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第四話

【五】

 船長の代替わりが行われてから半年が過ぎていた。
 男は前船長を倒し、その娘を妻にし、新たな船長として君臨した。
 港町で乗せられた男だった。まさか彼が船長になるなど、当時は誰も想像していなかった。予想外に力を見せつけ偉業を達したとき、彼は祝福され船長に迎え入れた。少なくとも前船長は信頼で乗組員たちを繋いでいたわけではなかった。残虐な性質で誰よりも強かったため、震えて従っていただけだ。ごく僅かに逆らうものが刃を向けても、船長に傷を負わせることもできなかった。晩年には気が触れたような言動も繰り返された。
 比べて、新たに船長となった男の言葉には揺らぎがない。彼が為すことはどれも芯が通っている。何が彼を駆り立てているのか分からないまでも心強さを感じる。新たな船長は皆を信頼で繋いだ。皆は強い憧憬を抱き、自分たちの未来を彼に託す。
 さすがに毎日の流血沙汰は飽き飽きしていたこともある。新たな旗揚げに皆は喝采したものだ。しかし男は、恐怖の対象だった赤い帆を外さない。しばらくそのまま海を漂流し、積んだ食糧が腐る直前に新たな進路を発表した。
 男は、自分の生まれ故郷に戻ることを皆に伝えた。1人1人に、船を下りるよう強く勧めた。理由は明かさない。まるで突き放すかのような物言いだ。
 皆はしばらく絶句し、やがて怒りを覚えたが、その怒りは長く続かなかった。ほとんどの者が新しい船長と航海を共にすることを選んだ。実際、巨大なガレオン船は乗組員がいなければ航行不能だ。誰も乗せずにどうやって家まで帰るんですか、と陽気に笑った。船長はしばらく無言になったあと、新たな部下たちと笑いあった。
 そうして新たな目的地が生まれ、意気揚々と漕ぎ出したはずであったのに。
 運悪く海軍に見つかった。ジェフリスの主力艦隊に阻まれれば突破できない。幸運だったのは、最初の主力艦がマルク諸島を視野に入れた哨戒用の艦だったことだろう。船長が代替わりしてからほとんど使っていなかった砲門を開き、白兵戦に持ち込まれる前に撃沈させた。
 そのままジェフリスの領海を横切ろうと勢い付く男たちだったが、船長はそれを許さなかった。航路を変え、逃走の道を探り、最速でその場を離れるよう指示をした。
 結果的にそれは正しかった。十三艦の1つが沈んだあと、なぜかその領海にはいないはずの主力艦が現れたからだ。
 速度はほぼ同等でつかず離れずを保ち、補給もできずにオーカキス島まで辿り着いた。わずかな風力差で隠れる時間ができた。思いがけないカール鉱石の収入に皆が湧き、これからだと意気込んだが、皆の体力はそれほど長い時間、持ちそうになかった。重要な果物が底をついていたため、いつ血を吐くか分からない。
 海を黒く染める海軍を眺めた船長は、二回目の選択を皆に伝えた。男たちの答えは二回目も同じ。定住地を持たない男たちにとって、船長は唯一の拠り所だ。失うくらいならば彼に準じる。彼の選択こそが、自分たちの選択。
 これから賭けるものが無謀だと分かっていても、そうせざるを得ない。
 海蝕洞から船を出すときは嵐の来訪を待った。この船ならば、簡単には揺るがない。サーフォルー海軍も、揺るがない船は限られてくる。軍艦が減るときが最大の機会。男たちは警戒を怠ることなく慎重に船を進めたはずだった。しかし頭上からの襲撃だけは、対処できなかった。
「船長――」
 薄れていく意識のなかで走馬灯を巡らせていた男は船長を呼ぶ。
 届かないことは承知している。
 暗くなる視界の中、襲撃者を見上げて驚愕した。言葉はもう出ない。何も考えられなくなった。


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 身幅の広い刀を抜いたダルスは甲板を眼下に見据えた。
 物見の台にいたのはまだ年若い男だったが、手加減はしなかった。まだ晴れた空を血飛沫が汚す。彼の頭上はがら空きだった。そのような方向からの攻撃は予想もしていなかったに違いない。ダルスは「次からは気を付けるんだな」と冷笑したが、その言葉が男に届くことはない。
 共に飛び降りたイリアはその場に座り込んで青褪めていた。彼女の服にも血が降り注ぎ、汚していた。このように血生臭い現場は初めてなのだろう。血臭にあてられて、今にも倒れてしまいそうだ。
「さて」
 ダルスは狭い場所を確保するため、こと切れた男を見張り台から投げ捨てた。イリアの体が大きく揺れる。男の体は宙に投げられ、直ぐ下に位置していた横張りの太い梁にぶつかり、嫌な音を立てたあとはそのまま落ち、赤い帆に受け止められた。帆の色とは異なる真紅が滲み出す。
 ダルスは眼下を眺めて笑みを刷く。赤銅色に揺れる髪の毛と同じように、ダルスの内面も荒れている。長年捜し求めてきた海賊との対面に、狂気染みた歓喜が湧き上がる。風を孕んで膨らむ赤い帆を引き裂いてやりたい。
「探したぜ……」
 昏い瞳で呟くダルスは、自分が呟いたことにも気付かない。
 イリアは異様な雰囲気に慄いて、座り込んだまま後退する。
 見張り台のヘリに足をかけたダルスはそのまま飛び降りた。柄を持ち直し、目標目掛けて落ちていく。
 頭上での異変に気付いた男たちが応戦する準備を整えようとする。しかし、それを待つほどお人よしではない。風を使い、甲板に足をつけたダルスは勢いよく刀を振るった。年齢は関係なく、手近な者から斬り付けていく。
「襲撃だー!」
 1人2人、仲間が倒れていく様子を呆気に取られて見ていた男たちは、ようやく我に返った。どこかで銅鑼の音が鳴らされる。甲板は瞬く間に白兵戦の場となった。
 襲撃こそ突然だったが、それまで修羅場を潜り抜けてきた男たちは頭の切り替えも早かった。最初からダルスの不利は確定している。四方から飛びかかられて、風の力で吹き飛ばしたものの第二波が来る。それでもダルスは構わなかった。彼らに自分の存在を示すことこそが、目的だった。樽を背にして風に時間差をつける。二つの異なる風に、男たちは踏みしめて耐える。
 海蝕洞から出た船は風に誘われるまま島を離れて沖にいた。晴天は曇天に変わり、冷気が船を包んでいる。再び雷季の洗礼を受けるのだろうな、とダルスは漠然と悟る。
 ダルスを間近で見た男たちは一様に驚愕の表情を浮かべたが、問いかける暇は与えない。
「殺せ!」
 誰かが叫んだ。
 体格のいい男たちが揃って剣を突き出した。
 ダルスは足元にうずくまっていた男を強引に引き上げる。
 肩から腹を斬られていた男にはまだ息があったが、盾にされて事切れた。背中から仲間の剣が何本も突き刺さる。
 死体となった男の体ごと、男たちの剣をもぎとって力任せに投げる。襲い掛かろうとしていた男たち三人が、仲間の死体と共に倒れこむ。
「舐めた真似を!」
「よくも……っ!」
 目の前で育つ怒りにダルスは笑う。
 上甲板から弓が射掛けられた。
 気配で気付いたダルスは横なぎの風を起こす。矢は風に消え、風はそのまま射手たちを切裂いた。
「お前は何なんだっ?」
 目の前で起こった理解できない現象に、男たちはとうとう叫んだ。
 恐怖しながらもダルスを囲むように輪を作り、彼から数歩引いた場所で様子を窺う。逸った二人が左右から挟みこんだが、風による結界に腕が飛んだ。
 多くの視線に晒されたダルスは酷薄な笑みを浮かべた。
「帆ばかりでなく、船全体を赤で染めてやれば似合いだろう」
 海賊たちの中に激しい怒りが生まれた。
「――加害者は大抵、被害者の顔を覚えちゃいないもんだ」
 笑みを消して、ダルスは呟いた。
 船にはどれほどの人数がいるのか、次々と頭数が増えていく。
 ダルスは樽の上に降り立って様子を眺めた。充分に鍛え上げた能力を持ってすれば、いくら巨大な船だろうが沈められる自信がある。
 いくら囲まれてもダルスは焦らない。空への逃げ道はいつでも確保している。余裕ある表情を浮かべていれば、対峙する者たちは勝手に想像を膨らませてくれる。
 甲板を眺めていたダルスは、船内から出てきた男のうち、1人に視線を留めた。その視線に気付いたのかダルスを囲んだ男たちも振り返る。自然に道が開き、ダルスとその男は線で繋がった。
「船長」
 声をかけようとしたダルスよりも先に、海賊たちの縋る声が上がった。ダルスは声を失う。ようやく、船に乗る男たちが自分を見て、驚愕した理由が飲み込めた。
 歩いて来る男はダルスに良く似ていた。赤い髪を無造作に垂らし、良く似た眼差しでダルスを睨んでいる。背丈もほとんど同じだった。
 ダルスは唇を歪めて笑った。
「なるほど。船長ね」
 右後方から襲い掛かろうとしていた男を1人、ダルスは斬り捨てる。船長と呼ばれた男の表情に怒りが増す。彼はそのまま、手にしていた長剣をダルスに向けた。視線で周囲の仲間を牽制すると皆は下がり、その場にちょっとした決闘の場が設けられる。ダルスと男は向かい合って対峙した。
 ポツリ、と。
 甲板を濡らした一粒の雫が戦闘の合図。
 ダルスは斬りかかる。刹那の遅れもなく男も飛びかかる。
 何度か打ち合い、剣戟の隙に蹴りが入る。
 バランスを崩した男目掛けてダルスは突き出したが、男は敢えて倒れることで避けた。続けざまに繰り出された突きも、甲板を転がりながら器用に避ける。
「ラヤダ」
 一言だけ洩らしたダルスは彼から飛び退いた。
 その瞬間、それまでダルスがいた場所に矢が何本も突き刺さる。先ほどダルスが薙ぎ払った者たちとは別の射手たちだ。
 一対一の決闘の場に似せていたが、最終的には勝てればいいのだ、海賊というものは。
 惜しくもダルスを逃がした射手は舌打ちして次の矢を構えようとした。
 ダルスは面倒だと舌打ちを重ねる。船長を牽制しつつ射手を薙ぎ払おうとしたが、意外なところから号令が飛んだ。
「邪魔をするな!」
 叫んだのは船長と呼ばれた男だった。
 ダルスも射手たちも、驚いて男を見る。驚いたのは彼らばかりではなく、援護しようと構えていた周りの男たちも同じだった。
「この男は、俺が倒す……!」
 男は瞳に怒りを宿しながら息を整えた。
 ダルスは不可解に眉を寄せて唇を引き結ぶ。周囲の男たちが彼の命令に従う様を確認する。意識を再び男だけに向けた。
「お前は1人だけか! 他の皆は!」
「ここには俺1人だけだ! 島に皆、置いてきたからな!」
 激しい雨が降り出して横薙ぎのような風が吹く。あわや転覆かと思われるほど船が揺れた。甲板にいた者たちがよろけ、悲鳴を上げる。
 ダルスたちも例外ではない。海賊たちに押されたダルスは男から意識を逸らし、しまったと眉を寄せる。男に視線を戻したときには手遅れだった。
 尋常ではない近さにあった男の姿に目を瞠る。手加減する余裕はない。武器を繰り出し、腕に伝わった感触に後悔する。馬鹿な、という呟きが漏れた。貫かれた男は目の前で笑ったように見える。
 かつて失われた穏やかな日々を連想させる。取り戻そうと焦がれた笑み。
 呆然としたダルスは隙を作っていた。
「ダルス!」
 見張り台に置いてきたイリアの悲鳴が聞こえた。
 あいつはやっぱり置いてくるべきだったか、と場違いに考える。
 腹を貫かれた男は、渾身の力を込めてダルスに剣を振り下ろした。
 ダルスは風での防御を忘れて男を見ていた。
 振り下ろされた剣はダルスの肩に食い込む。痛みに顔をしかめる前に、男の腕に力が入り、そのまま男は剣を振り切る。
 左腕の付け根から、まるで切断されるかのように。
 かろうじて切断は免れていたが、剣は骨の半ばまで切断していた。
 ――時が止まったように男の瞳を覗いた。
 血を分けた家族。どこで道を違えたか分からない。取り戻したいと願っていた。
 心臓が音を刻んだ途端、深すぎる傷口から勢い良く血が吹き出した。
 ダルスは倒れる間際にイサミアを思い出していた。
 祭りが終わった直後から航海術を教え、イサミアは見る間に知識を吸収して上達した。傍にいたファートンが唇を尖らせるほどに。
 そのうちエルミナから赤い海賊の情報を受け、ようやく居場所をつかんだ歓喜に島の皆が湧いた。けれど殺気立つ大人たちと一緒に航海させたくないと思い、騙して島に置いてきた。そのはずだったのに、彼女はまるでイリアと同じように食糧庫にひそみ、ミフト大陸までついてきた。ダルスの目論見など分かっていたらしい。見回りの者からイサミアを見せられたとき、心臓が止まるかと思ったものだ。
 長年の復讐と、欠けた肉親を取り戻すことができる、千載一遇の機会。
 甲板に膝をついたダルスは両手を着き、肩の痛みにうめき、意識を失いかけた。
 打ち付けるように激しさを増した雨が容赦なく血を洗い流す。
「海軍だ!」
 ダルスは顔を上げる。船尾楼の向こう側に艦影が見えた。距離は近い。
 悪名を馳せた自分の運命もここまでかと悟る。笑みが浮かぶ。
 軍艦の砲門が開かれていた。その砲門がこちらに向けられていることを悟り、思わず空を仰ぐ。海軍たちの狙いはいつも主帆だ。赤い海賊だからと言って、船体を狙うことはあまりない。現在主帆にはイリアがいる。
 頭が割れそうに痛んだ。
 見上げた先の見張り台から、イリアが飛び降りた瞬間だった。
 その次の瞬間、体がバラバラになるような衝撃を受けてダルスの意識は吹き飛んだ。

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