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第四話

【ニ】

 カラドレットとエルミナが慌しく出て行ってから数分後。
 イリアは時間が経つにつれて妙な違和感を覚え始めていた。何が引っ掛かっているのだろう、と首を傾げるが、その思考は途中で断たれる。降り始めた雨が窓を叩いていた。
 イリアが顔を上げた瞬間、雨は洪水のような豪雨となっていた。耳鳴りさえしそうな轟音だ。あまりの凄まじさに瞳を瞠り、イリアは窓に近づいた。
「オーカキス島には必須の雷季ね。程度はまちまちだけど、今回は凄いわ」
 シャルゼも感嘆しながらイリアの隣に立つ。
 窓を流れ落ちる雨の勢いも激しい。外の様子はほとんど窺えない。突然このような豪雨に見舞われたら、海はどれほど荒れるのだろう。
 ふと湧いた疑問に、イリアは先ほどまで感じていた違和感の正体が閃いた気がして口をあけた。
「あ」
「失礼します!」
 まるでイリアの思考を遮るように、青年が飛び込んできた。
「……あれ?」
 全身ずぶ濡れになった青年は部屋を見回し、イリアと視線が合うと瞳を瞠らせた。部屋にはイリアとシャルゼしかいないと悟ると、廊下を振り返る。そうして再びイリアと視線を合わせた。
「二人だけ、か?」
 不審そうな声音にイリアは少し唇を尖らせる。彼の胸元には曹長の紋章が掲げられていた。一瞥だけし、イリアは「そうよ」と胸を張る。青年はため息をついた。
「そんなに慌ててどうされたのかしら? どうやらオーカキス島の駐屯兵ではないようね」
 笑みながらシャルゼが前に進み出れば青年の顔が赤く染まる。
 イリアは不愉快になった。この態度の落差は何なのだろう。
 そのとき、廊下からもう1人の男が姿を現した。気付いたイリアは瞳を瞠る。二年ほど前からヴェラーク直属の艦に乗る、ダールカ曹長だった。
 雨音は少しだけ弱まり、その中でダールカは強い歩調で部屋に入ってくる。
「何っで艦長の娘がこんなところにいるんだよっ?」
 理解不能、と顔にでかでかと描きながら叫んだダールカは眉尻を下げた。
 イリアは憤然と片手を腰に当てる。シャルゼが面白そうに成り行きを見守っているのも気に入らない。
「こちらの台詞だわ。どうして曹長がここにいるの? お父さまも近くに来てるってこと?」
「う、ああー、そうか。艦長もこのこと知らなかったってことか。どうすっかな」
「人の質問に答えなさいよ!」
 頭を抱えてうなり始めたダールカを前に、イリアは肩を怒らせた。一番初めに部屋に入ってきた青年が慄いたように一歩引く。イリアの怒りが爆発する前に、ダールカは口を開いた。
「まぁいいや。それより、ゼロ」
「カーデ艦に所属している者たちがこの島に来てるってことは、シーア領海での騒ぎがこちらにまで広がったと受け止めていいのかしら。どうやらまだ制圧はできていないようね。ヴェラークにしては珍しいことだわ」
 シャルゼの声音が割り込んだ。
 ダールカたちは険しい顔で。イリアは驚いて。それぞれがシャルゼを振り返る。
 シャルゼはそれらの視線を受け止め、堪えた様子もなく微笑んだ。
「エルミナ准佐たちが出て行ったのはそういう訳だったのね」
「エルミナ准佐?」
 ダールカの眉が寄せられたが、シャルゼは気にせず頷いた。
「何の説明もなしに出て行くんだもの。確信持てずに考え込んでしまったわ。最大の疑惑は残っているけど、これでスッキリしたわね」
「ええと……あれ? そうだっけ?」
 シャルゼはまるですべてが片付いたかのように晴れ晴れとした笑顔を見せた。イリアもつられて解放感に浸りかけたが、何かが違う気がして眉を寄せる。ダールカの視線が突き刺さる。
「噂には聞いていたが、さすが――最強の二人みたいだな」
「ああ」
 イリアに聞こえぬよう、ダールカたちが小さく交わし合った。
 と、その次に。
「ダールカ、シュスマン、報告が遅いぞ! カラドレットはいないのか?」
 廊下に響く大きな声にイリアは息を呑む。ダールカは背筋を伸ばして振り返った。シュスマンと呼ばれた青年も同じく体ごと振り返る。
「ここにはいないようです!」
 姿を現したのはヴェラークだった。敬礼した二人に「見れば分かる」とため息を零し、イリアを見つけると驚愕する。
「どうしてイリアがここにいるんだっ?」
 先ほどのダールカよりも驚きが大きい。そんな反応を見ながらイリアは、やはり海賊騒ぎは続いているのだと確信した。通常任務に就いているときは例え海上だろうとヴェラークに通信が繋がるが、緊急の事態が起きているときは例外だ。通信はすべて軍用に切り替えられる。ヴェラークがイリアの異動を知らないということはつまり、彼がまだ海賊事件から脱していないということになる。
 ヴェラークは驚きから一瞬で立ち直るとイリアに近づいた。イリア以外は眼中外となるその気迫にイリアは思わず身を引いた。
「お前、また家出して攫われたというわけではあるまいなっ?」
「は?」
 両肩をつかまれ、至近距離で険しい顔をされたイリアは目を点にした。
「まったく、海賊にはふざけた奴らが多い! イリアを攫うなどダルスぐらいかと思っていたが、こうなったら奴らめ、次こそ一網打尽にしてくれる!」
 ヴェラークはイリアの両肩をつかんだまま闘志を燃やし始める。
「ダールカ、シュスマン! 連合軍を島の南部に停泊させるよう手配しろ」
 気合が込められたヴェラークの指示に、どこで口を挟もうか窺っていた二人は敬礼して肯定する。彼らは口を挟む隙もなく、慌しく部屋を出て行った。
 イリアは呆気に取られたままその様子を見守る。
「それにしても無事で良かった、イリア。カラドレットにでも救出されたのか? それとも自力で脱出できたのか? 私の知らない間にどうなっているんだ」
 気付けばヴェラークの制服は濡れていた。スコールに降られたのだろう。
 イリアは少しだけため息をつくと腰に手を当てて、呆れた仕草をしてみせた。
「お父さま、ときどき思い込みが激し過ぎるわ。少しは余裕を持って、ってお母さまが何回も言ってたじゃない。誰が家出したなんて言ったのよ」
「だが、しかし」
「おまけに、私が家出すれば必ず海賊船に乗るって、お父さまの中ではそんな認識になっているの? ダルスだけで充分よ。他の海賊なんて冗談じゃないわ」
 戸惑いを見せ始めたヴェラークにイリアは「もう」と唇を尖らせて瞳を覗き込んだ。因みにシャルゼのことは完全に忘れている二人だ。シャルゼは二人を真横から見ることのできる位置に長椅子を引きずり、腰掛けて楽しそうに見守っている。
「お父さまにはまだ知らされていないらしいけど、私は今、学校の教育一環でオーカキス島に派遣されているの。お父さまが海賊騒ぎを鎮めていれば、直ぐに分かってた情報よ」
「オーカキス島に派遣? なぜそのようなことに」
「それはもちろん、シャルゼの進級のためよ。オーカキス島での一ヶ月間が認められたら、シャルゼも私も、同じく進級が可能になるのよ」
 様子を窺っていたシャルゼがわずかに眉を寄せた。ヴェラークが衝撃を受ける。
「進級っ? まさかイリア、それほど成績が悪かったのかっ?」
 シャルゼがため息をついた。
「進級は進級でも意味が違うわ。階級の特進制度に異論があってここまで来たのでしょう、イリア? 私が机上進級で遅れを取っているなんて勘違い、侮辱も良いところよ。次からは気をつけなさいね」
 シャルゼが指を鳴らすと風がイリアの頬を撫で、遊ぶように髪を乱した。イリアは小さな悲鳴を上げてヴェラークの腕に抱きつく。
 ヴェラークはようやく納得したのか「ああ」と頷いた。一段落してため息ついて、思い出す。
「お前たちが特進のために来たというなら、カラドレットはどこに行った? 今回の件は奴の耳に入ってるはずだ。こんな非常事態に生徒二人だけを残して行くなど、何を考えているんだ。奴から何か指示はあったのか?」
 途端に仕事の顔になったヴェラークに覗き込まれ、イリアはシャルゼと顔を見合わせた。何から説明すればいいものか思いつかない。
「それともカラドレットの奴、私が来ると知って逃げたのか?」
「お父さま! そうやって暴走するのはやめてって、言ってるそばから――」
「どっちもどっちね」
 三者三様に展開されていたその部屋に、先ほどダールカたちが去った廊下とは逆方向から大勢の足音が近づいてきた。気付いた三人は振り返って到着を待つ。
「カーデ大将! 既にこちらにおいででしたか。話は伺っています。出迎えが遅れて申し訳ない」
 数人を引き連れて来たのは、午前中に実技演習で一緒だったオーカキス島の軍人たちだった。彼はイリアたちに気付くと少しだけ瞳を瞠り、一瞬の間を空けたあとは再びヴェラークに視線を戻した。イリアは首を傾げる。
 このような非常事態だからか、入ってきた者たちは誰もが強張った表情をしていた。今まで見てきた陽気さは押し込められている。
「今は非常事態だ。多少の無作法には目を瞑ろう。だが、生徒たちに関しては話は別だ。彼女たちは即刻本土に送り返す。島民たちにも戒厳令を――いや、ここはジェフリスには属さないのだったな。注意喚起と見張りを立てて貰おうか」
 有無を言わせぬヴェラークの声に、島の軍人たちは渋面を作った。けれどそれはヴェラークの命令が嫌悪感を催すものだったということではなく、別の理由があってのこと。
「そいつは無理だ。カーデ大将」
 突然割り込んできた異質な声に、全員の注目が廊下に向いた。
 開け放したままの扉前にはカラドレットがいる。スコールの中を走ってきたのか、彼は全身濡れていた。肩で大きく息をしている。エルミナの姿は近くになく、イリアは不安に眉を寄せた。
「海は大荒れで、十三艦隊でもなけりゃ船を出せる状態じゃない。更に言えば、軍人を割ける余裕もない。彼女たちにゃ危険だが我慢して貰う。生徒とは言え、これまでに修羅場を何度も潜ってきた優等生だ。並みの生徒よりは邪魔にならんだろうさ」
 ヴェラークは露骨に顔をしかめた。カラドレットが楽しげに口の端を持ち上げ、居合わせた者たちはハラハラと二人の様子を見守る。
 そう言えばこの二人は過去に上司と部下の関係で、ミレーシュナを巡って喧嘩に発展した経歴もあるのだと、思い出したイリアも同じく不思議な気持ちで二人を見守った。関係ないように自然体でいるのはシャルゼだけだ。楽しそうに展開を見守っている。
「他の将校たちは別室に案内した。領海には私の部下たちを派遣し、何か変化があったら直ぐに連絡が来るように手筈は整えた。カーデ大将もお疲れでしょうから、お休みになってはいかがですかな?」
 挑発的な笑みを浮かべながらヴェラークを促す。軍人たちが慌てたようにカラドレットを見るが、彼は気にした風もない。
 ヴェラークは苦々しくため息をつくと顔を逸らし、部屋を出るべく歩き出した。
「案内を頼もう」
「もちろん。カーデ艦長」
 二人は火花を散らせながら部屋を出る。呆気に取られた部屋の人間たちは完全無視だ。ヴェラークなど、イリアのことすら忘れてカラドレットを睨んでいる。
 何か、よっぽどのことがあったらしい。ここまで激情を露にするヴェラークをあまり見ないイリアはそう思い、彼らを見送る。
 部屋を出る間際、カラドレットがイリアたちに手を振った。
「今日はお疲れ。今日は外に出ないで、部屋で大人しく待機しててくれな。海賊騒ぎが終わったら通常業務に戻るからさ」
「お前にイリアと馴れ馴れしく資格はないわーっ!」
 どこかで見たような構図に、イリアは頬を引き攣らせた。

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