前へ目次次へ

第四話

【五】

 エルミナに部屋まで案内されたイリアは瞳を瞠らせた。大部屋で過ごすだろうと考えていたが、案内されたのはなんと将校室。シャルゼと二人で使えるように整えられている。
「聞いていたでしょう? この司令部に女性は私しかいないの。貴方たちを大部屋へ通すわけにはいかないわ。ここに不埒な行為を働く輩がいるとは思いたくないけれど、規則ですから」
 エルミナは続けた。女性が沢山いるのなら大部屋で皆と寝泊りして貰うのだけどね、と。
 イリアはそういうこともあるのかと納得したが、正規軍人を差し置いて、軍人としては見習いである自分たちが将校室で寝泊りすることには抵抗を覚えた。ヴェラークの娘として扱われる時とは違う居心地の悪さだ。
(やっぱり女性は少ないのね。ましてオーカキス島は辺境だし……)
 軍事的な意味では重要なオーカキス島だが、本土で暮らす一般人から見れば、オーカキス島は雑多な民族が群れる辺境島でしかなかった。
「部屋が違うということだけで、一日のメニューは他の軍人たちと変わらないわ。見習いだからと言ってここの者たちは甘くしないから、そのつもりでね」
「はい!」
 イリアが力強く返事するとエルミナは笑った。それから気付いたように言葉を付け足す。
「貴方たち二人は能力者だそうだけど、ここには誰も理解者がいないの。本当はそちらも訓練メニューに含めなければいけないのでしょうけど、割愛してもいいかしら」
 イリアはシャルゼと顔を見合わせた。
 普段から自分で能力制御するように心がけていれば、本当は訓練など必要ない。学校でもそう教わっている。学校では能力者のために特別授業が組まれることもあったが、この島に指導者がいないのなら、そちらは割愛しても構わない。
「大丈夫です」
「誰にも影響が出ない、どこか広い場所を教えて頂ければ自分たちだけでもできますから」
「そう。助かったわ。今日はもう遅いから、訓練に使えそうな場所は明日案内するわね」
 エルミナの静かな笑顔にイリアは心が軽くなる。見知らぬ男だらけの場所に放り込まれたわけだが、彼女がいれば何とかなりそうな安堵が湧いてきた。
 ないに等しい荷物を部屋に置き、設備の点検をした後にエルミナは退室する。扉前でイリアたちを振り返る。その表情は最初に見たときと同じように険しいもので、イリアたちもつられて表情を改めた。
「では――貴方たち二人には特別任務としてゼロ大尉の補佐をお願いします。午前の訓練メニューを終えたら彼の元へ移動し、指示に従って下さい。一ヶ月という短い期間ですが、弱音を上げるようなら直ぐに本土へ送り返しますので、そのつもりでいなさい」
「はい!」
 背筋を伸ばして敬礼した。
 するとエルミナは再び、まるで役目を終えたと言わんばかりに表情を和らげる。広げていた書類を折り畳んだ。
「では、明日に差し支えない程度に島を回ってくるといいわ。この島に来るのは初めてでしょう? オーカキス島は温かい者たちばかりよ」
 柔らかく微笑みながらイリアたちを促した。
「いいんですか?」
「もちろん。せっかく来たんですもの。楽しまなければね?」
「やった! シャルゼ、行きましょう!」
 返事は待たずにその腕をつかみ、イリアは元気良く部屋から引っ張り出した。先ほどまでの疲れが嘘のようだ。その強引さにシャルゼは呆れた顔をしたが、気持ちはイリアと同じらしく文句は言わなかった。競争するようにイリアと先を急ぐ。
 笑いながら二人の後ろ姿を見送ろうとしたエルミナはふと思い出して声を張り上げた。
「夜には制服が届くはずだから、見学から帰ったら私の部屋にいらっしゃい」
「制服?」
「ええ。まだ正式な軍人ではない貴方たちだけど、ここへ来た以上は他の者たちと同等の扱いをさせて頂くわ。仮だけど、仕立ててもらったの。楽しみでしょう?」
 エルミナからはもう冷たさなど微塵も感じられない。イリアとシャルゼは顔を見合わせた。どちらからともなく笑みを交わす。エルミナに礼を述べ、元気良く手を振るとオーカキス島観光へと繰り出した。


 :::::::::::::::


「なんかエルミナ准佐っていい人ね!」
「そうねー。オーカキス島に行けと言われた時はどうなることかと思ったけど、エルミナ准佐がいるなら何とかなりそうね。仕事さえキッチリこなしていれば危険はなさそうだわ」
 熱気に包まれた市場を歩きながら、イリアとシャルゼは思い思いに話を咲かせる。港に近い場所はどこでも同じなのかもしれない。人々の活気に富んだ声がそこかしこから聞こえる。
「危険、ってシャルゼ。ヴェデドース軍曹がそんな命の危険がある場所に私たちを派遣する訳ないじゃない」
「いえ、そういう危険ではなくて」
 イリアは訝しくシャルゼを見たが、彼女は「無知って恐ろしいわよね」などと呟くのみだ。納得がいかないイリアだが、シャルゼにはもう喋る気はないらしい。興味を周囲に向けていた。
 イリアはしばらく消化不良な気持ちを抱えていたが、自身も周囲に視線を向けているうち、そんな気持ちはすっかり忘れていった。
 島独自の活気に溢れ、様々な民族衣装の人々が笑いながら市場を巡る。もう陽が落ちかけていたが、市場は今が盛況だ。夕食を買い求める人たちで溢れていた。
 そんな市場を見て回っていた二人は、オーカキス島独自の食品や調理方法に目を丸くしていた。観察し、食べ歩いていると時間などあっと言う間に過ぎていく。穏やかな風が流れ、誰もが笑顔で楽しそうだ。イリアたちも例外ではない。
「見るだけにしておきなさいよ、イリア」
 目新しいものが豊富で目移りしているイリアは、必要性のない置物などに手を伸ばしていた。見ていたシャルゼがしっかりと釘を刺す。
「私たちは任務で来ているのよ。初日からそんなに買い込んだら失望されてしまうわ。私の評判まで落とさないで頂戴」
 イリアは葛藤し、置物を諦めたあとにシャルゼを振り返る。
「分かってるけど……つまらないわ」
「そんなに欲しければ後でヴェラークに連れてきて貰いなさい。喜んで連れてきてくれると思うわよ」
 確かに、そんな光景は詳細に思い描けた。
「ヴェラークがここに来たら、ゼロ大尉との因縁対決も見れるかもしれないしね」
 もしやそちらが本命ではなかろうか。
 イリアは綺麗な笑みを浮かべるシャルゼを横目で眺め、ため息をついた。
「嫌よ。そんなお父様は見たくないもの」
「あらそう? 島民たちにとっては良い暇潰しになると思うのに。残念ね」
「暇潰し……」
 材料にされるのがヴェラークだと思うと複雑な気分だ。うなり声を上げるイリアだが、シャルゼの興味はもう別のものに移っていた。
 近くに人だかりができていて、その中央には果実が盛られている。島民たちにも珍しい果実らしい。ひときわ鮮やかな敷物の上に盛られた果実は周囲の視線を攫っていた。シャルゼも同じくつられた1人のようだ。置いて行かれそうな気配に、イリアは慌てて彼女を追いかけた。
「これ、二つでいくら?」
 シャルゼが微笑んで果物を指すと、別の客をさばいていた店員が直ぐに飛んできた。
 少々頬のこけた青年が笑顔で身を乗り出す。人懐っこい様子を見せながら値段を告げるが、シャルゼは「却下」と言い放って値引きを要求した。青年は驚いたようだが、次いでニヤリとする。「じゃあこれでどうだ」とランクをひとつ下げた値段を告げた。けれどシャルゼは小首を傾げて考えたふりをし、かぶりを振る。更に値切る。
「シャルゼ。そんなことしなくても、お金なら」
「値切りは庶民の基本よ。覚えておきなさい、イリア」
 人々が自分たちに注目し出したことに気付いたイリアは耳打ちしたが、シャルゼは止まらない。笑顔だが視線は強く、言外に「黙れ」と告げている。いつもの彼女らしい雰囲気にイリアは肩を竦めた。
 だが徐々にイリアは居心地が悪くなってくる。シャルゼの透明な声はよくよく人の耳を捉えてしまうらしい。また、一度視線を向ければ離せなくなるらしい。シャルゼが値切れば値切るほど、人垣は厚くなっていく。本土のイントネーションも好奇心の的なのだろうか。イリアは落ち着かない気分になりながらシャルゼが飽きるのを待った。
 値切りは端数にまで及び、店員がため息を零して「帰れ」と手を振るまで続いた。イリアは目を剥いたがシャルゼは満足そうに笑って最終的な値段で買い取る。ついでに、とオマケも要求してイリアをハラハラさせたが、店員には笑われただけだった。
 どうやら日常茶飯事に行われていることらしいと気付き、イリアは戸惑いながら二人を窺う。袋にはシャルゼが買い取ったよりも多く詰められ、驚いた。
「あら、ありがとう」
「美人二人が買いに来てくれたんだ。これは俺の眼福分だ」
 シャルゼは遠慮せずに受け取って微笑んだ。イリアは思わず感心してしまう。
 満足したシャルゼが振り返ると、成り行きを見守っていた周囲から拍手が沸いた。次いで近場の露店からも引きの声が飛び始める。シャルゼはそれらに丁寧な声で応えながら、あっと言う間に馴染んでいってしまった。
「こういうのを見ると、シャルゼって素直に凄いと思うわ……」
「ふぅん? 素直、とは別の凄さの意味を教えて貰いたいわね」
 楽しげに市場を回るシャルゼから一歩離れた場所でイリアは呟いたのだが、シャルゼには丸聞こえだったようだ。イリアは唇を引き結ぶ。
 オーカキス島の市場規模は狭い。それでも、すべてを回る暇もなくなるほど市場の皆に受け入れられた二人は、島最初の一日をそうして終えた。


前へ目次次へ