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第四話

【四】

 彼らが部屋を訪れたのは、イリアがダルスたちに捕らえられた頃だった。
 密談していたカラドレットたちは、唐突な彼らの登場に驚愕する。
 部屋に入ってきたのは、ジェフリス国で最上の地位を持つ三人の将だった。
 紫紺の識別色を与えられたマーラソス=バード中将。白銀の髪を丁寧に後ろへ撫でつけた初老の男性。二人目は紅碧の識別色をまとい、同色の瞳で部屋を眺めるイートシャン=ドーガ大将。そして三人目は青藍をまとうヴェラーク=カーデ大将。
 オーカキス島へ派遣された軍の全権を握る、そうそうたる人物たちの来訪に、カラドレットたちは反射的に体を伸ばして敬礼した。シャルゼは眉をひそめて彼らを眺める。緊張感が途端に高まる。
 将たちに続いて下士官たちが入ってきた。彼らは訓練された動きで素早く整列し、抜き身の剣を手にしている。
 企みが漏れたのかと冷や汗が流れた。
 数秒だけ皆を観察したマーラソスが口火を切った。
「カラドレット=ゼロ少佐」
「は!」
 敬礼していた腕を下げ、カラドレットはマーラソスを見つめた。彼の双眸は、オーカキス島が雷季に襲われたときの曇天色をしていた。分厚い雲の向こう側に隠された光に吸い込まれそうになる。彼が何を思っているのか、まったく読めない。
 カラドレットはヴェラークの視線を向け、少しでも情報を読み取ろうとした。けれどマーラソスの視線がそれを許さない。カラドレットに向ける視線は彼の動きを呪縛して動けなくさせる。強面の艦長たちに比べて穏やかそうに見えるマーラソスだが、眼差しを交錯させると逃れられない強さを感じた。
「昨今から今にかけて、貴殿の行動を確認させて頂いた結果、通達する」
 カラドレットの眉が寄せられた。背後で成り行きを見守っているザグレイたちの体が揺れる。
「現在海上に展開しているゼロ少佐の艦隊と、我ら三艦隊を入れ替えて頂く」
 カラドレットは双眸を瞠った。そのようなことをされれば、どこの警備が手薄になっているか直ぐに分かる。赤い海賊と接触を図っているだろう者たちは、悪くすれば味方からの攻撃を受ける羽目になるかもしれない。
 口を開きかけたカラドレットだが、圧力を持ったヴェラークの視線に気付いて堪えた。黙したままマーラソスを睨む。
「オーカキス島の、陸上巡視はこれまで通りゼロ少佐の部下に任じよう。異論はあるか?」
 こちらの意志確認をする上官など滅多にいない中で、マーラソスの確認は意外だった。異論ならばもちろんある。本来ならそのまま受け入れる命令も、今回ばかりは例外だ。不審さを上塗りする覚悟で口を開く。
「現在オーカキス島は雷季に見舞われております。島の人間ならば戻る見極めもつきましょうが、恐れながら艦長たちにおかれましてはオーカキス島の海は未知の領域だと申し上げます」
 直立不動の状態で将たちを眺める。顎を軽く引いて、挑むように投げかける。
 マーラソスは白眉の下からカラドレットを覗くように見た。静かな彼の物腰に、カラドレットは言葉を詰まらせる。
 数秒の沈黙が落ちた。カラドレットの反論はそれで終わりだ。
 豪快な笑い声が響いた。
 カラドレットの背後に控えていた三人はその声に怯む。体を揺らせたが、カラドレットは動じることなく笑い声の主に視線を向けた。先日までの顔合わせや会議で、彼の性質は理解していた。
 雄々しい体躯を揺らせて笑うのはイートシャンだ。
「バード中将は根っからの紳士であるからそれ以上は言えぬ。ならば我から言い渡そう。ゼロ家の少佐としてはいささか温い布陣に我らは飽いたのよ。明日になれば他の艦長も集まろうが、奴らにこの布陣を見られたのでは、我らは何をしていたのかと思われてしまう。それは不愉快だ。であるから、ゼロ少佐には海上指揮を離れて貰いたい」
 あけすけな物言いにカラドレットは唖然として腹を立てた。しかしイートシャンの言葉には無視できぬ事実が含まれていた。今は怒りよりもそちらを明確にしたい。
「オーカキス島に召集命令が出たのは三艦隊だけだったと思いますが」
「そんな物は一晩で一変する。総督からは新たな指示が下ったのよ」
 カラドレットの疑問を鼻で笑い飛ばし、イートシャンは腕組みする。
「数時間前、ミフト大陸でダルスの姿を見かけたと報告が入った。一度は船ごとミフトを離れたそうだ。だが奴らめ、何を思ったか再びミフトへ戻ってきた。生憎とダルスはいなかったようだが、待機していたラード艦長が一味を捕らえた」
 様子を窺っていたシャルゼは眉を寄せた。カラドレットの顔が青褪めていく。
「赤い海賊とダルス。両者が揃って何も起きぬわけがない。ついに両者を撃沈させる機会が巡ってきたわけだ。ガヴィルート総督は、両者が衝突するならオーカキス島しかないと断言された」
「……なぜですか?」
「総督の心情は我には分からぬ。だが、総督が何の根拠もなく断言するはずもない。総督の命令を受けて、足の速い艦からこちらに到着するだろう」
 イートシャンが部下たちに視線を向けた。それを合図とし、整列していた紅碧の軍人がカラドレットたちを取り囲み、中から1人が踏み出した。
「ゼロ少佐には新たな嫌疑がかけられた」
「嫌疑――」
「紋章の不法重複所持における嫌疑だ。騒乱の中心で指揮を担う者にはいつも監視がつきまとう。今も本土ではゼロ少佐の経歴について洗い出しが続けられている。こちらは不運だったと言わざるを得ないな。オーカキス島が騒ぎに巻き込まれなければ監査官が入ることもなかったのに」
 同情的なイートシャンの物言いにカラドレットは苦笑した。
 イートシャンはその苦笑を、単に「本当ですね」という意味合いに捉えたようだが、本音は違う。紋章の重複所持における罪など、カラドレットにはどうでもいいことだった。それよりも彼を粟立たせたのは、エルミナのことが露見したのではないかということだった。それが単なる杞憂だと分かって苦笑したのだ。
「ゼロ家の者としては遺憾な傷になるだろうが、この先、出世する道などいくらでもあろう。今しばらくの辛抱だ」
 イートシャンが顎を振るとカラドレットは両脇を固められる。そのまま連行されようとした。カラドレット自身は反論も抵抗もしなかったが、それを許さなかったのは彼に仕える部下たちだった。
「ゼロ少佐を海上指揮から外すのは間違っています、ドーガ大将!」
「なに?」
「黙れスロット!」
 彼らは単に、本土のよそ者にカラドレットが連行されていくのが許せなかっただけかもしれない。しかしその声は鋭く響き、イートシャンの眉が上がる。
 カラドレットの怒声にスロットは首を竦めた。しかし「でも」と食い下がるのはやめなかった。睨まれて怯えたスロットのあとを引き継ぎ、ザグレイが前に出る。
「雷季の天候が崩れるのは突然です。ときには竜巻が伴うこともある。兵に機転を利かすことのできる者は少ないです。私は、特徴を良く捉えたゼロ少佐が適任だと思われます」
「――ザグレイ」
 カラドレットの低い声が呟きのように洩らされる。
「オーカキス島の雷季を舐めるな」
 ティニスまでもが暴言を吐いた。
 彼らの怒りを受けたイートシャンは豪快に笑う。けれど瞳は笑っていない。反抗する三人をひと睨みすると表情を改める。軍事命令が下った以上、彼らの言葉は反逆を意味する。本土の厳しい階級制度から離れていたオーカキス島の軍人たちは忘れているのかもしれない。
 カラドレットは歯を食いしばった。自分1人が大人しくしていれば余計な追及は避けられ、エルミナにまで手が及ぶことはないと甘んじていようと思った。ことを荒立ててはいけない。しかし部下たちには伝わっていなかった。
 どうしようかと頭を悩ませたとき、ヴェラークが口を開いた。
「ドーガ大将。ゼロ少佐は私の艦につけて貰おう」
「……正気か、カーデ大将?」
 イートシャンは信じられぬとでも言いたげな視線をヴェラークに向けた。
 ヴェラークは静かに頷く。疑惑の目を向けられても平然としている。成り行きをただ見守っているだけのシャルゼを数秒見つめたあと、イートシャンに視線を戻す。
「私は初日のように濡れるのは避けたい。ゼロ少佐がいれば、雨が落ちる前に艦内へ避難することも可能だろう」
 酷いわがままだった。
 平然と告げるヴェラークにイートシャンは唖然とし、マーラソスは吹き出した。
 オーカキス島に上陸した瞬間、三人は酷い豪雨に見舞われた。そのとき、雨に最も悪態をついていたのはイートシャンだった。マーラソスはそのときの様子を思い出したのだろう。憤怒に染まったイートシャンがマーラソスを睨んだが、そのときにはマーラソスは笑みを消してそつのない顔を作っていた。何食わぬ顔でイートシャンの眼光を受け止める。
「どうだ、バード中将。良ければ中将にもゼロ少佐からの天気予報を伝えよう」
「ありがたいことでございます」
 マーラソスは芝居がかった仕草で丁寧に腰を折る。ヴェラークは小さな笑みを見せて頷き、次いでイートシャンを見た。
「ドーガ大将はいかがする?」
 イートシャンは怒りのためか震えていた。彼の部下たちが気遣わしげに主人を見る。その視線から逃れるように、イートシャンは踵を返した。憤然と扉に向かう。
「カーデ大将に任せる!」
「ではドーガ大将にも伝えることにしよう」
 ヴェラークとしては嫌がらせのつもりではなく、本気の言葉だった。しかしイートシャンは馬鹿にされたとしか受け止められなかったのだろう。扉の前で顔だけ振り返り、その場の皆を眺め渡して廊下に出る。直後、勢い良く部屋の扉を閉めた。残された紅碧の軍人たちが慌てて追いかける。
 イートシャン=ドーガに関連するすべての部下が部屋を出たあと、マーラソスは必死で笑いを堪えていた。烈火な性格のイートシャンが、年下のヴェラークに手玉に取られたことがおかしかったのだろう。
 ヴェラークはイートシャンの八つ当たりに眉を寄せる。
「あんなに短気な堅物と一緒では先が思いやられるな」
 そう呟くヴェラークも、仲間内では充分な堅物として有名だった。マーラソスは堪えきれずに軽く吹き出す。慌てて繕ったものの、我慢すればするだけ腹が痙攣する。彼の部下である紫紺の軍人たちが、珍しげにマーラソスを眺めていた。
 ヴェラークはマーラソスを見たが、咎めることはなかった。そのままカラドレットに向き直る。彼はまだ縄をかけられたままだ。自ら近寄って縄を解く。
 カラドレットは顔をしかめた。ヴェラークに縄を引かれた際、小さく耳打ちするような声で「馬鹿者」という言葉が聞こえた気がした。
「これまで哨戒に出ていたゼロ少佐の艦は半分に減らし、乗員たちはすべて岸の警備に当てる。私の配下たちも半分を陸地に残し、残りを海上に出す。恐らくドーガ大将は他の艦隊が到着する前に片をつけたがるだろうから、牽制しなければいけない。あれでは見つけた瞬間に撃ち殺しかねない」
 カラドレットはヴェラークを見上げた。彼の瞳は真っ直ぐにカラドレットを映している。そこに秘められているのは怒りだ。敏感に捉えたカラドレットは苦々しく舌打ちする。
 イリアを外に出したことも、エルミナを外に出したことも、ヴェラークは気付いていると悟った。でなければ、カラドレットがいくらオーカキス島軍の全権を握っていても、こうまで易々と事が運ぶはずがなかった。ある程度は仕方ないと考えていたが、まさかすべてを知られているとは思っておらず、カラドレットは軽く落ち込んだ。
「こうなったら仕方がない。シャルゼ嬢にも私の傍について貰い、その能力を使わせていただく」
「軍律を重んじていたのは誰かしら?」
「貴方はドーガ大将が短気を起こす場面を見たいか?」
「お断りだわ」
「であればしっかりと牽制を頼もう」
 シャルゼは大きなため息をついた。
 ヴェラークは部屋を見渡し、やり取りを窺っているマーラソスの視線に気付く。良心は咎めたが、人払いをするように彼を部屋から出そうとした。カラドレットと裏のある話をするため、彼に聞かれていては都合が悪い。
 数年前、カラドレットを部下から外したときのように、再び海賊と接触を図る。
 マーラソスはヴェラークの視線の意味に気付いて紫紺の部下たち全員を退室させた。しかし自身だけは部屋に残る。
 戸惑うヴェラークへ、高齢の彼は好々爺の笑みを見せて告げる。
「先ほどの件で、私はヴェラーク=カーデという人物が好きになりました。何の企みかは存じませぬが、仲間に入れていただきたい。そちらのお嬢さんの能力を持ってしても、私はここを動かぬ覚悟でございます」
 決然とした口調にヴェラークは驚いた。しばらくマーラソスと視線を交わしていたが、何を感じたのか、彼に応えるようにヴェラークもまた笑みを浮かべた。

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