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第四話

【一】

 イリアは司令部の裏門を抜けた。雨の名残を残す茂みを掻き分けると制服が汚れる。いつもの明るさはなりを潜め、表情は強張っている。唇を引き結んで真剣な表情となる。
 イリアは何かに引かれるようにして振り返った。瞳を細める。木々の向こう側には司令部の一部が覗けたが、それ以上の詳しいことは分からない。誰の姿も見えない。
 再び踵を返す。司令部から離れるように進む。
 昨夜までの激しい雨は止んでいた。足元はぬかるみ、気を抜けば滑ってしまう。
(私だけを外に出して、どういうつもりなのかしら……)
 思い出すのはカラドレットの笑顔。空を仰げば清々しい晴天。結果的に置いてくることになったシャルゼを思い出す。彼女の悔しそうな視線は、イリアが司令部を出るまで追い続けた。できれば彼女も一緒にと願ったが、カラドレットが許可しないなら仕方ない。
 イリアは海賊たちの元へ、その目で確かめるために外へ。そしてシャルゼは司令部に留め置かれることとなった。まるで人質のようだが、違うと信じたい。
 これらはカラドレット=ゼロからの命令だ。
 疑問を抱いたイリアだが、深く追求することもできず、ただ従うしかない。
(どうするつもりなのか知らないけど、私にとっては好都合だわ。ここで海賊を捕まえられれば、誰が反対しようとシャルゼの特進は決定よ。お父さまを見返すことだってできるわ)
 イリアは自分に喝を入れて拳を握り締める。
 濡れた草を掻き分けたことで露が大きく弾け、イリアの頬を濡らす。濁った汚泥ではなく、まだ一度も地面に触れていない、澄んだ名残雨。
 イリアは頬を拭って前を見据えた。


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 ヴェラークの目を盗んで外へ出る機会を窺っていたイリアは、いつの間にか朝になっていたことに驚いた。昨夜はぐっすり休んだと思っていたが、まだ回復にはほど遠かったらしい。今まで気付かず眠ってしまっていたようだ。
「私としたことが……!」
 イリアは慌てて起き上がる。
「あの海賊たちの動向を偵察しに行く予定だったのに、これじゃ台無しじゃないの!」
 腕の痛みはほとんど消えていた。わずかな違和感が残るだけだ。痣も目を引くほどではなく、消えかかっている。それでもイリアは響かないように注意して窓を開けた。
 日が昇ってから間もないようだ。風がまだ涼しい。
 心配していた海賊の襲撃はまだないようで、島民たちはいつも通りの朝を迎えようと準備している様が見える。
「急がなくちゃ……きっと、昨日は私が高波起こしたせいで準備ができてなかっただけなのよ。襲撃は今日かもしれないわ」
 唇を引き結んで遠くを睨む。
 遠くの海まで澄み渡り、見通すことができた。港にはいくつかの戦艦が碇泊しており、その中には見慣れたカーデ艦もあった。いつもと違うのは、すべての艦が戦闘準備を終えているということだ。甲板には複数の砲台が搭乗されている。目を凝らせば、艦に待機している軍人まで見える。
(能力者たちも連れてきているのかしら……)
 原則として総督から与えられている能力者たちの数は多くない。カーデに属する能力者たちも様々で、彼らは特殊な位置にあるため、艦長の立場でもなかなか動かせないのが現状だ。彼らは総督直属の部隊とも言える。
(私もシャルゼも、学校を卒業したら配属されることになるのかしら……)
 どの科にいようと、能力者たちは一様に特殊部隊へ編成されるのが現状だ。総督からの命令なしに動かない。その都度、決められた艦に乗って補佐をする。
 イリアは居並ぶ艦を眺めながら眉を寄せ、次いで本来の目的を思い出して慌てた。
「だから、こんなことしてる暇なんてないっていうのに、私はもう……!」
 いつも横道に逸れてしまうのは悪い癖だ。
 イリアは焦りながら窓から身を乗り出し、地面までの距離を測ってみた。雨のない今、昨日のような大技は使えない。たとえ雨が降っていたとしても、体力を相当削られるため、別の方法を考えなければいけない。かなり難易度の高い試練だ。
 脳裏に蘇る真紅の髪。日に焼けた褐色の肌。人を人とも思わない強引さ。
 イリアが出会った昨日の男は、何もかもが1人の海賊の男を連想させる。それだけでイリアの怒りは倍増する。
「赤い色って、きっと私には不吉な色なのよ。血にも通じるし」
 ぶつぶつと呟きながら髪紐を解いた。昨夜はそのままで眠って寝返りを打ったらしく、髪はもつれている。海風が気持ちよく、イリアは瞳を細めながら手櫛で髪をとかした。結び直すことはせず、大きく息を吸い込むと海を見据える。
「さてと。何としてもあの海賊たちを追い出さなくっちゃ」
「私がいない間に、いったいどこまで話は進んでるのかしらねぇ?」
 頭上から声が降ってきた。
 見上げればまばゆい金髪が揺れており、見慣れた笑顔がそこにあった。
「シャルゼ!」
 歓声を上げ、思わず飛びつこうとしたイリアだが、慌てて思いとどまる。
「賢明な判断ね、イリア」
 屋根の上から移動してきたシャルゼは笑みを湛えたまま、イリアの脇を通ると部屋に侵入してきた。室内靴のままだ。部屋から来たのだろうか。
「シャルゼ。貴方、今までどこに?」
「私の台詞だわ。部屋に戻ったら貴方の姿はないし、廊下ではヴェラークの部下が消えたと騒いでいるし、ゼロ大尉やエルミナ准佐に繋ぎも取れない。軟禁状態だったのよ」
 シャルゼは不機嫌そうに唇を尖らせて横を向いた。制服姿の彼女には威圧感があったが、胸を反らして両手を腰に当て、横を向く姿には親近感を覚えてイリアは微笑む。理想的なスタイルに羨ましさすら覚えて思わず魅入った。
 イリアの様子に気付いたシャルゼは無言のまま、イリアの額を容赦なく指で弾いた。
「いったーい!」
「私がこんなに腹を立てなければいけないのも、すべては貴方のせいよ」
「わ、私?」
「この償いは、今して貰うわ」
 イリアは蒼白になって口を空回りさせる。結局はいつもの言葉遊びだと悟って安堵するが、意味が分からないのはそのままだ。盛大なため息をついたシャルゼを見守る。
 シャルゼは部屋を見渡した。
 部屋の奥には仕事用の机と、それらを取り囲むように本棚がある。ヴェラークは昨夜から戻っていない。司令部のどこかにいるのか、それとも艦に戻ったのか、イリアには分からない。机に置かれたランプ鉱石の光はそのまま放置されていた。
 シャルゼは本棚に進みながらイリアに問いかける。
「貴方は気付かない? オーカキス島に来てから今まで、妙な違和感がなかったかしら?」
「え?」
「エルミナ准佐やゼロ大尉や、ヴェラークもそうね」
 イリアは目を丸くした。シャルゼが着る青藍の制服を凝視する。窓を閉めて彼女の後ろを追いかけた。
「私がここに来て感じた最初の違和感は、階級と指揮系統よ」
 シャルゼは机の海図を一瞥すると、続いて本棚に視線を移した。何かを探すように視線がさまよう。イリアは彼女の隣に立ち、その視線を追いかけた。
「私たちがここに来る前にカラドレット=ゼロは降格されたと言っていたわね」
「ええ」
「エルミナ准佐の言葉は真実なのかしら」
 シャルゼが何を言おうとしているのか分からず、イリアは眉を寄せた。
「ゼロ家といえばカーデに並ぶ指折りの軍人家系でしょう。そんな彼が降格されるには大きな事件が必要だわ。けれどここには、そんな事件の名残がどこにもない。それに、降格は一時的なものだと言っていたけれど、なぜ一時的なものなの? 例外は聞いたことがないわ」
 イリアは視線を落とした。確かに、聞いたことがない。
「もし降格された話が事実なら、ヴェデドース軍曹が知らないはずない。でも、軍曹は知らない。知っていれば私たちをこの島に派遣しようだなんて思わないはずよ。たとえ私たちが厄介者でも、生徒ですもの。他の軍曹たちから許可が下りないわ」
 屋敷に届いた親書にはヴェデドース軍曹の落款があった。軍曹たちの落款は個人的な文書ではなく、学校長が認めたときにしか押されない。落款が保管してある場所の鍵は、学校長が持っているからだ。すなわちイリアたちがオーカキス島へ派遣されるのは、学校の総意になる。
「以上の点から、誰かが嘘をついていることになるわね」
 イリアを振り返るシャルゼの笑みには、怒りが見え隠れしていた。踊らされるのが気に食わない、ということだろう。
 真剣な彼女の言葉にイリアは瞳を瞬かせる。歓迎された当初に感じた違和感は確かにあった。しかしいつの間にか、うやむやにされている。
「それは、そうかもしれないけど……」
 問題のある場所に生徒を派遣させるなど、学校側からすれば考えられないことなのかもしれない。
「でも、そうしたらどうなるの? 変なことは変だけど、どこがどう変で、どうすればいいのか、さっぱり分からないわ」
 シャルゼは視線を本棚に戻す。そこから無造作に本をつかみ取り、パラパラとめくって床に捨てる。新たな本をつかみ、再びページをめくってまた床に捨てる。その動作をただ繰り返す。何の意味があるのか分からず見守るイリアの前で、本棚の上段はあっと言う間に空になった。
「普段だったら、面白そうだからそのまま気付かないふりを続けるところだけれど――今は赤い海賊が来るかもしれない非常事態ですもの。そのうえ、面白くないことに私にまで被害が来たのよ。このまま済ませてたまるものですか。復讐は倍返しが鉄則だわ」
 イリアは心底、彼女の怒りが自分に向けられなくて良かったと思った。
 シャルゼは本をまた一冊、床に投げ捨てた。
 何年も放置されていたような、古臭い装丁の本だ。シャルゼが無造作に捨てることで、脆い本は綴りを緩ませてしまう。今にも切れそうだ。イリアは眉を寄せて、それらを片付け始めた。
「ヴェラークが使うこの部屋にならあると思ったのだけれど――ないわね。周到だわ」
「何を探しているの?」
 綴り補強を行った本を机に置き、イリアは顔を上げる。
 シャルゼはため息をつくと頭をかく。首を振ると見事な金髪が視界を舞った。昨日は演習の邪魔にならないよう後頭部でまとめていたが、今日は室内学習のときのように髪を下ろしていた。面倒になったのだろうか、とイリアは思う。
 そのときだ。
 鍵が外れる音が響き、部屋の扉が静かに開かれた。振り返ったイリアたちの視界の先で、カラドレットが部屋に入ってくる。
 彼はイリアの傍にシャルゼを確認すると瞳を瞠らせ、そして相好を崩した。
「ここにいたのか、シャルゼ=アーリマ。部下を呼びに行かせたのだが、君がいない、と青褪めて戻ってきたよ。可哀想なことをしたな」
 カラドレットはそう言いながらイリアに視線を移した。
 イリアはもはや彼を信じていいか分からなくなっていた。向ける視線は“胡散臭い”というもののみ。近づいてきた彼の胸元に視線を落とし、顔をしかめてしまう。その仕草に気付いたカラドレットは、ただ笑った。シャルゼが剣呑な眼差しを向けても受け流す。
「どうして、貴方は……」
 イリアは呟いた。
「なんだか混乱するわね。私でさえそうなのだから、イリアなんてもっとよ。説明なさいな、カラドレット=ゼロ少佐」
 彼の胸元には階級を示す紋章がつけられている。ただし、昨日までは『大尉』だった。今は『少佐』に変わっている。1人の軍人につき、与えられる紋章は1つのみ。辞令が下りた時点で、古い紋章はガヴィルート総督へ返還される。緊急事態の最中に辞令が下りることはあるが、紋章まで用意されていることはほとんどないため、カラドレットは元々二つの紋章を所持していたことになる。身分を偽ったのはなぜなのか。
 イリアは混乱したまま彼の紋章を凝視した。少し錆びているのは、使い込まれている証。新たに授かった物とは思えない。偽物でもない。しかし、先日まで彼が所持していた紋章も、偽物とは思えなかった。毎日のようにヴェラークの紋章を見ているのだから間違いない。
「イリア=カーデ」
 混乱するイリアを引き戻したのはカラドレットだった。彼は開け放してある窓に視線を向ける。
「貴方に1つ、頼みたいことがある」
「頼み……?」
 まだ揺れる内心のまま、声も揺らすとカラドレットは笑う。嫌味な笑いではない。好意的な笑みだった。
「エルミナを追いかけて身柄を拘束して欲しい。彼女は私から紋章を奪い、逃走している」
 嘘だわ、とイリアは言いかけて止めた。シャルゼの視線が突き刺さる。イリアは無言のまま拳を握り締める。
「シャルゼ……」
「癪だけど、知りたいなら動くしかなさそうよ。私ではなくイリアだけに頼むのも、何か意味があるのでしょうよ」
 悔しげなシャルゼの声にも、カラドレットは笑みを浮かべているだけだ。
「受けてくれるかな?」
 圧力をかけるかのようにカラドレットは続けた。重たい空気に頭を取られるまま頷きかけたイリアは踏みとどまった。
「お父さまの、指示なの……?」
 そんなはずはないと分かっているのに問いかけるのは、牽制するためだ。オーカキス島のサーフォルー海軍は、現在すべてが本土の総司令部隊の指揮下に入っている。それを裏切る行為ではないのかと、あえて問いかける。
 カラドレットはあっさりと肯定した。
「無論だとも。貴方の父君が一番良く賛成してくれているよ」
「それならお父さまに確認するわ。その上で決めさせて」
「それはできない。悪いが時間がない。君も見たはずだな、洞窟の海賊船を」
 イリアは目を瞠った。エルミナもヴェラークも信じなかった話が、どこから彼に伝わったのか、不信感が湧く。イリアの言葉を制してカラドレットは続ける。
「彼らが上陸してきては、島民を巻き込んでの戦闘になってしまう。陸上での戦闘は得意ではなくてね。何としても海上で決着をつけたい。君たちを欺いてきた私を信用できないのは承知しているが、今は黙って私の命令に従ってくれないか」
 イリアは再びもどかしい思いが湧きあがった。散々迷って、1つだけ思いつく。
「私からも条件があります」
「ほう?」
 イリアの心臓が飛び跳ねた。上官の命令は絶対だ。条件など普通は存在しない。自分でも何を馬鹿なことをしているのだろうと思ったが、後には引けなかった。
「私が何も問わずに命令に従い、任務遂行した場合、シャルゼ=アーリマの特進を認めて下さい」
「今この場で申告すべきことかな、それは」
「私たちはまだ訓練生です。少しでも彼女と地位が離れていては、私が困ります」
 現状を知るための情報が欲しかったが、それを条件に上げてもカラドレットは口を割らないだろう確信があった。ヴェラークと相談をしてから、というものも条件からは外れる。ならば、忘れかけていた特進について保険をかけておく。単なる反抗心なのかもしれないが、イリアは引かない。
 先に根を上げたのはカラドレットだった。
 苦笑して頷いてくれる。
「分かった。条件を飲もう」
「ありがとうございます」
「では早々にエルミナを追跡して貰いたい。早くしないと間に合わない」
 急かすカラドレットの声は少しだけ焦って聞こえ、イリアは黙ったまま頷いた。
 それだけ切羽詰った状況なら、なぜヴェラークたちに事情を打ち明けて隊を動かさないのか。疑問はあったが、追及しない。イリアはただ敬礼した。
 シャルゼの不機嫌そうな視線が見守るなか、そうしてイリアは司令部を出たのだった。

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