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第四話

【一】

 時はイリアとダルスが赤い海賊船に乗り込んでから数時間を遡る。
 ジェフリス国サーフォルー海軍総督から、十三艦隊に緊急招集が掛けられてからしばらく後のことだ。
 ジェフリス国は長い間海賊たちに苦しめられてきた。
 今回の海賊を見過ごす訳にはいかない。何しろ今回現われたのは、ジェフリス国にとって長年の悩みの種であった“赤い海賊”だ。彼らはダルスたちよりもよほど長くジェフリス国に損害をもたらしている。海軍の威厳をかけて彼らを捕縛しようと、ジェフリス国は全軍を投入する勢いだ。
 “赤い海賊”は十数年前からジェフリス国の領海を侵して暴れてきた。船長は非常に好戦的で海戦に優れている。そんな彼らに対抗しようと、急ごしらえであったサーフォルー海軍も、世界一の海軍と呼ばれるほど成長をし続けてきた。
 ここ数年、赤い海賊を海で見かけることはなかった。おそらく海難に遭ったか、解散したのだろうと思っていた。しかし彼らは再び現われた。
 サーフォルー海軍はこれまでの被害を元に、これからの被害を予測し、総力を挙げての対策となった次第である。
 しかし完全武装が発令されたのは、激戦地になると予測された拠点のみ。
 ミフト大陸に派遣されたディールア=ラードは、のどかな海の様子を眺めながら欠伸を噛み殺していた。
「ふわぁ……あぁ、ふぅ」
 ディールア=ラードの隣に立つ部下、バンク=アットの視線がディールアに突き刺さる。他国で自国の恥をさらすなという意味の視線であろう。
 ディールアはそのバンクの視線を痛いほど感じながらも同じことを繰り返した。懲りない。自分とバンク、そして数人の部下たちしかいない司令室で自国の恥もあるもんかという考えだ。眠気衝動に従い、ディールアは今度は噛み殺すこともなく大きな欠伸をしようとした。
 見るに耐えかねたらしく、バンクは巨大な花束をディールアの顔面に突きつけた。
 目の前に突然現われた巨大な花束。
 ディールアは視界を塞いだそれに驚いて奇妙な声を出した。
 鼻から強く息を吸い込んで、拍子に花束まで吸い込む。盛大にくしゃみをする。
 測定器が正常に作動し、波の音が微かに聞こえる。あとは開け放している扉から、操舵室の様子が聞こえてくるくらいの音しかない、静かな部屋に、場違いなディールアのくしゃみが響き渡った。まさに、典型的な中年男の見本のようなくしゃみだった。
 ディールアは涙目になってバンクを睨んだ。しかしバンクは素知らぬ顔で、花束を更に押し付けようとしてくる。それはもういい、とディールアは顔を背けた。
「そんなデカイ花束、どうしたんだ?」
「先ほどの休憩中に外へ出た時、娘たちから渡されました」
 バンクは憮然としながら生真面目に答えた。
「この街の者たちは危機感が足りないと見える。私に贈る余裕があるなら、家へ戻って茨鞭でも作ればいい」
 ディールアは忍び笑いを洩らす。
 無味乾燥を主とする艦に不釣合いな花束は、娘たちの純粋な好奇心を表さんとばかりに華やかな色合いをしていた。バンクにはとても似合っていない。娘たちも、バンクの人隣を知らず、単に見てくれだけで懸想したのだろう。
 部屋にいた別の部下たちも、バンクが娘たちに花束を渡されている場面を想像したのか、笑いを堪えるように奇妙な顔をしていた。
「お前に花を贈った娘たちは災難だなぁ」
 バンクが女嫌いの無骨物だということまで見抜けなかったのだろう。
 ディールアは笑いを噛み殺しながら告げたが、バンクは苦々しく吐き捨てた。
「災難なのは私の方だ。目の前で捨てる訳にもいかず、役立つと言えば貴方の欠伸を止めることだけ。他には貴方に投げつけて、その笑いを黙らせるくらいしか使い道が思いつかない」
 バンクは言いながら腕を振り上げる。
 笑っていたディールアは真摯な表情を作って彼を見据えた。
 いくらバンクであっても、さすがに貰った女の目の前で捨てるような真似はしなかったらしい。他国で無礼とも取れる行動の、噂を流されることを慮っての行動結果なのだろうかと、ディールアは呆れたようにバンクを見た。
「まともに花を愛でろ」
「私には花の愛で方など分かりません」
 随分と堅物な言い分だ。ディールアはため息を零す。
 そして一番近くにいた部下に命じて花瓶を用意させた。
 無骨な艦に花瓶などというオシャレな物が存在しているかは疑わしい。案の定、部下は結構な時間をかけて花瓶を用意した。きっと港町から購入してきたのだろう。涙ぐましい努力である。そんな努力の結晶である花飾りをどこかに配置するよう部下に命じ、ディールアはため息をついた。花束が無駄に海に散ることはなくなった。
「――暇ですか」
「暇だね。暇で暇で仕方がない」
 花束に一区切りつき、再び海の様子を見守っていたディールアは頷いた。
 緊急招集が掛けられてから何十時間かが経過している。
 当初はシーア領地だけでの捕り物騒動であったけれど、いつの間にか状況は一転して全艦隊に召集が出され、舞台は異国にまで場所を広げていた。けれどディールアは戦闘に出たわけではない。今もこうしてのどかな時間を過ごしている。戦闘区域へ出陣することは許可されていないのだから、不謹慎ではあるが退屈である。
 元々、このミフト大陸に海賊が寄港する可能性はきわめて低い。それでも国王がディールアをミフト大陸に遣わした理由は、ディールア以外の艦長たちが経験浅く、ミフトの外交頭と定めるには力に乏しかったからに他ならない。ディールアは、ミフトとジェフリスを結ぶ、いわば外交のお飾りに抜擢されてしまった訳である。ディールアがそれで面白いはずがない。それでもこれは国王からの勅命だ。それを放棄して戦闘に出る訳にはいかない。
「俺もオーカキス島へ行きたかったぜ」
 ディールアの本音である。バンクの鋭い一瞥が投げられた。
「誰も聞いちゃいねぇよ」
 ディールアは肩を竦めながら続ける。
「ヴェラークも災難なこって。毎回毎回、総督から損な役回りを命じられるんだからよ」
「人柄ゆえでありましょう」
「陛下にとっちゃ扱いやすい人間なんだろ」
 ディールアは足を伸ばし、いかにも投げやりな態度でぼやいた。瞳を閉ざす。
「……でも、私としては貴方がオーカキス島やフート領地に抜擢されずにすんで安堵しておりますよ」
 緊張を孕んだバンクの声音に片目を開けた。
「それは俺があいつらとぶつかる可能性が高いからか」
「良くご存知ではありませんか」
 バンクはしれっと答える。
「指揮下に置くのは並みいる曲者ばかり。それでも余計な火種を極力生まずに任務遂行に当たれる能力は、カーデ艦長が最も優れていると思いますよ。そういった意味で、陛下のご判断は正しいかと思われます」
 ディールアは鼻を鳴らした。
「だがヴェラークには同情する。よりによって一番の堅物と一緒に派遣されやがったからな。ご愁傷様だ」
「上層に食い込む権力の持ち主でもありますからね。カーデ艦長を快く思っていないのは明白です」
 ディールアは深いため息をついて首を回す。
 そんな時、扉付近で慌しい気配が漂った。それまで安穏と過ごしていた船内がにわかに活気づき、新鮮な空気が入ってくる。
 門扉の問答を抜けて入ってきたのは、ジェフリス国には存在しない軍服をまとった青年であった。争いごとを好まないような穏やかな表情をしている。彼の周囲を取り巻く者たちは一様に緊張した面持ちで入ってくる。
 艦長、と呼ぶ声にディールアは視線を巡らし、訪問者の姿を目にして立ち上がった。入ってきた青年が「やあ」と言いながら片手を上げてくる。
 入ってきた青年は、ミフト大陸を守護する者たちの一人。ジェフリス国で言う所の十三艦隊と同じ役割を果たす者だ。ただしミフト大陸に海軍は存在しないので、彼が所属するのは陸軍部隊ということになる。
 ミフト大陸を訪れた当初に、彼とは既に挨拶を交わしていたため、ディールアは微笑んで彼らを迎え入れた。
「お勤めご苦労様です」
 部屋を出たバンクが操舵室で彼らを迎え、彼に続いてディールアも船長室から出てくる。笑顔で彼らを船長室へと招き入れた。
「ライデン閣下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「うん。本当はラミアスを連れて来たかったのだがね。彼らはこのような公式の場に出るのは似合わないと言って、断固拒否されてしまったよ」
 ミフト大陸で名を馳せている英雄、ライデン少将はその時のことを思い出すかのようにクスクスと笑った。地位相応に厳格な雰囲気を持つ彼であるが、微笑む彼は気さくで話しやすそうに思えた。
 ディールアは笑いながら「残念です」と返す。
「こちらとしてもカーデを向ける所、私が名代なのですから差引ゼロです」
 ライデンを卓につかせ、ディールアは周囲に視線を向けて飲み物を用意させる。気付いたライデンは素直に礼を言って視線を海へと投げた。
「他の者たちも招集させましょうか? 何か重要な」
「いいや、いいよ。海戦の能力はからきしだと言うのに抜擢されて、手持ち無沙汰なだけなんだ。貴方たちをこの地に留めてしまっているだけでも恐縮だというのに、他の方々の手まで煩わせる訳にはいかないよ」
 ライデンは謙遜したが、そんなことはない、とディールアは思う。
 確かに十三艦隊は便宜上ライデンの指揮下にあるが、この将軍にはお飾りである以上の能力を感じている。
 ライデンもまた、怖気ることなく堂々と艦隊に乗っているのだ。
 ディールアは肩を竦めて話題を変えることにした。
「ラミアス伯とは親しい間柄なのですか?」
「ああ。先の戦乱で同期だった。少し真面目すぎるきらいがあるから、向こうがどう思っているかは分からないが――私は親友だと思っているよ」
 ディールアは、まだ会ったことがないラミアスとやらに「ふーん」と頷いてライデンを盗み見た。彼の瞳は和んでおり、先程の言葉が偽りではないと知れる。
「では、ヴィダ=カーデのことはご存知ですか?」
「もちろん」
 他ならぬヴェラークの娘を出せば、ライデンは身を乗り出して頷いた。先ほどよりも輝く瞳でディールアを見る。
「一度、ジェン=ラミアスと挨拶に見えたことがある。さすがはヴェラーク=カーデの娘といった所か、肝が据わっていたよ。見事な娘だった」
 手放しで褒められ、自分の娘ではないがディールアはこそばゆくなった。今は遠い地にいる友人に、急いでこの評価を伝えたいような気がする。きっと彼は泣いて喜ぶだろう。
 いや、もしかしたら複雑な心境かもしれない。ヴィダがジェンとの交際を申し出、ミフトへ行くとなった時、彼は断固として反対したのだから。
 今になってようやくヴェラークは二人の婚約を認めたのだが、結婚までは至っていない。イリアなどはヴィダを送り出した時点で、彼女が嫁いだものと思っているが。
「ラミアスの名は我が国にとっても偉大な名ですからね」
「聞いたことがあるよ」
 話題が他に思いつかず、提供した話題にライデンは快く頷いて乗ってくれた。
「ジェフリス国七代目の王であったそうだね。十三艦隊の基礎を固めたのは彼であったそうだが――」
「ええ。彼の存在がなかったら、ジェフリス国は海賊に滅ぼされていたかもしれません」
 ライデンを座らせ、自身は立ったまま瞳を伏せた。
 そのことに気付いたライデンが慌てたようにディールアを椅子に座らせ、「気付かず申し訳ない」と軽く詫びる。
「彼は王位を返還した後は、国から姿を消したとか?」
「そうですね。王の代替わりが行われた後、彼についての詳細は文献に残されておりません。国を出たとも、反勢力に殺されたとも、色々噂されておりますが――」
「偶然の一致かもしれないが、ジェンがラミアスの息子で良かったよ。でなければヴェラーク大将の許しなど、決して頂けなかったであろうからね」
「俺もそう思います」
 ディールアは友人の仏頂面を思い浮かべながら、強く同意した。ライデンが笑う。
「ところで――ミフトに海賊は来ないという先日の提言は、信用していいものだろうか?」
 声音も雰囲気も変わらないのに、突然核心部分に触れられてディールアは戸惑った。他の者ならそれと気付かず安易に受け答えをしてしまうかもしれないが、これは国を相手にした重要会議に等しい会話。
 ディールアはライデンを見て、先ほど変わらぬ表情に言葉を詰まらせる。何も変わらないように思えるが、瞳だけはやけに真剣にディールアを捉えている。
 安易な会話で言質を取られるようなことがあってはならない。
 背後に控えていたバンクの戸惑う気配があったが、ディールアはライデンから瞳を逸らさぬまま口の端だけで笑んだ。
「ええ。我が総督のお考えに間違いはないですよ。私もそう思っております」
「余程の自信があるのだな」
「総督を信じられねば十三艦隊の将軍を務め上げることは出来ませんからね」
 厳かに頷くとライデンは喉を鳴らした。椅子の肘掛に肘をつき、拳で頬を支えながら笑みを深くする。
「当初海賊が現れたのはミフト大陸から見て北に広がるアイスス海。海賊はこちらの潮流に乗り、高速でサーフォルー大陸を横切りました」
 機転を利かせたバンクが海図を用意し、ディールアは受取って卓上に広げた。様々な情報が書き込まれた、艦長専用の海図にライデンは身を乗り出して興味深そうに眺めた。その顔つきは軍人の物だが、半分以上が好奇心に溢れている。
「我が国ジェフリスを回り込むようにし、そこで我らが攻撃を仕掛けた。彼らのダメージは著しい物です。どこへ行くにしても補給が必要なはずです」
 地図上でジェフリス国を示し、ディールアは円を描くようにして海賊の軌跡を辿った。ライデンが頷く。
「我らが仕掛けた幾多の網を潜り抜け、海賊はタフォミア海へと出ました。アイスス海との海境では異なる海流が混ざり合い、ほとんど停滞している状況です。能力者を持たない彼らが他国へ行くには力不足であり、必ずジェフリスのどこかに身を寄せる必要がある。ですが、海賊船が寄港出来るような主要港にはすべて、我が軍が配属されております。彼らは自滅覚悟でジェフリスに来るか、少し先のオーカキス島に来るか、どちらかしかない。ミフト大陸まで辿り着けるような体力は残っていないでしょう」
 ライデンはしばらく示された海図を眺めていたが、オーカキス島を自ら指すと、その視点を下へずらした。
「こちらの大陸へは……?」
 オーカキス島より遥か南方にある、広い大陸。国王に統治されているサーフォルー大陸やミフト大陸と違い、そちらの大陸では大小様々な民族が共存する世界になっている。地図上で見れば、海賊たちはわざわざ危険を冒して近場の陸によるより、多少遠いがそちらの大陸へ走らせた方が成功度は高そうに思える。
 純粋な疑問らしいライデンの声に、ディールアは軽く瞳を伏せてかぶりを振った。
「そちらの大陸へ行くことは出来ません。瀕死のダメージを負った海賊でなくても――私たちでも、そちらの大陸へ行くことは困難なのです」
「ほう?」
「この大陸とミフト大陸、そしてサーフォルー大陸付近に流れる海流は三つあり、そのすべてがそれぞれ異なる性質を持っています。この海域は、三つの海流がすべて交じり合う特殊な海域なのです。流れは停滞し、風も凪ぎ、そして気紛れに竜巻が起こる。装備を万全に整えた我が軍でも突破することは難しい――」
「成る程」
 ライデンは納得したように頷いた。
「ではやはり、要はサーフォルー大陸、オーカキス島、ミフト大陸の三つになる訳か」
「先日説明されませんでしたか?」
「やはり専門外になると飲み込みも遅いものでな。すまぬ」
 ライデンへの説明は、ディールアが到着する前にされていたはずだ。
 もしかして初回の説明者が正確な情報を誤って伝えたのだろうか、とあらぬ疑念を湧かせてしまう。彼は苦笑してバンクに視線を向けた。
 バンクは心得たように海図をしまい、船長室には沈黙が横たわる。
 互いに何を話して良いものか思い悩み、先に沈黙を破ったのはライデンだった。
「では私の思い違いかもしれないな――」
 話しかけるというより、独り言が思わず出てしまった、と言った方が正しいライデンの声だった。ディールアが視線を向けると、ライデンは気付いたように瞳を瞬かせる。
「何か御座いましたか?」
「うん――」
 気まずそうなライデンの視線が船内をさまよった。口に出してしまったら仕方ないと諦めたのか、頷く。
「私はタフォミア海を通ってこちらに入港したのだがね。その途中、見かけない構造の船を見かけたのだよ。乗組員もミフト大陸の者たちとは少々雰囲気が違っていて、違和感はあったのだが――船はそのままミフトを離れ、先ほどディールア大将が指した海境へ去っていったから――もしかしたら、あの船がそうかもしれないと思っていたんだ。だが、そちらがそんなに危険な海域であるなら声を掛ければ良かったかな。まぁ、最後まで見送った訳じゃないから、途中で航路を変えたかもしれんが」
 ライデンはそう言いながら、一緒についてきた周囲の軍官たちを振り返った。彼らはライデンの視線を受けて、同意するように静かに頷く。
 ディールアは顎に手を当て、思案するように眉を寄せた。
 ――彼の中で、その船に対する答えは出ているのであるが。異国の将軍にそのことを晒すのはためらわれた。
「分かりました。こちらでも周辺海域に対する巡視を強めるようにしましょう。ライデン閣下におかれましてはお心わずらわせることなくお戻り下さい」
 頭を下げたディールアに苦笑が寄越される。ディールア自身、こういった大仰な態度や言葉遣いが好きではなかったため、顔を上げれば直ぐに気さくな態度に戻った。

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