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第四話

【一】

 オーカキス島、サーフォルー海軍司令部。
 日が落ちても雨は降りやまない。格段に冷気を増した風が大地を駆けて、人々の不安を煽ろうとする。海賊船が沈んだことで事件は落着したかにみえた。けれど詳細を知らない島民たちはまだ息を潜めているだけだ。騒がしい周囲が落ち着いたことで奇妙な静けさが包んでいる。誰もが好奇心を疼かせているのに、踏み込めない緊張感。他国の駐屯軍ですら詳細を知らない。すべてを知るのは、サーフォルー海軍司令部に集結する、ごく一部の軍人だけである。
「なぜ私の命を待たぬまま砲撃させたんだ!」
「我は命中させよとは命じておらぬ。威嚇で放てと命じただけだ」
 怒り心頭で険しい顔をするヴェラークに、仏頂面で返すのはイートシャンだった。
 これまで何度繰り返されたか知らぬ二人の応酬。彼らを取り囲む十三艦隊の艦長たちは着いたばかりで状況判断もままならず、二人のやり取りをただ見守っている。唯一事情を知るマーラソスは二人よりも階級が下であるため、積極的に諌めることもできない。彼が紳士的な性格だということも災いしていた。苛烈な性格を持つ者たちに、怖じることなく触れることができるのは、やはり同じく豪胆で苛烈な性格を持つ者だけだろう。
 マーラソスはただ二人を見比べて困惑している。時折、二人の応酬が酷くなると止めようと腕は動くのだが、尻すぼみの声は二人に届かない。そしてマーラソスの側では状況説明を求めていいものかどうか、迷うように、到着したばかりの艦長たちが佇んでいる。
 部下たちは艦長たちを取り囲むようにして唇を引き結んでいた。
「あのような混乱の中で、砲撃主たちが集中できる訳もないだろう!」
「それは砲撃主たちが未熟者だからに過ぎない。聞けば、命中させたのはカーデ大将が率いていた艦だというじゃないか。我を責めるよりも、部下の未熟を責めるべきではないか?」
 淡々と返すイートシャンに、ヴェラークは絶句した。
 イートシャンはすべての艦隊に指示を出していた。総督から全権を委ねられた三人の艦長たちには、所属艦隊の垣根を越えて他艦隊へ指示する権限をも得ていたのだ。
 イートシャンの指示を聞いたヴェラークは顔色を失くして命令撤回を求めた。何しろ砲台先の海賊船にはイリアが乗っていると報告を受けたばかりだったのだ。
 イートシャンに事情を説明して撤回を求めるよりも、全艦隊に制止の指示を出す方が早いと判じたのはダールカだ。ヴェラークもそれに同意して全艦隊に制止命令を流した。同時に、イートシャンへ事情を話すよう、部下に指示も与えていた。しかしイートシャンは事情を知らないまま撤回命令が出されたことに怒り、伝令に耳を傾けぬまま再び砲撃の指示を出した。
 撃てと怒鳴るイートシャンと、即座に止めよと怒鳴るヴェラークと、どちらの命令を優先すべきなのか判断がつきかねたのは砲撃主たちだ。通常、連合として戦闘に参加して指揮官たちから異なる命令を出された場合、直属の上司の判断に順ずる。今回の場合も多くの者たちが通例に従おうとした。
 イートシャンが指揮する第七艦隊は威嚇砲撃を。ヴェラークが指揮する第八番艦隊は待機を。マーラソスが指揮する第六番艦隊は上層部の命令が固まるまで傍観する。第七艦隊が威嚇砲撃をする中、確かにイートシャンの言う通りヴェラークが率いていた一艦も砲撃をし、そして運悪く命中させたのだ。
 砲撃した艦はカラドレットを指揮官と仰ぐ、オーカキス島の軍人たちが搭乗する艦だった。海に出る際に、臨時的にヴェラークの艦隊に加えられた部隊だ。本土から離れていた彼らが命令に迷ったのは当然といえるのかもしれない。カラドレット自身がその艦に搭乗していなかったことも災いしていた。カーデ艦隊を護衛する布陣としての一艦だったため、誰も気付かなかった。
 悪びれないイートシャンの様子に、ヴェラークは拳を震わせた。剣呑な眼差しの中には殺意までも宿っている。辛うじて彼を押し留めているのは、大将という肩書きだ。
 ヴェラークが娘を溺愛していることは周知の事実だった。海賊船にイリアが乗っていたと報告を受けたイートシャンは、その時だけ微かに眉を寄せたが、それだけだった。もう砲撃は済んでしまったし、海賊船も沈んだ。これ以上なにもできない。
 海賊船が沈んだ海域は、海底深くへ潜る海流が発生している。沈んだものが浮かぶことはほとんどない。
 カラドレットから聞かされた海域の特徴にヴェラークは蒼白となった。必死の捜索が始まるが、いまだ発見の報告はない。自ら探索の指揮を執るヴェラークだが、その努力も報われない。日没を過ぎると探索は打ち切られる。それでも闇雲に捜そうとしたヴェラークは、半ば連行されるように島に戻った。因みに艦の者たちはヴェラークの安全を思って、どんなに強い命令を受けても決して艦を動かさない。ヴェラークは諦めるしかなかった。
 怒りに言葉も出ないヴェラークを一瞥し、イートシャンは腕組みを解くと、その場の全員を見渡した。
「赤い海賊が沈んだことは確かに我らで確認した。我らは本土へ戻り、総督へ報告する。後のことは少佐以下の者たちで収拾せよ。ミフト大陸で拘束したダルス一味も、総督への手土産になるだろう。ラード艦長、お手柄だったな」
 ディールアは静かに顔を上げた。彼はイサミアを部下に預けてこの会議に出席していた。とにかく状況が分からなければ何もできない。そうして出向いてみればイートシャン=ドーガとヴェラーク=カーデの応酬ばかり。しかし黙って聞いていれば朧気ながら状況も見えてくる。
 イートシャンはディールアを見て、力強い笑みを湛えていた。
「――ああ」
 ディールアは愛想笑いを浮かべることもなく真顔で頷いた。そしてイートシャンから視線を外し、呟くように告げる。
「だが、総督の望みはダルスを生きたまま捕らえることだった。赤い海賊に関しても同様だ」
「お前までがそんな事を言うのか」
 イートシャンは面白くなさそうに顔をしかめた。そんな彼にディールアは肩を竦めてみせる。
「結果論としては海軍の大儀を果たしたさ。総督もお前を賞賛するだろう」
 ディールアは片手を上げて、口を開きかけたイートシャンを遮った。そのままヴェラークに近づいて彼の肩を叩く。ヴェラークの瞳はディールアを映したが、その瞳は覇気を失っていた。憔悴ぶりが見て取れる。ヴェラークの背中を押すと彼は黙ったまま従う。ディールアはそのまま部屋を退出しようとした。
「ラード艦長がミフト大陸から連行してきた娘はダルスの妹だと聞いた。生かしておけばダルスの仇と見られるかもしれないぞ」
 背中を向けていたディールアは足を止め、振り返った。
「彼女を裁くのは私ではない。総督だ。戦闘の混乱を抜けた今、彼女に手を下せば、その者が裁かれることになる」
 暗に非難する言葉だ。イートシャンは鼻白んだように顔をしかめる。
「ならばあの娘に必要以上の情報も与えぬことだ。自殺を許せばラード艦長が総督の裁きを受けねばならぬぞ。監視を受け持っているのはラード艦長の部下なのだからな」
「それは気をつけよう」
 ディールアは静かに返すだけにとどめて部屋を出た。


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 サーフォルー海軍の指揮官たちが集まる部屋から少し離れた場所。
 エルミナが私室としている部屋には、小さな光炉が一つ灯されているだけだった。橙色をした明かりは心許ない。部屋の隅に忍ぶ闇は不安を増長させる。けれども橙色は確かに安らぎをもたらす。混在する矛盾に、エルミナはため息を吐き出した。
 肩を過ぎた髪は常に固く結い上げているが、今は結うこともせず、ただ肩に流している。鋭く気を張り詰めた普段からは想像もつかないほど弱々しい姿だ。エルミナから漂うのは壊れそうに脆い感情の揺れ。
 エルミナはもう一度ため息をつくと椅子に腰を下ろした。
 窓に視線を向ける。指揮官たちが集う、遠くの部屋の窓が、ここからは僅かに覗ける。会議はまだ続いているのか、窓からは明かりが洩れている。
 脳裏を巡る様々な想いに胸が潰されてしまいそうだ。いつもの平静さを保っていられそうにない。エルミナはテーブルに両肘をついて頭を抱える。
 カール鉱石の洞窟から連れてきた少女のことを考える。彼女はあれから一度も目を覚まさずにいる。現在も、エルミナの寝室で寝息を立てている。外傷はないようだが眠りは深い。本土の衛生兵に診てもらったところ、薬を盛られたのだろうと言われた。時間が経てば目を覚ますと診断を受けて、安心した。そのためエルミナは、彼女に関してはさほど心配はしていなかった。しかし彼女の出身は気になる。海賊に捕らわれていたにしては、彼女には傷がなさ過ぎるのだ。そして診察した衛生兵に告げられた一言がとても気にかかっている。
 エルミナは眉を寄せて瞼を閉じる。
 海に消えたイリアとダルスの姿が浮かび上がる。続いて、赤い海賊船に属していたラヤダの行動。
 彼らを思うだけで胸が痛む。今すぐ探索船を奪って飛び出したい。
 恐らくはヴェラークも同じことを考えているだろう。
 エルミナは瞼をあけ、光炉をぼんやりと見つめた。
 ラヤダと交わした言葉は敵意に満ちたものばかり。島を出たことはもう怒っていないから戻ってきて欲しい、と素直に伝えれば良かった。後悔ばかりが生まれ出る。
 エルミナは次にシャルゼを思った。彼女はまだ正式な軍人でないのにも関わらず戦闘に駆り出された。それが彼女の望みでもあった。しかしカーデ率いる軍艦に乗った彼女は、その能力の高さを評価され、能力を常時使用していた。片時も休むことはない。
 カーデ本艦に乗っていたカラドレットやヴェラークは休むように進言したのだが、彼女は聞き入れることをせずに能力を駆使し続けた。挙句にイートシャンを止められず、目の前で海賊船が沈む様をただ見ているだけしか出来なかった。船が沈むのを悟ったシャルゼは直ぐに飛び出そうとしたのだが、カラドレットが止めたのだ。砲撃はまだ続くかもしれず、そんな危地にシャルゼを行かせる訳にいかなかった。
 目の前で沈んでいく船を、強く唇を噛み締めながらただ見ているだけしかなかったことは、彼女の心に強い負担を与えたのだろう。そしてイリアは行方不明のまま見つからない。能力の酷使による消耗と心痛でシャルゼが倒れたのも、無理ない話だった。
 シャルゼは現在、彼女とイリアが利用していた将校室に寝かされている。彼女の意識はまだ戻らず、部屋には本土からの軍人たちが護衛として常にいる。監視と似たような意味だ。
 エルミナもシャルゼと扱いは似ていたが、ヴェラークの計らいによって、本土の軍人ではなくオーカキス島の軍人たちが監視を受け持っていた。そして部屋の中には配されず、扉の前で衛士の役目をしているに過ぎない。
 光炉を見つめていたエルミナは、ノックの音に顔を上げた。
「……どうぞ」
 本当は誰にも会いたくなかった。このまま眠りに就いてしまいたい程だったが、眠気は全く覚えないのだ。神経が昂ぶっているのだろう。
 エルミナの応じる声に、扉は直ぐに開かれた。
 会議を終わらせた本土の軍人たちが、これからの処遇を伝えるために訪れたのだろうか。そう思ったエルミナは、そこにあった人物の姿に瞳を瞠らせた。予想は見事に裏切られる。顔を出したのは、自由に動くことすら許されていないだろうカラドレットだった。
「カラドレット……!」
 エルミナは勢い良く立ち上がった。
 その様子にカラドレットは微笑んだ。扉を閉めるとエルミナに近づく。
「会議は終わったのですか? 良く入ってくることを許されましたね……!」
 弾むような心地を覚えてエルミナは紅潮する。先ほどまでの心痛が嘘のようだ。
 会議が行われていると思われる窓を振り返ったが、そちらではまだ光炉の明かりが洩れていた。人影も幾つかある。会議はまだ終わっていないのだろうか。
 問いかけるようにカラドレットへと視線を戻すと、彼は微笑みを湛えたまま頷いた。
「あの会議に俺は出席していないからな。今までにない量の軍人を側に侍らせて、俺はいいご身分だ」
「……カラドレット」
 それは単なる監視ではないか、とエルミナは口許に手を当てた。先ほど落ち着いた心臓を鷲づかみにされた気がした。急激に体が冷たくなる。
 エルミナの心情を理解したのか、カラドレットは困ったように苦笑して頭を掻いた。彼には冗談を言って和ませようという意図があったのかもしれない。
「スロットたちが手引きしてくれたお陰で、少し抜けて来れたんだ。泣いていやしないかと思って」
 確かにエルミナの目尻は滲んでいた。カラドレットの手が伸びてきて、エルミナは慌ててそれを振り払おうとする。これ以上情けなくなりたくない。しかしカラドレットはそんなエルミナの手をつかみ、腰を屈めて覗き込んでくる。エルミナはその視線から逃れるように顔を俯ける。
「申し訳ありません。私のせいで、貴方には迷惑ばかり掛けています」
 カラドレットは少しだけ首を傾げた。部屋を見渡し、先ほどまでエルミナが座っていた椅子を見つけると促した。エルミナだけを座らせて、自分は彼女の前に膝をつく。
「俺が好きでやっているんだから、気にするようなことじゃない。迷惑は、島で見つけた最初から覚悟していた」
 下から覗き込むようにしながらカラドレットは笑う。
「頼りない上司ですまないな」
「そんな、ことは……!」
 頬を濡らした涙はポツリと膝の上に落ちた。
 エルミナはかぶりを振って否定する。
「私が貴方に捧げる忠誠には一点の曇りもありません」
 固い言葉にカラドレットは目尻を下げる。
「俺が軍を追われるようになっても?」
「私が忠誠を捧げるのはカラドレットという人間、ただ1人。救っていただいた命は貴方だけのものです。もしも軍を追われるようなことになれば、私は貴方を海賊の島に連れて行く覚悟です。海軍から外れれば、貴方が海賊の仲間になろうが何だろうが問題はないでしょう? もちろん、それがお嫌であればどこへなりと、私はお供いたします」
 涙を滲ませていたエルミナは、後半部分だけに笑いを滲ませてカラドレットに問いかけた。頼もしい言葉にカラドレットは笑みを深めながらエルミナに口付けを贈る。
「エルミナが育った場所か。それは魅力的だ。だが、俺が軍を追われれば、あの島に贈る食糧がなくなるな。餓死者は出ないか?」
「もう皆、自給自足ができる量を与えられました。不相応なまでを望もうとは致しません。貴方からの補給路が断たれても、もう充分に生きていけるでしょう」
 カラドレットの首に手を回し、口付けに応えてエルミナは涙を拭った。
「私をここまで守って頂きありがとうございます、カラドレット=ゼロ。そろそろお戻りください。スロットたちの手引きがあっても、そろそろ巡回が来るはずです」
 カラドレットは眉を寄せた。
「――このまま押し倒したい気分なんだが」
「やめてください。スロットたちが待っているでしょう。あまり彼らを困らせないで」
 カラドレットは複雑な溜息をついて、エルミナの肩から手を外した。名残惜しそうにもう一度だけ口付けて立ち上がる。
「ダルスたちが見つかるといいな」
「大丈夫。彼らが死ぬことはありません。ダルスもイリアも、自然に愛された能力者ですよ」
 立ち上がるカラドレットに合わせてエルミナも立つ。そして強く断言した。
「ずいぶんと信じているんだな」
「先ほどまでは弱気でしたけどね。貴方のお陰で強気になりました」
 エルミナは微笑んで頷いた。その視線と微笑みにカラドレットの耳朶が赤く染まる。拳を握り締める。エルミナに向けて踏み出しかけた足をぐっと堪えて扉を振り返った。彼の懊悩を理解したエルミナは切なさを覚えて強い笑みを刻む。
「貴方のことも。信じていますよ」
 このまま離れることが忍びなくて、後ろから抱き付いて囁く。カラドレットが振り返る前に、素早く離れる。
 振り返ったカラドレットは、距離をとったエルミナに、非常に恨みがましい視線を向けた。
「いってらっしゃい」
 エルミナは安全圏で手を振った。カラドレットは拗ねるように睨んだが続かず、片手を上げて笑うと、部屋を出た。

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