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第四話

【六】

 イリアが目覚めると隣にヴェラークがいた。難しい表情をして座っている。
 イリアは動こうとして鈍い痛みに気付き、眉を寄せた。現状が飲み込めない。なぜ自分が眠っているのか思い出せない。そんなイリアに気付いたのか、ヴェラークが顔を上げた。
「あれほど司令部から出るなと言ったのに、なぜお前はそうなんだ」
「お父さま……?」
 起き上がろうと腕をつくと、脳天まで鋭い痛みが駆け抜けた。思わず息を止めて奥歯を噛み締める。
「骨が折れる寸前だった。鬱血は当分治らないだろう。もうしばらく休め」
 イリアは痛みに朦朧とする意識の中でヴェラークを見つめた。痛みが体を苛み、意識が定まらない。焦点までも虚ろになり、静かで強い声は滲むようにイリアの中に浸透していく。その声に導かれるまま眠ろうとしたイリアは、ヴェラークの後ろにエルミナを見つけて瞠目した。
 記憶が鮮やかに蘇る。布団を跳ね除けて起き上がる。
「海賊はどうしたのっ? お父さま。もう軍は派遣したのっ?」
 勢い込んで体を乗り出したが、ヴェラークは眉を寄せてイリアを見返す。
「海賊?」
「エルミナ准佐に連れて行って貰った洞窟に海賊がいたのよ! カール鉱石採り放題だったわ!」
 布団をはいだ瞬間、むき出しの腕が赤黒く変色しているのが見えた。衝撃を受けたイリアは悲鳴を上げようとしたが、ぐっと堪えてヴェラークを見る。自分の容態よりそちらが心配だ。腕を軽くさすると吐き気がする。
 ヴェラークは訝るようにイリアを見つめた。エルミナを振り返り、視線で問いかける。
 エルミナはイリアの叫びにも動じず、ヴェラークの視線を受けると首を横に振った。険しい表情は晴れないままだ。
「え……?」
 イリアは彼らのそんな様子に目を瞠る。
「私がイリアを発見したのは確かに洞窟付近でした。けれど海賊の姿はありませんでしたし、報告も入っておりません。イリアは痛みに幻覚を見たのでしょう」
「どうして――エルミナ准佐?」
 ヴェラークは小さなため息をついてイリアを振り返った。
「イリア。お前はもう黙って寝ていなさい」
「そうはいかないわ。あの洞窟をちゃんと調べて頂戴! 奥はカール鉱石の蒼い光で一杯で、海賊たちが霞んで見えてて」
「霞んで見えるなど、それこそ幻覚の証拠ではないか」
「違うわよ! あんなハッキリした幻見てたまるものですか!」
 このままではうやむやにされてしまいそうな雰囲気に、イリアは慌てた。けれどヴェラークは既に話半分のようだ。自分の父であるのに信用してもらえない悲しさに驚愕しつつ、イリアは必死で言い募ろうとする。
「イリア。分かったからもう寝なさい。まだ疲れは残っているはずだ」
「お父さま!」
 強引に寝台に戻された。腕の痛みに顔をしかめてイリアはにらむ。
 ヴェラークは重いため息を吐き出しながらイリアの頭を撫でた。
「緊急通信が入るまで、ここにいるから」
「違う……待って……!」
 顔を歪めて叫ぶのだが、もはや聞いて貰えないようだ。いまさら普段の行動を省みて、イリアは悔しさに涙を浮かべた。唇を噛み締める。
(どうして誰も信じてくれないの……? あれが夢だった訳ないじゃない。エルミナ准佐は絶対にあの海賊船も見てるはずなのに。どうして……?)
 イリアは縋るようにエルミナを見た。彼女が証言さえすればヴェラークも動く。何とか思い出して欲しいと、視線で訴える。
 けれどエルミナは冷たい瞳でイリアを見返すだけだった。海賊の手から救い出した時の温かさも、昼前まで見せていた穏やかな表情も、そこにはない。
「――シャルゼは?」
 彼女だったら耳を傾けてくれるかもしれない。そう思って問いかけると、ヴェラークはなぜか一瞬言葉を詰まらせて咳払いした。
「シャルゼ嬢は別室だ」
 イリアは最後の望みを絶たれた気がして、枕に頭を押し付けた。
「本当にいたのよ……」
 悔しくて呟く。ヴェラークには相手にもされない。普段の父とは違う雰囲気に泣きたくなって、イリアは顔を壁側に向けた。
 夢ではない証拠に、あの男に掴まれた腕には痕跡が残されている。
 ――あの男。
 燃えるような真紅の髪をして、誰かを連想させるふざけた男。  そこまで思い、イリアは息を呑んで振り返った。
「ダルスがいたのよ……!」
「ダルス……?」
 思わずして出てきた言葉に誰もが反応した。
 別の方向を見ていたヴェラークも、部屋を出て行こうとしていたエルミナも、鋭くイリアを振り返る。双眸を見開いてイリアを見る。圧力すら感じられるその視線に、イリアは首を竦めて慌てた。
「ち、違ったわ、ごめんなさい。ダルスに良く似た男の間違いなんだけど……。でも、本当にいたのよ。海軍の警備が薄くなった場所から侵入できた、ってその男が言ったんだもの。ねぇお父さま。信じてよ!」
 イリアは必死で訴えた。
 その様子にヴェラークは眉を寄せる。思案するように黙り込んだあとエルミナを振り返った。
「エルミナ。疲れているだろうが、イリアの言う洞窟を確認してくれないか? イリアもそれで納得するだろう」
「はい。了解しました」
 エルミナは唇に薄い笑みを浮かべると頷いた。そのまま退出しようとする。
 イリアは焦った。
「ま、待って!」
 エルミナの足が止まる。
「エルミナ准佐じゃ――いえ、だけじゃ、危ないかもしれないわ。私も一緒に」
「それは駄目だ。お前はここで待機。これ以上は譲れない」
 慌てて言葉を換えたイリアだが、ヴェラークの言葉にムッとした。
「ならお父さまが行けばいいのよ。八番艦隊の艦長なら全員、信用するじゃない」
 拗ねて唇を尖らせればヴェラークは嘆息する。
 イリアは不貞腐れて頭まで布団をかぶると瞼を閉じた。
 沈黙が落ちる中で誰かが部屋を出て行く気配がする。そっと布団を剥いで窺ってみると、ヴェラークが側にいた。そうならエルミナのみが外へ出たのだろう。
 イリアは落胆しながら再び布団をかぶり、唇を尖らせたまま瞼を閉じた。

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 疲労は大分蓄積していたようだ。
 いつの間にか眠っていたことに気付き、イリアは身じろぎした。発熱しているかのように体全体が熱い。顔をしかめて布団を剥ぐ。新鮮な空気を大きく吸い込んで瞳を瞬かせた。
 部屋の照明は落とされていた。少し遠くの机に明かりが灯っていて、そちらに瞳を凝らせればヴェラークが座っているのが見える。彼は難しい顔をして机を凝視していた。どうやら海図のようだ。イリアが起きたことには気付いていない。何を考えているのか、イリアには分からない。
 静かな室内には雨音が響いていた。再び雨が降ってきたのか、もしくは降り続いていたのか。イリアは眉を寄せる。
(それにしても本当についてないわ。島に来た途端に雷季だなんて。外に全然出られないじゃない)
 頬を膨らませて寝返りを打つ。その音が大きく響いて怯んだが、そっと背後を窺ってみてもヴェラークはそのままだった。気付かれなかったようだ。妙な安堵を覚えて瞳を閉じる。
(エルミナ准佐はどうしたかしら)
 脳裏に浮かぶのは洞窟で見た海賊たち。あれらが夢や幻だったなど、到底信じられない。嘘をついているのはエルミナだと声を上げたいが、哀しいかな普段の行動で信用度はゼロらしい。自分で確かめに行くこともできなくて、ただ不貞腐れるしかできない。
 イリアはそっと腕を動かしてみた。痛みは大分治まったようだが、それでも痺れるような痛みが残る。
「イリア。私は打ち合わせに行ってくるから、大人しくしていなさい」
「え?」
 背後から静かにかけられた声に驚いて振り返った。その反動で痛みが蘇る。唇を引き結んで眉を寄せる。
「無理をして動けば怪我は酷くなるぞ。安静にしていて、軽いうちに治しなさい」
 いつの間に寄っていたのか、ヴェラークは寝台の直ぐ隣に立っていた。机のランプはつけっぱなしだ。逆光はヴェラークの顔に暗い影を落としていて、イリアは泣きたくなる。初めての空気に不安を掻き立てられる。
「お父さまたちが追っている海賊って――どんな海賊なの?」
 静かに体を起こしてイリアは問いかける。
「通称、赤い海賊。過去何度か領海を侵してきた海賊だ。船長は特に好戦的で、サーフォルー海軍にも何人か殉職者が出ている」
 イリアは顔色を変えたが、ヴェラークは彼女の声を押しとどめて笑った。
「数年前まで、奴らは手当り次第に襲っては火を放ってきた。卑劣な行為を許すわけにはいかない」
「火を……?」
「そう。荷を奪うだけではなく、その集落や船を沈めるために火を放つのだ。生き残った者が外に逃げ、救援を呼べぬように」
「酷い……」
 脳裏に地獄絵図が浮かぶような気がして、イリアは眉を寄せた。視線を寝台に落とし、怒りに呟く。それに同意するようにヴェラークが頷いた。
「ここ数年は大人しくしていたようだが、ようやく奴らを捕らえる機会が巡ってきた。今を逃すわけにはいかない」
「それなら――」
 問いかけに辛抱強く説明してくれるヴェラークに、それまでとは異なる雰囲気を感じてイリアは顔を上げた。今なら自分の言葉を聞いてくれるかもしれない、と慎重に言葉を選ぶ。
「やっぱり私は海賊を見たのよ。赤い帆を掲げて、大きなガレオン船に乗って。お願いよ、お父さま。一度洞窟を調べてみて。私はこの島が火に包まれるなんて絶対に嫌なの」
 真摯に告げるイリアをはかるようにヴェラークの視線が落ちる。しばらくそのままで視線を交わしていたが、ヴェラークは軽く頷いた。
「お前が見たという洞窟にはエルミナを向かわせてある」
「彼女だけじゃ駄目よ!」
 勢い込んで起き上がる。身を乗り出すと腕が痛みを訴えたが、それを無視してイリアは続けた。
「私が海賊を見たとき、彼女も一緒にいたのよ。それなのに見てないだなんて、嘘の証言をしたわ。もしかしたら彼女は赤い海賊と通じているのかもしれない!」
 ヴェラークはゆっくりと首を振った。まるでイリアの言葉に呆れたようだ。それがもう聞き入れない仕草に思えたイリアは唇を震わせた。ヴェラークは静かに嘆息する。
「彼女のことは信用している」
「裏切っているかもしれないわ」
「彼女が赤い海賊の味方になることはあり得ない」
 どうしてそこまで言い切ることができるのか、イリアは不可解さと悔しさに絶句してヴェラークを見つめる。自分の言葉よりもエルミナの言葉を信じるのかと思うと辛く哀しかった。
「彼女が正規の軍人で、私がまだ生徒だから? だからお父さまは私を信じてくれないの?」
 ヴェラークが微かに眉を寄せた。
「イリア」
「知らない! お父さまなんて大嫌い! 海賊に囲まれて後悔したって遅いんだから!」
 叫んだイリアは、本当にそんな光景が脳裏に浮かんできて、涙を浮かべた。考えただけでも恐ろしい。その想像から逃げるように布団に深くもぐりこみ、頭まで隠して体を小さくする。そうすると涙が溢れてきて、嫌な想像が現実となってしまいそうな予感が高まり、嗚咽を堪えた。早くヴェラークが出て行ってくれればいいのに、と思う。
「彼女が赤い海賊たちと通じているなど、決してない」
 この期に及んでそんなことを言うのか。
 イリアは呆然とその言葉を聞いた。
「では行ってくる。頼むから大人しくしていてくれよ」
 諦めを多分に含んだ言いつけだった。
 イリアが返答をしないでいると、しばらく間をあけてからヴェラークが出て行く音が聞こえた。扉が閉まる音が響き、イリアはゆっくりと十を数えてから顔を出した。
 ヴェラークの姿はない。扉は閉められている。部屋の中には誰もいない。
 もしヴェラークが海賊との交戦でいなくなってしまったら、寂しい毎日を1人で過ごさなければいけない。
 イリアはそんな想像に、1人で泣いた。

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