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第四話

【三】

 オーカキス島全土に海賊騒ぎが伝えられてから一日が経った。島民が恐怖に混乱したりしないよう、全神経を注ぐように注意して巡回や見張りが選ばれる。馴染んだオーカキス島の軍人たちが適任だろうと、混乱に対応する任務にはオーカキス島の軍人たちが選ばれた。本土からの軍人たちは司令部と領海に布陣し、来るかもしれない海賊たちの出現に備えている。
 今回の赤い海賊による対策として、本土からは三つの拠点を与えられていた。
 第四番艦隊艦長が治めるフート領地。
 ジェフリス本土から少し離れたオーカキス島。
 オーカキス島よりも西側に位置するミフト大陸。
 ミフト大陸に限ってはジェフリス国の管轄外となるが、ミフト大陸には海軍が編成されておらず友好国でもあるため、特別要請でサーフォルー海軍を派遣している。
 オーカキス島に派遣された艦隊は第八番カーデ艦隊。そして第七番ドーガ艦隊。第六番バード艦隊。三つの艦長がそれぞれ連合艦隊として編成され、派遣されていた。
 当初カーデ艦隊はヴィダ=カーデの件でミフト大陸に派遣される予定だったが、赤い海賊の出現可能性が最も高い場所がオーカキス島であったため、攻撃力の高い艦隊を島に集結させる作戦となり、ヴェラークはミフト大陸派遣部隊から外された。
 代わりにミフト大陸へは多数の艦を派遣することで了承を得ている。
 部屋に戻ったイリアは椅子に腰掛け、不機嫌な表情で軍学校の教科書を読み漁っていた。その隣ではシャルゼも同じ作業に没頭している。ただ、こちらは無表情で読み進めており、そのスピードもかなり速い。
 建物の外に出ることを禁止されたため、できることは勉強くらいだった。
 シャルゼが軍人たちから教科書を拝借したのに倣ってイリアも本を借りたのだが、早々に飽いていた。激しいスコールが再び窓を叩く。
「私たち、ここでこうして安穏としていて、いいのかしら」
「ヴェラークもゼロ大尉も言っていたでしょう。軍人に満たない訓練生にできることは何もないって。私もそう思うわ。ダルスならまだしも、今回は顔も知らない海賊よ。貴方が出て行っても何もできないわ」
「私だって、海賊を捕まえられるなんて大それたことを考えてるわけじゃないわ。でも、だからって、このままここで何もしないでジッとして、自分の知らないところで海賊たちが捕まえられて、そうして日常に戻るの? 私、なんだかそれが気に入らないわ」
 イリアは古びた教科書を閉じた。かなり褪せていて手垢もついた教科書だ。きっと何人もの手を渡ってきたのだろう。シャルゼは教科書から視線を外さないまま小さく笑う。
「前線で動きを感じたいなら、早々に卒業することを考えるのね」
「結局そこに辿り着くわけなのね……」
「それが正規の道って奴よ。後ろ盾がない者たちが辿る、最速の道。それが嫌ならヴェラークに頼むのね」
 イリアは頬を膨らませた。憮然とため息を吐き出す。
「私も早く船に乗りたいなー」
「うるさいわよ、イリア。勉強の邪魔だわ」
 とうとうシャルゼにも切って捨てられ、イリアは教科書を椅子に置いたまま立ち上がった。扉に向かいかけて足を止める。廊下には見張りをつけておけ、とヴェラークが無慈悲に言い放ったのだ。イリアたちの性格を見越した素晴らしい指示だが、さすがにカラドレットは苦笑していた。それでも彼はヴェラークの指示通り、扉の前に見張りを置いた。
「もーう。お父さまもお父さまだわ。そんなに信用ないのかしら、私って」
「そうね」
 シャルゼに同意されて睨みつけた。だが彼女は教科書から目を離さず、イリアの行動は無意味に終わる。
「誰か報告にでも来てくれないかしら……」
 暇を持て余して呟きながら、イリアは寝台に勢い良く腰掛けた。少し固い寝台に体が跳ねる。
 外はまだ激しいスコールが続いている。暗雲も晴れないようだ。どうやら本格的な雨も混じっている。この状態では海も大荒れだろう。海賊でも船を出せないのではないだろうかと考えるのだが。今回は長引きそうだ、とイリアは憂鬱に思った。
「さてと……」
 静かに椅子を引き、シャルゼが立ち上がった。年代物の教科書は閉じられて腕に抱えられている。
 シャルゼの微笑みの意味が分からず、イリアは黙ったまま彼女が窓辺に近づくのを見守っていた。
 そして。
 吹き荒れる嵐にもためらわず窓を全開にし、そのまま窓から出たシャルゼに唖然とした。
「シャルゼッ?」
 シャルゼは風をまとって浮いていた。いつかのダルスのように、少しも揺ぎない能力だ。
「ど、どこに行くのっ?」
「他の本を貰ってくるわ」
「なら別に外から行かなくてもいいじゃない。普通に廊下から」
 イリアは入り込む雨に顔を濡らしながら叫んだ。そうしないと嵐の音に負けて、互いの会話が成り立たない。
「駄目よ。見張りはヴェラークの指揮下にある軍人よ? 融通が利かないのは百も承知だわ」
「そんな」
「平気よ。他の本を取って来たら直ぐに戻るから。イリアはここでお留守番していてね」
 シャルゼがまとう風の危険性を忘れて腕を伸ばすイリアだが、触れる前にシャルゼは嵐の向こう側へ消えた。イリアは呆然と見送るしかない。風の能力とは何て便利な物なのだろう、と少し羨ましく思いながら立ち尽くす。
 止められなかったものは仕方ない。冷えた腕を抱えながら窓を閉めようとする。そのとき視界の端で何かが動いた気がして腕を下ろした。
 もうシャルゼが戻ってきたのかと思ったが、違うようだ。
 司令部の裏門に誰かがいた。酷い雨が視界を朧にさせて判然としないが、それはどうやら、エルミナのようだった。
 カラドレットの補佐をすると言って出て行った彼女だが、ヴェラークが到着したときには姿を見せなかった。カラドレットの傍にもいなかった。それとも、カラドレットとすれ違いになって、今戻ってきたのだろうか。
 イリアは良く見ようと体を乗り出した。容赦ない雨がイリアの頬を叩く。
 エルミナは司令部から抜け出そうとしているようだ。カラドレットやヴェラークが司令部にいる今、どこへ行こうと言うのだろう。彼女はどこかよそよそしく辺りを見回しながら裏門の鍵を回していた。落ち着かないように、鍵を解除する仕草も焦っているように見える。周囲をうかがうエルミナの視線がイリアの部屋にまで及んだ気がして、イリアは慌てて首を引っ込めた。窓は全開なのだから、あまり意味のない行動かもしれないと思ったが、しゃがみこんだイリアは胸に手を当てる。
 次にそっと顔を出したときには、既にエルミナはいなかった。司令部に戻った様子はない。開かれた裏門は風を受けて、微かに開閉を繰り返している。エルミナが外へ出たことは明白だ。
 お父さまに報告した方がいいだろうか、とイリアは悩む。だがその報告はエルミナに対する裏切りにも思えた。彼女は何かの指示を受けて裏門から出たのかも知れず、そうであるならイリアの不安は杞憂なのだが、イリアにはとてもそうは思えなかった。エルミナの行動は明らかに人目を憚るものだった。
 困惑しながら窓の桟をつかむ。視線を海に転じたが、大きな艦隊が幾つか停泊しちえるのが朧に見えるだけで、明瞭としてこない。すべてが雨に霞んでいた。
「せめてゼロ大尉に伝えるのは……」
 エルミナが消えたと思われる方向と、部屋の扉とを交互に見つめながらイリアは呟いた。雨にかなり濡れた髪を少し絞る。窓を閉め、扉に向かった。廊下側へとノックし、そこにいるだろう見張りに声をかけた。
「ねぇ。お父さまをここに呼ぶことはできるかしら?」
 返答はない。もう一度ノックし、同じように声をかけたが、やはり返答はない。もしかしたら会話も禁じられているのかもしれない、と憮然とする。
「ねぇ?」
 取っ手をひねると簡単に開いた。施錠まではされていない。静かに扉を開き、廊下を伺い、目を瞠る。廊下には誰もいなかった。
「……あら?」
 扉を全開にしようとすると、何かに引っ掛かったように扉が止まる。
「え……ちょっと……なんでっ?」
 イリアは叫んでいた。目の前に広がる光景が理解できない。
 ヴェラークが配置した軍人全員が、気を失って廊下に倒れているわけが。
「ねぇ、何があったのっ?」
 彼らを揺さぶってみるが、起きる気配はない。廊下には倒れている彼らの他、誰の姿もない。イリアは不安を募らせるばかりだ。先ほどは疑問に思わなかったが、大声でシャルゼと話していても誰も様子を見に来なかったのはこういうわけだったのかと納得する。
「どうしよう……お父さまに……」
 いくら声をかけて揺すっても反応がない。この異常事態を、誰か分かる者に伝えなければ、とイリアは立ち上がった。
 一度案内された建物の全体像を脳裏に描き、ヴェラークたちが案内された場所はどこだろうと首をひねる。ひとまず、カラドレットの執務室に行けば誰かがいるかもしれない、とイリアは走り出そうとした。
「これは……?」
 走り出そうとしたイリアを止めたのは、背後からかけられた不審な声。
 振り返ると、反対側の廊下からオーカキス島の軍人が二人、歩いて来るところだった。彼らは床に倒れている者たちから異様な雰囲気を感じ取ったのか、眉を寄せて駆け寄って来る。
「分からないわ。私が扉を開けたら、彼らはもうこんなことになっていたのよ」
 疑いの視線が向けられたと悟り、イリアは慌てて弁解した。いわれのないことで犯人扱いされたのではたまらない。
 駆け寄ってきた二人は必死で説明するイリアを困ったように見下ろした。倒れた男たちの傍らにしゃがみ、イリアと同じように声をかける。外傷がないか確認するが、主だった傷はないようだ。慎重に揺すってみても、やはり倒れた者たちは意識を取り戻さない。
「あの、お父さまに、このこと……」
「それはこちらで伝えましょう。貴方は本土から派遣された訓練生ですね? 部屋で待機していただくよう、指令が出ています。どうぞ部屋に戻って下さい」
 丁寧な喋り口調だったが、イリアは有無を言わせず部屋に戻された。扉が閉められる直前にイリアは慌てて問いかける。
「あの! エルミナ准佐はどこかにでかけたのですかっ?」
「エルミナ准佐? 彼女はゼロ大尉の執務室にいます。本土との連絡対応に追われていますよ」
「え?」
 イリアが瞳を丸くすると、次の言葉を待たずに扉は閉められた。イリアは顔をしかめて扉に背を向ける。言われた意味を考える。エルミナを目撃した窓辺に駆け寄り、イリアは再び窓を開けた。
 先ほどより少し凪いだ風がイリアを包む。飛ばされそうになって足を踏ん張った。窓の桟にしっかりと手をかけ、イリアは体を乗り出す。エルミナが出て行った裏門は、やはり先ほどと同じように少し開いて揺れている。彼女が戻ってきた気配はない。
 それとも、エルミナは本土との連絡対応を終えてから外に出たのだろうか。それにしてもオーカキス島の軍人たちにその旨が伝わっていないのは奇妙だと感じる。
 どうなっているのか、イリアは窓から身を乗り出したまま唇を噛み締めた。
 窓の桟にかけた手に力を込め、シャルゼが帰って来ないかと周囲をうかがう。けれど出て行ったばかりのシャルゼが戻ってくる気配はない。再び強められた雨がイリアの視界を塞ぐばかりだ。雨は部屋の中にも侵入してきており、イリアは既にずぶ濡れの状態だった。新調したばかりの制服は昼に脱いでいたので、そちらが汚れる心配はないのだが、このままでは風邪を引きそうだ。
「どうしよう……」
 本来なら一介の生徒が思い悩む必要はないのだが、イリアはそう呟いて途方に暮れた。
 この島に近づいてくるのは『赤い海賊』だと言う。
 ダルスたちと違い、その凶暴性は強く、ヴェラークたち十三艦隊が出動しても食い止められないほどのもの。見たこともない武器を数多繰り出し、機動性も高いため、なかなか捕獲できない。そんな海賊に対してイリア1人が思い悩んでも、何が変わるというわけでもない。それでもイリアは唇を噛み締め、そして決意した。
 決意してみれば、今回の嵐はむしろ好都合だと言えた。この大雨は、得意とする能力を存分に扱うことができる。
 イリアは遥か下方の地面に瞳を凝らした。桟をつかんだ手に力を込めたまま、意識を集中させる。海と違って水の気配が希薄なため、対象を思うままに操るのにはかなりの集中力が必要だった。
 地面に流れる水。降り注ぐ大雨。
 両方に意識を集中させ、イリアは窓の真下に巨大な水溜りを作ることに成功した。その水溜りを壊さないまま、可能な限りの水を周囲から呼び込む。囲いのない巨大な貯水池を作り出した。
 二階分にまで水を溜めたあと、イリアは意識を集中させたまま、無言で窓から飛び降りた。結構な衝撃がイリアを襲ったが、イリアは何とか意識を手放さずに部屋から出ることができた。水底に足をつけたイリアは能力を解放し、貯水池を一瞬で決壊させる。凄まじい音を立てて大量の水が流れ出した。
 流れはイリアの体も攫い、イリアは危うく司令部の壁に叩き付けられるところだったが、何とか回避する。
「頭、痛い」
 地面に両手をついてうな垂れながらイリアは呟く。かなりの集中力を要したため、こめかに辺りがずきずきと痛みを訴えてくる。
 しばらくそのままその場でそうして耐えていて、痛みが和らいでくる頃に周囲を確認した。
 この大雨の中、外に出てくる者はいない。出て行ったきりのシャルゼもまだ帰ってこない。
 イリアは痛んだ体を叱咤し、力を込めて立ち上がると裏門へ向かった。

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