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第四話

【三】

 浜で焚かれた祭りの炎。そのきらめきは遠く離れた場所からでも変わらない。そこで行われている祭りの盛況さを感じさせる。
 ダルスは笑みを浮かべた。今回は苦労をさせられたが、皆が無事に祭りを迎えられた喜びで疲れは消えた。船長としての役目も果たし、今は自宅の屋根の上で炎を見ながら休んでいる。
 ファートンとイサミアを島に連れ戻したのが三日前。祭りに間に合わせるため、風を駆使して何とか遅刻せずに辿り着いた。そこから息を整える暇もなく祭りに参加することとなった。
 祭りの核とも呼べる主祭は初めの一日で終わってしまうが、暇を持て余す島民たちは後夜祭と称してそれから何日かは浜に炎を絶やさず燃やし、夜になれば騒ぎ出す。彼らが飽きるまで、祭りは続く。
 屋根に登っていたダルスは視線を空に投げた。足を長めて休んでいると、気持ちのいい潮風が頬を撫でていく。髪紐を解くと赤銅色の髪が広がった。風に吹かれて視界を掠める。
 浜の空は赤く照らされていたが、頭上の空は瑠璃色の静けさを保ったままだった。星のきらめきを無言で見上げる。
 ダルスは腕の力を抜いて仰向けに倒れた。
 瞳と閉じると潮騒が強く聞こえる。潮の香りも強く、島に戻ってきたのだと安堵が広がる。祭りの高揚感に紛れていた疲れが全身を支配したようだ。生温いお湯に浸かっているようで、動きたくない。
 今日はこのままここで眠ってしまおうかと考えていると、瞼裏に人物像が鮮やかに浮かび上がった。
 海軍が治める町へ侵入してからまだ一週間も経っていない。イリアやシャルゼ、そして言葉を交わすことはなかったがイサミアを保護したエスバド。ヴェラークやディールアを脳裏に浮かべながら心は晴れない。気に入っている者たちや面白そうな者たちがことごとく軍属だというのは面白くない。しかしそれはそれで楽しみが待っているか、と思い直す。特にイリアは退屈しない。彼女が軍に志願したのは他ならぬ自分を捕らえたいからだと言う。これが面白くなくて何なのだ。
 彼女を思い浮かべるだけで楽しくなり、ダルスは頬を緩めた。
 強い陽射しに輝く紫色の髪と、そんな強い色に負けないほど鮮やかな笑顔と行動力。覇気に満ちた者を見ると、こちらまで救われていく。
 過去にもそんな人物に出会ったことがある。イリアに良く似た面差しで、唯一の贖罪を請け負った女性だ。当時は頑なに周囲を拒絶していた。彼女に反発した。年齢を重ねた今では素直に感謝することができる。彼女がいたからこそ今の自分がある、と。
 今でもうずく、過去の傷。
 ダルスは瞼を持ち上げて唇を噛んだ。
 瑠璃色の空に描いたのはイリアの姿だった。今回の件で警備はかなり固められているだろう。次に忍び込むのは容易ではない。何しろ敵はヴェラーク=カーデ。他の一筋縄ではいかない、と今では認めざるを得なくなっている。イリアもまた、黙って攫われるような女ではない。それを掻い潜って手に出来たら、これ以上の楽しみはないだろう。
 つかまえて突き出すと豪語していた彼女の矛盾した行動。根底にある正義感は過去に出会ったかの女と同じもの。幼い頃は世界のすべてが敵だと思っていたが、今では敵ばかりではないと分かっている。振り上げた拳は、もう目的のもの以外には振り下ろさない。
「お兄ちゃん!」
 呼ばれたダルスは体を起こして声の方向を見た。誰もいない。屋根から身を乗り出すと、玄関口に祭りの主役がいた。女神の衣装をまとったイサミアだ。ダルスに気付いて満面の笑みを浮かべる。
「ファートンはどうした」
「まだ浜にいると思うわ」
 ダルスは衣装を裂かないよう風を調節し、イサミアを屋根の上まで引き上げた。嬉しそうな顔でイサミアは屋根に足をつける。風に煽られる衣装を押さえる様子は初々しくてダルスの笑みを誘った。
 イサミアが着るのは民族衣装だった。先祖から伝えられてきたものらしいが、この島に辿り着く前、一族がどこに住んでいたのかは分からない。世界中を巡れば会えるのだろうか。民族衣装の手法だけが親から子へと伝えられている。
 女神役が毎年着まわしているその衣装は、イサミアには少々大きいようだ。本来なら足首で揺れるはずの裾が地面に触れている。主祭のときは横転もせず女神役を務め上げていたことを思い出し、ダルスはイサミアに手を伸ばした。着崩れた衣装を少し直す。
「来年は別の奴に渡すんだ。あんまり汚すんじゃねぇぞ」
「分かってますよーだ」
 イサミアは舌を突き出して投げやりに答えた。屋根の端へ走り、島を眺める。子どもっぽい仕草にダルスは笑ったが、振り返ったイサミアはなぜ笑われたのか分からないように首を傾げた。
「なぁイサミア」
「なに?」
 女神役を務めたときのイサミアは11歳という年齢を超越し、皆を感嘆させた。幼さゆえの純粋さと炎の照り返しで神々しささえ放ち、見ていたダルスですら目を瞠ったものだ。けれど今目の前にいるのは、いつもと同じイサミア。
 ダルスは立ち上がって傍に寄った。
「今年も祭りは長そうだし、次の航海までかなりの時間が空く。しかも次は危険が少ない奴だ」
 食料品や日用品などを集めてくる長い航海が終わった後、島の女たちで物資を検品する。そこで足りないものがあれば大陸へ渡り、調達する。この航海では乱闘になることがないため女性も乗り込む。大陸から大陸へ。町から町へ。何週間かかけた交易をし、資金を稼いで帰る。海賊として稼いだ資金をあわせると、島民たちは現在裕福だった。
「主祭が終われば、俺らが担ぎ出されるイベントもない」
「そうだけど……」
 ダルスが何を言いたいのか分からず、イサミアは首を傾げた。
「次の航海に、お前を乗せてやろうか?」
 イサミアは瞳を瞠らせて口を開く。予想もしていなかった。言葉が出てこない。
「祭りが終わるまで航海術を教えてやる。もちろん、間に合わなかったらいつも通り置いていくが。お前のやる気次第ではどうにでもなるだろ」
 これまでイサミアがどんなにせがんでも決して許さなかった航海。ダルスの豹変ぶりに驚き、イサミアは彼を凝視した。
「やめるか?」
 沈黙があまりにも長いため乗り気ではないと判断したのか、ダルスはため息をつきながら肩を竦めた。
 せっかくのチャンスだ。
 イサミアは我に返ると慌ててかぶりを振った。ダルスに駆け寄ろうとして衣装の裾を踏みつけ、転倒する。
「きゃあ!」
 倒れた拍子に屋根から落ちかけたが、それはダルスが許さない。下から強い風を吹き上げてイサミアを支えた。また転ばれては大変だと思ったのか、そのまま風を操ってイサミアを近くまで引き寄せる。幸いにも衣装は破けていないようで、思わず安堵した。
「ちょっとお兄ちゃん。衣装より私のことを先に心配してよ」
「怪我はないだろう」
「そりゃ、ない……けど」
 当然のように切り返すダルスに、イサミアは声を詰まらせながら肯定した。我が身の頑丈さを少しだけ恨めしく思う。
「でも。いくら頑丈だからって、私はその前に女性なんですからね。心配もしない男になびくような女なんていないわ。お兄ちゃんは学ぶべきよ」
 胸を張るとダルスに額を小突かれた。
「そういうことは色気を身につけてから言うんだな」
 イサミアは不機嫌に頬を膨らませて睨んだが、もう言い返す言葉は見つからずに諦めた。気を取り直す。
「次の航海に、私も乗せてってくれるの?」
「船に必要な知識を詰め込んでおけば、誰も文句言えないだろう」
 それは肯定の証。イサミアは湧き上がる歓喜のままダルスに飛びついた。結構な勢いだったためダルスは屋根から足を踏み外しかけ、イサミアを抱えたまま宙に浮いた。
「ありがとうお兄ちゃん! もう、大好きよ!」
 現金な告白にダルスは声を上げて笑い、彼女の背を軽く叩いた。

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