前へ目次次へ

第四話

【四】

 海へ突き落とされたイリアは、もう余計な寄り道はせずに目的地へ行こうと足を早めていた。
 ヴェデドースからの指令が届いたのは本日の朝。シャルゼを訪ね、何かに急かされるようにしてこの島へ来た。短い時間でできる準備などたかが知れている。着の身着のままという状態が相応しい。
 さすがに帽子くらいは持ってくるべきだったかと、イリアは強い太陽を見上げて後悔した。
「オーカキス島の司令官って誰なのかしらね、シャルゼ」
 オーカキス島はミフト大陸とサーフォルー大陸の中間に位置し、交通の要として知られている。
 玉の産地としても名高く、特にカール鉱石と呼ばれる玉は希少で価値が高い。オーカキス島以外では滅多に産出されないため、かなりの高価格で取引されている。
 そんな立地条件や特産品などから、欲しがる国は多数あった。けれどそれぞれに牽制を受け、どの国も抜け駆けができない。各国の均衡が崩れたら直ぐに奪い合いが始まりそうな気配ではあるが、今のところオーカキス島は平和で、無国籍を保っていた。
 オーカキス島に駐屯するジェフリス国のサーフォルー海軍は、他国に動きがないかの監視を拝命されていた。また、他国からの要請を受けて治安維持にも一役買っている。何しろ海軍に関してジェフリス国の右に出る国はいないのだ。
 イリアも島の立場は漠然と理解していたが、実際に派遣されている人物までは知らない。
 シャルゼは呆れたようにイリアを見た。
「事前準備の一環としてそれぐらい調べておきなさいね、イリア」
 イリアは肩を竦める。ヴェデドースの指令を受けてから出航するまで時間がなかった。それでもシャルゼは既に調べていたというのか。それとも元々の知識としてあったのか。イリアは期待して彼女を見つめたが、近づいてきたシャルゼはイリアの額を指で弾いた。
「いったーい!」
 弾かれた額を押さえ、イリアは涙目でシャルゼを睨む。
 シャルゼは金髪を揺らして笑う。
「私だって万能じゃないわよ。何でも知ってると思って頼られると仕返ししたくなるわ」
 イリアは眉を寄せて黙り込む。
「でもイリア。かつてヴェラークの部下だった人のことくらいは覚えておきなさいね。まぁ、あの人くらいになると部下の数も多いのでしょうけどね」
「ええ? ということは、お父様の部下だった人がオーカキス島に派遣されているの?」
 イリアは双眸を瞠らせて大声を出した。すかさずシャルゼに足払いをかけられ、転ぶ。徐々に増えてきた人々が物珍しそうに二人を見た。
「有名よ。カラドレット=ゼロ。今の階級はどうなってるか知らないけど。聞いたことないの?」
「う……え、ええ……」
 理不尽な攻撃の数々に文句を言いたかった。しかし示された名前に対する興味の方が勝って、機会を逃す。口の中で「カラドレット=ゼロ」と転がしてみるが、思い当たる節はなかった。転んだ拍子に打ち付けたお尻を軽くさする。
「有名なの?」
「そうね。優秀な軍師を多く生み出してきたゼロ家から出た変わり者。当時のヴェラーク中将に喧嘩を売ったツワモノ。噂では、ミレーシュナを巡っての対立だったとも言われてるけどね」
「お、お母さまも関係してるんだ……」
 次々と明かされる、あまり評判がいいとは言えぬ内容に驚きつつ、初めて聞く事実に絶句した。母に関してそのような騒動が持ち上がった記憶はない。もしかしたらヴェラークが情報規制を張ったのかもしれない。非常にあり得そうなことだ。
「カラドレット=ゼロ……」
 イリアはポツリと呟いた。
「どんな人なんだろう」
「自分の目で確かめてご覧なさいな」
 顔を上げたイリアは微かに期待する。母との思い出話を沢山してくれるかしら、と。ヴェラークと話をしているといつの間にか喧嘩になってしまうのが悩みの種だ。屋敷の者ではヴェラークに対する遠慮からなのか、あまり話ができない。偏見なく話ができるのはほとんどいないのだ。
 イリアは徐々に高揚していくのを感じながら、港からさほど離れていないジェフリス国の軍司令部を遠目に眺めた。


 :::::::::::::::


 年の頃は20代後半。オーカキス島の陽射しに良く焼けた肌は綺麗な小麦色。
 部屋の中央に立つ彼がカラドレット=ゼロである、とイリアは直感で悟った。
 両脇に整列する軍人たちは個々に異なる識別色をまとっていた。一見、無秩序に見える光景だ。彼らから敬礼を受け、イリアは僅かにたじろいだ。
 カラドレット=ゼロと思われる青年が快活に笑う。
「遠いところをご苦労さん。イリア=カーデにシャルゼ=アーリマだな。俺はカラドレット=ゼロ。階級は大尉。これから一ヶ月、よろしく頼むよ」
 カラドレットの笑顔は少年のようで、素直に親しみが持てた。話す言葉も快活で聞き取りやすい。第一印象を裏切らない言葉にイリアは安堵した。緊張が抜けていくのを感じながら自然と笑みを浮かべる。
 カラドレットは近くに控えていた女性を振り返って紹介した。
「こちらはエルミナ准佐。この司令部では唯一の女性だ。俺では不都合な面もあるだろうから、そのときは准佐に言ってくれて構わない」
 紹介された女性は前に進み出た。髪を後ろでひとつに束ね、邪魔にならぬようしっかりと固められている。凛とした雰囲気は、男性ばかりの中で苦労してきただろうと思わせるだけの何かがあった。切れ長の双眸がイリアたちを捉える。
「ヴェデドース軍曹から話は聞いています。一ヶ月の特殊配属ですけれど、ここへ来たからには甘えは許されませんから、そのつもりで任務に就きなさい」
「相変わらずエルミナ准佐は厳しいな」
 開口一番恐ろしいことを告げられ硬直するイリアを、カラドレットの笑い声が包み込んだ。
「最初は誰でもこの態度にやられるんだが、彼女は優しい人だから安心しろ」
「フォローは結構です。ゼロ大尉」
「つれないお言葉」
 容赦なく強い言葉にカラドレットは肩を竦め、笑みを浮かべながらイリアたちに向き直った。
「それにしても――」
 カラドレットの視線がイリアを眺める。
「ミレーシュナの面影がそのままだ」
 イリアは鼓動を跳ね上がらせた。シャルゼとの会話が蘇る。
 母を知っているのですか、と。そう続けたかったイリアは、突然カラドレットに抱きつかれて硬直した。
「歓迎するぞ、二人とも」
 カラドレットはイリアとシャルゼの両方を抱えたらしい。シャルゼの金髪がイリアの鼻をくすぐる。どんな反応をすればいいのか戸惑うイリアの目の前で、シャルゼは表情を強張らせている。ぎゅうぎゅうと抱きつかれて苦しくなった。
「セクハラで訴えられたくなければ放しなさい、カラドレット」
 長いと思われる時間が経ち、イリアたちを救ったのはエルミナの声だった。
 カラドレットは素直にイリアたちを解放して振り返る。その瞳は楽しそうに緩んでおり、エルミナは嫌そうに眉を寄せる。
「はいはい。上官殿には従いますよ」
 静かな面持ちで隣に立つ彼女に、カラドレットは両手を挙げて降参を示す。反省の色が見られないその態度と口調にエルミナは瞳を細めた。カラドレットがニヤリと口の端を持ち上げる。
 そんな二人のやり取りにイリアは呆気に取られ、シャルゼを窺った。彼女は黙ったまま不機嫌そうに乱れた金髪を直しているだけだった。同級生だったら確実な制裁対象。さすがのシャルゼも初日から上官に逆らうことはしないようだ。イリアは彼が上官であることに感謝した。
「よし、お前らもういいぞ。下がれ」
 カラドレットの声が掛かると、それまでイリアたちを直立不動で迎えていた軍人たちが「はっ」と迫力ある声を発して退室していく。たかが生徒のために通常任務を変更して集まってくれたらしい彼らを不思議な気分で見やる。ヴェデドースの名前がそれほど強かったのか、やはりカラドレットが変わり者だからなのか。少なくとも、彼らに敬意を払われる理由がないのだから、そのどちらかだろう。
「さてと。イリア=カーデにシャルゼ=アーリマ」
「はい」
 部屋の奥に据えられた机につきながら、カラドレットは楽しそうだ。
 エルミナに促されるままイリアたちは机の前に立つ。緊張で背筋が伸びた。
「事情は理解している。シャルゼ=アーリマの特進についてだが」
 具体的な任務について、ようやく明らかになる。ヴェデドースたちの気紛れで与えられた機会だが、よほど無茶な要求ではない限り応えるつもりだ。しかし任務というモノが何なのか分からないため、どんな要求を突きつけられるのか、予想もつかない。
 カラドレットの口が開いたとき、横からエルミナが口を出した。
「イリアとシャルゼはここで私の下につき、ゼロ大尉の補佐を担当していただきます。その仕事振りによって、特進を認めるか否かを判断します」
「……エルミナ准佐」
「何ですか、ゼロ大尉」
 机についたカラドレットが肩を落としながらエルミナを見た。睨まれたエルミナは動じずに彼を見返す。
 准佐とは大尉の上官だ。つまりエルミナはカラドレットの上官にあたる。
 だが執務机に座るのはカラドレットで、エルミナの方が補佐役に思える。カラドレットの態度や口調も上官に対するものとは思えず、イリアは首を傾げた。シャルゼの見解はどうだろうかと窺ったが、彼女は興味がないように視線を周囲に向けていた。
 書類を片手にカラドレットを見下ろすエルミナは恐ろしい威厳を湛えているようにも思える。イリアは次第に混乱してきた。念のために胸の紋章を確認すると、やはり階級に誤りはなく、エルミナが上官で間違いないようだ。
「大尉に任せていては適切な判断を行えない、と私が判断致しました。異論があるならばどうぞ」
 見事な独断決定にカラドレットは開いた口が塞がらないようだ。しばし絶句していたが、やがて彼は決意したように立ち上がる。
「彼女たち二人は私が預かる、と決めていたはずだ。ヴェデドース軍曹からの通信があった時点で報告もしている」
「貴方の心の中だけで決められていても他人には伝わりません。二人の軍務については私が一任しています。オーカキス島司令部軍会議での決定です」
「な、納得いかーん!」
「オーカキス島全軍の総意です」
 カラドレットは頭を抱えてうなり声を上げた。数秒後、気付いたように「いや待て待て待て」と謎の声を上げる。立ち上がり、エルミナに詰め寄った。
「私はその会議に出席していない。そんな会議が本当にあったのか? 私から権利を取り上げようと」
「昨日の夕刻0400。オーカキス島軍司令部に緊急会議を開設するという回覧が、0300に各課へ配られました。基本的に全員参加を義務付けておりましたが、もちろん休暇や緊急処理で不参加となる者もおりました。参加人数は103名。参加者の名簿は保管してありますが、ご覧になりますか?」
 事務的で淡々とした口調に、カラドレットの勢いは萎む。力なく椅子に腰を落とす。
「四時……俺は確かその頃」
「ええ。島の偵察と仰って、そのまま司令部にはお戻りになりませんでした」
 カラドレットはとうとう机に突っ伏して拳を鳴らせた。それほど悔しかったのだろうか。
「ご納得頂けましたか。ゼロ大尉」
 持っていた書類を抱え直し、エルミナが向き直った。
 憔悴したカラドレットは「ああ」と頷く。立ち上がると、呆気に取られていたイリアたちに近づいた。
「聞いての通りだ、二人とも。君たちの明日はエルミナにかかっていると言っても過言ではない」
「私は上官ですよ。エルミナ准佐とお呼び下さい、ゼロ大尉」
「――彼女は非常に優れた人だ。色々と教わってくれたまえ……っ」
 どこか楽しそうな声に途中を遮られようと、カラドレットは悲痛な声でイリアたちに告げた。彼の後ろではエルミナが苦笑している。
「今日はもう疲れただろう。ゆっくりと休み、明日からの軍務に備えてくれたまえ。私も今日は休むことにするよ……」
 イリアたちよりもよっぽど疲れた顔をして、カラドレットは腰を伸ばした。力なく手を振る。エルミナのため息がさり気ない。
「ではゼロ大尉。私は二人を送り届けてから今日の任務を終了します。お先にお休み下さい」
 イリアとシャルゼの前に立ち、エルミナはカラドレットに敬礼した。イリアは違和感に眉を寄せたが、エルミナに横目で見られて慌てて敬礼する。憔悴したままのカラドレットは軽く頷いて三人の退室を許す。
「では二人とも。今日から一ヶ月、よろしくね」
 カラドレットに背を向けた途端、エルミナの硬い表情が優しく変化する。口調も同じだ。イリアは戸惑って瞳を瞬かせた。
 そんなエルミナの背中に、カラドレットの盛大なため息が寄越された。

前へ目次次へ