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第四話

【一】

 本土からの連絡が入ったのは、午後を回って少し経った頃だった。
 一ヶ月限定の訓練生たちと食事を終えて、執務室へ戻った時だ。壁に取り付けられた通信機がカタカタと小さな音をたてながら紙を吐き出していた。
 カラドレットが部屋にいる時は手動で切り替えてから紙が吐き出されるのだが、誰もいない時は勝手に紙が吐き出される。既に一枚、二枚が床に舞っていることに気づいたカラドレットは片眉を上げたのだった。
「まったく。休憩時間くらいは素直に取らせて欲しいものだ。美人秘書を一人希望するぞ」
 決して承諾されないだろうことを零しながらカラドレットは頭を掻き、床に落ちた紙を拾い上げる。後からエルミナが訓練生を連れてくるので整理しておかなければいけない。
 彼女が上官となってからは、自室の整理も自分の仕事となってしまった。最初こそ目新しいその仕事を楽しんでいたが、今では億劫なばかりだ。気がつけばカラドレットの机は書類の束が山積みになっている。
 通信機を手動に切替えると音が止んだ。中途半端に印字されていた紙はそのままスルッと床を舞い、通信機は沈黙する。代わりにカラドレットの執務机に設置された通信機が稼動し始めた。先ほど中途半端に印字されていた情報の、少し前に遡って印字され始める。こちらの方が性能が良く紙映りがいいため、読みやすい。
 カラドレットは「やれやれ」と首を回し、床に散った紙を揃えた。無造作に机に投げて半身を翻し、正装するために衣装棚へ向かう。
 休憩時間であるから構わないだろうと、白いシャツ一枚だったが、さすがに勤務中もそのままでいるわけにはいかない。先ほどの休憩時間も、エルミナは訓練生の手前だからか何も言わなかったが、その視線の冷たさが言葉よりも雄弁に物語っていた。
 カラドレットは苦笑しながら衣装棚に手を伸ばす。そこはエルミナが整理したときのまま手付かずだったため、綺麗に整頓されていた。一着を選んで腕を通す。
 第八番艦隊の識別色、青藍の制服。その上腕に掲げられた、階級を示す紋章を確かめる。不備はない。
「はいはい、今行きますよ。うるさい通信機だ」
 背後から何度も呼び出し音がすることに気付き、舌打ちしながら言葉を返した。
「ったく、今日は何だ? シーア領関係か?」
 気に入らないことでも従うのが軍人の宿命だ。足早に通信機へ向かい、受話器を取り上げた。
「こちらオーカキス島ジェフリス国司令室、カラドレット=ゼロであります。どうぞ」
 この通信機が鳴るときは大抵、ろくでもない指令が下るときだ。それは主に、本土のお偉いさんからだと決まっている。
 息が詰まるような気分で促すカラドレットの耳に、引退した方がよろしいのではないかと思われる老人の声が聞こえてきた。
「あー、こちら、ジャニアス=メントリー。シーア領海に現れた海賊についての通信である」
「了解しました。どうぞ」
 ジャニアス=メントリーとは海軍大佐だったな、と情報を洗い、面倒に思いながら促した。執務机の椅子に全体重をかけて座り込む。先ほど片付けた書類とは別に、吐き出された書類に目を通す。
 休憩時間はあと五分も残ってるっていうのに、ご苦労なことだ。
 受話器の向こう側から聞こえる声を半ば以上聞き流すつもりで肩を竦める。
「シーア艦隊を中心としてカーデ艦長、タージ艦長、ラード艦長に応援を願って展開した海戦であるが、遺憾なことに捕獲できなかった」
 へぇそうですか、と返そうと思っていたカラドレットは目を瞠った。ヴェラーク以外の艦長にも出撃命令が下っていたことに驚いたが、それだけの戦力を投入しておきながら逃げられたということにも驚いた。
 最近ではない事態だ、と思って否定する。
「ダルスたちでありますか?」
 例年見ることのない出現率を誇り、決して捕まらない海賊。能力者が率いているとなれば捕まらないのも道理だ。敵に回せば何と厄介な力なのだろうと皆が歯噛みした。軍が彼らに手を焼いていることは知っている。
 カラドレットは思わず問いかけ、憮然としたような咳払いに我に返った。
「申し訳ありません」
 年老いた上官には気位の高い者が多い。言葉の途中で口を挟まれれば不機嫌になり、それだけで降格を言い渡された軍人もいたと聞く。
 カラドレットは直ぐに謝罪し、舌打ちをかろうじて抑えた。まだるっこしすぎて「早くしやがれハゲ親父」と怒鳴りたくなってしまう。言えたらどんなにいいだろう。カラドレットは会ったこともない大佐の頭部を妄想しながら思う。
「今回の海賊は彼らではない。スアシャ大陸……マルク諸島が最初の発見点となった、赤い海賊だ」
「赤い海賊……」
 カラドレットは呟き、沈黙した。
「多大なダメージを負わせることには成功したが、彼らは非常に好戦的だ。戻ってくる可能性は極めて高い。現在ジェフリスではレベルBの警戒態勢を取っている」
 五段階レベルの二番目、ということは『赤い海賊』は強敵だということだ。
 そのとき、ノックの音が聞こえて振り返った。メントリーの通信を聞きながら、拳で机を叩くと扉が開かれる。顔を出したのはエルミナだ。もうそんな時間か、と瞳を瞠ったカラドレットは、散らかったままの書類を慌てて片付け、棚に突っ込んだ。エルミナが呆れた表情をする。
「了解しました、大佐。では、オーカキス島でも警戒を強めて――」
「いや、待て、待て」
 手早く通信を終わらせてしまおうとしたが、メントリーは慌てて遮る。
「赤い海賊はラーウ領海を突破し、タフォミア海へと逃げた。潮流の関係でオーカキス島に上陸するかもしれない。くれぐれも危険な真似はせぬように」
 カラドレットの目が点になった。
「では、今回の通信は終了する。追って詳細を伝えよう」
 プツリ、と通信が切れて受話器は無音を返し始める。
 カラドレットは受話器を握る手に力を込め、歯を食いしばると怒鳴りつけた。
「そいつを先に言え!」
 既に切れてしまった通信機を乱暴に切ると、まだ何も事情を知らないエルミナは「お静かに」と普段通りの言葉をかけるのだった。


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 午後からは机上仕事で少しは楽になるかしら、と。そんな思いを抱きながらエルミナに案内されたイリアは、荒々しく通信を切ったカラドレットを見つめた。彼は忌々しく舌打ちしたあとエルミナに向き直り、不機嫌な表情で「緊急が入った」と告げる。
 それまで呆れた表情をしていたエルミナは表情を改めた。張り詰める空気にイリアたちは顔を見合わせる。
「私はしばらく司令部を留守にする。後は頼んだぞ」
「どちらへ?」
「海だ」
 カラドレットが机の引き出しから何かを取り出そうとするとエルミナが素早く回り込み、別の引き出しから目的の物を取り出して彼に渡す。引き出しの鍵は彼女が掌握していたらしい。
 取り出されたのはどうやら紋章のようだった。
 太陽を基にして造られたそれは、ジェフリス国の軍人が携帯を義務付けられているものだ。刻まれた線が階級を表し、身分を証明する。
「お気をつけて」
 エルミナが敬礼して見送ると、カラドレットもそれに応えて部屋を出て行く。
 扉が閉められた。
 彼がいないだけで、部屋が広く感じられる。
「何があったのかしら?」
「本土から通信があったらしいわね」
 先ほどカラドレットが慌てて片付けていた書類に視線を落としてエルミナは答えた。
 彼の仕事を手伝うのが午後からの予定だったが、肝心の本人がいなければどうするのか。不安に見上げたイリアだが、エルミナの視線は別のところに向いていた。
 エルミナは先ほどカラドレットが乱暴に詰め込んだ書類を手にしていた。片付け直そうとしたのだろう。棚に鍵は掛かっていない。机の上に書類を広げ、その表情を徐々に険しくさせていく。
「イリア=カーデ」
「は、はい?」
 ひと通り目を通したエルミナは書類を揃えて引き出しに仕舞う。問いかけながら鍵をかけた。続いてイリアに視線を移す。
 訓練以外で初めて見せる、エルミナの鋭い眼差し。翡翠を薄めた彼女の瞳はとても澄んでいて、たとえ恐ろしさを覚えても視線を逸らしがたく感じた。ダルスを前にした戦慄と同じような感覚を、エルミナからも感じた。
 イリアは視線を合わせたまま立ち尽くす。
「貴方が本土を出るとき、カーデ艦長が鎮圧のためにシーア領へ派遣されていたと言いましたね」
 まるで尋問だ。イリアは冷や汗を流しながら慎重に「ええ」と頷いた。少しでも間違えれば恐ろしいことが待っている気がした。
「他に、貴方に伝えられていることはない? 艦長からでなくてもいいわ。他の領地からの報告や通信など――貴方の耳には入らないのかしら」
 少しだけ、イリアは腹を立てた。
「父の機密情報が私に伝わることはありません。母が亡くなる前から、父は軍に関することを屋敷に持ち込むことはありませんでした。私が知ることと言えば、父がいつ頃戻られるのかや、どこに行ったのかなど、それぐらいだわ」
 今までにもイリアと親交を図ってヴェラークの懐に入ろうとする者がいた。情報を引き出そうとしたり、不当に階級を上げて貰おうとしたり。けれどヴェラークは決してイリアを軍の内部に入り込ませることはしなかった。
 そんな父を尊敬しており、不穏な目的で近づく者たちには辟易していたものだから、エルミナの言葉には少々失望させられた。
 エルミナが気付いたように苦い表情をする。
「ごめんなさい。そのようなつもりではなかったのよ。少しでもカラドレットを助ける情報があればと、そう思っただけで……」
 最後は消え入るようにして、エルミナは気まずそうに頭を下げた。イリアは唇を引き結んだまま「いいえ」と答える。軍学校でも何度か味わってきた想いだ。最初は普通に接していたが、悪意なくヴェラークのことを持ち出されて気まずくなる。本意から情報を引き出そうとする者にはイリアも容赦なく怒声を浴びせられるのだが、悪意のない者はやりづらい。いつの間にか疎外感が生まれてしまう。
「せっかく通信機があるのですから、ご自分で本土に連絡してみればよろしいんじゃないかしら? もしイリアが情報を持っていたとしても、その正確さは私が保証しないわ。イリアの思考回路は複雑だもの」
「褒めてると見せかけて貶してない? シャルゼ」
「最近のイリアは勘が良くなったわね。口もどんどんと達者になってきているし。私の教育の賜物かしら」
 シャルゼはニコリと笑うとイリアの頬に手を伸ばした。逃げられなかったイリアはそのまま頬を引き伸ばされて悲鳴を上げる。
「さすがね。子どもの肌は良く伸びるわ」
「いい加減にしてよねシャルゼッ!」
 シャルゼの手を叩き払って思い切り飛び退いたイリアだったが、距離を誤り、背後の壁に思い切り背中を強打した。掛けられていたカラドレットの帽子が落ちてくる。大きなそれはイリアの頭にボスリと落ちて、イリアの顔半分を隠してしまった。
 なんて丁度いいタイミングなのだろう。
 誰かの作為を感じるわ、とイリアは視界を塞ぐ帽子を取りながら憮然としたが、周囲に風の気配を感じてますます顔をしかめる。誰の仕業だったのか非常に良く理解できた。どこまでも手を抜かない性格だ。
 耐え切れなくなったようにエルミナが小さく吹き出した。イリアは決まり悪くなって帽子を元の場所に戻そうとする。
「さっきは本当にごめんなさいね」
 背の高い壁掛けに帽子を戻そうと躍起になるイリアを見かね、エルミナが手を伸ばした。細い指が視界に入ってイリアはドキリとする。女のイリアから見てもエルミナは綺麗で、羨ましくなるほどスタイルがいい。
「エルミナ准佐ってゼロ大尉の恋人なんですか?」
 思わず訊ねると、帽子を戻したエルミナが目を丸くして振り返った。
 シャルゼが視界の端でため息をつく。
「ほーらね。イリアってば思考回路が複雑怪奇すぎて、せっかくの私の厚意を無駄にするんだから。でもまぁ、イリアらしいって言えばそれまでだけど」
「え、あ、そうね。すっごい個人的なことよね。ごめんなさい」
 今度はイリアが謝る番だ。両手を振り回して慌てると、なぜか自分が赤くなってエルミナの傍を離れ、照れ笑いを浮かべてみる。
 少しの間、硬直していたエルミナは困ったように表情を崩した。その頬が心なしか赤くなっているように見える――のはイリアの邪推だろうか。エルミナは少しだけ悩むように視線を迷わせ、苦笑するように笑ったのだ。
「近い関係ね」
 え、とイリアが問い返すより早く、エルミナは追究を避けるように手を打ち鳴らせた。
「ここからは有事の指揮よ」
 声音を変えたエルミナに、イリアとシャルゼは姿勢を改めた。
「オーカキス島半分の軍人が海へ出て警戒に当たります。本当なら貴方たちも連れて行きたいところだけど、訓練生を本当の危険に晒すわけにはいかないから、残して行くわ。一定時間ごとにゼロ大尉から通信が入りますから、イリアとシャルゼはこの場で待機。彼の指示に従って下さい」
「エルミナ准佐は?」
「カラドレット1人では無茶するに決まってるのだから、彼の補佐につくわ」
 一瞬。女三人の間で言葉にできない絆のようなものが生まれた気がした。
 エルミナは少しだけ表情を和らげて二人に告げる。
「ではね」
 静かに執務室を出て行った。

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