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第四話

【九】

 オーカキス島での任務に就いてから半日。想像以上の疲労に、イリアは意識を朦朧とさせていた。
 天然カール鉱石の群生地だった岩場での自主訓練を終えて洞窟を出る。スコールは止み、白い太陽が見えていた。大地はかなりぬかるんでいたが、跳ねる泥も気にならないほど疲れ果てている。
 午前の実習でほとんどの体力を浪費していたイリアは、午後の自主訓練で体力不足を強く痛感していた。ハイテンションのままならばまだ体は騙されていただろうが、能力を操るには冷静にならなければいけない。体を襲う強烈な疲労感に足元もおぼつかない。対してシャルゼにはまだ余裕がありそうで、エルミナと歓談しながらイリアの前を歩いていた。イリアは恨めしげな視線を彼女の背中に送る。
 大きなため息を吐き出したとき、イリアは違和感を覚えて眉を寄せた。何が自分の気に触れたのか、探るように視線を周囲に巡らせる。
「イリア=カーデ。そちらは波が届く可能性があるわ。後は海が広がるだけ。司令部に戻りましょう?」
 先に進んでいたエルミナが振り返ってイリアを止めた。
 イリアは戸惑いながら彼女に頷く。どこか釈然としない気持ちが残される。
「何か珍しいものでも見つけたかしら?」
 シャルゼも不思議そうな顔をしながらイリアの視線の先を見た。エルミナが立ち止まり、静かに告げる。
「あちらはスコールが頻繁に落ちるから、貴方の気を引いたのかもしれないわね」
「スコール……」
 イリアはエルミナの言葉を繰り返し、納得した。スコールが頻繁に落ちているのなら、水の気配が強く残っていても当然だ。
 それ以上考えるのが億劫になり、イリアはかぶりを振って強引に思考を断ち切った。
「ああ、戻りまでがとても長く感じられるわ……」
「初日は誰もがそうよ。三日もすれば当たり前のように体が順応してくるから、それまでが辛抱ね」
 シャルゼの呟きを拾い上げ、エルミナはしっかりと笑顔で返した。
 二人が同時に「三日じゃ体は絶対慣れない」と口を揃えると、楽しげに笑う。
 イリアはそんなエルミナを不思議な気持ちで見つめた。
 最初の印象は冷たく、女王さながらの威圧感で皆をまとめていたが、こうして楽しげに笑う彼女には親しみを覚える。彼女を慕う者は多そうだ。軍人として従事しているときとはまるで違う雰囲気に切り替わるのが、とても新鮮だった。
「エルミナ准佐って何歳なのかしら」
 エルミナがイリアを振り返る。
 言葉が洩れていたらしい。イリアは慌て、視線を彷徨わせたがエルミナは笑う。
「気にしなくてもいいわ。私は今年で26。でも、他の人たちには内緒よ?」
 唇に人差し指を当て、軽く片目を瞑る。偽りのない笑顔にイリアは胸を撫で下ろす。
 こういうことに関して、一度だけ酷い目に遭った経験を持つイリアだ。
 ヴェラーク経由で貴族に招かれたとき、綺麗に着飾る貴婦人へと、イリアは迂闊にも無邪気に年齢を問いかけた。その瞬間、表情を凍らせた独身女性は眼差しを険しくさせて悪辣な言葉を投げつけた。態度は手の平を返して冷たくなった。
 その場にヴェラークが居合わせていたなら上手くやり過ごしただろうが、幼いイリア1人では失言のフォローもできず、イリアはその女性の前では終始無言となった。
 幼い頃のそんな体験は意外とトラウマになるものだ。
「次はゼロ大尉の執務室ねー。私たちは何をやらされるのかしら」
 シャルゼの声が話題を変えた。まさかイリアのためというわけではないだろうが、イリアは安堵して肩の力を抜いた。
 木々の向こう側に軍司令部の一角が見えてきた。正面から見たときとはまた違った雰囲気に、イリアは足を止めて見上げた。エルミナたちが不審がる前に歩みを再会する。大陸にある司令部とは規模が違って小さいが、こうした建物を見ると自分が普段とは違うところにいるのだと再認識させられる。
 サーフォルー海軍の総司令部は王都レーヴェドールにあり、通称“裁きの門”と呼ばれる道が、王宮や司令部に繋がっている。総督はもちろんジェフリス国王が務めている。各地に駐屯する十三将校も国王が指名をしている。司令部は軍の要であるため、その大きさは要所にある司令部のどこよりも広く大きい。
 オーカキス島の司令部は、カーデ領の軍学校と同程度の規模だ。王都の軍司令部と比べればかなり小さいが、島の面積を考えれば大きすぎる程かもしれない。海風にさらされ、白壁が少しくたびれているように見えた。
「ゼロ大尉の仕事は主に、領海の様子を見回って本土に連絡することです。異変があれば本土から指示が来ますし、本土の回答が間に合わないようなら彼の判断で動くこともあるわ。貴方たちがいる間に有事はないと思うけど、もしあったら彼に従うこと」
「エルミナ准佐が指揮するのではないの?」
 階級はエルミナが上なのに、と暗に込めるとエルミナは少しだけ考える素振りを見せた。
「今の階級だけで見るなら私が指揮するのが正しいでしょうけど、有事にはゼロ大尉の方がいいのよ。彼の降格は一時的なものだと皆が知っているし、指揮系統はすべて彼が掌握していますから」
「ふーん?」
 シャルゼは納得がいったようないかないような、そんな声で頷いた。
 イリアは近づいてきた裏門に誰かの姿を見つけて「あ」と声を上げる。エルミナも気付いて顔をしかめる。シャルゼはどうでもいいように彼を見つめた。
「やぁエルミナ准佐。昼食はまだだろう? そちらのお嬢さんたちと一緒に、ご馳走に誘われてくれないか」
 門の向こう側から笑いかけるのは、今まで話に上がっていたカラドレットだ。
「偵察報告は終わったのですか、ゼロ大尉」
 先ほどまでの柔らかな態度はどこへ行ったのか。
 エルミナは、イリアが驚くほど態度を豹変させて冷たく放った。カラドレットは気にした様子もなく「もちろんだとも」と頷く。
「ふざけた軍曹からの調書もすべて埋めて返送したよ。この時間帯に間に合うよう処理したんだ。少しは褒めてくれないか」
「こなして当然の義務を、なぜ褒めなければいけないのですか」
「ヴェデドース軍曹から全員分の無料チケットを貰ったからさ。素早く返送した私のお陰だろう? ちなみに今日の昼のみに限定されたチケットだ」
 エルミナが門の鍵を開けると、カラドレットは得意気に胸を張る。彼の手には、確かに四枚のチケットが握られている。
 どういう風の吹き回しなのかとイリアはヴェデドースの姿を思い浮かべた。
 エルミナは呆れた顔でカラドレットを見つめただけだ。
「貴方は……」
 それ以上の言葉は続かない。絶句し、疲れたようにかぶりを振り、イリアたちを振り返る。
「ヴェデドース軍曹がくださったご厚意を無為にするわけにはいかないわ。汗を流して、着替えてらっしゃい。集合は正門前。時間は30分。では、解散」
 矢継ぎ早な命令にイリアたちの背筋が伸びた。敬礼をして復唱する。エルミナは小さく頷き、カラドレットの腕を引くと軍司令部の中に消えた。
 残されたイリアとシャルゼは互いに顔を見合わせ、エルミナたちとは反対方向へ歩き出した。


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「昨日は早速島の者たちと交流したそうだね。えらく可愛らしい二人組みが来たと、露店の皆が噂していたよ」
 カラドレットに連れて来られたのは、商店街に繋がる大通りに面した、少し大きな食堂だった。島でも、観光客しか使わないような食堂なのだろう。
 周囲で昼食を摂る者たちは、現地人とは雰囲気が違う。浮いた存在だ。
 あまり大きいとは言えないテーブルに四人がつくと、そこだけ異様な雰囲気になってしまう。
「昨日の今日でどこからそんな情報を入手したんですか」
 エルミナが冷たく返すと、カラドレットは無言を守った。
「午後の任務予定はお決まりですか」
「それももちろん決めてあるさ」
 カラドレットは顔を輝かせた。本来は昨日中に決めておかなければならない訓練生たちの予定だが、エルミナが打ち合わせのため訪れたとき、カラドレットは執務室にいなかった。
 多少の苛立ちを込めた眼差しにカラドレットは肩を竦める。
 目の前に差し出されたパン生地が湯気を立てていた。
「大人の事情は放っておいて、ご馳走になりましょうよイリア」
 お腹を押さえたシャルゼが横からイリアをつついた。かと思えば堂々と手を伸ばし、大カラドレットの前からジャムを取り上げる。
「イリア。カーデ大将はお元気かな?」
 皿に取り分けられたパンをつかむと、話の矛先がイリアに向いた。
 エルミナはため息をつく。
「気にしないで食べなさい」
「ええっと……元気、です」
 パンにジャムを塗りながら頷く。カラドレットは父の部下だった人だ、と改めて思い出す。
 この島に来てからというもの、どうにも遠慮しているような気がしてしまう。シャルゼの特進がかかっていると思うから、重圧になっているのだろうか。当の本人に気負いが見られないだけに自分がしっかりしなければいけないと、どこかで思っているのかもしれない。シャルゼに知れれば鼻で笑われそうだ。
「父は王都に向かいましたけど、その後シーア領で海賊騒ぎがあったらしくて――鎮圧のために派遣されて、私が島に来ることはまだ知らないはずです」
「へぇ。シーア領」
 カラドレットの興味を引いたようだ。彼はどこか面白がるようにイリアを見た。
「ガードン中将が殉職して間もないっていうのに、また海賊か」
「ザリーフェン少将は功績というより、勤務年数と人員不足で昇格されたような方ですからね。総督も少々心もとなさを覚えたのではないでしょうか」
「ああ、そうかもな。近くにカーデが来ていたのは幸いだったってわけだ」
 イリアから視線を外し、カラドレットとエルミナは表情を変えながら会話を交わした。
 エルミナは半眼を伏せて黙々と食事を続ける。
 どこか重い空気が流れた。
 イリアはふと疑問に思ってシャルゼに小声で問いかける。
「ねぇ。ガードン中将って誰?」
 冷たい視線が突き刺さる。
「領名だけで暗記するのはやめなさいと、だから言っていたじゃないの。シーア艦隊の前任指揮者よ。殉職して、今は弟が務めているわ」
「そ、そう……。覚えるの沢山ありすぎて頭に入りきらないわよ」
「頭には入るわよ。ただ、詰め込んでも貴方は取り出せなくて不便な思いを味わっているだけよ。凡人ねぇ」
「……シャルゼみたいになるなら凡人でもいい」
「素敵な返答ありがとう、イリア。お礼にこれあげるわ」
「ああ! 私だってそれ嫌いなのにっ」
「沢山食べれば少しは許容量も増えるわよ」
「結構よ!」
 皿に乗せられた苦い豆をシャルゼに突っ返そうとしたが、見事に拒否された。箸を持つ手をつかまれ、押し戻される。
「食べてみたら案外美味しいかもしれないわよ?」
「食わず嫌いなわけじゃないわ! それは強烈に不味いのよ! 味わったわ!」
「年齢を重ねていけば嗜好も変わるというじゃない」
「それはシャルゼだって同じでしょうっ?」
 とにかく絶対いりません、とイリアは言い切り、人生で初めて出したかもしれない最高の馬鹿力でシャルゼに返した。シャルゼは唇を尖らせてスプーンで潰す。見つめるイリアの前で、潰れた豆は更に箸で解体され、粉々になって脇に寄せられた。
「ご馳走様でした」
 カラドレットやエルミナが無言のまま見つめているのに気付き、シャルゼは天使の笑顔で言い切った。

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