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第四話

【三】

 イサミアは現在、第九番艦隊の船倉にいた。艦長会議の結果、ディールアが保護することに決まったからだ。先ほどディールアが結果を伝えに来た。
 ディールアと共に甲板で見た他の艦長たち一緒に来ていた。苦々しい表情を見る限り、ディールアが多少の無茶をしたのではないかと思われた。
 船倉に閉じ込められたイサミアには縄もかけられていない。傍に監視の兵士がいるというわけでもない。船倉に明かりはなくて暗いが、甲板で乱暴に扱われそうになったときのことを思えば、ここは安全な場所だと言えた。
 イサミアは積まれた箱の上で膝を抱え、波の音を聞いていた。
 ダルスが単身で赤い海賊の元へ向かったと知り、酷く不安になった。焦燥に駆られるまま追いかけようとしたが、船は風がなければ動けない。櫂で漕ぐには限界がある。そこでイサミアが思いついたのはミフト大陸に駐屯する海軍の存在だった。
 海軍に助けを求めるなど、どうかしていたとしか思えない。島を出て初めて出会った軍人たちがエスバドたちだったため、敵対関係であることを忘れていたのかもしれない。難色を示す周囲を強引に説得させて海軍の中に飛び込んだ。理由もろくに聞かずに拘束された。島の大人たちから聞いていた、海軍の非情さを思い出し、頼ろうと思ってしまった自分自身に怒りが湧いた。敵は敵以外にはならないのだと思い知った。
 ディールアが来なければどうなっていたか分からない。
 怒りに我を見失いそうな状況のなかで彼の姿を見つけ、安堵と同時にニの轍を踏むまいと警戒心を湧かせ、言葉を慎重に選んだ。効を奏したのか、こうしてディールアの保護下にいる。エスバドと違って正規軍人の彼を心から信頼することはできないが、非人道的な振る舞いをすることはないだろう。それだけでいい。
 殺風景な船倉の闇に目を凝らしていたイサミアは、抱えていた膝に頭を乗せると瞳を閉じた。波の音に耳を澄ませる。そうしていると、場所を忘れて海を感じることができた。海を遊び場としてきたイサミアは、波の音を聞いているだけで落ち着くことができる。
 仲間が一緒にいたときはダルスの代わりを務めなければと気を張り詰めていたが、今は誰も傍にいない。気を張り続けることは困難で、心細さに肩を震わせる。
 海軍は、海賊である自分たちの天敵。味方になどできないが、利用することはできる、とダルスから教えられた。
「お兄ちゃん……」
 オーカキス島にいたエルミナから連絡が入ったのは数日前のことだ。
 特殊通信で伝えられた情報は瞬く間に島中に広がり、復讐の火が再燃した。普段は陽気な大人たちが豹変する様子は、島の襲撃を知らない子どもたちに恐ろしさを植えつけた。
 島民たちの復讐の念は、誰からともなくダルスに集まった。そしてダルスはそれを引き受けた。
 そのときの様子を思い出したイサミアは頬を濡らした。
 波の音が変わり、船が揺れた。艦が出港したのだと悟る。
 ディールアが宣言した通り、彼はこのままオーカキス島へ向かう。ダルスを捕らえるまで、ミフト大陸に留めた仲間たちを殺すことはしない。
 イサミアは目元を拭い、足に力を入れると立ち上がった。大きな揺れによろけながら壁に向かう。丸い窓から外を覗く。海の様子を眺めようとしたが、窓の外は酷く混濁していて、良く分からなかった。
「死なないで……」
 ダルスは途中まで皆と一緒にオーカキス島へ向かっていた。しかし彼は突然、1人で船を飛び出した。仲間たちに、お前たちは島へ戻れと言い放った。赤い海賊の、船長の首を持って帰るから、島で待っていろと。
 オーカキス島に向かう途中、エルミナから何度か連絡があった。それでダルスの中で、何かが変わったのではないかと思う。そうでなければ風が凪いだところで仲間たちを放り投げるわけがない。島を出たときは確かに皆でオーカキス島へ乗り込もうと意気込んでいたのに。
 船にはファートンとレナードも乗っている。とうとう海軍に捕らえられたと知ったら、ダルスは何と思うだろうか。だが後悔はしていない。捕らえられた仲間たちも一緒だろう。
「お兄ちゃん1人だけ、なんてさせるもんですか」
 胸に強く刻むように呟いて、イサミアは再び近くの木箱に座り込んだ。
 あとどれぐらいで着くのだろう。
 首を巡らせていると、不意に扉付近の気配が変わった気がして視線をとめた。誰かの話し声が聞こえてくる。くぐもった会話だが、その会話にディールアの声を聞き取った。
 イサミアは扉に近づいて聞き耳を立てた。自分たちの船ならば、それだけで会話が聞こえてきていたが、さすがに戦艦であるこの船は頑丈に造られていて、話し声はくぐもって聞こえない。
 諦めて近くの箱に飛び乗った。用事があるならディールアは直に打ち明けるだろう。
 果たして、数分経たずに扉は開いた。
 顔を覗かせたのはディールアではなくて、イサミアは眉を寄せる。文官といった風情の男だった。彼は警戒しているのか険しい表情で船倉を見渡し、予想外に近くにいたイサミアに驚いて肩を揺らせた。イサミアが箱から飛び降りると、そこから動かないよう目で牽制して中に入ってきた。ランプの明かりが目に痛い。
「妙な真似をすれば斬るぞ」
 その言葉で、男が文官ではなく武官であることを知る。彼の背後にはディールアがいた。男たちから距離を取ったイサミアは、ディールアを確認して少しだけ肩の力を抜く。ディールアの両脇には軍人が1人ずついた。個人的な話は難しい。
 イサミアは鼻を鳴らして顎を逸らせた。なるべく傲慢に見える振る舞いを意識した。
「丸腰を相手に剣を突きつけるなんて、とんだ臆病者だわ」
 簡単な挑発に男は眉を上げる。けれど乗ることはなかった。
「詮議がある。部屋を出ろ」
「私はここでも構わないわ」
「我々が海賊に従うとでも?」
 ディールアの声は外から掛けられた。イサミアは頬を紅潮させて彼を見る。蔑まれているようで、居た堪れない。カーデの屋敷で見せた親しみはもうない。
 最初に顔を出した男がイサミアの背後に回り、背中を押して促した。今度はイサミアも反発することなく歩く。船倉から出ると鉱石ランプの明かりが眩しくて瞳を細める。先導する男の背を睨む、ただ黙ってついて行った。
 目的の部屋まではさほど離れていなかった。
 船倉と同じ階にある、広い部屋だ。船倉とは異なり、四方に灯りがあって、とても明るい。左側に片寄って、対になるように椅子が置かれていた。たとえ意表をついて迅速に行動しても、もう1つの椅子に座る人物は余裕で剣を抜けるだろう距離を取っている。床には敷物があった。位の高い者の部屋なのだろうか。
 ディールアとイサミア。その他の軍人が三人。部屋には合計で五人。
 ディールアが片方の椅子につくと、イサミアは背中を押されて促された。椅子に座る前に、微かに力を込めて床を蹴る。何のからくりもない。一呼吸置いてから椅子に腰掛けた。座り心地を確かめるように何度か身じろぎしていると、両脇に男が立つ。
 イサミアは余計な力を抜いて息を吐き、ディールアを見た。
「島まではどれぐらいかかるの」
「最速艦として恥じない距離を進んでいる」
 答えではない答えを返したのは、ディールアの右隣に立つバンク=アットだった。少しだけ彼を観察し、イサミアはディールアに視線を戻す。
「貴方は、海賊の娘とは口も聞けないのかしら」
 イサミアにとってはダルスが親代わりだった。ラヤダが貴重な船を奪ったことで周りからの疎外感は拭えない。風の能力を手に入れ、手の平を返した島の大人たちを親代わりに思うのは無理な話だ。しかしダルスを本当の親と思うには年齢が近すぎる。だからディールアと共に過ごしたとき、本当のお父さんとはこんなものかと思い、嬉しかった。そんな彼に嫌われるのは苦痛だった。挑発的な言葉を吐きながらも心は弱気だ。
 見返す瞳には、かつてあった優しさが少しもないように思えた。
 イサミアは精一杯の虚勢を張りながら唇を引き結び、必死にディールアを見つめた。それでも途中で沈黙に耐えかね、視線を逸らす。
 ディールアは直ぐに口を開いた。
「オーカキス島までは距離ががある。近づいたら貴方も甲板に出そう。それまで、貴方に誓って欲しいことがある」
「誓い……?」
 バンクが微かに眉を寄せてディールアを見た。その様子から、ディールアが軍人としてあまり褒められることを言っているのではないと悟る。しかしディールアはバンクの視線など構わないように続けた。
「私が呼びに行くまでは船倉で大人しくしていること。何があっても私の命令を聞くこと。1人で飛び出したりしないこと。私に嘘をつかないこと」
 およそ海賊に対する牽制の誓いとはかけ離れたものだった。
 何を言われるのかと構えていたイサミアだが、拍子抜けする。
「そんなことでいいの?」
 ディールアは頷いた。
「とても大切なことだ。守れるか?」
 二人の言葉を書きとめていた文官が顔を上げて奇妙な顔をした。手にした羽ペンが止まっている。バンクは苛立ち混じりのため息を吐き出し、視線をあらぬ方へ向けた。
 彼らの様子を見ながらイサミアは頷く。
「それでお兄ちゃんが助かるなら、いいわ」
「我らが行ったからといって、ダルスを助けるとは思わない方がいい。奴はジェフリスの敵だ。むしろ海に沈んだ方が助かる」
「貴方たちの大義は殺さず捕らえることだと知ってるわ。私を怒らせようとしても無駄よ」
 ディールアは苦笑して立ち上がる。対話を終える気配に気付き、咎める声が四方から飛ぶ。けれどディールアは却下した。その場で解放感に溢れた伸びをする。
「俺は長旅で疲れてるんだぜ。こんな娘1人、油断したって逃げられるもんか。取調べは事が終わったあとだ」
 イサミアは双眸を瞠った。ディールアは手の平をヒラヒラと振りながら部屋を出て行こうとする。そのあとをバンクが追いかける。
「向こうに行けばカーデ艦長がおりますからね。さては貴方、すべてを向こうに押し付ける魂胆でしょう」
 扉を開けるとディールアは微笑んだ。可愛くも何ともない笑顔だ。バンクは大仰にため息をつくと、そのまま何の追及もせず、二人で部屋を出て行った。
 残された者たちは呆然と彼らを見送った。

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