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第四話

【ニ】

 オーカキス島司令部の一端。見晴らしのいい高い部屋に、イサミアは閉じ込められていた。
 内装は清潔で明るい。窓から遠くを眺めることもできる。
 しかしイサミアの内情は暗い。膝を抱えて床に座り込んでいる。寝台に背中を預けて俯いていた。
 島でいう寝台とは、せいぜい固い箱に草で編んだシーツをかけて横になるくらいだ。過分な贅沢に慣れたくなくて、床に座っている。
 これからどうすればいいのか見当がつかない。残してきた仲間のことも心配だが、ダルスが死んでしまったかもしれない恐怖の方が強い。
 考えたこともなかった。ダルスがいなければ島はどうなるのだろう。
 すべての機能を止めた機械のように座っている。
 誰かが部屋に近づいてくる気配を感じた。幾人も部屋の前を通り過ぎていく。その音に比例してくぐもった声も聞こえるようになる。
 誰かが入ってくるような気がして、イサミアは顔を上げた。
「あー、やっぱり意気消沈。死んでるねぇ」
「なに、死んでるっ?」
「言葉のアヤ。押さないでくれる? 痛いよ」
 なだれ込むように入ってきたのは三人の男だった。青藍の制服を着た彼らにヴェラークの姿を重ね、イサミアは少しだけ意識を現実に戻した。
 ザグレイに押されたスロットは顔をしかめ、服の埃を払うような仕草をする。
 三人が部屋に入ったあと、廊下から気まずそうな顔をした兵が覗き込んできた。扉守を命じられた監視者らしい。彼はティニスの静かな圧力を受け、「ちょっとだけですよぅ」と気弱な台詞を吐いて、扉を閉めた。
「本土の軍人は肝っ玉が小さいんだから」
 スロットが唇を尖らせた。
 イサミアは奇妙な三人組を見上げたままだ。ザグレイが目の前に膝をついても、生気のない瞳を向ける。
「自殺する気概も見られないな。おい、正気か?」
 ザグレイはイサミアの頬を軽く叩いて呼びかけた。
 考えることは放棄しても正気ではあるイサミアだったので、ザグレイのそんな行動が癪に障って払いのける。後ろで様子を見守っていたティニスが笑みを浮かべる。
「あのダルスの妹だというから見に来たんだが、似てないな」
「僕もそう思う。エルミナさんから聞いてた限りじゃ、ダルスって何が何でも負けない負けず嫌いみたいなのに」
 ティニスは扉の前から動かずに腕組みをする。そんな彼と同じ顔をしているスロットは無邪気な笑みを向けながら同意した。スロットはザグレイの頭上からイサミアを覗き込む。
「エルミナ……」
 イサミアが呟きを零すと、拾い上げたスロットはにっこりと笑みを向けた。
「彼女がどんな目にあったか教えてあげる。君が海軍に保護されたと聞いて、イートシャン=ドーガに飛びかかったんだ。僕、あの人キライ。エルミナさんを殴り倒したんだもの。ラード大将がいなけりゃ、彼女あのまま魚のエサにされてたよ」
 スロットは悪意ある笑みを湛えたままイサミアを見下ろした。
 顔色を失くしたイサミアだが、その表情は直ぐに怒りに塗り替えられた。スロットを睨みつける。
「何を吹き込みに来たのか知らないけど、私は海軍の思い通りにはならない。出て行って。自殺するとでも思ってるなら心配は無用よ。私はこの足で死刑台にのぼってやるわ」
「立派な覚悟だ」
 扉の前で外の様子を窺っていたティニスが手を叩いた。スロットと同じ顔の彼だが、感情に乏しいようだ。表情はほとんど動かない。
 イサミアは唇を引き結んで彼に視線を移す。
「今の道を選んだのはエルミナ自身よ。揺さぶろうとしても無駄。私たちは私たちなりに、ケジメも覚悟もあるわ」
 イサミアは立ち上がった。
 人形のように大人しかったイサミアの、生気に満ちた表情にスロットは驚き、笑う。
「安心したよ。僕らから取り返されたらどうしようかと思った。ゼロ少佐は絶対に泣くからね」
「俺らは戻るぞ。さっきから見張りがうるさい」
 ティニスが扉を開けると、先ほどの兵士が泣きそうな顔を覗かせた。「頼みますから」と懇願する姿に三人は肩を竦める。そのまま本当に退出した。イサミアは驚愕して思わず呼び止める。彼らが何をしに来たのか、意図が分からなかった。
 ザグレイが足を止めて振り返った。
「貴方が生きているならそれでいいんだ。どうやら死にそうにもないしな。それさえ確認できれば、俺たちは俺たちでやらせて貰う」
「たぶん君は本土に連れて行かれて死刑になるだろうけどね」
「スロット」
 去り際に口を挟んだスロットだが、直後にティニスの蹴りが跳んだ。向こう脛を思い切り蹴られる。スロットは悲鳴を上げてティニスに噛み付いたが、ティニスは当然だとでも言わんばかりの表情で、意にも介さなかった。
 イサミアは呆然と彼らを見送った。
 三人が部屋を出ると、難題をふっかけられた監視役の兵はイサミアの様子を確認する。神妙な顔つきで扉を閉めた。再び施錠される。
「死刑なんて、怖くないわ」
 イサミアは腰を下ろして呟いた。今度は床ではなく寝台に腰掛ける。消沈していた気分が少し晴れて、浮上した。必ずダルスを見つけてやる、と決意が生まれる。
 それから数秒も経たずに再び廊下が騒がしくなった。
 慌しい雰囲気にイサミアは顔をしかめる。また戻ってきたのかと立ち上がる。その瞬間、扉が勢い良く開かれた。
「まったく!」
 開口一番そう叫んだのは、何度か顔を合わせたことのあるバンク=アットだった。ディールア=ラードの副官だ。彼は不機嫌そうに部屋の様子を眺める。イサミアを一瞥するとそのまま部屋を出て行った。意味の分からない来訪だ。
 呆気に取られたイサミアは「はぁ?」と呟いて扉に向かう。扉に耳をつけ、そこから漏れてくる声を聞いた。
「ここには誰も通すなと指示があったのを忘れたかっ?」
 どうやらバンクは怒り心頭のようだ。声が大きい。扉に耳をつけなくても響いてくる。監視兵は複数人いるようで、情けない謝罪の声がいくつか聞こえた。恐ろしい上官を前にして縮み上がっている様子が目に見えるようだ。
 イサミアは小さな笑みを零した。扉から離れて伸びをする。今まで落ち込んでいたことが嘘のようだ。考えることも、やりたいことも、後から後から浮かんでくる。
 寝台に戻りながら真剣な表情になる。
「確かにお兄ちゃんたちがそう簡単に死ぬわけないと思うわ。あのお兄ちゃんですもの。イリアが側にいれば最強よ。みすみす見殺しになんてしないわ」
 自身を鼓舞するように、敢えて声に出す。
「それよりも残してきた皆だわ。私が何とかしないと、本当に死刑台送りになっちゃう」
 先ほどの言葉を思い出しながら腕組みをする。
 ディールアの姿を思い浮かべるが、彼に助けを求めるなどしてはいけないと唇を引き結ぶ。何とか皆に連絡をつける方法はないだろうかと考えるが、監視された現状では難しいことを再確認しただけだった。能力者でもないのに、そのような奇蹟は起こせない。
 イサミアはうなり声を上げて首をひねった。ディールアの姿が消えたあとに浮かんだのはエスバドの姿だった。もう何年も経ってしまったかのように懐かしい。逢いたいな、という思いが強まった。彼はこの島へ来ていないのだろうか。
 ダルスに連れられて何度か本土の近くまで来たことがある。だがいつもエスバドと逢うことはできなかった。イリアやシャルゼも同様だ。いざ逢うとなると、能力を持たない自分がいつも邪魔をする。
 航路を覚え、戦闘を覚え、舵の取り方を教わった。それらはダルスが死ぬ前に後継させようとしたものではないと信じたい。こんな風に消えるのは嫌だ。禍根を残した復讐の念は色濃く刻まれる。
 寝台に座ったイサミアは膝の上で両手を組む。
「平気よ。私がもし死刑台にのぼるようなことになったら、お兄ちゃんは絶対に助けに来てくれるんだから」
 記憶喪失となったとき、ファートンが処刑されようとしたときのように。
 イサミアは祈りながら微笑んだ。
 零れた涙は頬を伝い落ち、手の甲で弾けた。


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 十三艦隊の艦長にそれぞれ与えられた部屋。
 ヴェラークと共に彼の部屋へ入ったディールアは、彼の後ろ姿を見て顔をしかめた。すっかり意気消沈している。背中を丸めて床を見つめている。その瞳からは生気が消えていた。
「何てざまだよ、ヴェラーク」
 無理はない、とディールアはため息をつく。エスバドが目の前で沈められたら自分だって取り乱すだろう。ましてやミレーシュナの面影を宿した娘だ。ミレーシュナが亡くなってからずいぶんと支えになった。彼の心痛はどれほど強いか。
 ディールアはそれでも苛々と腕組みをした。親友だが、ヴェラークはディールアにとって憧れの対象でもあった。恐らく同年代で海軍を目指していた者たちすべてに支持を受けていた。そんな彼の今の姿が情けなくて、裏切られた思いだった。
「イリアは大丈夫だ。海に沈むところは見たんだろう? 砲撃の直接的な被害はなかったんだろう? なら信用しろよ。海に愛された自分の娘を」
 報告書のまま繰り返して力づけようとしたが、彼の表情は晴れない。弱い視線をディールアを上げる。腕の震えを抑えるように自分で自分の腕をつかむ。
「確かにイリアが海で死ぬ可能性は低いだろう。水の能力者が過去に溺れ死んだ報告はない。奇蹟的に助かったという報告は何度もある。そのことを言いたいんだろう?」
 ディールアは顎を引く。ヴェラークは視線を窓に移した。
「だが、それは平常時の状態でのことだ。今は戦闘中だ。どこに流れ着くのかも分からない。たとえ海で死ぬことがなくても、その先で死ぬことは充分に考えられる」
 ディールアはため息をついてヴェラークの視線を追った。窓の外は宵闇が覆っている。遠くにいくつもの部屋の明かりが見えた。
 シャルゼは許容を大きく越えた能力を駆使したせいで昏睡状態に陥っている。艦隊に所属する特殊部隊、能力者で編成された部隊を探索に出しているが、成果はない。元々シャルゼやダルスの能力がずば抜けているのだ。軍に属している能力者たちの力は現在弱い。だからこそダルスは今まで逃げ延びることができ、シャルゼやイリアには今から多大な期待が寄せられているのだが。
「陸に上がればダルスがいる。あの男がそう簡単にイリアを見殺しにするとは思えないがな」
「あんな奴にイリアを任せるなど……!」
 ヴェラークは大きな体を震わせた。
「奴がダルスでさえなければ、俺がこの手で捕まえ、死刑台に送ってやるというのに……!」
 私情を交えた父親としての怒りにディールアは苦笑する。本音だろう、と首を鳴らした。
「赤い海賊を捕まえ損ねたのは俺らだからな。あれがなきゃ、ダルスの本拠も平和でいられただろうに」
 苦々しい思い出話にディールアは舌打ちする。ヴェラークも、同感だというように深く頷いてため息を洩らす。
 オーカキス島でエルミナを保護し、ミレーシュナに助けを求められたとき、エルミナの存在を黙認した。ダルスたちに壊滅的なダメージを与えなかったのは罪悪感からか。単なる私情だが、総督も知ってのことだ。ミレーシュナを中心として別の力が働いている。
 だが、イートシャン=ドーガのような人物にとって、そんな私情など認められない。ジェフリス国に害なす海賊はすべて殲滅すべしと息巻く彼を止めるのは難しい問題だ。頭が痛い。
「総督、どうするかな」
 もうひとつの心配事を吐き出した。上官として君臨する彼だが、昔は同じ学舎で暮らす同級生だった。そこで育まれた友情は、十数年経った今も有効だと信じている。
「ガヴィルート総督の息子は……四歳であらせられたか」
「ああ」
 ディールアはただ頷くだけに留めた。海に視線を向ける。
 太陽は沈み、夜の闇がますます深まっていく。探索船も引き上げさせなければいけない。意外なことに、率先して探索にあたっているのはオーカキス島の駐屯軍だった。
 海面には月光の道ができている。静かに月の形を崩しながら船が横へ進んでいく。探索には不向きな鉱石ランプの明かりが、遠く離れたこの部屋からも点々と見えていた。膨大な量が使われている。それでも歓声は上がらない。黒々とした闇を湛えた海は、静かに波音を返すだけのようだった。

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