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第四話

【三】

 赤い海賊が海に沈んだ。
 その知らせがオーカキス島全土に渡ったのは翌日のことだった。
 怯えていた島民は活気に湧いて、見る間に元の生活を取り戻す。
 もともと多種多様な民族が入り乱れるオーカキス島では、自分たちの生活さえ守られれば、誰が何をしようが、周囲で何が起ころうが、大して気にしない。ごく稀にサーフォルー海軍司令部まで労いの献上品を届けに来る者もいるが、それも最初の一回きりだ。あとは忘れたように日常を過ごしだす。戻った彼らは島に司令部があることすら忘れるに違いない。
 オーカキス島の日常は戻った。だが彼らと同じにならないのは司令部だ。
 軍専用の港にはいまだ軍艦が碇泊している。港から少し離れた沖合いには哨戒船が出されている。定時には大型の艦も出され、海で行方不明になった海賊たちの引上げ作業に追われている。
 そんな中で十三艦隊のうち、ほぼ半数の艦隊がオーカキス島にいた。彼らは身を休め、ミフト大陸から残りの艦隊が到着するのを待っている。今回の収穫といえるダルス海賊の一味を連れて本土に帰るのだ。
 1人1部屋。さほど大きくない司令部に、十三人の部屋が専用に設けられた。臨時部屋だ。本来の部屋主は他の者たちと強制相部屋だ。相手が本土の海軍トップとなれば文句も言えない。いつか「俺の部屋にあの十三艦隊の艦長が泊まったんだぜ」と誇らしく自慢できる日だけを夢見て涙を呑む。
 ヴェラークは目の前に積み重ねられる報告書を目だけで追っていた。手を出すこともなく、ただ呆けている。その様子を見ていたディールアは頭を掻くが何も言わない。自分に届けられる報告書の合間にヴェラークの報告書も片付けていく。
 二人の艦長の側では、彼ら直属の部下たちも忙しく対応に追われていた。
「……ライデン閣下に礼状も書かんとな」
「後にして下さい。まずは陛下へのご報告が先です」
 ミフト大陸で総指揮を担ったライデンへの礼状であれば、頭を悩ませることなく書類を片付けられる。と軽い現実逃避で呟いてみれば、バンクに冷たく却下された。
 ヴェラークに与えられた部屋には、他にもダールカやシュスマンがおり、カラドレットたちもいる。スロットたちの姿まで見られ、人口過多だ。
 誰もが忙しく立ち回りながら、ヴェラークだけが何もせず時間を持て余している。昨夜からほとんど寝ていないらしい。疲れた彼の瞳にはときおり瞼のカーテンが下りてくる。黙って寝かせてやりたいとは誰もの胸の内なのだが、常に回線を開きっぱなしである海上からの通信が10分ごとに入り、そのたびにヴェラークは瞳を見開いて聞き入るのだ。
 通信を聞き終えた後、何の進展もないと知ると彼はそのまま海上へ赴こうとする。止めるのは至難の業だ。この部屋に集まっている者たちはほとんど、ヴェラークの暴走を止めるためだけに集まっていると言ってもいい。書類の整理は二の次だ。
 ――再び海上からの通信が入った。ヴェラークの気配が一変する。何かにとり憑かれたかのように瞳を爛々と輝かせて通信機を見つめる。
 誰もが作業の手を止めないまま、意識だけを通信とヴェラークの様子に向けた。
 数秒も経たないうちに通信が終わる。進展は、なし。
 ヴェラークが立ち上がった、その瞬間に周囲も作業の手を止めて立ち上がる。扉へ向かおうとするヴェラークを阻む。
 何度も繰り返されたため、階級も所属も違う彼らには役割分担が備わっていた。
「大丈夫だ。まだ死体報告は入ってない。黙ってここにいろ」
 物騒な単語を交えつつ諭すのはディールアで。
「胸中お察しいたしますが、そろそろミフトからの艦も到着する頃です。そちらの準備もしなければいけません」
 バンクが扉に近寄って鍵を確かめる。振り返りながらディールアの言葉に続く。
 ヴェラークの両腕を捕らえ、力ずくで両脇から止めているのはスロットとティニス。カラドレットが窓から沖を眺め、何の成果も上げられなかった軍艦が帰港するのを確認する。そしてまた、交代した艦が港を離れていくのも。
「陛下に報告するのはお前を含めた三人なんだ。頼むから隣に並んだ瞬間、殴りかかったりしないでくれよ」
 鼻息荒くディールアを睨みつけたヴェラークは、周囲の様子を確認すると再び椅子に座り込んだ。ディールアはその肩を叩いて疲れたように懇願する。そのやり取りを窺っていたバンクが肩を竦めた。
「貴方ではないのだから心配ないでしょう」
「なに言ってやがる。お前ら皆、騙されてるぞ。これでいてヴェラークは俺より血の気が多いんだ」
 ディールアはさも心外とばかりに唇を尖らせるが、そんな言葉はとても信用されなかった。
「こいつが一人身だったときに起こした暴力沙汰は俺より遥かに多いんだぞ!」
 ディールアは憮然と足を踏み鳴らせる。しかしそんな反論も、聞き流されるだけだ。バンクはやれやれと肩を竦めて仕事に戻り、ダールカとシュスマンはヴェラークだけに意識を注いでいる。
 ディールアはがっくりと肩を落とした。
 沈黙を保っていたカラドレットがふと立ち上がり、扉に近づいた。鍵を外すとヴェラークが反応する。だが顔を上げただけで、立ち上がろうとはしない。緊張が走った室内に安堵が戻る。
 カラドレットは背中でその気配を感じながら苦笑を零した。そうしながら扉を開けた。そこにはただ一人、謹慎処分を受けたカラドレットに代わって司令部の暫定指揮を命じられた、ザグレイの姿があった。彼は一時でも指揮を執るため、非常にあり得ない話ではあるが、曹長から大尉の階級に特進を受けていた。そんなことがまかり通るのもオーカキス島ならではである。
「何かあったか?」
 問いかけたカラドレットに、彼は敬礼で応えた。
「ミフト大陸にて任務にあたられていた艦長たちからの特別通信が司令部に入っておりました。あと一刻もすればオーカキス島の圏内に入るとの事です」
「――そうか」
 様々な武力者たちが一室に集まるこの奇妙な状態も、一刻もすれば終わるのだ。あとは人それぞれで道が分かれていく。
 カラドレットは瞳を細めた。
「報告、ご苦労である」
 ザグレイはしばし、廊下に人の気配がないことを確認した。
「――どうかしたか?」
 人目を憚る彼に眉を寄せるとザグレイは神妙に頷き、そんな彼の元にスロットやティニスも駆けて来た。その後ろからはディールアが顔を覗かせる。
 注目を浴びたザグレイは微かに迷う素振りを見せたが、カラドレットに先を促され、一歩部屋に入ると静かに告げた。
「先日エルミナさんが保護した少女が、目を覚ましたとの報告が入りました。この駐屯軍で一番の責任者を要望しております」
 現在、階級から見た最高権力者は複数人いるが、総督から指令を受けてオーカキス島に代理軍として派遣された指揮官は三人いる。ザグレイの性格ならばヴェラークに伝言するだろうが、彼の心理状況はいま尋常ではない。そのため迷ったのだろう。
 ディールアもカラドレットも複雑な表情となり、思わず顔を見合わせてうなった。その視界の端でヴェラークが立ち上がり、二人は条件反射的に彼の通行を妨げる。
「……他の二人には任せておけん。私が行こう」
 その言葉にディールアは伸ばした手を引っ込めて、マジマジと親友の顔を凝視した。
「正気か、ヴェラーク?」
「服務であれば冷静になれる」
 ヴェラークの瞳には暗い光が宿っていたが、悲壮感は消えていた。切迫感もなく、ただザグレイの報告に体を動かす。
 ディールアは腕を下ろして彼に道を譲った。
 バンクたちが「いいのか」と視線で問いかけてくるが、誰の問いかけにも応えずディールアは見送った。


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 オーカキス島の小さな司令部は従来にない忙しさに包まれていた。
 本土の司令部に比べれば、廊下は格段に狭い。武装した軍人たちが歩けば、二人並ぶのがやっとであろう。
 率先して部屋を出たヴェラークは足早にエルミナの部屋へ向かっていた。
 先を越されたザグレイは慌ててヴェラークの前に走りこみ、先導しようと振り返る。
「エルミナは元気か」
 こんな状況下で出すような質問ではなかった。
 何かを言いかけていたザグレイは、「は?」と口を開けて表情を固まらせる。ヴェラークは失敗を悟って視線を逸らし、うなり声を上げた。
 頭の中はイリアのことで一杯で、他の思考が追いつかない。
「ええ、エルミナさんは、先ほどまで少女の看護を続けておりまして……」
 タイミングがずれて返された言葉は、戸惑いを多分に含んだ物だった。
 ヴェラークは繕うように口許を緩ませる。
 だが、そう呑気にもしていられない。カール鉱石の洞窟前でイートシャンへ宣言した通り、彼女は本土へ送られガヴィルート国王の裁きを受ける。過去のことが露見した今ではヴェラークが表立って庇うことも出来ない。さすがに彼女が赤い海賊の仲間だったということは悟られていないだろうが、身分の偽りは詐称罪に問われる。
 そしてカラドレットもまた、本土へ呼ばれて軍法会議にかけられる。
 それまでゼロ家の出自として優遇を受けていた彼であるが、スロットが茶化したように、今度こそ本当に絶縁状を叩き付けられるかもしれない。そして更に言えば、そんな時のカラドレットはこれ幸いと笑っているのだろう。
 嫌な想像にヴェラークは顔をしかめた。
「エルミナさん、ザグレイです。カーデ大将をお連れしましたよ」
 目の前で足を止めたザグレイに合わせ、ヴェラークはそちらを見た。
 監視兵がヴェラークに敬礼する。
 ノックに応えて扉は簡単に開く。
「お勤めご苦労様です、ヴェラーク=カーデ」
 ザグレイが扉を開けるとテーブルの横に立っているエルミナがいた。ヴェラークが顔を覗かせると礼を取る。強張った表情は常にない緊張を表している。ヴェラークが安心させるように笑みを作ると、エルミナも応えて微かな笑みをヴェラークに贈った。
「私は席を外しております。何かありましたら直ぐに呼んで下さい。他の兵たちも巡回しております」
 ヴェラークを部屋の中に見送ったザグレイは声をかけて敬礼した。
 エルミナは頷き、ヴェラークも振り返って彼に頷く。
 扉が閉められた。
「……少女が目覚めたそうだな?」
「ええ……先ほどまで起きていたのですが、薬が抜け切っていないらしくてまた眠ってしまいました。今度は直ぐに起きるかもしれない。けれど、体力の消耗が酷くて」
 エルミナは視線を逸らした。頼りなげに片腕をつかみ、言葉を淀ませる。
 普段の彼女らしくない。
 ヴェラークは寝室に視線を向けた。開かれている扉の向こう側はとても静かな闇が満ちている。
「何かあったのか?」
「それが、彼女……」
 エルミナは少しだけ疲れたように首を振った。次いで、意を決したように顔を上げる。
「自分のことを、赤い海賊の頭領だと言っていまして」
 ヴェラークは思わずエルミナを見る。彼女が嘘をつくとは思えないが、今だけはそれが嘘だと思いたい。しかしエルミナの瞳には翳りが見られない。他者には見せないであろう、困ったような、泣き出しそうな、脆い感情を宿らせてヴェラークを見上げるのみだ。
「赤い海賊の、頭領……?」
 ヴェラークはただ繰り返した。
 エルミナは困り果てたように細い息を吐き出す。戸惑いを隠せないまま寝室に視線を向けた。そして軽く瞳を瞠る。
「だが、赤い海賊の頭領は」
「お前らが知る海賊の頭は死んだ。私がそれを引き継ぎ、頭となったのだ。私はあの男の娘だからな」
 寝室から出てきたのは白銀の髪をした少女だった。
 ヴェラークは弾かれたようにそちらへ顔を向け、イリアと同い年くらいであろうその姿に瞳を瞠る。だが、そこから紡がれる固い言葉に違和感を抱く。
 白銀の少女は痩せ細っていた。イリアよりもよほど細い。その体格は、彼女が海賊の頭といわれて納得できるようなものではない。戦利品ですと告げられる方が、すんなりと納得できる。だというのに易々と組み伏せられない手ごわさを感じた。彼女の瞳に宿る、どこか深い闇を思わせる光のせいかもしれない。夜空を凝縮した瑠璃色の瞳はヴェラークを睨みつけている。
「お前がここで一番偉い軍人か」
 寝室から踏み出したところに仁王立ちとなり、少女は両腕を組んだ。初見の者ならまず怯むヴェラークの姿にも、彼女は何ら気圧された様子はなく、堂々としている。肌は健康的に焼けていた。そこにも違和感が湧く。
 エルミナも呆気に取られていたが、少女の言葉を聞くと我に返ったようで、困ったようにヴェラークを見た。扱いかねたのだろう。
 ヴェラークは気を取り直して少女に向き直った。
「一番、という言い方には語弊を感じるが、私は現在ここで指揮を任されているヴェラーク=カーデという。貴方の要望には適っていると思う」
 少女の瞳が軽く瞠られる。
「お前がヴェラーク=カーデか。なんだ。結構若いんだな」
 戸惑うヴェラークをよそに、少女は寝室から離れるとヴェラークに近づき、しげしげと彼を観察した。悪意のない純粋な瞳にヴェラークは困惑する。エルミナも、どうしたものかと頬に手を当てて佇むだけだ。
 やがて少女は気が済んだのか、少しだけ距離を取ると再びヴェラークを見上げた。
「お前ならば話が早い。私をこのままガヴィルート国王の元へ連れて行け。そこで私は裁きを待とう」
 ヴェラークは何を言われたのか分からなかった。
「父はずいぶんと残虐にお前たちの民や財産を奪ってきた。私は今でもそのことを残念に思う。最後まで私は父と分かり合えなかった。だが、ここでお前たちに捕らえられたのなら、もう抵抗はすまい。カーデの手柄にするがいい。私が、お前たちが『赤い海賊』と呼ぶ海賊の、頭領なんだ」
 まだ自分の言葉が信じられていないことを悟っているのか、少女は語気荒く告げた。大きな瑠璃色の瞳がヴェラークを映している。ヴェラークは眉を寄せてその気迫を受け止める。
「前の頭が死んでいるだろうことは推測できていたが――」
「何を迷うことがある? 早く私をこの島から出せ」
 少女は傲然と告げる。同い年の少年少女とは違う雰囲気に包まれる。それが“赤い海賊の頭領”という環境によって作られたものならば納得ができるが、それでも言葉通り受け止めることができず、ヴェラークはひとまず彼女をテーブルに促した。
 エルミナの部屋は簡素だ。華やかに彩られたイリアの部屋とは異なる。
 そんなことを思い出している場合ではないのに、ヴェラークはふとそう思った。
「とりあえず話を聞こう」
「軍属と話すようなことはない!」
 噛み付くように肩を怒らせる少女を見て、ヴェラークは先に椅子に腰を下ろし、微笑んだ。
「どちらにしても、本土へ戻るにはしばらく時間を待たねばならない。それまでの時間、貴方と共にいよう。どうやらあちらの部屋では、私はお荷物のようだからな」
 少女にとっては意味不明な言葉だ。眉を寄せ、警戒しながらも席についた。ヴェラークの瞳と笑みに誘われたようだ。
 そんな少女と違い、ヴェラークの言葉の意味を悟っていたエルミナは複雑な心境で視線を窓の外に向ける。遠洋にはイリアたちを捜す船が幾つも出されているはずだった。いったいどこへ消えてしまったのか、彼女たちが見つかる気配はない。そして、今回オーカキス島で軍の指揮を任されているヴェラークは、イリアたちが見つかろうが見つかるまいが、ひとまず本土へ戻らなければならない。ガヴィルート国王へ報告し、艦の整備をする。もう一度この島へ来るにはかなりの時間を要する。もしかすれば、一ヶ月は海に出られないかもしれない。
「私の名前は、リディオールだ」
 険を含む少女の声に、エルミナは外に向けていた視線を戻して耳を傾けた。

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