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第四話

【ニ】

 いくつかの護送艦をつけて、ライデンを本部へ送る。
 その役目を別の十三艦隊将軍に任せたディールアは、険しい表情で海原を見渡していた。
 先ほどライデンから聞いた不審船の情報が気になっている。予想が正しければその船は、ダルスが率いている海賊船。まだこの近海にいるのかと、ディールアは焦燥を抱えながら探していた。
 青い海原に船影が過ぎると望遠鏡を構え、違うと分かると落胆する。
 ディールアのそんな様子を間近で見ていたバンクは首を傾げた。
「赤い海賊はともかく、ダルスたち海賊が出てくるとなると――これは幸運なことですか?」
 バンクは静かに問いかける。
 ディールアは何もない海原をもう一度確認してから彼を振り返った。
 バンクは顎を引く。これまで見たこともないような複雑な表情をしている。何をためらっているのか分からない。先ほどまでの彼とは雲泥の差だ。
 なぜそこまでこだわってダルスたちを捜そうとするのか不思議に思った。確かにダルスは海軍にとって天敵だが、別件の厄介ごとを抱えている今、彼らを血眼になってまで捜す必要はないと思える。
「艦長?」
「今、他の奴らに見つけられたら困るんだよ」
「手柄を立てたいということですか……?」
 バンクは眉を寄せながら問いかけた。
「まぁ、そういうふうに捉えて貰ってもいい」
 説明を省くディールアに渋い顔をする。彼の部下を長く務めていると、彼が権力に固執するような人物ではないことも分かってくる。今更の権力欲を見せられても信用できない。
 現在、ディールアの乗る艦は港を離れて海にいた。
 バンクは「困ったな」と鼻の頭を掻く。ミフト大陸から勝手に離れるなど許されない。ディールアはミフト大陸に派遣された艦隊の指揮官だ。赤い海賊を発見したならまだしも、捜すのは今回の事件に関係ないダルスたち。他の艦長たちから非難を浴びる、格好の材料となる。
「奴らには巡視とでも伝えておけ」
 バンクの心情を見越してディールアは声を飛ばす。
「現場責任者自ら巡視に行くなど前代未聞ですよ」
「ヴェラークは良くやってるだろ」
「あの方は別です」
 憮然として呟く。
 ヴェラークを取り巻く環境はまさに理想だ。信頼できる者が多くいる。ヴェラークが少しくらいの暴走をしても取り成し、良いように計らってくれる。それに対してディールアには、哀しいことに使える兵や将が少ない。ヴェラークのように勝手をやれば、醜聞として国王たちに伝わってしまう。
 ディールアは肩を竦めた。
「何とかなるさ。どのみちライデン閣下が見たって船が、本当にダルスたちの船なら先を越されるわけにはいかない。ヴェラークのためにもな」
「何をこだわっておられるのか分かりませんが――針路を間違えていますよ。滞留海域に踏み込み過ぎです」
 バンクは海図と照らし合わせて分析し、ため息を零した。いつもの航路と違う舵だ。ディールアが間違えるのも前代未聞だ。
 ディールアは望遠鏡から目を離すとバンクを振り返り、ニッと不敵な笑みを浮かべた。
「ダルスたちが出没する海域は限定されている。恐らく、この向こう側に奴らの拠点があるんだろう」
「それは――」
 バンクの瞳が見開かれる。彼の言葉が真実なら、直ぐに総督に連絡して全海軍を向かわせた方がいい。滞留海域に踏み込むには大きいダメージが予測されるが、それでも十三艦隊なら乗り越えられるだろう。
「赤い海賊たちの件が終わったら直ぐに召集かけられるように、陛下に」
「待て待て。だからそういうことされたら困るから、俺がこうして捜してるんだろ?」
 甲板から船内に戻ろうとしていたバンクは襟首をつかまれた。
 バンクは振り返ってディールアを睨む。彼の意図が分からない。本当に権力欲があるなら、積極的に報告すべきだ。主君のため、協力は惜しまない。しかしなぜ止められるのか。バンクの無言の非難をディールアはやり過ごす。
「奴らの根城なんか、俺とヴェラークは数年前からとっくに目星をつけてた。今更焦ることもあるまい」
「目星がついてた……?」
 初めて聞かされる事実に呆然としてバンクは立ち尽くした。
 ディールアの視線が甲板を眺める。バンクも無意識にそれにならう。ディールアの命令により甲板にも多くの軍人が割かれていて、結構な賑わいを見せている。
 実際にディールアと会話できる距離にいるのはバンクだけだ。喧騒と波音が邪魔をして、他の者たちへ声が届かない。
 ディールアの視線がそれを意味するものなのだと気付いて、バンクは顔をしかめた。軍人でいることに誇りを持っている身としては、正義に反するディールアの行動は褒められない。
「なぜ陛下にご報告されないのです!」
「それが陛下の望みだからさ」
 軽く肩を竦め、何でもないことのようにディールアは返した。
 バンクは言葉を失う。理解できずにディールアを見つめる。
「お前も長く軍にいると裏の顔が見えてくるだろう。ジェフリスにとって、ダルスたち海賊はまさに闇の部分だ。これまでにも何度か追いつめる機会があったが、陛下はあえて避けていた。俺たち同期も、それに同意している」
「……なぜ?」
「奴らの事情を知っているからさ。それでも海軍としては許しがたい奴らの過去だが、最近じゃ時間が解決して、ずいぶん穏やかになってきたと思わないか?」
 歴史上に現れたダルスたちは見境なく襲撃し、傷つけ、何の意味があるのか分からない爪痕を残しながら頻繁に接触してきた。しかし近年では襲撃数も減少し、損害も以前ほどではなくなった。それでも許しがたい野蛮な行為だが、国庫で損害を賄える程度には国力も回復してきている。
「個人としてはつかまって欲しくないわけだ」
「――理解、できません」
「ああ。それでいい」
 弱々しく呟いたバンクにディールアは笑いかけた。
「理解されて貰っちゃ攻撃力が落ちる。ただ、この艦の指揮者は俺だ。俺の指揮はそういう指揮だから、これからもお前の正義に反する行動を取るだろう。そのときは黙って従ってくれれば問題ない」
 ディールアは視線を海に戻し、見渡す限りの海原に瞳を細めた。
 頬をなぶる風は既にない。船員たちの間では様々な呼び名がつけられている魔の海域に入り込んだのだと感じる。空は突き抜ける晴天を見せていたが、どことなく嵐の前の静けさを感じて神経が昂ぶる。
「潮時か」
 ディールアは踵を返した。
 バンクの背中を叩き、甲板に出ている者たちにも中に入るよう指示を出す。これ以上踏み込めば確実に何かに巻き込まれる。任務遂行中に無駄なダメージを負うわけにはいかない。港に戻れば他の艦長たちがやかましく艦に乗り込んでくるだろう。船が見つからないことに落胆とも歓喜とも言いがたい感情を覚え、ディールアは言い訳を探すことに頭を悩ませる。
 しかしディールアが用意した言い訳は、結局のところ使われなかった。
 魔の海域から船を反転させてミフト大陸の玄関港へと戻る。そこに到着する頃、見張り台に立つ男から見慣れぬ船の停泊があると報告を受け、眉を寄せた。警戒区域に指定された港に停泊することはできない。少し遠いが別の港に停まるよう指示が徹底されている。それなのに見慣れぬ船が停まっているなど、あり得ない風景だった。
「俺がいない間なんの警備をしてるんだ」
 強引な商人に負けたのだろうか。
 艦長としては経験が浅い将軍たちを思い浮かべてディールアは苦い顔をする。しかし艦長としては経験が浅くても、彼らがこれまで歩いてきた軍人としての道のりは長いはずだ。
 甲板に出たディールアは船べりに足を早めた。船を良く見ようと瞳を凝らす。
 後ろにはバンクが律儀についてきていたが、その気配は揺れている。先ほど打ち明けられたダルスのことが尾を引いている。
 複数の艦隊に囲まれた見慣れぬ船に、ディールアは瞳を見開かせた。
 どうやら船は停泊したばかりのようだ。甲板には様々な人がうごめいている。他の艦長たちの姿もある。騒ぎが起こっているらしい。
 言い知れぬ胸騒ぎに拳を握る。
「――バンク。俺らが港を離れたのは失敗だったな」
「はい?」
 向こうの船の騒ぎに気付いたのか、バンクも顔を上げてそちらを凝視していた。
 定位置に碇泊したラード艦から隣の艦へ橋渡しが行われる。ミフト大陸の港は狭すぎて一隻しか入らないため、シーア艦へと梯子や板を渡し、シーア艦から港へ下りるという手間をかけなければいけない。
 ディールアは橋渡しが終わるや否や騒ぎの場所へ駆け寄った。
 見慣れぬ船上では複数の船員たちがしゃがみこんでいた。彼らの表情は苦悶に歪んでいる。軍の能力者たちによる制約を受けているようだ。
 第十番艦隊の艦長、ケヴィーヴァ=ラーダ。
 彼は風の能力者だ。ミフト大陸に派遣された艦長たちの中で、ディールアに次ぐ地位の持ち主である。そんな彼でも、動きを拘束したあとはどうしたらいいのか分からないようで、冷たい瞳で彼らを睥睨していた。
 ディールアは間に合って良かったと安堵しながらケヴィーヴァに駆け寄った。
「ダルスの船、か」
 ディールアは平静を装いながら甲板に居並ぶ者たちを眺める。動きを拘束された彼らだが戦意は失っておらず、瞳に怒りを宿しながら囲む軍人たちを睨んでいた。
 ケヴィーヴァは片足を下げてディールアに場所を譲る。
「ラード大将が巡視に出られてから直ぐです。不審船があると通報を受けました。貴方に指示も仰げず、ひとまず港に拘束しておこうと艦を展開させましたが、まるで自分から捕まりに来たかのような手応えのなさで……」
 口調に込められた非難を感じながらディールアは頷いた。捕らえられた海賊たちを眺め、その中に知っている顔があったことに目を瞠った。
 漆黒の大きな瞳をこちらに向けていたのはイサミアだった。
 けれどかつての爛漫な面影はない。どこか焦燥を抱え、激しい怒りに耐えているように見えた。向けられる瞳に親しみはない。あるのは敵意だ。
「どういうことなのか、私が話を聞こう。あまり大人数で囲んで、かたくなになっても困る。取調べは私1人で行いたいと思うが、どうか?」
「それは……問題があるのでは……」
 異議を唱えたのは複数の艦長たちだ。多数決で否決されたディールアは困ったように眉尻を下げる。さてどうしようか、気もそぞろに考える。
 イサミアが焦れたように声を上げた。
「取調べ、なんて暇は、ないわ。今すぐに船を出しなさい。時間がない」
 風に制限されているからなのか、イサミアは苦しそうに叫ぶ。
「時間がないとは?」
 ディールアが前に出て促した。
 記憶喪失から救い出して一転。彼女が敵だったと知ったエスバドの落胆は記憶に新しい。久々に見るイサミアは既に少女の域から抜け出て見えた。幼さが欠落している。
「私たちが掲げる、船長――貴方たちにとっては、単なる狼藉者でしか、ないでしょうけど。私たちの仇、赤い海賊が……オーカキス島に、いると聞いて、私たちはここにきた」
 イサミアを守るように囲む男たちは、眼差しで周囲の軍人を牽制していた。どれほどイサミアが苦しそうに訴えていても、男たちは口を挟まない。誰もが彼女に信頼を預けているように見える。
 ディールアは少しだけ感心した。さすがはダルスの妹だと思う。この歳で、もう人を率いる術を知っているようだ。
「赤い海賊は、我らにとって宿敵。海軍になど、やらせるものか」
 奇妙な気分となる。赤い海賊がダルスたちの島を襲ったとき、イサミアはまだ赤子だったはずだ。彼女に当時の記憶があるとは思えない。島の大人たちの嘆きを代弁しているに過ぎない。それでも、こうも強い復讐心を持てるものなのかと痛ましく思った。恨みや嘆き、そして怒りを仲間たちから継承したのだろう。彼らの絆はとても強い。
 イサミアの隣にはファートンがいた。一度しか見たことのない顔だが、覚えている。彼もまたイサミアに同調するように、瞳に怒りを湛えていた。
 こんなときだがディールアは笑い出したくなった。
「これはご挨拶だな。だがそれでどうする? 悪いがお前たちが海賊だと知ってしまったら、俺たちは裁きを下すだけだぞ」
「分かっている」
 イサミアは冷静に頷いた。膝にグッと力を込めて立ち上がる。それだけでも苦しいのか呼吸が乱れ、ファートンが気遣わしげにイサミアを見た。
「私たちが、お前らの財産を奪ってきたことは、事実だ。だが、その前に1つ頼みがある、んだ」
「イサミア」
 膝を崩しかけたイサミアだが持ちこたえた。ファートンが支えの腕を出したが、優しく押し返す。荒い呼吸を繰り返しながら顔を上げる。体の小さなイサミアには、他の大人たちに比べて負担も大きいはずだ。
 ディールアはケヴィーヴァを振り返って能力を解くように指示した。しばらくの逡巡があったが、ケヴィーヴァは指示に従う。海賊たちは途端に緊張から解放されたように息をついた。勢い余ったのかイサミアが尻餅をつき、思わず助けようと足が向きかけたが止まる。ディールアが動く前に、彼女の周りを囲んでいた男たちが助け起こした。
 イサミアは静かに顔を上げる。
「感謝はしない。お前の能力など、兄に比べればそよ風だ」
 甲板がどよめいた。ダルスの妹なのだと知れてしまった。
 能力を解いたばかりのケヴィーヴァが剣呑に瞳を細める。
「挑発に乗るな」
 ディールアが鋭く止めると、ケヴィーヴァは我に返り、恥じるように視線を落とした。イサミアの視線がディールアに向けられる。気付いたディールアは片頬を歪ませて笑う。
「それで? 勇ましいお嬢さん。肝心のダルスはどうしたのだ」
「……私たちをオーカキス島に連れて行け。知っての通り、私たちは兄の能力がないと動けもしない。だが、赤い海賊は必ず仕留める。ダルスは今、オーカキス島に1人で向かっている」
 どこまで話すべきか。最後、イサミアはためらうように声を揺らせる。
「まさか海賊の要求を呑むわけではないでしょうな?」
 ディールアは振り返った。同期のネトゥルー=オーガ中将が険しい顔で睨んでいる。古代紫に染められた外套を羽織った彼は、腕組みをする。
「海賊の要求を呑むわけではないが、赤い海賊が島にいるなら艦隊を動かす必要がある。全面的に信頼するわけじゃない。撹乱の可能性を考えて、艦隊の半分をここに残す。海賊たちも、勇ましい彼女だけを島に連れて行く。下手に大人数を連れて行って、ダルスに使われては意味がないからな。それに、ダルスの妹だというなら、人質の価値もあるだろう」
「だが……」
「ライデン閣下の判断は仰ぐ。現在の上司は彼だ。それなら問題ないだろう?」
 だが、ライデンへは表面的な判断を仰ぐだけで、実質の決定権を持っているのはディールアだ。その事実を知っているから皆は渋い顔をする。
 イサミアが苛々と口を開いた。
「お前らの内輪揉めなどどうでもいい。つまりはミフトにも人質を残せと言いたいわけだな。その条件は呑む。私だけがオーカキス島に行く」
 記憶喪失だった頃の印象とはまったく違う。
「では急ごう」
 ディールアは海賊の輪の中からイサミアだけを持ち上げた。海賊たちが一瞬だけ構えたが、直ぐに放棄する。イサミアも大人しくディールアに抱えられる。
「無為に時間を過ごして手遅れになってはいけない」
 ディールアはイサミアを下ろして微笑んだ。
「しばらくの間、私の管理下にいて貰おう」
「――望むところだ」
 あくまで凛々しさを失わない彼女に、ディールアは嬉しさを隠せずに笑い声を上げた。

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