアは大きく頬を膨らませる。
「学年は私と変わらないくせに!」
 椅子に座ったままだったエスバドに手を振り上げたが、彼はそのまま黙ってイリアに叩かれる。それが彼の余裕に思えてイリアは唇を尖らせた。自分が酷く子どものような気がしてくる。
「イリアは兵科に行くんだろう?」
「もちろんよ」
 大きく頷いて両手を腰に当てる。エスバドは笑って立ち上がった。
 ――昔からこうだ。エスバドは決してイリアに感情をぶつけない。イリアだけではなく誰に対してもそうだ。自分の中に留めておく。幼馴染の間柄だが、それがイリアの心を寂しくさせる。
「軍楽科、なんていう楽しそうな科も考えたけど、兵科の方がダルスに会う機会は多そうだものね」
 イリアは寂しさに諦めのため息を零しながら吐き出した。ダルス、という名前にエスバドは一瞬だけ眉を寄せたが、直ぐに払拭して肩を竦めた。
「なら尚更、問題は起こさない方がいいだろう。兵科は前線に出る機会が多い分、上下関係が厳しい。階級にうるさい」
 他の科よりも人数が圧倒的に多いため、厳しさは過酷だ。退室しようとするエスバドに唇を尖らせながら「分かってるわよ」と呟いた。
「でも私、シャルゼが平民だからっていう理由で同じ立場にいないのは腹が立つのよ」
「それは同感だ」
 エスバドに言っても仕方ないが、独り言のつもりで呟いた言葉に応えが返り、顔を上げる。無口な幼馴染は小さな頷きを返して扉向こうに姿を消す。
 イリアはしばらく扉を眺めていたが、やがて肩から力を抜くと寝台に横たわる。手近にあったクッションを力いっぱい抱き締めて瞳を閉じた。


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 次の日、ヴェデドースから呼び出されたイリアはエスバドの言葉を思い知らされた。
「家系というものはそれだけで本人を保証してくれるものであり、階級というものは然るべき人物に、適切に与えなければいけないものである」
 長ったらしい言い回しにイリアは「はぁ?」とあいまいに頷いた。
 シャルゼも隣に立っているが、彼女は聞いているのかいないのか、直立不動で反応を返さない。
 まさか眠ってるんじゃないでしょうね、とイリアは思ったが確かめないことにする。
「分かるかね、イリア=カーデ」
「分かりかねます」
 ヴェデドースの片頬が引き攣る。
「つまりだね」
 苦く咳払いをし、彼は説明する。
「イリア=カーデならば、ヴェラーク=カーデによって人間性が保証されている。しかしシャルゼ=アーリマには軍人としての保証が何もないのだ。安易に階級を上げることはならぬ」
 端的にまとめれば、シャルゼには後ろ盾が何もない、ということなのだろう。
 国民全員に開かれている軍学校であるが、こういったところは上手くいかないらしい。イリアは眉を寄せて首を傾げる。理不尽だ、と苛立ちが燻る。彼の言い方では、イリアとエスバドの階級が安易に上げられたようにも聞こえる。
 苛立ちのままに反論しようとしたイリアだが、昨夜のエスバドの言葉が蘇って言葉を変えた。文句よりも今はシャルゼの方を優先する。
「では、シャルゼが階級を上げるに値する人物であると、軍曹たちに示せばいいという訳ですね?」
 ヴェデドースは一瞬ためらった後に「うむ」と頷いた。
 希望が見えたイリアは表情を輝かせて詰め寄った。
「どうすればいいのですか?」
「何?」
「何をすれば、シャルゼは認められるのですか?」
「何、と……」
 口ごもるヴェデドースを、イリアは凝視する。
 深海の瞳で見つめられたヴェデドースは助けを求めるように視線をさまよわせたが、指導室には誰もいない。もちろんシャルゼから救いの手はない。静かな微笑みを向けられたヴェデドースは困ったように眉を下げる。
「軍曹が出した条件をクリアすれば、シャルゼを私と同等に扱っていただけるということですよね。国民全員に開かれている軍学校ですもの。家系の保証がなくても、チャンスは公平に与えられるべきだわ」
 口を開くヴェデドースを遮ってイリアは告げ、ため息をついた。ヴェデドースの瞳は揺れきっている。どうすれば説得できるのか考えているのだろう。名案は浮かばないようだ。また、シャルゼは無言の圧力をかけ続けていた。背が高く、端麗な美貌の持ち主にそうされると、ヴェデドースは自分が彼女の上官であるということも忘れて萎縮しそうになる。
 ヴェデドースは腹に力を込めてイリアを見た。
「そもそもシャルゼ=アーリマを認めないのは保証がないからだが、その保証自体が平等ではないと言うのならば、保証を撤廃すれば平等と言えるのかね? その場合、一度は決定されたイリア=カーデの二階級特進だが、保証を撤廃した後、シャルゼ=アーリマと同じ一階級の特進に落としても異論はないと?」
 シャルゼを同じ位置に引き上げるのではなく、イリアを同じ位置に引き下げる。着眼点を逆にするこの論には複数の追及点が含まれており、ヴェデドースの好むところではない。また、軍曹会議で決められた特進は取り消しなどできないのだが、ヴェデドースは敢えて賭けに出た。誰だって一度与えられた功績を取り上げられるのは嫌だ。追及するよりも先に不満を押し殺そうとするだろう。
 今までにも不満を抱く生徒はいたが、誰もが納得しないまま言葉を受け入れ、そして卒業していった。
 案の定、イリアの瞳にも怒気が閃いた。けれどその怒りは隠され、ヴェデドースの言葉を吟味して受け入れ、そしてこの場を立ち去る。そうなるはずだったが、イリアの瞳から怒気は消えなかった。ヴェデドースの瞳を見据えてイリアは「構いません」と頷いた。思わずヴェデドースは耳を疑った。
「それが軍曹の出した結論なら、私はそれを望みます。どちらでもシャルゼと私が対等であることの証明にはなります」
 くすりとシャルゼの笑う気配がした。ヴェデドースが視線を向けたが、シャルゼは最初の微笑みを崩していない。しかしその瞳の奥にある意志はイリアと同じもののようだ。
「分かった」
 ヴェデドースは胃痛を覚えながら低く頷く。
「あとで」
「はい?」
「後で……いや、明朝、通達しよう」
 イリアとシャルゼは顔を見合わせた。ヴェデドースは視線をイリアの足元に落として瞳を閉じる。
「それまで待機を命ずる!」
 強い言い切りに二人は背筋を伸ばした。
「では明朝までに、よろしくお願い致します!」
 敬礼し、指導室を後にする。
 残されたヴェデドースは自分が妙な汗をかいていることに気付いてそれを拭った。明日までに何とかしなければいけない、と発言を後悔するがもう遅い。賭けには負けた。イリアが引くことはもうないだろう。
 ヴェデドースにできることは、シャルゼに特進の場を設けることだけだ。
 苦々しい表情で指導室を振り返る。部屋の奥には通信設備が整っており、ジェフリス国に点在するすべての学校に直接通信ができるようになっている。暗号を打ち込めば、通信設備が整っている場所ならばどこにでも連絡が取れる。傍受の危険性はあるが、学校からの通信を傍受する者はいないだろう。
 ヴェデドースは通信機を手にすると瞑目した。
 しばらくののち、長い暗号を打ち込み、呼び出し音を受話器越しに聞いた。
 ――あの男に頼むことになるとは。
 複雑な心境だったが、彼にしか頼めないだろうことも分かっていた。瞑目した瞼裏のなかで呼び出し音が途切れ、暗号を求める声を聞く。幾重もの審査を抜けたあと、ヴェデドースは若々しい青年の声を聞いた。


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 カーデの屋敷に親書が届いたのは、夜も明けきらぬ早朝のことだった。
 手紙にはこのように書かれていた。


『イリア=カーデ殿


 前略

 先日の異議申立について軍曹会議を開き、以下のように決定したので通達する。
 イリア=カーデ シャルゼ=アーリマ
 両名には一ヶ月の特進準備期間を設ける。
 オーカキス島に特殊配属し、特殊任務を与える。
 一ヶ月後の査定において両名が等しく特進に値する人物であることが証明された場合、二階級の特進を認める。』


 イリアは一度目を通したあと、読み返した。右下にはヴェデドースの落款がある。ヴェラークはいまだ戻らないため、相談はできない。
 文書が重なり二枚あることに気付き、二枚目を開く。
『オーカキス島の軍令部には私の名前で連絡している。一ヵ月後、ひと回り逞しくなった両名を迎え入れることができるよう、今から願っている』
 ヴェデドースからの私信だ。封筒には連絡船用の券が入っており、そこにもヴェデドースの落款があった。
 文書を手にしたまま動かないイリアを訝ったミトスが近づき、イリアは無造作に文書を渡す。ミトスもまた目を通し、そして青褪めた。
「オーカキス島へ一ヶ月もなんて……!」
 絶句するミトスを横目に、イリアはため息を吐き出した。エスバドの言葉を脳裏で反芻する。厄介な、とは思わないでもないが、逆にこれはチャンスだと思う。オーカキス島は政治上の要となっている島で、異国との交流も盛んだ。一ヶ月の滞在は有意義なものだろう。
 こうなったからには絶対にシャルゼを認めさせる――イリアはそう決意し、仕度を始めた。
 そうして、話は冒頭へ戻る。

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