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第四話

【三】

 楽園を襲撃した海賊は、当時、世界随一と呼ばれ始めて間もないサーフォルー海軍を手こずらせていた海賊だった。彼らの性質は極めて冷酷残忍。抵抗する意志のない者も楽しげに蹂躙して焼き払う。危険因子として、ジェフリス国だけではなく世界中から恐れられていた海賊だ。
 楽園に住む人々は長い航海を終え、ようやく安住の地を手に入れた所だった。長らく海上で過ごし、世界の情報から隔絶されていた彼らに、海賊の情報が伝わることはない。楽園は孤島であり、誰かが訪れることもない。そうであるから、彼らはそれが恐るべき海賊であると、身を持って知ることになる。
 海賊たちは楽園でひと心地ついていた人々を一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと叩き落した。手当り次第に島を侵略し、用済みとなった島々を焼き払い、多大な犠牲を残して次の島へ移る。
 命からがら逃げ延びることができた民は半分もいなかった。悪くすれば、四分の一にまで減っていたかもしれない。そしてその人数は更に減ることになる。なぜなら海賊たちはすべてを奪って行ったからだ。彼らが去った後には何も残らず、民たちは一からやり直さなければいけなかった。
 実を成らせる樹木は炭になっていた。
 喉を潤せる泉は干上がって泥を被っていた。
 楽園の島に元から暮らしていた動物たちは、海賊たちにほとんど連れ去られている。海賊船に乗せられなかった動物たちは面白半分に惨殺された。海賊の手から逃れた動物たちも、終いには炎に囲まれて息絶えた。彼らの肉は焼け爛れて炭に塗れ、とても食せるような状態にない。
 この後どうして人々は暮らせば良かっただろう。
 苦労して楽園に辿り着いた時、民たちが乗っていた船は役目を終えたことを知っているように沈黙した。その船をもう一度漕ぎ出すなど無理な話だ。彼らの命を海賊たちから救ったのは、楽園に足をつけてから暇潰しに作り出された、数隻だった。立派な装備など何もない。ただ海に浮かんでいるのがせいぜいの船。
 そんな心許ない船の上で生き延びた人々は呆然としていた。立て直そうにも希望が見えない。絶望の中で餓死していく者たちが続出した。気付けば人々は数える程しかいなくなってしまった。
 これまでは自分たちが生きていくために必要な、最低限の船しか狙ってこなかった。抵抗する者だけと武器を交え、略奪し、素早くその船から離れる。けれど自分たちが襲撃を受けた今、そんな偽善は消し飛んだ。憎しみの中で造り出した船に乗る。怒りをぶつけるために海賊となる。血を流すために無抵抗の者も追いかける。単なる自己満足だ。いつしか自分たちがサーフォルー海軍から手配を受けるようになっても、後悔などしなかった。
 いつ終わるとも知れぬ闇の世界に小さな希望を落としたのは少年だった。
 海賊の襲撃を受け、母親を殺された彼は、積もった憤りを力に変えた。世界でも稀と言われている能力を身につけた。
 少年の心情など、生き延びた者たちには関係ない。大切なのは、彼が敵を倒せる力を手に入れたこと。彼の就任式は瞬く間に行われ、船は彼を中心にして組み直された。飢えに苦しまなくなり、子どもを持てる頃に、ようやく笑顔が戻ってきた。
 少年を崇めて笑みを深める。
 ようやくの再誕。ようやくの安堵。
 仲間たちを殺し、今を生きる自分たちに絶望を与えた海賊に、ようやく復讐する力を蓄えた。目印は炎。人々の怒りを写し取ったかのような、赤い帆を大きく掲げた海賊船。


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 ダルスに抱えられていたイリアだが、今は下ろされ、自分の足で歩いていた。
 エルミナの指示だ。
 風による拘束を受けて歩きにくいところではあるが、ダルスから離れられたイリアは内心で安堵していた。打開策を考えながら、ダルスの背中を睨みつける。この男に敵う案が思いつかない。悔しさが込み上げる。
 イリアは視線を少しだけ横にずらした。
 姿は見えないが、後ろにいるエルミナの気配を見る。彼女はこのような事態を恥じることなく毅然と背を伸ばし、まるで部下を従えるかのように毅然と背を伸ばしていた。昨日まで見ていたエルミナとまったく同じ姿だ。その胸元には偽の紋章がいまだ燦然と輝いているのだろう。
「先ほども言ったけど、ダルス」
 ダルスが枝をしならせ、道を潜る。イリアも緩慢な動きでそれにならう。枝は勢い良く後方のエルミナを襲ったが、エルミナは手でそれを軽く払った。滴った雫が彼女に降りかかる。
「既に貴方の知るラヤダとは違うかもしれないわ」
 ダルスは少し振り返っただけで、無言のまま前を見る。小さく頷く。
 その横顔を見上げていたイリアは顔をしかめた。からかう笑みはない。
 イリアにとってはわけの分からないやり取りで、口を挟むことは控える。大人しく彼らについていき、情報を集めた方が得策かと考える。そう思い込もうとするが、それでも燻る憤りだけはどうしようもない。イリアは足を踏み鳴らすように、強く一歩を踏み出した。
 強引に前へ来たイリアに気付き、ダルスは微かに笑った。
 エルミナが不意に歩調を鈍らせて首を巡らせた。それとほぼ同時に、ダルスも表情を一変させて瞳を細めた。
「先を越されたか?」
 彼らの変貌に戸惑ったイリアだが、直ぐに気付いた。
 波の音に紛れて異質な音がする。ごく小さな音だが、聞き慣れていたイリアには何の音なのか分かった。
 出港の準備をする音だ。
 縄が勢い良く滑る音。木造の床が大勢に踏み鳴らされる音。帆が張られる音。
 イリアは眉を寄せる。幾多の音に紛れて、大勢の人の声がした。
「私が先に行く。貴方は外壁へ」
 短く告げたエルミナはダルスの脇を通り抜けようとしたが、腕をつかまれた。
「俺が行く方が早い。イリアを頼む」
 ダルスはイリアを拘束していた風を解くと突き飛ばした。エルミナが抱きとめる。体を翻したダルスの後ろ髪を容赦なくつかんで止め、引き寄せた。
「洞窟には私が。ラヤダに会うなら外壁へ行きなさい。彼らがどちらを選んでも挟めるわ。あとの選択は貴方に任せる」
 ダルスは口を開こうとしたが、エルミナはそれを許さなかった。一瞬にも満たない時間の中で、エルミナはイリアを強引にダルスに任せると走り出す。そのままカール鉱石の洞窟へ向かった。とても追いつけそうにない、素早い行動だった。彼女の痩身は直ぐに見えなくなる。
「どう、するの?」
 イリアはダルスを見上げた。彼らの関係は、本当に姉弟の関係なのだと納得できそうなやり取りだ。ダルスにこのような態度を取る女性を見たことがない。苦々しい表情でエルミナを見送るダルスだが、その瞳にはどこか心配そうな色が混じっている。
 ダルスは舌打ちした。
「忌々しいが、カラドレットの計略に乗せられてやるさ」
 不意にダルスの体が沈み込む。かと思うと、イリアは抱え上げられていた。
 驚いたものの、抵抗はせずに任せてしまう。結末がどのようになるのか知りたかった。そのままダルスは風を集め、瞬時に上昇する。
「赤の帆船」
 急上昇に首を竦めて耐えたイリアは、不穏な声音に瞳を開けた。
 かなりの高度に達しており、先ほどとは違った寒さが背筋を駆けた。ダルスの首に回した腕とは反対の手で彼の衣服をしっかりつかむ。
 数時間前までの雨が嘘のように晴れていた。薄い青が空を包んでいる。海上には黒い艦船が点在しているのも分かる。けれど、イリアたちがいる海岸近くにはない。これがエルミナの言っていたことなのかと、イリアは首をかしげながら納得する。
 周囲の状況を観察していると、前触れもなく下降が始まった。思わず悲鳴を上げたイリアだが下降は直ぐに終わり、ダルスはそのまま着地した。
 先ほどまでとは違い、足場の悪い岩肌だ。ずいぶん高い場所に来たらしい。風に体を攫われそうになり、イリアは息を呑んで恐々と周囲を見回した。岩場には青い燐光が舞い踊り、ダルスが踏み潰した場所からは高い音が発生した。
「カール鉱石の岩場?」
「そうだ。お前はこの中に海賊たちを見ていたな?」
 イリアは頷いた。ダルスはイリアを抱えたまま岩場の最端へ歩き、そこから身を乗り出す。眼下の海までは遥かに遠い。波の力でできた海蝕洞がカール鉱石の鉱山洞まで続いているのだろう、と直感で思った。
「今回はダルス1人なの?」
「ミフト大陸までは一緒だった。海軍の規制がかけられていたからな。適当なところで船を戻し、俺だけオーカキス島に来た」
 ミフト大陸にもサーフォルー海軍を派遣していたのだと、イリアは初めて知った。
「何が目的……?」
 湿り気を含んだ風が頬を撫でる。紫髪が風に遊ばれて視界を塞ぎ、イリアはかぶりを振って顔をしかめる。ふと海へ視線を投げると違和感に気付いた。波の高さが乱れている。
「また来るか」
 イリアの問いには答えず、ダルスは水平線近くを眺めながら瞳を細めた。イリアも同じ方向に瞳を凝らしてみるが、言葉の意味が分からない。だが直ぐに悟った。晴れていた遠くの空に暗雲が浮かんでおり、風は冷たさを増す。嵐が迫っている。これほど天候が変わりやすいのは雷季の影響か。
「出るならそろそろだな」
 ダルスの視線が眼下に向けられた。
 まるで墨汁を零したかのように暗雲は広がり、沖に浮かんでいた哨戒船が散っていく。ここには海賊がいるのに、とイリアは複雑な心境でその様子を見守った。そして息を呑んだ。
 足元の岩場から、赤い帆を広げた船がゆっくりと姿を現した。十三艦隊に匹敵する巨大ガレオン船だ。いくつかの砲台を持ち、漕ぎ手たちの櫂が何十本と回されている。風をつかめばかなりの速度を見込めるだろう。
 イリアを抱くダルスの腕に力が入った。
 赤い帆船は徐々に全貌を表す。やがて、船の中で最も高い物見台が現れる。そこには見張りが1人いた。自分に落ちた影を訝って見上げ、ダルスたちの姿に気付く。
 指差して驚愕の声を上げようとした男へと、ダルスはイリアを抱えたまま飛びかかった。

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