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第四話

【七】

 カラドレットは執務室に入って扉を閉めると、その扉に背中を預けて瞳を固く閉じた。疲れた目をほぐすようにマッサージする。
「ああ、ったく。何だってこんなにややこしいことになってるんだか」
 ぼやいて舌打ちする。
「ゼロ大尉」
 カラドレットを出迎えたのは、腹心の部下たち三名。カラドレットを学生時代から良くしる、オーカキス島駐屯軍の仲間たちだ。
 一番の年長者であるザグレイ曹長が立ち上がった。
「本土の将校たちはどうでしたか?」
「気に入らん」
「って、そういうことじゃなく……」
 不機嫌な声で一蹴されて、ザグレイは苦笑する。
「俺には本土のしきたりが合わないようだと、改めて実感してきたよ」
 カラドレットは片手を挙げ、部下たちの声を制して歩き出した。
「ゼロ家もこんな三男坊を持って大変だな」
「自分で言ってりゃ世話ないですよ」
 部下からのツッコミを肩を竦めて聞き流し、カラドレットは朝とは丸っきり違った様相になった執務室を眺めた。
 散らかった書類やゴミは綺麗に片付けられ、脱ぎっぱなしだった制服や雨具も整えられている。机の上で散乱していたはずの筆記用具までもがしっかり片付けられていて、カラドレットは「おお」と拍手した。
「おお、じゃないですよ。あの子たちがいたときは綺麗に片付けていたのに、その後散らかしましたね? どうしたら一回戻ってきただけであんなに散らかし放題できるんですか。エルミナさんがいないと本当に駄目なんですから」
「お前らが片付けたのか。ちっ。拍手を返せ」
「どうしてですかっ」
 本気で舌打ちしたカラドレットに、ザグレイの悲鳴が投げられた。非常事態が起こっているというのに呑気な掛け合いだ。
「それにしても」
 まだブツブツ訴えているザグレイの声は綺麗に無視し、カラドレットは顎に手を当てると執務室を眺めた。
 朝は1台だけしかなかった本土との通信機が、今は五台に増やされている。どのスピーカーからも傍受された声が流されていて、現況を常に知ることができるようになっていた。かなりの通信量が流されているが、海賊と接触した情報はどこにもないようだ。
 その通信を真剣に聞いているティニス伍長へ視線を投げる。彼は直ぐに気付き、無表情のまま首を横に振った。カラドレットはため息をつく。
「とりあえず現状ではどうすることもできんな。本当に赤い海賊たちがこの島に来るのかも分からんし――」
 ぼやいたカラドレットに、視線を落としたティニスが再び顔を上げた。
「どうした?」
「私たちが部屋の準備をしているとき、カーデ大将が来て行きました。部屋の惨状を見て、顔をしかめておられましたよ」
「あ、そうそう、思い出した」
 ティニスの声に触発されたのか、窓から外を窺っていたスロットも振り返る。位は同じ伍長。ティニスと同じ顔立ちだが、浮かぶ表情は正反対に明るいものだ。
 ヴェラークの名前だけで難しい顔になったカラドレットは嫌そうに促した。
「僕も伝言を預かっていたんです、カーデ大将から」
 場違いに明るい笑顔のスロットは、カラドレットがうめくことすら楽しそうに笑って口を開いた。
「私以外がこの島に派遣されていたらどうするつもりだったのだ。少しは身奇麗にしておけ。と、伝えておけとのことです」
 ヴェラークを真似るように難しい顔をし、人差し指を立てたスロットは低い声でそう伝えた。
 その瞬間、カラドレットは苦虫を噛み潰したように険しい顔となって「あの野郎」と呟く。ザグレイが咳払いする。
「私もひとつ、伝言を預かっておりますよ」
「なんだ」
 不機嫌な表情を更に歪ませて、カラドレットは振り返る。
「私の部下たちをどこに隠したのか知らんが、早く戻して欲しいものだ、と。こちらは伝言というより嫌味ですが」
 カラドレットは天を仰いだ。
「やはりイリア=カーデが居合わせたのは俺たちにとって不幸か」
「ミレーシュナ殿の娘を利用しようというのですから、さすがにカーデ大将も嫌味のひとつやふたつ、言いたくなるでしょうね」
 傍受の中から有益な情報をノートに書きとめながら、ティニスは視線を上げずに口を挟む。カラドレットは何だか頭が痛くなりながら長椅子に腰を下ろした。本来カラドレットが座るべき執務机にはティニスが座っている。席を譲る気配はない。
「俺が手助けしなくても、あの娘は行動したんじゃないのか」
「カーデ大将とミレーシュナ殿の娘御ですからねぇ」
 カラドレットが深々とため息をつけば、ザグレイも同じく意味深なため息を吐き出した。
「仕方ない。こうなっては俺も易々と動くわけにはいかなくなったからな。二人の訓練生だけが頼みの綱だ」
「二人……ですか?」
「二人だ」
 不思議そうに問い返したザグレイに、カラドレットは深く頷いた。
「シャルゼの方は既に何か勘付いていると思うが――さて」
 どことなく楽しそうにカラドレットは呟く。ザグレイとスロットは顔を見合わせた。ティニスは相変わらずの無関心で、傍受に心を傾けている。
「ところで――エルミナはまだ戻らないか?」
「ええ……そうですね」
 話題を一度振り切るようにして、カラドレットは明るい声を上げた。けれどザグレイは暗い声を出して、カラドレットを睨む。
「いずれ分かることとはいえ、書類を見て飛び出したらしいですからね」
 ザグレイの言葉は暗に、どうしてしっかり書類を管理していなかったのかとカラドレットを責めていたが、彼は堪えないように「そうか」と肩を竦めた。
 瞳に少しだけ心配そうな色を含ませながら思案に耽る。
「飛び出したイリア=カーデも、まだ戻っていないそうですよ」
「お陰で僕たち、カーデ大将から散々睨まれてんですから」
 ざわめきのように響く通信音にも負けぬよう、大声でスロットがおどけてみせると、ティニスに睨まれた。
「スロット、少しは口を閉じていられないのか。せっかくの通信が聞こえなくなる」
「ティニスこそ、もう少しこの状況を楽しめないのか。しかめっ面ばっかりしてるとその顔に皺が残るよ。僕と同じ顔に皺なんて残さないでよね。もしそうなったら僕はティニスの顔を見るたびに自分の顔が心配になる」
 倍になって帰って来た言葉に、ティニスは嫌そうにため息を吐き出した。スロットは唇を尖らせて彼を睨む。
 カラドレットは苦笑しながら彼らを振り返る。そのとき、ティニスの表情が変わったことに気付いて眉を寄せた。
「ティニス?」
 スロットも気付いたように、傍受を良く聞こうと彼に近寄る。
「――割り込みが入りました」
 慎重に言葉を選んだティニスの声は、それまで陽気さを漂わせていた執務室の空気を一変させた。カラドレットとザグレイは顔色を変え、スロットも顔をしかめて呟きを零す。
「まーた、嫌なときに……」
「来る頃だとは思っていたが、本当に最悪のタイミングだな」
 眉を寄せ、立ち上がったカラドレットは踵を返した。
「ゼロ少佐!」
 うろたえたようにスロットが叫び、次の瞬間口を塞ぐ。叱られることを恐れるように、恐る恐る上目遣いでカラドレットを見上げる。
 カラドレットは呼ばれた瞬間こそ険しい顔をしたが、スロットの怯えるような仕草に苦笑してため息をついた。
「気をつけろよ、スロット」
「は、はい」
 先ほどまでの元気を萎れさせたスロットに、ティニスもため息を零して立ち上がった。傍受のイヤホンをむしり取って身を乗り出す。
「雨が止んだときが上陸の合図、だそうです」
 伝えられた一方的な通信内容をカラドレットに伝えると、彼は真剣に頷いて扉に向かった。
「我々はどうしましょうか?」
「どうにもできない。こちらから通信を送るのは自殺行為だし、俺はこれから大将たちと会議だ」
「って、海賊のところに行くんじゃないのっ?」
「ティニス」
 さすがにカラドレットは諌める声で振り返った。ティニスは蒼白な顔で口を塞ぐ。隣のスロットは横目で窺い「馬鹿ティニス」と呟きを零す。
 カラドレットはひとつ息をつくと三人を見渡した」
「こんな事態になった以上、俺はここを動くことはできない。お前たちもだ。艦長たちだって馬鹿じゃない。下手に俺たちが動けば直ぐに露見するぞ」
「でも――それじゃあ、どうするんですか?」
 弱い声で言葉を選んだティニスは、縋るようにカラドレットを見つめた。
「……祈るしかないな。軍に属さない者たちに、任せるさ」
 カラドレットは胸の紋章に視線を落とすと、それを軽く指で弾いた。


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 ヴェラークが部屋を出て行ってからしばらくして、イリアは泣き腫らした目を瞬かせると鼻を啜った。まだ赤黒く変色したままの腕を見下ろし、思い切りかぶりを振る。
「もう、お父さまなんて知らない……!」
 涙声だが憤然と決意すると、イリアは寝台から降りた。腕に響かないよう、動作を小さくする。部屋を見回し、1つしかないランプに近づく。先ほどまでヴェラークが海図を見ていた机だ。
 広げられていた海図には様々な線や記号が書き込まれているが、どれもがヴェラークの筆跡ではなかった。とても綺麗で読みやすい。それも、インクの様子から最近のものらしいと推測できる。
(……エルミナ准佐?)
 女性のもののようにも思えるその筆跡に、イリアは真っ先に彼女を思い浮かべて他の海図をめくってみた。どれもに同じ筆跡で様々なことが書き込まれている。所々に、解読できない暗号まで使われており、イリアは不愉快な気分でそれらから目を逸らした。
(いくらお父さまに協力的だって言っても、もう信用しないんだから……!)
 それに、この海図がエルミナから渡されたものだとしたら、偽の情報が書かれていることもある。
 イリアはその可能性に気付いて、もう一度海図を凝視した。
 読み方はひと通り学校で習っている。粗探しをするように見つめたが、エルミナの情報はどこにも洩れがないように思われた。事務的ではあるが、正確なようだ。
 イリアは妙な悔しさを覚えて視線を外した。部屋の中を見回し、新たな発見をする。
「……なんで窓が割れてるのかしら」
 暗い暗いと思っていたが、雨戸が閉められていたから余計にそう思えたのだ。
 イリアは窓に近寄りながら首を傾げた。
「そういえば、雨は止んだかしら……?」
 扉を押し開け、入り込んできた温い空気に眉を寄せた。オーカキス島に降り立った当初のような、熱を含んだ風。
 雨は止んでいた。
 雨戸を全開にすると澄み渡った星空が見えた。本土で見るよりも澄んだ星々のきらめきに感嘆する。
「凄い……綺麗」
 うっとりと空を眺め、久しぶりに感じる温かな風に頬を緩める。
 解かれていたイリアの髪は微かになぶられ、首筋をくすぐる感触に首を竦めた。
「よし。私は絶対に諦めないわよ」
 蒼瞳をきらめかせ、イリアは固く誓うように呟いた。

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