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第四話

【四】

 ディールアは仏頂面のまま甲板に出て海を眺めていた。
 四方に視線を移せば、同じ立場の軍艦がある。ディールアが一つ指示をすれば倍以上の働きをするだろう。
 オーカキス島へ行くための選抜はそれが基準だった。
 ヴェラークの支援をするために足手まといを連れて行きたくはない。
 けれどそうなれば、心配なのはミフト大陸に残してきた面々だ。海賊たちを丁重にもてなすまではいかなくていいが、乱暴を働くことだけは控えて欲しいと言い含めてきた。だが、彼らがそれを守るかどうかは信用できない。
 船倉で大人しくしているイサミアを思いながら、ディールアは苦々しく顔をしかめる。せめてバンクを置いて来ようかと思ったが、彼では牽制にもならないし、本人も嫌がるだろう。
「艦長!」
 呼ばれて振り返ったディールアは緑青の軍服を見た。
 操舵室で指揮を任せていたバンクが険しい顔をして向かってくる所だ。
 緊急であれば艦内放送が流されるが、わざわざ歩いて来るということはさほど緊急を要する連絡でもないことか。それとも大勢に聞かせるのが憚られる内容なのか。
 ディールアはバンクの形相を眺めながら「後者だろうな」と呑気に分析した。
 バンクはディールアに近づくなり彼の胸倉をつかみ、そのまま艦内へ連れ戻そうとした。
「で、ちょい待てバンク!」
 予期していない彼の行動に、ディールアは簡単に引き摺られかけた。艦のヘリをつかんで慌てて踏ん張る。バンクの手を振り払った。上官にこのような振る舞いをする彼ではないから余計に驚いた。
「まずは報告しろ」
「方々から通信が入っております。全て秘匿されるような方々ばかりです」
 睨み付けられたディールアはうなり声を上げた。
「あー……傍受がばれたのか?」
 海軍同士は今でもひっきりなしに通信を交わしているが、それは主要艦隊や主要拠点から交わされる通信のみ。その他の小さな拠点や船とまではやり取りしていない。彼らに何かがあったら主要艦隊や主要拠点に連絡をすることになっているのだから、あえて通信する必要はないともいえた。それに、そんな端々の通信まで聞いていては肝心の情報を聞き逃す恐れもある。
 だがディールアは、主要通信はバンクに任せ、その他の通信を盗聴するという法外な手段を使っていた。その通信の中には一般市民の日常生活通信まで含まれているため、バンクには黙っていた。
 バンクの一瞥は恐ろしく冷たいものだった。
「俺に任せて何をしていたんだと今すぐ海に突き落としたい心境ではありますが、いま貴方に抜けられては困ります」
 ディールアは観念して大人しく出頭しようとした。
 その時だ。
 スピーカーから耳障りな高い音が流れた。皆の注目を集めるための緊急放送だ。

『これより我が艦は、特殊部隊の支援を受けて更に速度をあげる。総員持ち場に戻り、衝撃に備えよ』
 ディールアは顔をしかめた。
 操舵室を掌握する少佐の声だった。しかしディールアは何も聞いていない。少佐の独断だ。けれどその指示はディールアの意志に添ったものだった。ディールアがいなくても準備は着々と進められていく。
 バンクが冷ややかな瞳を向けてくるのに気付き、ディールアは深いため息をついて両手を挙げた。


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 第九番艦隊がオーカキス島を捉えたのは夕暮れのことだった。
 船倉にいたイサミアは艦の気配が変わったことに気付いて顔を上げる。どこか騒がしい雰囲気が廊下から漂ってくる。歓喜ではなく、不安を与えるようなざわめきだ。
 イサミアが騒ぎに気付いてから幾分も経たず、扉が開けられた。
 開けたのはディールア。
 扉を開けられた途端、喧騒がイサミアを包む。
「ディールア……?」
 イサミアは小さな声で呟いた。何時間ぶりかに見る彼の顔は険しく強張っている。彼の後ろで、何人かが慌しく廊下を走り抜けて行く。艦内は酷く混乱しているようだ。
 1人で来たディールアはイサミアに質問する隙を与えない。船倉から出てくるように促し、そのまま抱き上げると肩に担ぐ。
「ディールア?」
 眩暈に瞳を瞬かせて呼びかけるが、返答はない。ディールアはそのまま甲板に向かう。
 肩の上で揺られ、イサミアはしがみ付いた。何が起きているのか良く分からなかった。扉が開く音がして、潮の匂いがする。懐かしい香りだ。海を染める鮮やかな黄昏が見えた。
 島に着いたのだろうか。
 イサミアは瞳を細め、ダルスたちはどこにいるのだろうと視線を巡らせた。
 サーフォルー海軍の軍艦しか見えない。黄昏の色が毒々しく映りこんでいる。
 甲板に下ろされたイサミアは、軽く息を止めて両足を着けた。ディールアの腕が離れると少し寂しさを感じたが、彼が示す方を見ると戸惑いなど吹き飛んだ。
 制止も聞かずに艦のヘリに駆け寄る。ヘリをつかみ、落ちんばかりに身を乗り出す。
 不吉な色に染められた海面。静かな波間に浮かぶ船の残骸。沈むことなく漂う、赤い帆。
 それらは赤い海賊が沈んだことを意味していた。
「そんな……?」
 イサミアは足から力が抜けるのを感じた。そのまま座り込もうとしたが、何とか持ちこたえて唇を噛み締める。座ったら海が見えなくなる。気を張って自分を保ち、少しでも手がかりになる物はないかと海面を探る。
 イサミアの隣にディールアが立ってため息をつく。
「一足遅かった。通信は入っていたが、まさか本当に何も残っていないとは……」
 イサミアへの報告なのか独白なのか。彼はイサミアほど衝撃を受けていないようだが、それでも苦々しげに吐き捨てる。
「どういうことなの……? 説明してよ。お兄ちゃんは?」
 最悪の想像が脳裏をよぎる。そんなのは嫌だと叫び出したいほどの恐怖を覚える。縋るようにディールアを見上げる。ファートンが海難事故に遭ったときと同じくらい動揺している。
 ディールアの横顔は斜陽で輪郭が赤く彩られていた。
 イサミアは唇を噛み締める。涙を堪える。潮騒に紛れて喧騒が聞こえてきていた。すべてが終わったあとなのだろう。沈んだ人々の救済活動も終わり、残骸のみ。
 どこかの船に兄が捕らわれていないかと捜すイサミアだが、その端から、あの兄がただ大人しく捕まっているわけがないと否定する。
 ディールアは不機嫌に立ち尽くしたまま、視線を別の艦に投げた。イサミアもつられて視線を動かす。別の艦が向かってくるところだ。装備や大きさなどから、それも十三番艦の1つなのだと窺い知れた。
「ラード艦長。バード艦長がこちらへ」
「……ああ」
 いつの間にか側に控えていたバンクが耳打ちする。向かってくる艦は紫紺の旗を掲げている。
「海上で立ち話もなんだ。オーカキス島へ向かう話になるだろう。だが、てっきりヴェラークが来るもんだと思っていたが……さすがのアイツでも疲れたか?」
「さぁ……?」
 怪訝な思いは一緒なのか、バンクも首を傾げる。
 赤々と夕陽に染まる海上は、そろそろ残光も僅かになってきている。徐々に暗い闇が滲み出した。
 イサミアはディールアの影に埋もれるようにして立ちながら、近づき来る艦を睨みつけた。
 向かってくるのは、ヴェラークと共にオーカキス島へ先遣されたマーラソス=バード中将だ。彼はディールアの艦に横付けすると直ぐに渡ってきた。そして、イサミアの顔を更に蒼白にする事実を告げる。
 赤い海賊船を視界に捉えたとき、かの船はすでに騒然としていた。そこにはなぜかダルスがいた。仲間を連れてはおらず、無謀にも単身で乗り込み、能力を駆使して次々と海賊を切り捨てていた。
 事態を重く見た艦隊側はひとまず彼らを包囲し、威嚇砲撃して降伏を呼びかけようと、艦を展開させた。けれどそこで思わぬ事実が発覚する。ダルスと共に、海賊船にはイリア=カーデがいた。艦長ならば誰もが知っている名前だ。ヴェラークが作戦の中止を命じたが、その命令は迅速には伝わらなかった。
 展開する艦の指揮官はその場に三人いた。
 ヴェラーク=カーデ。イートシャン=ドーガ。マーラソス=バード。
 マーラソスはヴェラークに同意したが、異を唱えたのはイートシャン=ドーガだった。このままでは一人も捕らえることが出来ぬまま、海賊たちにまた逃げられてしまう。そう踏んだ彼は、迷わず砲撃するよう指示を出した。言い争う指揮官たちに砲撃主たちも戸惑いを隠せず、怒鳴りつけられた勢いのまま砲撃した。
 苦し紛れの砲撃。それは威嚇どころではなく見事に命中した。運が悪いことに、砲撃は船の命とも呼べる竜骨を損傷させた。船の中心を、船首から船尾へと繋いで走る主要部材である。
 言葉を失った皆が見守る前で、海賊船は見る間に沈没した。大規模な水流が発生して艦にも影響が出る。海に投げ出された人々が救いの手を上げるのを唇を噛んで見守り、その場を離れるしかなかった。ようやく救出に向かえたのは一刻ほど過ぎてからだ。それから助けられた者など数えるほどしかいない。
 混乱が続くそんな中にディールアたちが到着した。
 イリアもダルスも、赤い海賊の頭領も、安否が分からないままだ。
 艦をオーカキス島へ戻すすがら、マーラソスは概要を簡単にまとめて伝えた。

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