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第四話

【四】

 リディオールと名乗った少女は椅子に座った。ヴェラークをねめつけたあと窓を見る。きつい双眸が少しだけ緩んだ。
 ヴェラークも窓に視線を向ける。
 二人で何も語らずに、ただ窓から海を見続ける。
 その様子を見ていたエルミナは微かに表情を曇らせた。
 ――赤い海賊。運命を一変させた赤い悪魔。彼らが島へ上陸したときのことは良く覚えている。忘れようにも忘れられない。いつか復讐してやる、と心に刻みながら生きてきた。あの日を経験した大人たちは誰もが同じ気持ちだ。すべてを奪われた者たちには、それしか生きる支えがなかった。それが、唐突に奪われた。
 ダルスが乗り込んで壊滅させたという話であるから、島民たちの悲願は果たされたことになるのだろう。だが、その場面を見ていない。復讐の念は消えない。ダルスの不在は小さな種火だ。彼が戻らなければいずれ大きな炎となるだろう。
 エルミナは自分の腕を押さえて視線を落とした。リディオールが“赤い海賊”の象徴だとは信じられない。けれど、彼女の言葉だけで復讐の正義は成り立ってしまう。単なる生贄としての意味しか持たなくても、必然だった。殺されたくなければそんな嘘をつかなければいい。嘘をついたのは彼女の責任だ。殺す側に責任はない。
 ともすれば衝動に衝き動かされてしまいそうだ。
「お前は島の人間か?」
 不意に声を掛けられてエルミナは顔を上げた。リディオールがエルミナを見つめていた。
「金髪の女。ラヤダから聞いている。エルミナという名だと言っていたから間違いないだろう」
「ラヤダが……なに、を?」
 声は掠れていた。不意を突かれた質問で、上手くかわせる余裕はなかった。
 たった一度の邂逅。それも、一瞬で終わった邂逅。
 彼が島を出てしまってから、まるで禁忌と恐れるように名前を呼ばなくなった。
 名前を口にした途端、熱いものが胸の中にじわりと広がる。
「姉代わりになった人の名前だと聞いた。不義理ばかりしていて申し訳ないと謝っていた。私が貴方に会う機会があったら伝えてくれと頼まれていたのだ」
「ラヤダが、貴方に?」
 リディオールの言葉はそのままラヤダの声となって聞こえた。
 エルミナは瞳を熱くして呟く。同時に疑問も浮かぶ。赤い海賊の頭であるならラヤダの敵だ。それなのに、彼はどうしてリディオールにそのような伝言を頼んだのだろうか。
「奴は大した男だ。私たちの船に乗り込み、力でその座を奪い取った。最初から父に挑戦したわけではない。あいつは何度も機会を窺っていた」
 エルミナから不審の目を向けられるとリディオールは鼻を鳴らせた。椅子に足を組んで胡坐をかき、腕組みをして唇を歪める。大人しい少女の気配が一変し、異彩を放って見えた。
「私たちはお前たちのように定住する地を持たない。常に船上で暮らしてきた。だが赤子が増えれば船は沈没する。私たちがどうやって一定の戦闘力を保ち、人口過多にもならなかったのか、知っているか?」
 鋭い瞳が部屋を眺めた。安穏とした者があれば一瞬にして首をかき切られそうな、剣呑な眼差しだ。エルミナの体に緊張が走る。リディオールは凛々しい顔立ちに笑みを乗せてエルミナを見据える。
「女は子どもを宿せば船を下ろされる。夫となった男は女と共に町に残るか、船に残るか、選択を迫られる。それがひとつの方法だ」
 確かにそれは仕方がないことだろう。
 エルミナは黙り込む。リディオールの瞳から視線を外さないまま頷いた。
「もう1つは、父が定期的に開くふるい落としの儀式だ」
「ふるい落とし……」
「名前から想像はつくな。船に残る者と残れない者と、ふるい落としが行われる」
 リディオールは話ながら位置を測っていた。部屋の武器に手を伸ばす。
 ヴェラークもエルミナも驚かない。部屋に備え付けの剣は、装飾品であるからだ。それを知ったリディオールは舌打ちしたが、直ぐに構わないと思ったのか、鞘がついたままの剣を掲げてみせた。
「船上で行われる決闘だ。我らの船には強い者だけが残ればいい。敗者はそのまま海に置き去りにされる。運が良ければ航行中の商船にでも拾われて助かるだろう。だが、非情なる赤い海賊の頭は、船の情報を握る者を易々と逃しはしない。人食い魚がいる海域でふるい落としをかける」
 リディオールは剣を一振りし、興味が失せたように投げ捨てた。剣はやけに軽い音を立てて部屋の隅に転がっていく。
「ラヤダは何度か行われたふるい落としの儀式で、常に船に残った。それが父の目に留まり、ラヤダは重宝された。爪を研ぎ、息を潜め、そうしてあの男は父の首を取ったのだ」
 リディオールは淡々と告げた。尊敬していないとはいえ、そうまで感情を殺すことができるのかとエルミナは複雑になる。彼女の瞳は疲れきっている。まるで一昔前の自分を彷彿とさせるようだ。カラドレットがいなかったら自分も彼女のような瞳をしていたのだろうか、と苦くよぎらせる。
「父が死に、船は陽気に賑わいだ」
 自嘲が軽く刻まれる。
「私はラヤダに決闘を申し込んだ。そして負けた。奴の妻になった。腹には、あの男の子どもも宿っている」
「子ども……?」
 黙っていたヴェラークまでもがリディオールの腹部を見た。彼女は痩せていて、腹の膨らみは気付かない。下手をすれば女性としての丸みも見落とし、少年だと言われても不思議ではない体つきだ。
「ラヤダの、子ども……?」
 エルミナは呆然としながら繰り返した。確かに衛生兵から彼女が妊娠しているとは聞かされていたが、それがラヤダの子どもだとは想像もしていなかった。
 リディオールは一拍置いて、ヴェラークに向き直る。
「お前たち海軍にとっては領海を荒らしていた敵だ。私はその頭の娘であり、新たな頭の子まで成している。王都に引き立てられる理由は充分だ。違うか?」
 ヴェラークはしばし言葉に迷っていたが、やがて深い息を吐き出した。
「確かに……あなたの言葉が本当であれば、我らはあなたを捕らえ、王の詮議にかけるだろう」
 リディオールの瞳に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。エルミナは不思議に見やる。彼女の言葉が衝撃的で、まだ思考が上手く働かない。
「だが」
 ヴェラークは立ち上がってリディオールを見下ろした。
 大きな男の影に飲まれたリディオールは眉を寄せ、怪訝に見返す。
「あなたが本当に子を宿しているなら、あなたは母親になるのだ。もう少し、自分の体を大切にしなさい」
「私は母になどならない! 今すぐ連れて行け!」
 リディオールは激昂して叫んだ。部屋を出ようとするヴェラークに気付いて肩を怒らせる。
 突然の豹変にエルミナは驚き、二人の間に割って入った。このような激情は体に悪い。彼女を宥めようとする。しかしリディオールはエルミナの腕に縋りながら叫び続けた。
「私はお前たちの敵だ! なぜ否定しない!」
「リディオール。落ち着いた方がいいわ」
「うるさい、放せ!」
 鍛えられたエルミナの腕は解けない。海賊の娘には不似合いな、華奢な体。
「ヴェラーク! 今すぐに私を処刑しろ! 子どもなど要らぬ……! ラヤダの子など……!」
 大きく肩で息をして、嗚咽のようにリディオールは零した。
「ラヤダのいない世界で私を母になどするな……!」
 エルミナは衝動のままにリディオールを抱きしめた。小さな体が縋りついてくる。まるで、幼い少女が母を失って悲嘆に暮れる様を思わせた。彼女が伸ばした手はどこにも届かない。
 扉の前で振り返ったヴェラークは後ろ手にドアノブをつかむ。廊下で慌てる気配がし、直ぐにザグレイたちが入ってこようとした。しかしヴェラークに塞がれているため扉は開かない。
「なにごとですかっ?」
 ザグレイが扉を叩く。彼は複数の兵も伴っているようだ。廊下がざわめいている。ヴェラークからの返事はない。
 リディオールの涙が止まるまで、ヴェラークはそうして扉の前に佇んでいた。


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